河内貴哉 入団から解雇 そして再契約までの道のり

minominomino

1999年 入団

近鉄、中日、広島がドラフト1位指名。抽選の結果、
広島カープに入団し、大野豊の背番号24を受け継いだ。
入団前、「中日がいい。巨人?嫌いです」と言い放ち一躍有名になった。
河内貴哉 – プロ野球板@AA保管庫

2000年 入団1年目

5月30日 先発河内が巨人打線を7回1失点に抑え、プロ入り初勝利。
中国新聞 カープ情報

フレッシュ2000(フレッシュオールスターゲーム)勝利投手になりMVP
フレッシュオールスター・ゲーム 各年度試合結果(2000-2009)

2000年 1勝4負 投球回42.1 防御率4.25
河内貴哉 – Wikipedia

2001年~2003年 入団2年目~4年目

2001年 2勝3負 投球回29.1 防御率7.36
2002年 1勝7負 投球回56.2 防御率5.08
2003年 3勝2負 投球回38.1 防御率5.40
河内貴哉 – Wikipedia

2004年 入団5年目

2004年4月18日 巨人戦、9回3失点でプロ初完投勝利
Cb Carp blog (カープ ブログ) : 河内 うれしいプロ初完投!

オールスター出場 1イニングを投げ1安打、1四球を与えるも三振を2つ奪い無失点

2005年 入団6年目

1軍登板なし キャンプでフォームを崩し、制球が定まらずファーム暮らしが続いた。
河内貴哉 – Wikipedia

2006年 入団7年目

投球フォームをオーバースローからサイドスロー気味に変更した。ウエスタン・リーグで防御率2.51と言う好成績が認められ、9月2日に2年ぶりに一軍昇格を果たす。同日に行われた対ヤクルト戦で3番手で登板し、拙守による2失点で復帰。その後も中継ぎとして15試合に登板し、15奪三振15被安打、防御率1.76とまずまずの成績を残した。オフにサイドスローからオーバースローに戻し、捲土重来を期していたが、結局2007年もサイドスローでシーズンに突入。序盤は左殺しとして活躍したが、被安打の多さと制球難が問題となり、後半二軍行きとなった。
河内貴哉 – Wikipedia

2006年 0勝1負7ホールド 投球回15.1 防御率1.76

2007年 入団8年目

2007年 0勝0負6ホールド 投球回9回 防御率5.00

2008年 入団9年目

5月14日 河内、今季絶望…内視鏡による修復手術を受ける
河内、今季絶望…内視鏡による修復手術を受ける — スポニチ Sponichi Annex 大阪

12月16日 河内、リハビリ黙々 左肩手術から7ヵ月
中国新聞 カープ情報

1軍、2軍通じて登板なし

2009年 入団10年目

11月1日 河内に戦力外通告
中国新聞 カープ情報

戦力外通告後、育成選手として再契約します。

1軍、2軍通じて登板なし

12月13日 河内、広島市内で結婚式 生涯の伴侶に復活誓う
河内、広島市内で結婚式 生涯の伴侶に復活誓う — スポニチ Sponichi Annex 大阪

2010年 入団11年目

10月29日、規約により自由契約選手公示がなされたが、11月16日に再び育成選手として契約した。
河内貴哉 – Wikipedia

2011年 入団12年目

5月27日 河内貴哉投手が4年ぶりの実践復帰
河内貴哉投手が4年ぶりの実践復帰|スポーツって気分

http://www.youtube.com/watch?v=74bT16fEnvs

2012 入団13年目

https://matome.naver.jp/odai/2134027847690271801
2012年06月21日