少し早めに与えられた、人生を素敵に生きるためのガイドブック。
当時は幼心に、少し味気ないと思っていたかもしれない、国語の教科書に載っていた作品。
けれど、世代や地域も違う人たちが、同じ作品をを共有できるというような魅力もあります。
教科書の良さは、大人になって、やっと実感できるものかもしれません。
大人になった今だからこそ、
あの頃読んだ作品から新しく何かを得たり感じたりすることがあるかもしれません。
あの頃は分からなかった文章の意味が分かるという事も、あるかもしれませんね。
思い返すと、
教科書は生きてゆくために必要な、人生のガイドブックのように思えます。
■小学校低学年
みんなが、一ぴきの大きな魚みたいにおよげるようになったとき、スイミーは言った。「ぼくが、目になろう。」
おじいさんが、かぶのたねをまきました。
「あまい あまい かぶになれ。おおきな おおきな かぶになれ。」
モンゴルの草原に、スーホという心の優しい少年が、
おぱあさんと二人で住んでいました。
スーホと一緒にいられるように
馬の魂は、ひとつのお願いをする。
むかしむかし、あるところに、
お風呂に入った事のない、おじいさんとおばあさんがいました。
■小学校中学年
「ぼくの たからものと とりかえて」といって、
きつねはポケットからそらいろのたねを取りだします。
とうさんは、ころあいを みはからって「えいっ。」と言いました。
「かげおくりのよくできそうな空だなあ。」
というお父さんの声が、青い空からふってきました。
「いいえ、夏みかんですよ。」
信号が赤なので、ブレーキをかけてから、
運転手の松井さんは、にこにこして答えました。
その時帽子の持ち主である男の子が戻って来て、
チョウが夏みかんに変わっていてた。
野原の辺りまで来ると女の子は消えていて、
「よかったね」「よかったよ」という声がした。
女の子はチョウが化けていたのだった。
まったく、豆太ほどおくびょうなやつはない。
もう五つにもなったんだから、
夜中に、一人でせっちんぐらいにいけたっていい。
豆太は夜1人で外のトイレへ行くことができない。
その前には大きなモチモチの木があり、
夜になると、恐いお化けに見えてしまうからだ。
■小学校高学年
そうじゃない、あれはやまなしだ。
流れて行くぞ、ついて行って見よう、ああいい匂いだな。
魚がなぜ行ったり来たりするのかの話もしている。
お魚がかわせみに食べられてしまう。
蟹の兄弟は、かわせみと「死」に怯える。
蟹の兄弟は、泡の大きさくらべをする。
蟹の親子は、落ちたやまなしを追いかける。
そのときだ。
綾子の胸が急に苦しくなってきて、特大のパチンが来たのは。
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
中学校
だが彼は、ますます美しくなってゆく都会のスカイラインを
ぼんやり眺めていたので それには気がつかなかった。
そこに直径1m程の小さな穴が残されていた。
穴は埋まることなく、何でも受け入れてくれた。
原発の廃棄物、機密書類、都会の汚物
…何でも投げ入れた。
メロスは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。
それから、何度か、私は偶然、ひよこの目に出会うことがあった。街の雑踏の中で。あるいは、電車の中で。そんな時、 私は、困ってしまうのだった。
彼はいつも何かをぼんやりと眺めているようだ。
その目になぜか懐かしさを感じるが、
それが何に因るものなのかわからず、もどかしさを覚えるお話だ。
「まあ、その汚らしいハンカチが?何がその中に入ってるの」
「パン一切れさ」
突然、部屋全体が私と一緒にくるくると回転し始めた。
私はその人を常に先生と呼んでいた。
教科書にあの作品が載っていた意味は、今になってこそ分かるもの。
授業で何度も音読した、国語の教科書の作品。
抜粋した少しの文章を読んで、あの頃読んだ作品と懐かしい再会ができたのではないでしょうか。
今だからこそ「教科書の作品」は、
忘れていた大切な事を思い出させてくれるのかもしれません。



















それが、スイミー。
小さな魚が、大きな魚に立ち向かうものがたり。