米長邦雄さんが生前に自身のホームページ(米長邦雄の家)で執筆されていた「癌ノート」というコラムをネット上のキャッシュサイトから拾い出してまとめました。
http://web.archive.org/web/20121226195320/http://www.yonenaga.net/gan.html
米長さんのホームページの本体は既に消去されましたが、ネット上のキャッシュサイトにデータが残存しており、工夫すればまだかろうじてデータを集めることができます。ただ、データが不完全かつ乱雑にキャッシュ上に散らばっているため、注意深く作業はしましたが一部抜け落ちがあるかも知れません。今後も、徐々に他のコラムも掘り起こして行きたいと考えております。
癌 ノ ー ト: 初めに
これから述べることは、私が前立腺癌とどう向き合ったかを正直に書いてゆくものです。
癌は恐い。しかし、なってしまったものは仕方がありません。そんな人のための手記です。
前立腺癌は医者と患者が対等である。患者側に治療の選択肢がいっぱいあるという意味です。手術にするか、放射線か、ホルモンか。どの方法もまさしく日進月歩しているようです。
先ずは命の心配です。次いで「男の命」はどうなるのかも氣になります。尿もれはどうか。金銭的なことも氣になるでしょう。
私は同様に悩む人、迷っている人達のため、自身の体験を正直に書いてゆきます。
ご質問や相談、あるいは同病の会の立ち上げなどへと発展すればとも考えております。
癌との闘い
1月10日からスタートするものです。
「あなたは癌です」と医師に宣告されたらどうなりますかね。
目の前が真っ暗になる。心臓が止まりそうになる。平然としていられる人もいるのでしょう。
その次に頭をよぎるものはなにか。愛妻のことでしょうか。幼い子供のことでしょうか。それとも奥さんに内緒の人の行く末か。
お金はどうなるんだろう。保険はいくら入っていたっけ。入院費用はいくらだろうか。そんなとき「あなた。今のうちに遺言書を書いておいてね」と奥様に言われて離婚したという実例もあります。
肉体的にはどうなんでしょう。放っておくとやがて激痛で眠れない日々が来るのでしょうか。手術は痛いのかなぁ。
前立腺だったらどうなんでしょう。癌は完治しても男としては駄目になってしまうんでしょうか。
このような局面の時、どう対処するべきか。
これを書き綴ってゆこうという新連載です。
自己の心、金、医療の現実、家族、仕事。
何を感じ、何を考え、どう判断し、いかに対応するか。果たしてそれらは最善だったのか。そもそもベストというものはあり得ません。ベターは何かですね。
しかしベストはあるのです。笑い。これだけは絶対です。
(2008.12.30)
その1(2009年1月10日記)
私が前立腺癌と診断されたのは2008年春のことです。
どうして見つかったのか。
最終的にどうしたのか。
これについては順次書き綴るとして、2009年1月10日現在の私について述べておきたい。
昨年、即ち2008年12月15日に放射線治療を行いました。高線量率組織内照射(HDR)と称する治療である。午前と夕方の2回行う。翌16日は一日様子を見て17日に退院。
12月17、18日は竜王戦第七局の日で、私は退院後すぐに対局場の天童へ出張予定でした。医師も大丈夫というので、そのつもりでおりました。ところが、第七局は渡辺明竜王が勝っても羽生善治名人が勝っても、勝った方が初代の永世竜王になるのです。テレビの撮りやら諸々の任務があって東京で結果を待つということになりました。
現在すこぶる元氣です。というよりもこの一年間はさしたる支障も自覚症状もなかったのです。おしっこの出方も順調というか正常というか大丈夫です。食欲もあり、適度以上にアルコールを飲んでおります。
これからは月に1回くらいの割り合いで病院で検査をしてゆきます。PSAなるものの数値が問題なのです。これが4.0以上になると癌の疑いを持つことになるらしいです。1月中旬には治療後初の数値が出ますので、来週はお知らせ出来ることでしょう。
簡単に言えば、前立腺を摘出せず、一部分を焼いたということでしょうか。一応はこれで安心、安全の筈ですが、何が起こるか分からないのが人生です。
「治療はうまくいきました。成功です」
「成功した? それでは先生、性交も出来るのですね」
「ハイ。しかし治療直後にそんな質問をされる患者さんも珍しいです」
お尻の穴から管を入れて、その先のハサミで前立腺内の細胞をチョキッと切り取る。12ヵ所採取しました。汚い話になりますが、当然大腸の中は空っぽの状態が望ましい。といっても前日に食事を少し控えるのと下剤をかけるくらいのことです。
生検の仕方はいろいろあるようですが、尻の穴から前立腺というのが普通のようです
「尻の穴が小さいと管が通り難いので、別の方法にします。どうなんでしょうか」
「あのー。ケツの穴の小さな男といわれることがあるんですけど」
「それは全く関係ありません」
私は当然経験がないが、女性が中絶するのと殆ど同じことらしい。椅子に座って両股を広げて、とても全国の米長ファンには見せられたものではない。
塗った麻酔が効いているとはいっても生検の最中は便秘のような感じであった。一日か二日用心に酒を断つくらいで済みました。
その2 (2009年1月18日記)
触診
今回のことでつくづく思ったのは「健康診断」の有難さです。私は職場のものではなく自分でお金を払って独自にやっていたのです。といって特別バカ高いものではありません。他にPSAの数値などをつけ加えただけですから。恐らく3000円から1万円で調べてもらえるはずです。あなたもどうぞお受け下さい。なにしろあと10年経つと、男性の癌は肺癌の次が前立腺癌という多い順になるそうですから。
前立腺肥大氣味というのは5年以上前から指摘されていました。検査の時はパンツを下ろしてベッドで横になるのです。すると医師が指を尻の穴に入れて数秒で終わり。それで肥大かどうかと、ザラザラしていれば癌を疑うということらしい。ゼリー状のものを塗ってあるのでまったく痛くはありません。こんな時は男性よりは女医さんの方が良いですね。それにしても触診の時間が短すぎる。「もっとjoyしたい」なんちゃって。
PSA
PSA(前立腺特異抗原)は血液を採血して計ります。数値が4.0までが正常で、それを超えると少々氣になってくるということです。私は2年前までは4.0以下ですので、単なる肥大氣味という程度でした。肥大と癌とは全く別です。2年前に4.0を突破したのです。このことははっきりと申し渡されました。
2007年3月2日 :PSA4.40
2007年10月1日:PSA5.08
2008年3月4日 :PSA7.26
どうも氣になる。少しずつ数値が上昇するのが心配らしいです。私は全く自覚症状がなく快適に生活していましたから心配していなかったのですが、担当医が心配してくれている。6.0を超えた時に「次にさらに上昇していたら生検をしてみましょう」と言われたのです。体内の細胞の一部を抜き取り、検査するのです。ついに出ました。7.26.これはもうあかんです。
生検
お尻の穴から管を入れて、その先のハサミで前立腺内の細胞をチョキッと切り取る。12ヵ所採取しました。汚い話になりますが、当然大腸の中は空っぽの状態が望ましい。といっても前日に食事を少し控えるのと下剤をかけるくらいのことです。
生検の仕方はいろいろあるようですが、尻の穴から前立腺というのが普通のようです
「尻の穴が小さいと管が通り難いので、別の方法にします。どうなんでしょうか」
「あのー。ケツの穴の小さな男といわれることがあるんですけど」
「それは全く関係ありません」
私は当然経験がないが、女性が中絶するのと殆ど同じことらしい。椅子に座って両股を広げて、とても全国の米長ファンには見せられたものではない。
塗った麻酔が効いているとはいっても生検の最中は便秘のような感じであった。一日か二日用心に酒を断つくらいで済みました。
その3 (2009年1月24日記)
まずは手順を
「PSAの上昇具合がどうも氣になる」と言われると、私まで氣になります。このケース(局面)で最も求められるのは正しい情報です。とりあえずは癌になっているのかどうかを確かめる必要があります。
3月4日にPSAが7.26と出ました。3月31日に先週書いた通りに生検を受けたのです。
4月3日に結果発表、胸がドキドキします。
「12ヵ所採取しました。そのうち8個はセーフ。4個が癌と判断いたしました」
現代医学による検査の結果だから信ずるよりない。このような時には「何をすべきか」「何をしてはならないか」の的確な判断を自分自身で決めてゆかなければなりません。
