ダイエーとの対戦となった阪神は、2連敗する苦しい展開。
阪神は、第3戦も序盤にリードを許すが、4回裏に金本が同点本塁打を放つと、この試合に勝利。
金本は、第4戦でも本塁打を放つと、延長10回裏にはサヨナラ本塁打を放って2連勝し、2勝2敗のタイに持ち込む。
第5戦でも先制本塁打を放って3連勝に貢献した金本は、シリーズ4本塁打、及び3試合連続本塁打という2つの日本タイ記録を樹立。
阪神は、日本一を逃したものの、金本は阪神ファンから絶大な支持を得ることになった。
左手首軟骨剥離骨折だった。
この故障により、金本は、バットを振る際、左手を使えないという状態に陥る。
しかし、金本はそのような状態ながらフルイニング出場を続け、その翌日の巨人戦では、右手1本でスイングしながら、2安打を放つ。
この年、金本は、1イニングも休まず、試合に出場しながら骨折を治療するという並の選手では真似できない過酷な闘いを続ける。
そんなシーズンを過ごしながら、金本は、何と113打点を挙げる活躍で初の打点王を獲得するという偉業を成し遂げる。
まさに鉄人伝説ここにあり。
きっかけは、当時、達川光男監督と中日の星野仙一監督が「一番ありがたい選手は休まない選手」という話をしていたのを聞いたためだった。
2006年4月9日の横浜戦では大リーグのカル・リプケンが作った903試合連続出場を抜いて、904試合連続フルイニング出場の世界記録を樹立する。
2010年3月のオープン戦前練習で他の選手と激突し、肩を痛めた影響で4月17日までで連続試合出場は止まった。
しかし、1492試合連続出場は今後もおそらく破られることがないであろう空前の世界記録である。
2005年8月11日には1000試合連続出場を達成。
2011年4月15日に止まるまで1766試合連続出場を達成した。
これは衣笠祥雄の2215試合と松井秀喜の日米通算1768試合(日本1250試合+米国518試合)に次ぐ歴代3位の記録であり、日本だけでの通算では歴代2位の記録である。
広島から阪神へと移籍をしながらここまで長期間にわたって連続試合出場を果たしている選手は過去に例がなく、優秀な選手であることを証明している。
金本は、2001年10月11日のヤクルト戦で歴代2位となる1試合5四球を記録する。
この年は128四球を記録。歴代5位となるこの記録は1~4位が王貞治を独占している。
さらに、通算四球数でも2012年9月現在、 1319で歴代3位。
1位は王貞治 (2390)、2位は落合博満(1475)であることから、金本の卓越した強打者ぶりがうかがえる。
一生でたった1度しか球場に来られないファンにも、自らのプレーを存分に見せたいという強い想いから来るそのプロ意識は、多くのプロ野球ファンから支持を受けている。
阪神では、阪神を常勝軍団に変えた男と称賛を受け、「アニキ」の愛称で生え抜き選手以上の人気を誇っている。









関西大学との試合は、2-2のまま延長戦に突入し、両チームともに得点を挙げられずに延長17回まで進む。
延長17回の表、1死2、3塁というチャンスで打席に立ったのは、金本だった。
金本は、センター前に2点タイムリー安打を放って勝ち越し、東北福祉大学は4-2で勝利して悲願の初優勝を遂げる。
このとき、金本は、左手首を骨折していた。そのため、右手でしかバットは振れない状態だったが、見事にヒットを放ち、チームを優勝に導いた。
金本伝説のはじまりである。