【神】プロ野球アンタッチャブルレコードまとめ【記録】

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日本プロ野球で新たな新記録の樹立が非常に困難と言われている記録を集めてみました。

通算勝利数 400勝

金田正一 (国鉄→巨人 1950~1969年)
アンタッチャブル記録の筆頭がこの通算勝利数400勝。野球の巨匠と呼ばれる金田正一氏が樹立しています。(彼はこの後も何度も出てきます)

非常に難しいシーズン20勝を20年連続で達成してやっと届く記録であり、新記録樹立の可能性は無いと考えられます。
(シーズン20勝ですら2000年以降だと斉藤和己(ソフトバンク)、井川慶氏(阪神)、岩隈久志氏(楽天)、田中将大氏(楽天)の4人がそれぞれ1回達成したのみ)

シーズン最多勝利数 42勝 (2人達成)

ヴィクトル・スタルヒン (巨人 1939年)
シーズン最多勝利数42勝も新記録樹立の可能性は無いと言えるでしょう。過去に2人が達成しており、そのうちの一人がロシアから来たこの男、スタルヒンです。
彼は1シーズンで先発で41試合、救援で27試合の計68試合登板というフル回転の活躍。

そもそも先発で30登板することもほぼ無い時代。全線全勝しても新記録樹立は不可能であり、現在の投手分業制が貫かれる限り物理的にも達成不可能と言えます。

シーズン最多勝利数 42勝 (2人達成)

稲尾和久 (西鉄 1961年)
1シーズン42勝のもう一人が「神様、仏様、稲尾様」でお馴染みの稲尾和久氏です。稲尾氏も先発30試合、救援48試合の計78試合登板と、現在では考えられない登板数です。

ちなみに42勝達成時は、前記スタルヒンの記録が曖昧で40勝と認識されており、当時はタイ記録でなく新記録と考えられていたようです。稲尾氏によると、タイ記録と知っていたら43勝を何としてでも狙いに行ったとか・・・

通算最多奪三振 4490奪三振

金田正一 (国鉄→巨人 1950~1969年)
通算最多奪三振もこの人、金田正一氏。やはり200奪三振も難しいこの現代野球でそれを22年(以上)連続でクリアすることは不可能と言えるでしょう。

金田正一氏の投じた球は、ほとんどが豪速球とブレーキの効いたカーブの2種類。これで奪三振の山を築いたのですから驚異的です。

シーズン最多奪三振 401奪三振

江夏豊 (阪神 1968年)
オールスター9連続奪三振などの伝説ももつ江夏豊氏が、シーズン最多奪三振の驚異的な記録を持っています。

この401奪三振は、より試合数の多いメージャー記録(ノーラン・ライアンの383個でこちらもMPBのアンタッチャブルレコードと言われています)よりも多く、モンスターレベルの記録です。

通算最多投球回 5526回2/3

金田正一 (国鉄→巨人 1950~1969年)
また出てきました金田正一氏。通算最多投球回も異常な数値であり、これで何故身体を壊さなかったのが不思議です。

現代野球との比較で言うと、やはりシーズンで200イニング投げると鉄腕と言われる時代ですので・・・もう年数換算は悲しくなってきましたが、いかに達成不可能であることがわかります。

シーズン最多投球回 541回1/3

林安夫 (朝日 1942年)
とても1シーズンの記録とは考えられない投球回数です。なお、シーズン最多投球回を樹立したこの年に先発51試合登板の日本記録も同時に樹立しています(救援20試合登板)。その先発で44試合完投していることが、この記録に結びついたと言えるでしょう。

このようなモンスター的な輝かしい功績を持つ林安夫氏は、プロ野球実働2年という短さで、太平洋戦争で戦死してしまいました。

連続無失点 64回1/3

金田 正一(国鉄 1958年)
またまた出てきました金田正一氏。異常な通算記録を持つ彼ですが、連続記録もまた天文学的なものを弾き出しています。

7試合完封してやっと63回・・・もはや最後に点を取られたのは、いつだ? という感覚になるレベルでしょう。

この半分近くをメジャーで達成した上原浩治氏(30回1/3)も大々的に報じられたことからも、この記録の凄さがわかります。
※メジャー記録はオーレル・ハーシュハイザーの59回

連続試合完封勝利 6試合

藤本 英雄 (巨人 1943年)
達成できそうでできない記録がこの連続試合完封勝利でしょう。今は完投勝利も難しくなってきた時代です。

(連続では無く)年間のシーズンでこの記録を超える完封数は直近だと斎藤雅樹氏(7試合)が1989年に打ち出したところまで遡らなければなりません。

なお、藤本英樹氏は、この記録を樹立した年に19完封を達成しています。

通算本塁打数 868本塁打

王貞治 (巨人 1959~1980年)
打者の不滅の記録と言えば王貞治氏の持つホームラン記録でしょう。
シーズン記録は試合数増加や打撃技術の向上、パワーある外国人の増加によって破られましたが、通算本塁打数となると、更なる新記録樹立はほぼ不可能です。