笑うこと、必ず生きること。これは当り前です。人によっては癌と聞かされて前途を悲観して自殺ということもあります。死ぬのが恐いから自殺というのもおかしな話ですが、人間の心と動揺は分からないものです。
骨シンチ
癌だからといって手術や放射線治療のどれにするかということではない。その前に大事な検査があるらしい。
「前立腺はそんなに恐いものではありません。一番恐いのは転移です。これは骨に移りやすいのです」
「私がするべき手順はどうなりますでしょうか」
「はい。骨に転移しているかを調べましょう。万一骨に転移していますと前立腺とは全く別の話になります」
「聞くところによると骨の転移は痛いそうですね」
「そうかもしれません。それでは手続きを早めにしましょう」
男性は60代過ぎると前立腺の肥大が癌になることが多いらしい。であるからしてPSAの値だけは半年か一年に一回は調べておくべきであろうと思います。私としても全く自覚症状がないのに癌と診断されたのです。オシッコの出が悪いとか、何か痛いとか何もないんですよね。だから手遅れになる人も多いのだろうかと思います。
骨に転移しているかどうかは一大事です。急ぐから明日にしてくれ、という訳にもいきません。やっぱり時間はかかるのです。
4月24日に骨シンチグラフィーの撮像です。
転移か
約4時間かかりました。といってもたいした事はない検査です。病院で何やら注射されました。説明によれば骨に癌があればその部位に造影剤に相当するものが集まって、他の骨とは違うように撮れるという仕掛けです。
注射されてから3時間くらいは待ち時間。酒さえ飲まなければ何をしても大丈夫で、ヒマつぶしに困るくらいの時間です。費用は約2万円也。
その結果は全く意外でした。左大腿部に転移の疑いあり。えっ?そんな馬鹿な。疑いであって本物の癌かどうかは不明という。この局面でどうするか。
骨に転移しているのかどうかを改めて確かめるよりありません。勿論転移の疑いは冗談だろうとは思いましたが、再度精密なる検査をするよりない。私にとっては一番辛い時間でもありました。
再検査はMRIによるものともうひとつです。5月中旬、下旬に検査ということになったのです。
その4 (2009年1月31日記)
核医学
へぇー。核医学という分野があるのか。そこの先生からの報告書がある、私がこれまで述べてきたデータや診療内容、結果は全て私も保管してあります。
患者側もすべての情報が入手できるのです。それで却って困ったり迷ったりする人も多いので、私がノートを書き綴っている訳です。
骨に転移の可能性を示されれば事は重大です。旬日を経ずしてMRIなる検査です。これは電磁波によって人体の全てを調べ尽くすという優れものです。勧められるままというよりも、私もその検査は絶対と思っておりました。用心深い私は、同じ検査を全く別の病院でも調べてもらいました。
友人
やっぱり持つべきものは友である。人生で大事なのは医者と弁護士と将棋指しの友人を持つこととか。同級生に現役の医師が居るのです。友人ですから親身になって相談にのってくれます。
それにしてもMRIなるものの威力は凄いです。この検査は30分くらい仰向けになってベッドに寝転んでいるだけですから大したことはありません。ただし、耳元で音がうるさい。ビルの解体現場で昼寝していると思えばどうということはないのです。
2ヵ所の結果はピタリと一致していました。当然ではありましょうが、その精密さにも感心します。
○前立腺内に血が少しある
○前立腺に癌らしきものを発見
○骨は癌ではない
以上3点です。
3番目が大事でね。骨には転移してないことが判明したことは正直嬉しかったです。いわゆる「うちみ」とか打撲によるものではないかということでした。
かくして骨への転移を巡っての正確な情報を得て、改めて前立腺癌と向き合うことになりました。
放出
素人なりに考えました。体内に血が残っているらしい。このようなものは早く体外へ放出した方が良いのではないか。というわけで放出したのですな。この項について知りたい方は有料とさせていただきます。本当は全てを書きたいんですけどね。
概略を申し上げます。途中も放出時もとても氣持ち良かったです。痛みはありませんでした。黒くなっていたり、鮮血が混じったりしていたのではないかと思うのですが、相手は「云わぬが花」ということでした。私もそのような話題は避けて、明るい二人になりました。
まぐあいの 汗をふきつつ ビールかな
これからが本番です。骨に転移していないことを確かめてから最後の治療まで7ヶ月かかりました。その間はどのようなことをしたのか。患者が治療法を決めることになり、その結果責任も全て本人です。このことが急所中の急所です。
その5 (2009年2月8日記)
一問一答
骨に転移しているかどうかを検査して、骨には異常がないことは分かった。再び振り出しへ戻り、今度は前立腺癌と直接向き合うことになりました。
担当の医師は全摘を勧めました。
「あのうー。前立腺を全部摘出するとアッチが役に立たなくなるんでしょうか」
「はい。少し可能性はありますが、諦めてもらうことにはなります」
「この種の癌は進行が遅いと聞いていますが」 一応私も抵抗するのですな。
「おっしゃる通りです。あなたが75才過ぎであれば放置をお勧めします」
「放置?何もしないということでしょうか」
「その通りです。75才過ぎですと、癌の進行も遅く、前立腺癌によって死亡するよりも他の要因つまり脳出血とか心筋梗塞とか、交通事故とかの死因も考えられます。放置していても、それによって死に至るよりは違うことになりそうですから」
「それでは64才の私が放置はどうなんでしょうか」
「放置だけはいけません。あなたはあと10年は社会的に活躍すべき人です。ですから何らかの手当てを講じる必要があります」
「先生はどうして全摘を勧めるのですか」
「医者は患者が自分の診察した病氣で死ぬことが一番嫌なのです。私はあなたが他の要因で死ぬのであればともかく、前立腺癌で死ぬことだけは避けたいのです」
「先生、ひとつ質問があります」
「どうぞ」
「75才になった時は多分アッチは役立たずになっていると思います。役に立たなくなったのに全摘しないで、まだ現役なのに全摘して駄目にするとはこれ如何に」
「私は医師としての立場で申し上げているので、あとはあなたがお決めになることです」
第二オピニオン
PSAの数値の他にグリーンスコアなるものもあります。癌の人相のようなものとのことです。私は3+3=6。これはタチの良い方なのだそうです。
いずれにしましても早期発見早期治療ですね。かくして私は全摘するものと一応は心に決めました。
森喜朗元首相のケース
ご夫婦の話です。「俺はな、全摘することにするけどそれで良いか」
奥様の次の一手はさすがに総理大臣の妻だけのことはあります。「あなた。それを相談するのは私でなくて別の女性じゃありませんか」
という訳で妻に相談するのは良し悪しですな。私は知人で病氣の先輩に話しを聞き、インターネットで体験記を読み、文献をあさりました。
その結果、閃くものがありました。第二オピニオンです。現代医学では第二オピニオンの活用は常識でもあります。私のケースは健康保険の適用内の費用ですが、全く別の医師に質問や相談は出来るのですね。今まで面倒見ていただいた先生とは別の人に相談する。この許可は一応はお願いしました。勿論OKであり、全てのデータは渡してもらえます。その全てのデータを元に全く別の病院へ行く。完全な浮氣ですな。
これは2万円でした。第二オピニオンの相談料が2万円と決められているのかどうか分かりません。自分の命、男の生命が関わっていますから、2万円は仕方がない。
全摘するべきや否や。08年5月20日に医師に仁義を切り、5月26日に第二オピニオンとの面接。ここでも全摘がベストということでした。という訳で、全摘するのが普通なのですが、私への神の啓示か、悪魔のささやきかは分からねども、別の声が聴こえてきたのです。
その6 (2009年2月14日記)
刻限
6月30日までに方針を決定することに決めておりました。それまではいろいろ調べてみました。世の中は前立腺に悩む人は多い。私が話をすると相手自身か、知人、友人に癌か肥大かで悩んでいる人がいるようです。周囲に全くそんな人は見当たらないという人は珍しいくらいです。
6月5日
全く別件であった4才年上の男性。話をしてみると「俺もそうだったんだ」ということで、話は突然癌についてになりました。これも偶然です。
「いいか米長。絶対に切るなよ。小線源療法に限る」
先輩の話によれば全摘は男としての一番の楽しみがなくなるうえに尿もれの後遺症があると脅すのですね。
