ホリエモンの生い立ちから現在(獄中)までを写真で振り返るまとめ。wikipediaの来歴をベースに画像を追加しました。
堀江 貴文(ほりえ たかふみ、1972年10月29日 – )は、日本の実業家、愛称はホリエモン。身長173.5センチ、体重90キロ。
生い立ち
福岡県八女市出身。まわりは茶畑しかない田舎だった。父は自動車販売会社の営業マン、母は中小企業の社員。共働きの家庭で、ひとりっことして育つ。三百坪の敷地の実家は、堀江が生まれた頃はまだ、戦後手作りで建てたボロい平屋のままで、お風呂はドラム缶で沸かしていた。4歳ぐらいの時に建て増しして、新しい風呂ができた。小三の時、もう一度増築して二階建てになって、やっと自分の部屋をもらえた。
学生時代1
久留米大学附設中学校・高等学校を経て、東京大学教養学部文科3類に入学。東京大学文学部宗教学・宗教史学専修課程中退。高校3年時に受けた模試での東京大学への合格可能性判定はD判定以下で、教師からは「D判定以下の東大よりもA判定の(同じ東京にある国立大学である)一橋大学に行きなさい」と指導を受けたが、その後半年間の勉強で東京大学に合格。入学後大学1年の時に赤本(東京大学・文系)に合格体験記を寄稿している。
学生時代2
学生時代3
学生時代4
会社設立
東京大学に入学後は、駒場寮の北寮へ入寮し、同部屋となった二人の先輩のうちの一人(後にオン・ザ・エッヂ〔後:ライブドア、現:LDH〕の設立メンバーの一人となる人物)から、塾講師のアルバイトを紹介される。アルバイト先の塾で、共同で会社を設立することとなるメンバー(有馬あきこ)達と知り合った。
会社設立2
在学中の1996年(平成8年)、ウェブページ制作請負会社である有限会社オン・ザ・エッヂを設立。設立資金600万円は当時の交際相手の父親により出資された。1997年(平成9年)に株式会社に改組。同社は、当時のインターネットが普及しはじめた黎明期に、いち早くホームページ制作・管理運営を行う会社として注目され、レコード会社などの一流企業のサイト制作を請負いながら急速に成長していった。2002年(平成14年)、経営破綻した旧ライブドア社から営業権を取得した。
会社設立3
会社設立4
プロ野球球団買収2
その後も野球以外では、公営競馬の運営業務への参入打診を図るが、結局白紙となった他、経営危機に陥っていたサッカーJ2リーグ・サガン鳥栖の経営参加を計画するもやはり実現に至らなかった。一方で競走馬「ホリエモン」を所有していた。
2004年(平成16年)10月、ベストジーニスト受賞。また2005年(平成17年)3月には第42回ゴールデン・アロー賞話題賞を受賞。後者は、タレント活動もしていたとはいえ実業家の受賞は異例である(非・芸能人の同賞受賞者は、これまでスポーツ選手や作家にはいた)。
2004年(平成16年)10月、ベストジーニスト受賞。また2005年(平成17年)3月には第42回ゴールデン・アロー賞話題賞を受賞。後者は、タレント活動もしていたとはいえ実業家の受賞は異例である(非・芸能人の同賞受賞者は、これまでスポーツ選手や作家にはいた)。
ニッポン放送買収
2005年(平成17年)2月、社長を務めるライブドアはニッポン放送の株を35%取得、同社最大株主となる。その後2月21日現在ニッポン放送株を40.1%取得。なお、株取得が報道された直後から当時ニッポン放送の子会社だったフジテレビジョンを出入り禁止になり、平成教育2005予備校から降板させられた。この時にフジテレビと大きな騒動となり報道機関が殺到することになる。その時に彼が言った言葉で有名なのは、主に「想定の範囲内」という言葉がある。
総選挙立候補
2005年(平成17年)8月16日に衆議院の解散にともなう総選挙において、自民党から福岡1区での立候補を打診されたが、出馬するかどうかは未定であることが明らかとなった。一方、民主党の岡田克也代表(当時)とも会談を行うが民主党からの立候補は見送られた。
総選挙立候補2
しかしながら、当の自民党からは堀江を擁立する事に対する批判が相次ぎ、また、堀江が自民党の説得に応じず、ライブドアの社長を辞めないことを表明。堀江は無所属として亀井静香の選挙区である広島6区で立候補すると発言したが、立候補の記者会見を自民党本部で行っていたこと、広島6区で自民党・公明党が候補を擁立しなかったこと、武部勤自民党幹事長や竹中平蔵経済財政政策担当大臣など自民党大物幹部が堀江の応援演説に訪れていたことから、自民党による亀井静香への対立候補として世間から認知されるようになった。
