【画像】昭和美人とその現在

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加賀まり子、浅丘ルリ子など昭和美人の写真、経歴まとめと、現在の写真です。

■加賀まりこ

加賀まりこ  ’昭和’
千代田区の一橋中学を経て明星学園高等学校入学。
同校在学中の1960年、通学姿を見初めた篠田正浩と寺山修司に路上でスカウトされ、デビュー。

松竹と5年間の新人契約を交わして1962年に『涙を、獅子のたて髪に』で映画デビュー。プロフェッショナルな演技力と、小悪魔的なルックスで人気を呼ぶ。反面、常に歯に衣着せぬ発言、かつ強気であったため「生意気」のレッテルを貼られるが、日本のブリジット・バルドーとも呼ばれた。

■浅丘ルリ子

浅丘ルリ子  ’昭和’
中学校在学中の1954年に井上梅次監督の『緑はるかに』のヒロイン役募集を知り、応募。約3000人の中から選ばれ銀幕デビュー。
日本映画全盛期に一世を風靡した日活アクション映画における代表的なヒロインに。
浅丘ルリ子  ’現在’
現在までの映画出演本数は150本以上で、映画賞受賞多数。
舞台でも「ノートルダム・ド・パリ」(蜷川幸雄演出)をはじめ、多彩な演出家の作品に多数出演。
89年には東京都都民文化栄誉章、2002年には紫綬褒章を受章している。

■梶芽衣子

梶芽衣子 ’昭和’
梶芽衣子さんは東京の神田に生まれ、高校在学中にスカウトされて、卒業後、日活からデビュー。
『野良猫ロック』シリーズや『女囚さそり』シリーズ、『修羅雪姫』シリーズは彼女の人気を決定づけた代表作に。
これらのシリーズや映画『動脈列島』の役柄から、「怨恨を持った復讐者」というイメージとして定着し、クールな美貌と感情表現の凄まじい演技力が魅力となった。

■デヴィ夫人

デヴィ夫人 ‘昭和’
1959年、19歳のときに、インドネシアへの日本政府の開発援助に伴い「東日貿易の秘書」として、スカルノ大統領のもとに送り込まれる。
インドネシアに渡って数年は愛人の一人であったが、語学などの熱心な勉強態度が認められ、1962年にスカルノと正式に結婚。4人の夫人の内の第3夫人になる。
デヴィ夫人 ‘現在’
「デヴィ夫人」の愛称で日本のワイドショーやバラエティ番組に出演している。
インドネシアのスカルノ元大統領第3夫人、という浮世離れした人生を送っていたことから、独特のコメントや振る舞いで人気を博している。

■カルメンマキ

カルメンマキ ‘昭和’
アイルランド人とユダヤ人の血を引くアメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる。
1968年、高等学校を中退し、イラストレーターか役者になろうかと考えていた時期に、寺山修司が主宰していた劇団「天井桟敷」の舞台に感銘を受けた彼女は入団。同じ年の「書を捨てよ町へ出よう」が初舞台。
翌1969年に「時には母のない子のように」でデビュー。17歳とは思えないその妖艶な雰囲気と歌唱力、そして投げやりな歌いっぷりが話題を呼んだ。この曲で第20回NHK紅白歌合戦への出場も果たす。
カルメンマキ ‘現在’
1993年に日本国籍を取得し、音楽活動を再開。
現在も全国各地をライブハウスを中心に精力的に回っている。
https://matome.naver.jp/odai/2132997476388021801
2012年02月27日