「ところでそれはいつの話ですか」
「3年前だ。いとも簡単でなぁ」
「あっちの方はどうなんでしょう」
「米長。結局は男は出来なくなるんだけどな、自分で道を断つことはないだろう。あと数年は楽しみたい」
「それはそうでしょうが、どんな対局になるんでしょう」
男同士ですから質問もズバリです。
「やっぱりバイアグラだ。今はもっと良いものがあるけどな」
うーむ。そんなにまでしたい程のものかなぁ。私も好きな方ではありますけどね。
小線源療法
初めて聞きました。これは前立腺の中に針を埋め込む手法です。その針から一年くらいの時間をかけて放射線を放出して癌細胞をやっつける。体内の針は永久に残りますが、別に困ることにはならないとのことです。
これはいい。文献を調べ、体験者の話をまとめた私はドッグの先生に会って話をしました。
「残念ですが、それはお勧め出来ません」
「なぜですか」
「あなたの癌の位置が問題です。右側と左側の両方に2ヵ所づつあります。これはもしかすると全体を覆っているかも分からず、小線源では弱すぎます」
この会話には重要なヒントが隠されています。小線源が適しているケースも相当に多いからです。いずれにしましても自分で決めるのですが、可能性を求めて最終判断です。
放置は出来ない。
小線源療法も駄目。
とすれば残るのは全摘かホルモンか、私が採用したものかになります。ホルモン療法もありますが、これは結論先延ばしの観があって、私の氣性には合いません。
そこで再び放射線科の先生にお会いしました。私の決断は全く思いもよらぬものによって決めたのでした。
その7 (2009年2月21日記)
運の良い人を選ぶ
残念だなぁ。やっぱり手術かと思いつつ小線源のことを調べていると 高線量率組織内照射(HDR)なる治療法があるという記載があった。小線源療法は体内に針を埋め込んで、一年がかりでがん細胞をやっつける方法です。
高線量率組織内照射(HDR)は一日いっぺんに同量のものを放射して焼き切ると表現するような手法という。いっぺんにやった方が楽ではないかと思っていると、日本ではまだ保険適用がされず、300万円以上の金が要るとありました。(19年4月から適用になりました)
原子力とアレルギー
先進国の中では日本だけが放射線治療に対して厳しいようです。これは核の問題が絡んでいるからでしょう。一応はこれは被爆体験をするということになります。
それにしてもレントゲンは早かった。あれはアメリカ型にあこがれていた頃だったからも知れません。毎年一回ドッグで検査しています。肺結核か肺癌をチェックする。誰しもが年一回はしていることでしょうが、あれは肺癌になるのでは?と騒ぎ出したらどうなるんだろう。
原子力発電所から海水に放射能が漏れた等と大騒ぎしたことがありました。しかしその濃度は微々たるもので、ラジウム鉱泉の入浴した方がはるかに数字が高い。一度の入浴は365日放射能漏れの海水に浸かっているよりも多いのです。日本には核に対するアレルギーが異常に高いのかもしれません。恐らく医学の世界にもそれは及んでいるのでしょう。
2009年7月4日
この日は二人の医師から説明を受けました。私の治療は全摘か高線量率組織内照射かに決めていましたので、その執刀医(全摘)と治療医(放射線)のお二人にそれぞれの術前、術後、予後についておたずねする。
一長一短がありますが、どちらを選ぶかは患者である私が決めることになるのです。二人の医師は運氣が良好です。そう書くと大変失礼ですが、私は話をしている相手が男であれ女であれ、運が良いかどうかを見分ける能力だけは長けていると自負しています。どちらも合格(失礼)。
運の良い人とはおつき合いをする。
運の悪い人とはつき合わないか、ケンカをする。
因みに運が悪いけれど美人とはどうするか。これが私の生涯悩むところです。ならばいっそのこと全摘か。
お二人の話を聴いて、私はどっちでも良いと思うようになっていました。
7月5日
お医者さんを3人夕食に誘いました。一人は友人で他の二人は都内有数の病院の部長あるいは副院長です。
酒を飲みつつ相談です。医師同士は同じ病院内の付き合いよりも、それぞれの科の方が結びつきが強いそうです。泌尿器科その科の方が良く知っている。学会などで顔を合わせるからでしょう。酔談の末に私が得た結論は、きらずに済ませようというものでした。
前立腺癌は急には悪化しません。発見されてから4ヶ月を経てやっと方針が定まったのです。その選択は自分自身が決定したのですから、いつの日か再発したり、あの時に違う治療にしておけばよかった等々は全て自己責任です。
かくして私の治療は始まりました。意外にも初手は男性ホルモンを抑える注射だったのです。
「先生、やっぱりこの病氣はスケベがなるというのは本当ですか」
「いえ、それは俗説です」
「だって、男性ホルモンを抑えたり、女性ホルモンの注射を打つんでしょう」
「はい。しかしそれは性欲とは少し違う話です」
まあいい。とにかく欲情指数を下げるのですな。
その8 (2009年2月28日記)
治療開始
私の治療方針は確定しました。高線量率組織内照射(HDR)に決めたのです。
7月18日。主治医の泌尿器科の先生と、担当の放射線の先生とお二人にお世話になります。
この日は何度も病院内をあっちこっちへ行った日です。まず採血。PSAの数値を調べるのです。7.54。これが私の最高値でした。
「あれっ。尿はなしですか」
「はい。今日は血液だけです」
「そうですか。無尿ですか」と無用をかけてオヤジギャグ。
「腕をアルコール消毒しますがアレルギーはありませんか」
「はい。そのために昨夜も飲んで免疫性を高めました」
男性ホルモン
どうも注射は2通りあるらしい。女性ホルモンを注入するのと男性ホルモンを抑えるもので、どちらも同じことなのかどうかは素人の私には分からない。
私の場合は男性ホルモンを抑える注射。おヘソの斜め下あたりの中年太りした脂肪分というか筋肉というか、そこの辺りへブスッと太い注射をされました。あっという間の出来事で、痛いのも一瞬です。これを一本打ち、一ヵ月半くらいしたら又一本。
それからいよいよ始めるということでした。さすがに私も心配になってきます。
「あのう。私の癌が見つかったのは3月です。もう4ヶ月も経っているのに注射をポツン、ポツンと2本。その間に癌が進行しないでしょうか」
「ご心配なく。この注射だけでも効果が出ます。秋には15回通院していただいての照射。それから12月に4泊5日の入院予定です。それがスケジュールです」
説明によると、この注射はピンポイントで外から放射線を当てるポイントを絞るために必要なものだそうだ。秋には週3回で5週間の照射。といっても病院で予約時間を決めて、その照射時間も5分くらいのものですから、そんなに困りません。しかし私の知人の取締役が言いました。
「米長さん、サラリーマンが定期的に週3回午前中休みを取って5週間続くと、一応は辞表を書くことになります。少なくとも私はそうなります。ですから私はあなたと同じことは出来ないのです」
その人物は殆ど私と同じ状態であって、女性ホルモンを打っておいてのみにしているという。この話を医師にしたところ、
「大丈夫です。女性ホルモンを打っておいてあれば15回の照射と同じくらいになっているかと思います。短期入院で済むと思いますよ」
早速知らせたいが、彼もこの癌ノートを読んでいるので知ることになるでしょう。
テストステロン
7月18日の数値が397.6.これはいわばスケベ度数ですな。これが一ヵ月後には8、9まで下がったのですからホルモン注射は凄い。
このようなことが生じますので、私としてもこうしてはいられない。一時的かどうかはともかく、出来るうちにしておかなければならないことがある。
明日では遅すぎる。次回の通院日は8月22日です。因みにこの日の支払いは28,560円也。内訳は注射24,876円と検査代、再診代などです。
その9 (2009年3月7日記)
廃用性萎縮
おせっかいなのか親切なのか分からない。私にアドバイスをしてくれる知人がいました。これが表題の廃用性萎縮なる症候群です。
寝たきりになると筋肉が衰えてしまって再起不能になってしまうケースも多いそうです。これは筋肉は一定の運動をしないでいると機能しなくなるんですね。年取ってからの骨折は、その骨折よりも寝たまんまの方が恐いらしいのです。
あれはどうなるのか。それが問題。使わないとそのまま萎えて縮んでしまうと脅されました。こんなことはテキストに出ていませんから、友達の経験者に教えてもらうよりない。
「実はな。俺も心配でな。それで励んでるんだよ」
「出来るものなんでしょうか」
