伝説のスローカーブ星野伸之

hardhiter
1966年、北海道生まれ。MAX130キロに満たない球速ながら、打者から腕の振りが見えない独特のフォームと、80キロ~100キロ台で低めに決まる大きなカーブと緩急をつけた直球やフォークで芸術的な投球を繰り広げた。

◆最速130km/hのストレートの脅威

、梨田昌孝は「ストレートが一番速かった投手は?」という雑誌の取材に対し星野の名を挙げて「あまりにも速く感じて金縛りのようになった」
星野伸之 – Wikipedia

、初芝清は「(当時日本最速の158km/hを記録した)伊良部より星野さんのほうが速いと思う」
星野伸之 – Wikipedia

清原和博は「星野さんのストレートが一番打ちにくい」
星野伸之 – Wikipedia

http://www.youtube.com/watch?v=DldM-1W6cpw
120km/h台のストレート90km/hのカーブで抑えます。

マリナーズの春季キャンプで、「ふざけるな、もっと真剣に投げろ」とクレームをつける者がいた。
星野伸之 – Wikipedia

シート打撃に登板した際、マリナーズの選手達は星野のボールにタイミングが合わず凡打を繰り返した。

◆90km/hのスローカーブ

大きく縦に曲がるカーブ。

捕手の中嶋聡が右手で直接捕球し、星野を超える球速で返球したことで失笑が起こった。

「華奢な身体つき」

『星の王子様』という愛称が付けられた。
星野伸之とは (ホシノノブユキとは) [単語記事] – ニコニコ大百科

身長180cm台に対して体重が60kg台前半~中盤しかなかったそうです。

歴代18位の通算2041奪三振を記録

◆タイトルとは無縁

星野は、176勝という通算勝利を挙げていながら、最多勝や最優秀防御率、最多奪三振といったタイトルに無縁である。

勝利数では1989年に15勝で3位、1990年に14勝で3位、1997年に14勝で3位である。防御率では1996年の5位が最高である。

最も惜しかったのが1991年で、16勝を挙げたものの上に17勝の野茂英雄がいたため、2位であった。
伝説のプレーヤー 日本プロ野球

◆伝説!?

マウンドに立つだけで相手打者のタイミングが外された、心臓発作を起こす清原も
全盛期の星野伸之伝説 – 全盛期のイチロー伝説まとめサイト

あまりに遅いので奥さんから「あんな遅い球、私でも打てる」と言われたことも
全盛期の星野伸之伝説 – 全盛期のイチロー伝説まとめサイト

晩年の落合から盗塁されたのは星野くらい
全盛期の星野伸之伝説 – 全盛期のイチロー伝説まとめサイト

落合さんかっこいいですね。

あまりスローカーブ投げると試合時間が長引くから投げたくないという名言
全盛期の星野伸之伝説 – 全盛期のイチロー伝説まとめサイト

著書

真っ向勝負のスローカーブ (新潮新書)

彼の投手としての能力は並程度であるけれど打者の観察力と絶妙な投球術によってなしえたものであると。その投球術や、彼の選手時代に出会った人たちのことについて
書かれています。投手を志す人なら一度は読んでみてほしい本
Amazon.co.jp: 真っ向勝負のスローカーブ (新潮新書)のツヨさんのレビュー

◆Twitter

根岸敦生@Atsuo_NGS_Asahi

オリックスで星野伸之が投手コーチになっていた。でもあの小さなテークバックから繰り出されるスローカーブは伝授できない技だろうな。野球記者をやっていたころ、「きょうは球が速すぎる」と嘆いた唯一の投手でした

Hatamoto@tigers19950102

星野伸之を動画で見るのがマイブーム!最速128キロの直球と90キロのカーブ、110キロのフォークの3球種の本格派で170勝とか格好いい(*^^*)

Yamada Yukiya@YKRN90

星野伸之みたいやな(笑) なんJ PRIDE : 【野球】東浜、ズバッと129キロの直球で見逃し三振に blog.livedoor.jp/rock1963roll/a…

松山孝法@dazaist69

星野伸之も好き。あの長身からの投球術とスローカーブが惚れた
86キロのカーブと最速でも135キロのストレートしか投げられない僕のような人間でも、並み居るプロの強打者・好打者と真っ向勝負ができたのだ あなたにそれができない、とだれが決められるだろうか  ―――星野伸之 

カジ@freeswinger0325

暇潰しに星野伸之の動画見てるけど、やっぱいつ見てもこの人のピッチングはたまらんわ

140キロ台の速球を使って、力で押すピッチングをする

どれだけ速い球を投げようとしても130キロ程度が限界

名球会入りの条件である通算200勝
伝説のプレーヤー 日本プロ野球

原因不明の頻脈という病魔で練習中に倒れて、結局完全に回復することなく、2002年には引退を余儀なくされて通算176勝で終わった。

https://matome.naver.jp/odai/2135285425488137401
2016年07月09日