総選挙立候補3
選挙の結果としては、亀井静香の地盤である広島6区では厳しい選挙戦を強いられ、公明党支持者からの票を得る為に「比例は公明党に」と連呼までして終盤で追い上げたが、結局は亀井静香11万票に次ぐ8万4千票で落選した。
ライブドア事件
2006年(平成18年)1月16日東京地検特捜部による家宅捜査が行われる。
ライブドアの2004年9月期年度の決算報告として提出された有価証券報告書に虚偽の内容を掲載したとする疑いが持たれるなど証券取引法等に違反したとされる2つの罪で、法人としてのライブドアとライブドアマーケティングおよび同社の当時の取締役らが起訴されている事件である。
従来の粉飾決算事件は企業が経営破綻してから捜査されたのに対し、ライブドア事件は経営破綻していない会社が捜査された点が特徴である。
ライブドアの2004年9月期年度の決算報告として提出された有価証券報告書に虚偽の内容を掲載したとする疑いが持たれるなど証券取引法等に違反したとされる2つの罪で、法人としてのライブドアとライブドアマーケティングおよび同社の当時の取締役らが起訴されている事件である。
従来の粉飾決算事件は企業が経営破綻してから捜査されたのに対し、ライブドア事件は経営破綻していない会社が捜査された点が特徴である。
勾留~保釈
2006年(平成18年)1月23日から4月27日までの勾留中、堀江は韓国語の勉強をしたり、史記や山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」など文庫本を200冊以上読んでいた。「沈まぬ太陽」に関しては、これに感銘を受け、保釈後の5月21日、日本航空123便墜落現場の御巣鷹の尾根へ登り、慰霊を行った。
保釈後は基本的に自宅の六本木ヒルズからは1歩も出ておらず、通販などで買った食品を自分で料理したり、出前を頼んでいる毎日であるという。拘置所内での生活により、見た目は大きく変貌し、かなりのダイエットに成功していた。しかし、保釈後の生活により、いくらか体重がリバウンドした。
保釈後は基本的に自宅の六本木ヒルズからは1歩も出ておらず、通販などで買った食品を自分で料理したり、出前を頼んでいる毎日であるという。拘置所内での生活により、見た目は大きく変貌し、かなりのダイエットに成功していた。しかし、保釈後の生活により、いくらか体重がリバウンドした。
地裁判決後
TBS『筑紫哲也 NEWS23』にも生出演。判決理由に対して「裁判は公平だったが、主張が認められていないし、どうしてそういう事実認定になったか分からない」とした。公判前整理手続については「負担はなかった」、実態を大きく見せようとしたとの質問には「株主を欺こうなんて考えていない」とした。反省の意が感じられないとのことは「無罪を争っているので、それは仕方がない」、株主に対する責任については「自分としては果たしてきたが、今ではどうしようもない」。今後の生き方については「まだ考えられない状態だ。民事のほうでも決着が着かないと、ホントに新たな気持ちに切り替えることはできない」とした。
AV嬢をプロデュース
アダルト向け映像作品に関して造詣が深く、ソフト・オン・デマンド社は彼を評し、「AV評論家として名高い」と記したほどである。また、2010年(平成22年)AV女優を発掘し、全面プロデュースするプロジェクトの依頼を受け、子会社のSODクリエイト(SODster)よりAV女優「Nina」としてデビューさせた。
ロフトプラスワンの定例イベント「ホリエモントーク」
出頭~収監
2011年6月20日、モヒカン頭で東京高等検察庁に出頭し、東京拘置所に収監される。六本木の自宅から東京高等検察庁出頭までの一部始終はニコニコ動画の「ホリエモンチャンネル」とニコニコ生放送「緊急生放送!密着 堀江貴文収監のすべて」で生中継された。
https://matome.naver.jp/odai/2133354638218184201
2012年05月06日



