「うん。ただな、薬を使いながらだけどな」
「バイアグラ?」
「いやLEVITRAってのが良いんだよ」
薬を飲んでまでとは思いますが、とにかく出来ることは確からしいです。
という訳で私も治療後一ヵ月程して、してみたんですな。これが不思議な感触です。胸がトキめいての行為というのならともかく、健康を維持するためにするんですからな。これから先は女房に内緒です。又有料にさせて頂きます。
とある酒の席での話です。
私より年上の男性が久し振りに致したと言う。ただし途中でしぼんでしまったとか。
「私はですね。横たわって楽な姿勢で相手にしてもらいました。これを楽チンと言う」
「で、出したんですか」
「ハイ」
「それは男らしくない。それはしたことにならない」
「なにを言うか。そっちこそ中折れではないか」
とても一部上場企業の社長と日本将棋連盟会長の会話とは思えない内容でした。
以上、現状報告でした。
その10 (2009年3月14日記)
前立腺治療は早期発見と、その後の患者本人の決断が急所です。私のケースは進行が早くないことを確かめました。
男性ホルモンを抑える注射を2回打つ。そして10月からは通院が15回です。放射線を当てるだけですから痛院にはなりません。そして12月中旬に入院して集中治療という段取りになります。これらのスケジュールは担当医との間で話し合ったことです。
8月22日
一ヵ月振りに病院へ行きました。主治医は泌尿器科の先生で、治療担当は放射線科の先生です。
先ずは採血です。午後3時に病院へ行って採血室へ直行しました。PSAは血液で測定します。一時間くらいで結果が出るのには驚きました。
注射針というのは刺す時チクリとします。そんなに痛いという訳ではないのですが、どうしても刺す瞬間はそこを見ることは出来ない。現実に目を背けないようにしているつもりですが、たかが注射一本でそうはいかなくなります。たかが注射、されど注射。
お医者さんとはさしたる話はありません。年末までのスケジュール通りに事が進んでいるかどうか。それと体調などに異常が生じたかのチェックです。
PSA 7.51→2.98
一ヵ月の間にPSAの値が正常値とされる4.0を下回ってきました。
「先生、4.0を下回った。これで治ったのでしょうか」
「とんでもない。これは先月の注射のせいなんです。癌は依然としてそのまま残っているんです」
「以前のままですか。やっぱりあの注射は効くんですね」
「はい。まずは患部への照射などをし易くするんです。ところでこの一ヶ月間で何か変わったことはありませんか」
「そういえばムラムラっと来なくなりました」
「えっ?」
「二週間くらい前の話ですけど。素敵な女性が居ましてね。彼女がスリット入りのスカートを穿いていました。太腿がチラッと見えるんです。いつもですと胸がときめくというか心が躍るんですけども、全く何も起こりませんでした。聖人君子になったようです」
「そうですか。いろいろありましても全ての治療が終ってから半年くらい経ちますと元通りになる筈です」
「先生、氣休めではないでしょうね」
「はい。大丈夫です」
「しかし私の今の心境ですが、このまま聖人君子の方が楽だし、却って良いように思ってきました」
「楽?言い得て妙です。実はそうおっしゃる患者さんも結構多くおります」
「先生、お忙しい時にこんな話をしても良いのでしょうか」
「はい。これも治療の一環です」
先月はテストステロンなる男性度指数が397.6だったのに今日は8.9A。注射一本でこんなになるんですねぇ。
その11 (2009年3月21日記)
秋
秋になった。9月19日に病院へ行き採血です。約一ヵ月間のことで氣がついたことがあります。それは日常生活の中で私の頭の中からPSAや前立腺癌について全く意識しなくなっていたことです。元々自覚症状は殆どありませんでした。夜中に何回もトイレに行くだとか、オシッコが近いとか、出が悪いとか全く何もないんです。
癌だと言われてハイそうですか。ただそれだけという氣もします。将棋と同じで平時にこそ乱への備えが必要です。
病院では医師とじくりと話をします。これが一番大切なことです。
「PSAの数値が今月は5.63です。7.51→2.98→5.63。しかし氣にすることはありません。良くあることです。来月は下がると思います」
「実は今日は話をしておきたいことが・・・」
「なんでしょう」
「最近は殆ど立ちません。しかも全くその氣になりません。まさかこのままで一生終るのではと思いまして」
「大丈夫です。これはあくまでも一時的なものです。やっぱり注射が効いてきているんです」
「氣休めでは?」
「保証します」
「しかし先生。実はこのまま聖人君子になれたらどんなに楽なことかと思いましてね」
「はい。そうおっしゃる方も多いです」
いつかも同じような会話があったような氣がします。
準備
いよいよスケジュール通りのことが始まろうとします。
集中的な照射は入院して12月15日に決定しています。それまでは外来、通院で外照射15回。週3日のペースで15回です。
10月27日。いよいよ照射が始まります。先ずはその準備。ロッカールームで全裸になり、手渡された紙製のパンツとガウンに着替えです。
それから看護婦さん、いや看護士さんの前に立ちました。すると彼女は私にパンツを下げるよう命じたのです。まるで「テレビのスイッチを入れて」とでも言うようにです。女性の前でそんなはたしたない行為をして良いものかどうか。時々そうしたい衝動にかられることはありますが、女性に言われてハイそうですかというのは初めてです。
私が立ったままパンツを下げきると、彼女は持っていたカミソリで私の陰毛の上部を剃ってしまったのです。見られたうえになんということでしょうか。
そしてCTスキャンの大型ともいうべき設備がある部屋に入ることになりました。
その12 (2009年3月28日記)
マナ板の鯉
陰毛を少々剃られた後は診察台の上に仰向けに寝るのです。エコーの観察力は大したものです。
「おナラが少したまっていますので、トイレで出して下さい。オシッコは残っている方が良いので出さずに我慢して下さい。きっちりしたポイントのためなのです」
「さっきブーッとしましたのでもう大丈夫かと」
「いえ。まだ残っています」 本人がブーッと出したと言うのに機械の方がブーイング。
「この場でおナラをしても構いません」
「いや、やっぱりトイレでしてきます。私は男だからこの場でしても良いんですが、女性だとやはり抵抗があるんでしょうね」
「はい。そうかも知れませんが、未だ女性で前立腺癌になった方はおりませんです」
という訳でトイレに行き、下腹部をもむ。オシッコが出そうになるのをこらえてというのが又難しいです。驚いたことに4発出ました。大したもんですなぁ。
全て私の体の方は整ったので再び台の上へ。すると赤と緑の線を書くのです。左右の太腿の外側に一本ずつとヘソからオチンチンの上までの計3本をタテに引く。そして丁度ヘソとオチンチンの中間くらいの位置で左右に一本引きました。左右の足とヘソの所に3つの十字架が描かれたのです。この十字にクロスした3ヵ所へ照射するということです。
約30分の出来事です。説明によればその3点への照射によってピンポイントで前立腺にヒットするとのこと。以前はこのピンポイントがもっと広がっていて、直腸や膀胱にまで影響が出たらしいです。放射線によって焼くというか縮めるのですが、極めて限定した所にのみ当てることができるというから凄い。
当然この設備を使わせてもらうには金がかかります。保険適用ですが、この日は2万円強です。明日からは照射開始で一週間に3日ずつ。1日5250円也。十字架を背負った人生になりました。
その13 (2009年4月4日記)
近況報告
PSAの値が0.294になりました。今年に入ってから毎月一回検診に行ってました。4月になって「これからは3ヶ月後で良いです」と言われた。
順調ということなのでしょう。数字は0.294ということです。これは血液を採取すると1時間くらいで分かるんですね。正常値というか一定の標準は4.0です。
これ以上は癌を疑ってみるということになります。私は最高7.58まで上昇したので治療をしたのです。一応は数値は下がり続けてはいましたが、今回は1.0を切って0.294。夢みたいな数字です。これでひとまずは安心ということでしょうか。
08年10月から照射開始。これは三ヶ所から放射線を当てるのです。朝9時前に自宅を出発。病院までは約一時間の所です。予約は大体10時半にしてもらっていました。週3回で合計15回です。