平均40本を20年以上打ち続けなければ達成できない記録ですが、王貞治氏のシーズン最多は55本、50本以上はその年も含めて3度であったということを考えると、王貞治氏は毎年毎年コンスタントに高いパフォーマンスを発揮していた証拠と言えます。

・・・ちなみに引退の年にも30本打っています。

通算打点数 2170打点

王貞治 (巨人 1959~1980年)
100打点を20年以上という成績を残すのは、とてつもなく厳しいと言えるでしょう。

実は王貞治氏の打点キャリアハイ120打点は、歴代25位にも入らない記録であり、いかにコンスタントに毎年成績を残し続けることが凄いかがわかります。

※シーズン最多は小鶴誠(1950年)の161打点ですが、2位がローズ(1999年)の153打点、3位が今岡誠(2005年)の147打点となっており、比較的最近達成していることからも新記録樹立の可能性はあると思います。

通算盗塁数 1065盗塁

福本豊 (阪急 1969~1988年)
通算盗塁数は現在新記録樹立と言われるのはもちろん、過去を含めてもブッチ切った記録です。(2位の広瀬叔功氏が596盗塁)

50盗塁で盗塁王ほぼ確実な現代、それを20年は不可能と言って良いレベルでしょう。
(そういえば○○を20年というのは様々な記録のキーワードなのかもしれません。最高のパフォーマンスを若手のときからオジサンになっても続けるのは非常に困難なのでしょうね。)

シーズン最多盗塁数  106盗塁

福本豊 (阪急 1972年)
もはや盗塁部門は福本豊の独壇場であり、これを覆すことは未来永劫難しいかもしれません。2位の95個も福本豊氏(1973年)、3位の94個も福本豊氏(1974年)なのです。

通算四球数 2390個

王貞治 (巨人 1959~1980年)
華々しく豪快な記録ばかりが目立つ王貞治氏ですが、通算四球数も、とてつもない記録を持っています。

そもそもシーズン最多四球記録158個(1974年)を始めとして、歴代10位のうち9位を王貞治氏が占めています。
そんななかで金本知憲氏(2001年)が128個で歴代5位にランクインし、王貞治氏の独占を壊したのも、さすがと言えます。

連続試合出塁 69試合

イチロー (オリックス 1994年5月21日 – 8月26日)
やっと最近活躍している選手を紹介できます。最強の安打製造機と言われるイチロー氏の69試合連続試合出塁は彼の様々な記録の中でも、選球眼や長打力(投手も四球でも仕方ないとかんがえるため)も兼ね備えた総合打撃のスペシャリストであったことを証明するものだと思います。

歴代2位もイチロー氏(1995年)の67試合であり、この年は三冠王にもう一歩でした。(首位打者と打点王は獲得したが本塁打が3本足りませんでした)

なお、3位はイチロー氏と同じくメジャーで大活躍した松井秀喜氏(2001年)の65試合です。

連続打席無三振 216打席

イチロー (オリックス 1997年)
ほとんどのレギュラー選手のシーズン打数が500前後であることを考えると、年間の半分は無三振で切り抜けたことになります。年間一桁で三振数が終わることも、ほぼ無いので、連続記録の新記録は非常に難しいと言えるでしょう。

特に現代野球で達成したことは、無類のバットコントロールの持ち主イチロー氏だからこその記録と言えます。

連続打席無併殺打 1002打席

金本知憲 (広島 2000~2001年)
金本知憲 (広島 2000~2001年)

金本知憲氏はトリプル3(3割,30本塁打,30盗塁)も達成した選手であり、オールラウンダーの筆頭選手です。

バットコントロールとパワー、そして脚力が連続打席無併殺打を樹立しています。丸2年に渡っての記録であり、この時期の金本氏には、自分の監督も味方の監督も併殺は計算に入れられなかったことでしょう。

連続フルイニング出場 1492試合

金本知憲 (広島→阪神 99年7月21日~10年4月18日)
「鉄人」「アニキ」と称された金本氏が10年以上に渡った記録であり、ケガをしないことも物凄いことですが、常に必要とされる選手であったことが、この記録を樹立した一番の要因でしょう。

デットボールを当てられて骨折した翌日も片手一本で2本のヒットを打って起用に応えたのは有名な逸話です。

https://matome.naver.jp/odai/2141047740200802501
2018年07月09日