病院へ着くと先ずは着替え。ロッカールームでスッポンポンになって、ガウンとパンツをはく。どちらも紙製と思われる。これは使い捨てではなく使用後は引き出しにしまっておく。引き出しのひとつに「米長邦雄様」と書いてあります。このガウンとパンツで待合室で少々待っていると名前を呼び出されました。
治療室はホテルのツインルームよりも広いもので、その中央にある診察台に上がります。台に昇るとガウンをたくし上げ、パンツは下まで下ろします。すると3人の技師なのか医師なのか分かりませんが、その中の一人がやはり紙製のガーゼのようなものを私の大きな一物の上にフワッと置くのです。丁度葉書大のものでした。
3人とも男性。こんな時にはあらぬことが妄想として頭の中をぐるぐる回るのが私の習性です。もしもガーゼのようなものを置くのが女性だったらどうなるんだろう。それも私のタイプの女性で、彼女もそっと私の体に触ったりして。そんな時にあそこがムクムクっと大きくなったらどうしよう。そんな前例はあるんだろうか。想像しただけでもおかしくなります。思い出し笑いというか、どうしても笑いがこらえきれない。もう駄目だ。体を震わせて笑いを必死にこらえるのですが、どうしても我慢出来ない。
「どうかなさいましたか?」「いや」
あわててコホン、コホンとして誤魔化しました。
再び静寂。天井を見ると私の体の赤と緑の線が大きくくっきりと映っています。そのクロスした3点に放射線を当てるらしい。痛くも痒くもない。何も感じないまま10分足らずでハイ終了。これが15回なのですね。
これは前立腺を小さくする効果があるんだそうです。一日の費用5,250円也。
その14 (2009年4月12日記)
夢
2009年4月8日。この日は名人戦の前夜祭でした。東京・目白の椿山荘にて。私はそのパーティで挨拶して、翌日の朝は対局に立ち会います。という訳で宿泊しました。
このホテルの部屋は一人で泊まるには勿体ない。ベッドがタテとヨコではどちらの方が長いのか分からないです。
少々お酒が入って(毎日のことですが)ぐっすり寝入りました。隣に誰か居ればいいのにと不謹慎なことは思いました。
久し振りにズバリの夢を見たのです。どういうわけか相手の女性はブラウスに上着を羽織っておりました。それでいて下半身は何もなく、足を広げて受け入れ完了の姿勢。そこへおおいかぶさる私。こんな夢は10年振り、いや30年振りでしょうか。
夢てふものは頼みそめてき。
目が覚めるとたいてい夢は忘れてしまうものですが、この夜の夢ははっきりと覚えておりました。と言ってもその場面だけですけどね。
しかし、はっきり覚えていることがふたつあります。ひとつは相手の年令を明確に数えていたことです。夢の中の彼女は30才の肢体でしたが、その女性が何故か55才ということがはっきりしていたことです。何故夢の中でそんな冷静なことが計算出来たのか今もって分からない。夢というものは本人の意志とは関係ないですものね。実は、これは妊娠しないという安心というか解放感というか。「発射」しても大丈夫という設定がなされていたと解すべきでしょうか。
次なるは、そのためには堅く、いきり立ってなければなりません。確かに夢の中ではそうなっておりました。その時仰向けに寝ていて、夢を見ている現実の自分が、夢の中の男の一物を握って確かめた記憶があるのです。確かに自分で確認した筈。若い頃であれば、目が覚めて下の方が濡れているということになっていたのでしょうが、現実は違いました。何の変化もない。
しかし、まだ夢の記憶がある私は、そっと触ってみたのです。懐かしくもいとおしい我が息子よ。温かみがあって普段よりも少し大きくなっているような氣もしたのですが、それが夢の続きかどうかは分からない。
この夢は、私の平素の深層心理のなせるものなのでしょう。これが前立腺癌の治療と、心療内科によるその後のケアかなにかに寄与できるのではと思い、事実をしたためました。
その15 (2009年4月19日記)
外照射
診察台というか治療台というか、ベッドの上に昇って仰向けになって横になっているだけです。その間10分足らず。
紙製のガウンは胸までたくし上げ、パンツはヒザ上まで下ろします。アソコだけが露出するのです。そこへガーゼをかぶせておき治療する。
今までのいきさつから考えますと、体内にガスが留まっていたり、オシッコが残っているかさえ大きく響くのですから、ピントはズバリなのでしょう。
真上からと左右から3ヵ所照射です。被爆ではありますが、人体にさしたる影響はない。これが以前はピントが絞れなくて前立腺のみでなく周辺の直腸や膀胱までダメージを受けることがあったということです。
私は自分の体内にある前立腺というものを見たことはありませんが、くるみの実のようなものらしく、そこへ一点集中して照射です。
問題は時間です。私の家から病院までは約1時間です。予約は午前10時にしてもらっていました。
家を9時少し前に出て病院に着き、再診の手続きを済ませ、ロッカーで着替えて照射の受付へ行くと、丁度10時少し前です。少し待つこともありますが、。10時半には着替えを済ませて会計ということになります。そこから会社というか勤め先というか将棋会館までは約40分。正午前には着きます。
問題。
午前中休みということになります。これを週3回取れるかどうか。サラリーマンや自営業の人はどうなんでしょう。全部で5週の15回です。この時間の確保が第一の難関ですね。
日程は少し変更になります。原則として月、水、金でした。祝日があれば土、日、祝を除いた4日間の中から3日を選びます。午前10時でなく11時からにしてもらうことも可能。あるいは午後でも良いのかもしれません。
ガウンとパンツは個人専用の引き出しにしまうのですが、パンツは不要ではないのかなぁ。といいますのは、ロッカーで着替えてから外に出ていても、治療室へ入るまでは5分〜30分の待ち時間です。中へ入ると台へ昇ってパンツはすぐに下げるのですから、元々はいていない方が良いのではないかとも思いました。
一回の治療が終るたびに赤と緑の線を画き入れます。少しずつ薄くなるんですね。これはお風呂に入っても大丈夫ですが、石鹸を使うのはいけないと言われました。サウナや露天風呂へ入るということは出来ません。やっぱり入れ墨の一種でしょうか。
裸の自分を見ていて少し変化したかなと思うことがあります。なんとなく女性化している。男というものはゴツゴツ、ガリガリしているような部位があります。女性はなんとなくまあーるく感じます。ルノアールの裸婦ですな。これもホルモン療法のせいなのでしょうか。
08年の10月、11月の5週間が照射治療でした。そんなせいもあって性機能については私の心の奥深くにまで何かが残っているのでしょう。先週の夢の報告はその一環です。
治療期間中は酒、タバコは自由です。大いに楽しく過ごすことが良く、二日酔いの日もありました。
その16 (2009年4月26日記)
入院と治療
11月いっぱいまで放射線を当てていました。計15回で11月28日が最終日でした。
予め私の治療日程は決めてありました。
12月13日(土)の午後入院
12月15日(月)午前と夕方の2回治療
12月16日(火)午後からは常食、水を飲んでも良し。
12月17日(水)退院
私のスケジュールでは退院の翌日は天童まで新幹線約3時間。竜王戦の渡辺VS羽生の第7局の対局に立ち会うためです。渡辺竜王が3連敗後の4連勝で永世竜王になったシリーズの最終局だからです。
結局は行かずに東京で仕事をしていました。
「前立腺癌に対する高線量率組織内照射」の同意書。8項目あってその全てに同意。これを11月28日付で署名しました。治療の説明や副作用などについては「はい承知しました」ということです。8項目の最後は医療費の負担についてです。勿論私は全額払いますです。私が受ける照射のことをHDRと言う。これからはHDRと書きますので宜しく。
同意書の次には治療の流れの説明です。もっともこれは確認したから同意しましたので、念には念をということなのでしょう。
土曜日(13日)はとりあえず入院。放射能なのかどうかは分かりませんが、個室でないといけないらしいです。土曜の午後は病院は人が少ないです。
私の生活はいつも通りで、好きな酒も前日の金曜日の夜まで飲んでいました。入院後はしばらくは飲めないでしょうから。
しばらく出来ないことは他にもあるのですが、なぜか全くその氣になりません。医師は「すぐに復活します」と言ってくれてはいるんですがね。
12月13日
入院の日はバッグ2個。当日は医師2人と看護士の女性から説明あり。充分分かった。お医者さんになれるくらい知識が豊富になった。
パジャマを持っていったのだが、術後のために「ゆかた」とT字帯を買う。パジャマにパンツでは駄目で、ゆかたとふんどしなんです。この理由は治療して分かりました。
食事は選択制になっていました。おいしいのでビックリ。病院の食事はあまりおいしくないと覚悟していたので嬉しかった。
夕食のメニュー(一例です)
ごはん、煮込みハンバーグ、ミモザサラダ、ほうれん草浸し、わかめスープ
12月14日朝食
クロワッサン、マーマレード、牛乳、ハムとサラダの盛り合わせ、フルーツ
12月14日の夕食は低残渣食という特別食だそうな。翌日(つまり治療日)の便の量を減らすためとか。
その17 (2009年5月11日記)
治療スタート
12月13日(土)
入院してから夕食を食べ終えて一人切りで個室にいると、何もやることがありません。こんな時はテレビとラジオに限ります。酒を飲むことも出来ず、とにかく時間が過ぎるのを待つよりないのです。
12月14日(日)
朝の目覚めは良かったです。体温を計ってもらい、朝食を済ませると、あとは退屈です。普段着に着替えて散歩。
「風邪だけはひかないように。風邪をひいていると抵抗力が落ちてきて、思わぬ事態になりかねません」と脅されています。少し歩いてまた病室へ戻りました。
NHK杯の将棋対局をテレビ観戦したり競馬を見たりです。
夕食は要するに繊維が無い、便通が良くなる食事でした。これもペロリと全部平らげる。就寝前に「プルゼニド」なる錠剤を2粒。翌朝の排便を促すためです。夜12時になってからは絶食絶飲です。
とにかく「水を飲め」という指示が出ています。といってもそんなに汗をかいている訳でもなく1150ml飲んで終り。夜の12時までですけどね。大便2回、朝9時半と昼12時です。小は7回。これも皆書き込んでおくのです。
12月15日(月)
いよいよ本番です。快便快眠。共同ですが、風呂がありました。便を出してからシャワーでお尻を洗う。首を洗って沙汰を待つというのとは違いますが、やっぱりきれいにしておきました。
朝9時になっても喉は渇きませんでした。9時ジャストに車椅子に乗せられて別棟へ移動しました。こうして段々患者らしくなってきました。なぜかパジャマやブリーフなどは駄目と言われていましたが、これは数時間後に分かってきました。
治療室にはベッドというか診療台がありました。そこへ昇り、「背中を丸めて下さい」と言われて、憐みを乞う者の如き姿勢でいると麻酔注射。多くの人々は主治医と術者のみに視点を向けがちですが、実はこの麻酔医の実力が重要なんですね。下半身だけ効くというのです。どうして全身に麻酔が効かずに下半身だけなのかは説明されましたが良く分からない。それから背中にサロンパスのような麻酔膏薬をペタッ。
私の治療は午前中1回。夕方に2回目があり、その夕方頃に効くような仕組みになっているということでした。30分くらいすると両手は動くのに足の方は全く感覚が無くなってきました。手で足を触ってみると生暖かいものがそこにあるという感じでした。
午前10時。治療開始です。
その18(2009年5月17日記)
秀行
囲碁界の藤沢秀行名誉棋聖逝く。享年83才。その強烈な生き様は阿修羅の如くでありました。
癌を幾度も患い、66才にして王座のタイトルを奪う。癌は前立腺、咽頭、胃という順でした。飲む、打つ、買うの三拍子揃ったスケールの大きな人物で、癌と共に歩むという後半生は見事です。
5月の連休前にお見舞いに行ったのが最期でした。病室の秀行師は殆ど眠っているが如き状態でしたが、補聴器を耳に入れ、マイクで語りかけると反応しました。
「私も前立腺癌になっちまった。あれはスケベがかかる病氣だというけど本当なんですねぇ」
すると口元がほころんだ。ご家族も「久し振りのこと」と大喜びでした。後半生はかくありたいです。
治療開始
いよいよ治療が始まりました。平成20年12月15日午前10時。約2時間半でした。
台の上にあおむけで寝ていて、ヒザを立てた格好です。といっても下半身がどうなっているのかは麻酔が効いているせいで分かりません。
事前の説明では、尻の穴を「フクロ」の下辺と結んだ辺りから鉛筆の芯くらいの太さの棒状のものを20、30本埋め込むらしいのです。会陰部ですな。
短いものを前立腺の中に打ち込んで、生涯そのままにしておくのが小線源療法。私のは一回目に刺さったままにしておき、夕方の二回目には治療後に抜き去る手法とか。
12時半に治療は終わりました。痛くも痒くもなし。それからは病室に戻って夕方の治療まで待つのです。その移動は大変です。治療台からは6人がかりでストレッチャーに移動させてもらいました。そして病室のベッドへ移すのにもやはり数人がかりです。
ベッドの上ではあおむけでじっとしています。左手には点滴の針が刺さっている。両足はヒザを曲げたまま固定されています。お尻の辺りが動くと尻の近くに刺さったままの針が抜けたりする恐れがあるので動かしては駄目なんだとか。両足のふくらはぎをベルト状のもので締めたり弛めたりするものをつけられました。これは血行障害を良くするためのものという説明でした。
じっとしていることの辛さ。これは拷問ですな。麻酔が睡眠薬の役目を果たしていて、うつらうつら出来たのは幸いでした。
私の最も大切なムスコには、な、な、なんと管が差し込まれております。バルーンカテーテルと呼ぶのだそうです。そこから点滴と殆ど同じくらいにポタッ、ポタッとカテーテルの中に尿が溜まってゆきます。入ってくる量と出てゆく量が同じということなのでしょうか。
眠れる。これがどんなに幸せなことか。おかげさまで夕方の二回目まで無事に時間が過ごせました。
5時を少し廻った頃、第二回目の治療のための迎えが来ました。再び数人がかりでストレッチャーに移動です。お尻様をこれほど大事に扱われたことは初めてです。
その19(2009年5月24日記)
補完
12月15日の治療日の早朝からのことは、もう少し詳しく書いておく方が良いというアドバイスを頂いたので記します。
朝「レシカルボン」なる座薬を入れて直腸内の便を可能な限り排出です。浣腸するケースもあるそうですが、私の場合は大丈夫でした。
腸の中がスッキリしたところで、こんどは腸の動きを止める薬「リン酸コデイン」を内服しました。そして抗生物質を含む点滴を開始。左手には点滴の針。尿道にはバルーンカテーテルの管。点滴がポタッポタッと体内に入ってゆき、オシッコが同じように出てゆく。そして午前中に第一回目の治療が行われたのです。
第二回目
夕方の第二回目の治療は一回目と同じ事をする訳ですから、落ち着いていられます。
二回目は会陰部に刺したままの針の中から高線量率組織内照射を行う。
いわば光線銃で癌細胞を焼き討ちするということなのでしょう。大体そんなもんだと事前説明を受けていました。意外に早く終わりました。
2時間くらいだったでしょうか。私の方は尻に刺さった針を全部抜いてもらったというので氣分的に楽です。というのはお尻が動かせるからです。二回目の治療は、針を全部抜くということもあったのです。意識ははっきりしているのですが、下半身は全く感覚が無いので痛くも痒くもない。
再び数人がかりでストレッチャーに載せられて個室に戻り、ベッドまで運ばれました。会陰部の針は抜かれましたが、横の動きは良いが、寝ているのを上半身起き上がるようなタテの動きは禁じられました。
退院後も自転車に乗ったりして、サドルが会陰部に当たるようなことはダメとのこと。
12月15日に治療して、大過なければ12月17日に退院。その日に3時間新幹線に乗ることは許されました。
やっとパジャマやブリーフはダメで、寝巻きとふんどしの必要性が分かった。私の急所中の急所からは管を通して血の混じった尿がバルーンに溜まってゆきます。乱れる裾の恥ずかしうれし。治療は成功ですと担当医の説明がありました。
しかし、動けないというのは本当に不自由極まりないことで、翌朝まで一睡も出来なかった私は人生観が変わるくらいの一晩でした。
その20(2009年5月30日記)
その一晩
治療のあとの一日は永く感じました。病室に戻ったのが夜の8時近くでした。看護士の女性がよく見回りに来てくれます。
「痛いところや氣になることはありますか?」
「いえ別に」
「何か苦しいようなことはありませんか」
「君にじっと見つめられると胸が苦しくなって・・・」
このセリフはセクハラになるんでしょうか。
両足はまっすぐに伸びていて、これは楽です。寝返りや横に体を動かすのは大丈夫とのことで、これだけでもずい分楽です。
左手の点滴しているところがだんだん痛くなってきました。朝までもちこたえましたが、これが一番辛かったかもしれません。
夜の10時頃一人切りになって、さあ眠ろうとしても寝つけません。そんなに体を動かせませんので、こんな時はラジオに限る。そのうちにウトウトしてくると思ったのですが結局眠れませんでした。
12月15日は午前0時から水一滴も取らずでしたが、12月16日の朝まで30時間くらい喉は渇きませんでした。点滴のお陰でしょう。
12月16日(火)
夜中に点滴をつけ加えたりされました。
朝7時に美人が来て「おはようございます」。うれしいことに水を少々飲ませていただいた。31時間ぶりです。甘露、甘露。
8時になって食事です。普通食が食べられる。洋か和を注文することが出来ましたので、洋食を頼んでおきました。パン、牛乳、マーガリン、ゆで卵、バナナ、野菜サラダ。することが無いので楽しみは食事です。皿まで舐めてしまうかというくらいきれいに平らげました。
それぞれの担当医の先生方が病室にまで来て下さった。治療は非常にうまくいったとのことでした。とにかく注意することは風邪を引かないことと、一日水を2リットル飲むことの2つです。体内の血を外へ出すためでもあり、尿の出が悪くなったりするのが困るらしい。ビールだと一氣なんですが、水をガブガブは仲々大変です。それに早く運動を始める方が良いようです。8時には食事が済みましたので、点滴の台の方へカテーテルを取り付けて室内を足踏み。
ふんどしがあって、紙おむつをしていて、急所から管でオシッコを出す。とても他人には見せられません。尿が赤い。当然といえば当然ですがね。
「先生。少し出血がしていて止まらないようなんですけど」
「大丈夫です。想定範囲内です」
「そうですか。それにしてもこの年で生理になるとは思いませんでした」
その21(2009年6月6日記)
治療翌日
9時30分点滴外れる。そしてすぐに尿道の方へも福音が。膀胱まで差してある管ですから、さぞかし痛いのかと思いきや、ヌルッとした感じでスーッと抜いてしまいました。
背中に痛み止めを貼ってもらいましたが、これも外してもらい、初めて自由の身になりました。紙おむつのみつけていて、そこら辺りが妙にゴワゴワとしておりました。
さあ、これからは大も小も自力だ。9時20分。久し振りの大便。先ず出たのがガスですが臭い。なんという臭さ。とても女性には話せません。それからボソボソと途切れた便が出ました。便と便の間に空氣が詰まっているという感じです。しかし一日分の60%くらいは出たような量でした。幸い尻の方も痛みはありませんでした。
1日2リットルの水分を必ず摂ること。健康第一ですから今でもこれは守っています。時々水の代わりにビールにしていますが、アルコールは却って体内の水分を奪って良くないんだとか。そう教えられてはいても、つい夕方はグイーッといきたくなります。勿論入院中はアルコールはいけません。
12月16日午前11時。
私は点滴やら何やら全てから解き放たれて自由の身になりました。あとは紙おむつがいつ取れるかです。
いよいよです。尿意を催してきた。久し振りです。自分の手で我が息子を取り出して放尿する。これぞ男である。しかし恐かったです。本当に無事に出るのかどうか。出血はどうなっているんだろう。痛みは走るんだろうか。
桶(プラスチック製)の中に放尿して、それをバルーンの中にぶち空ける。こうして一日分の尿の量を計るんだとか。白いプラスチックですから尿が良く見えます。女性はこんな時どうするんだろう。じょうごを使うのかなあ等と思いましたが、女性は前立腺癌にはならないんですよね。
アレレッ。痛いような沁みるような感覚が走りました。特に尿の切れる直前から痛む。男性は最後にピクッ、ピクッとした動作を2、3回繰り返しますが、前立腺にも関係ある行為なんでしょうか。尿のたんびに痛みがありました。尿は出だしに血痕の小さな帯状になってのものが出ました。それは良いとして、終わり頃には鮮血がしたたり落ちる。これはたった今も出血しているという証しですから心配になります。
正午。待ちに待った食事です。おいしいです。パンと御飯を選択出来ましたので、パンを予約してありました。マーガリンとジャムの残りをなめるようにして全部平らげました。
午後3時。
快晴でしたので少し散歩しました。やはり12月の空氣は寒い。風邪をひくといけないと注意されていたので病院の外を一回りして終り。全ては順調のようでした。
その22(2009年6月13日記)
さらばオムツよ
12月16日、全ての管を身体からはずして自由の身になった日の一日間の記録があります。
24時間で2450mlの水を飲んだ。これは無理矢理というのではなく、ごく自然に飲んだものです。出来るだけビールがそこにあると思って飲む。これが秘訣でしょうか。
排泄は大が4回、小が7回。小の方はだんだん出血や痛みがなくなっていきました。丸一日経ちますと殆どなくなりました。大の方が一日4回は多い。といっても一日分が4回に分けて出たという方が良いのかも。
運動不足なのか点滴による栄養摂取のためか知りませんが、全てワンタン状のものでした。ワンタンがガスの中に漂っていて、それが4回に亘って出てくるという感じです。
何はともあれ参加することに意義がある。一日分の栄養と水分を摂り、一日分のものが体外に出る。この繰り返しが人生の一日です。いいじゃないか、途切れ途切れでも。人間だもの。(くにお)
食事は朝8時、昼12時、夕18時と決められていて、常食なのがうれしい。入院していると食事くらいしか楽しみがありません。夜になるとテレビかラジオです。頭がカラッポになって、時々入院生活も良いかなと思うようになってきました。
夜11時から5時30分までぐっすり眠りました。
12月17日
今日は退院の日。朝の検診で今後のことを聞きました。
「先生、アルコールはどうなんでしょうか」
「ビールは利尿作用があるので良いかもしれません。ただし血管がふくらむので止めた方が良いと思いますが、少しなら心配いりません」
「あっちはどうなんでしょうか」
「それも大丈夫です。しかし当分はその氣にならないと思います。テストテトロンの数値が10以下ですが、これが240以上に回復すれば普通になります。しかし不思議です」
「何がでしょうか」
「いろいろご質問を患者さんはなさいますが、今の時点でそのようなことを聞かれたのは初めてです」
「今日これから新幹線に3時間くらい乗って出張しようと思うのですが、大丈夫でしょうか」
「はい、大丈夫です。しかし余りご無理をなさいませんように。それよりも自転車はいけません。サドルが当たりますのでそれだけは避けて下さい」
山形県天童市で竜王戦があるのです。羽生名人が3連勝し、そのあと渡辺竜王が逆に3連勝しての第七局。どちらが勝っても勝った方が永世竜王になる記念すべき一局の結着の日なのです。
現場へ行こうとしましたが、周りの人に押し止められました。
「会長は東京に居て、どこからの取材にも対応出来るようにしておいて下さい。ご自宅でじっとしていて下さい」
9時過ぎにはオムツを取って良いということになりました。紙というか綿というかフワフワとしたものがついていました。やっぱりオムツはした甲斐があるもので、前は赤、後ろは黄色い色がうっすらとしていました。赤と黄色のバラードです。
すっきりした!全てから解き放たれた。すぐにシャワーです。石鹸でごしごしはいけないと言われていますので、やわらかく前と後ろを洗う。頭や体は自宅に戻ってからです。風邪が恐いですからね。
4泊5日の入院生活も終り、退院です。帰宅してビールという訳にはいきません。インターネットで竜王戦の行く末を観つつ、たまっていた仕事に目を通しました。
その23(2009年6月21日記)
定期便
退院してからの後遺症について書きます。6ヶ月過ぎた現在は何ら支障はありませんが、退院直後のことを申し上げたい。
退院してからは全くの自由です。元々自覚症状が無かったのですから何の障害もない。食事も散歩もいつもと変わりません。アルコールの方はしばらくは禁止です。これが辛い。
水は1日2リットル。夜になりますとお茶をコップの中に入れ、それに水を足してビール代わり、ウイスキーの水割り代わりにしていました。氣分としてはそれで酔ってくるというつもりですが、なれると確かに酔ってきますね。
退院祝いは刺身でしたが、レバ刺をニンニクでも食す。胃や腸を切った訳ではありませんから口から入るものは平氣です。
会陰部さえ氣をつけていれば立ったり座ったり、何をしても大丈夫です。なんともない。風呂にも入りましたが、針状のものを刺したと思われる部分は石鹸はつけずにシャワーで軽く流す程度にしておきました。
ひとつだけ困ることがありました。日を追って良くなってきましたが、排泄です。大と小と二通りある。幸いオシッコはジャーッと出ます。残尿感や切れが悪いということもありません。血も混じっていないし、終るころに「ウッ」となる痛みもない。あの痛みは膀胱に差し込んだ管によるキズのせいだと説明されていました。それが治ったのでしょう。大いに水を飲みジャーッと出す。これがどれほど幸せなことか身に沁みます。
問題は大の方です。おかげさまで便秘ではなく、むしろ頻尿じゃなかった、頻糞症です。一日に3、4回ある。運動不足でガスが溜まっているのでしょうか。もっとも数日で収まり、その後は毎朝一回9時頃にあります。一日一回になって定まったのは10日間くらいしてからです。定期便の語源はここからでしょうか。
もうひとつの悩みがありました。二ヶ月くらいで大丈夫になったのですが、尿もれならぬ糞もれです。便意を催す。すぐにトイレに行けば良いのですが、外出先だったり会議中だったり、テレビの一番面白い場面を観ている時などは「後で」と平然としていられましたが、今度ばかりはそうはいかない。お尻をキュッと締めるのかどうかは分かりませんが、すぐに外に出てくるという訳でもない。ところがそうはいかないのです。
肛門の締りがなくなったというのか、そのまま外にもれてしまうのです。食べ物は一応は氣をつけてはいるんですが、やや軟便です。便意を催したらすぐにトイレへ駆け込むよりない。「あっ。来たな」と思ったらすぐトイレ。それでズボンをおろして便座へ座ったらもう自分の意思とは全く関係なく出てくるんですね。これが一日3、4回です。
その24(2009年6月27日記)
経過観察
今この稿を書いているのは2009年6月27日です。半年以上経過しています。
現在はすこぶる元氣で食欲もあり、排便、排尿ともに平常です。オシッコは日に10回近く(余り数えたことがありませんが)、大の方は朝1回。時々2回です。
しかし退院後は小の方は殆ど問題はありませんでしたが、大の方は2、3ヶ月氣になりました。というのはコマ切れに一日3、4回なんですね、それも少々軟らかい。
失敗談(先週の続き)
講演先でのことです。直前に催してきたのでトイレへ行きました。実は家を出てからは、どこに居てもトイレへすぐに飛び込めるかどうかは誰にも分からないように氣をつけながらも用心して確かめていたのです。
トイレへ駆け込む時間が少しかかってしまった。といっても10分か20分ですけどね。それでもれたんです。尾籠な話ですみません。間に合わなかった。
たん一斗 へちまの水も 間に合わず
これは子規の句ですが、トイレで残りを出した私はパンツについているのをトイレの中で水とトイレットペーパーを使って拭いたりしましたが、どうしても染み付いているのは取りきれない。一応シミ程度に収めてから何喰わぬ顔をして外へ出ました。お尻の辺りが濡れてはいますが、これは仕方がない。立っていればそんなにベッタリするものでもありません。
テーブル席に先方の社長はじめ肩書きのある人がズラリ。「さ、さ、米長先生お座り下さい」
立ったままでいられればベチャッとしないのですが、この雰囲氣では座るよりない。そっと静かに座りましたが、やっぱりお尻がつめたい。それも単なる水ではありませんのでね。
実は「おもらし」は3回くらいありました。外出して催してくるとどうしても20分足らずで出てしまうんです。「しまりのねぇ野郎だ」と言われても仕方がない。しかし日を追うごとに良くなって、3ヶ月くらいしてからは便の硬さも平常。一日一回が通常となりました。
第一回観察
親切な病院です。12月29日に第一回の経過観察をしていただきました。退院してから2週間も経っていないのですが、年末年始の直前に病院へ行く。
診察は泌尿器科の方と放射線科と二ヵ所へ行きます。30分から1時間くらいの間隔です。当日は泌尿器が10時半。放射線の方が11時です。9時半に行って、すぐに採尿、採血があります。家を出る時にオシッコを全部出してから病院へ着くと丁度適量の尿が出ます。
いやはや現代医学は大したものです。血液や尿を検査をして1時間くらいで結果が分かる。医師と私とでは、退院後の体調などを話し、次いで「検査報告書」に基づいての説明がありました。このレポートは持ち帰れます。
当然PSAの値に目がいきます。
0.90となっている。
08年
7月22日 7.54
8月22日 2.98
9月19日 5.63
10月3日 4.79
12月29日 0.90
数字
とにかく数字というか数値が大切です。4.0を超えると問題と言われていたのが7.54まで上昇していたのです。
男性ホルモンを抑える注射やら、照射やらで数値は下ってはいましたが、入院治療10日後の数値は劇的です。これからは月に1回。しばらくして3ヶ月に1回の検診です。
その25(2009年7月5日記)
テストステロン
テストステロンなるものは男性度、勃起力と私は解しているのですが正式なことは分かりません。
397.6から6.9になってしもうた。これではなんのために前立腺を残したか分からないではないか!08年7月18日に採血して計った時は確かに397.6である。私は男としても一人前だったのです。
振り返ってみると、男性ホルモンを抑える注射とかいうのをお腹にしてもらってからがおかしいのです。
採血日 / テストステロン / PSA
08.7.18 397.6 7.54
08.8.22 8.9 2.98
08.9.19 8.8 5.63
08.10.3 6.9 4.79
あっという間に注射が効いたのです。これを先週記載のPSAとの関連を見比べてみると良く分かります。
7月18日は治療前です。8月22日は治療開始した後(といっても注射一本だけですが)にPSAも2.98と下がったのです。残念なことにこれは氣休めという程度なのですね。
スケベな男がなるのが前立腺癌ということを医師に確かめたところ「そんなことはありません」という答えでした。しかし男性ホルモンを抑えたり女性ホルモンを注入したりするということは、やはり男性度というんでしょうか、それを抑えるのだからやっぱり関係あるのかもしれません。
さて、それでは12月中旬に入院した後、今年になってからはどうなったでありましょうか。
1月13日はテストステロンは18.7と上昇。PSAは0.43と1.0を切ったのです。これは前立腺癌の治療が成功したことの何よりの証しです。以後毎月の検査により、PSAは更に下がってゆき、癌細胞を退治したことが数値でもあきらかであります。
もう一方では男性度は上昇。実は直近では100を超えてきました。200を超えると私の大好きなことが出来るというから楽しみにしています。
私は前立腺癌の治療中に大きなことがふたつあったのです。ひとつは胃の中のポリープをどうするかです。幸い良性だろうというので5年間くらい放置していたのですが、これを取り除くかどうか。
もうひとつは会長職を続けるために09年5月の棋士総会に立候補して、激務を続けることはできるかどうかです
その26(2009年7月11日記)
人生設計
昨年12月に治療して、どうやら成功したようである。全く自覚症状が無いのに癌になっていたとはねぇ。
今春に自分の今後のことと人生設計を考えてみました。まずは体の点検です。5年程前から考えてみたり、数値を比べてみると明らかに老化は否めない。といっても少しずつ衰えるということでさしたる心配はいらない。差し当たっては取りあえずの処置です。
私は胃の下の方にキノコ状のポリープがあるのです。これは良性らしいので放置していたのですが、「いつかは取り切りましょう」とか「そろそろどうですか」とドッグの先生に言われ続けてはいました。これをどうするか。
もうひとつ氣になるのは尿酸値。限りなく7.0に近づいてきています。この数字を超えると痛風になることが多いんだとか。
食べ物に氣をつけましょう、とアドバイスを受けましたが、要はビールにレバ刺しというのが一番悪く、野菜をおいしくいただくのが良いのですな。そこでビールはプリン体を除いたものに変えました。その他は余り氣になる体調ではないようでした。
前立腺癌を患った身は、今後はどこまで仕事をすべきか、出来るかです。
私は日本将棋連盟の会長をしている。任期は2年で今年の5月下旬まで。選挙だが、これに立候補して又やるのかどうか。これについては身体と将棋界の両方から考える必要があります。
身体は大丈夫か。会長は代わってもらえないのか。将棋界のためにどうしても自分でなければならないのか。
退院後はほぼ毎日仕事に追われていました。酒も毎晩。そしてこれは自分で決断すべきことなので、きちんと答えを出しました。
○5月の理事選挙には立候補する
この2年間は将棋界にとっては大ピンチであるから、どうしても自分が先頭に立ってやり遂げねばならない。百年一度の大不況をどう乗り越えるか。これは自分勝手の考えですけどね。
○6月以降で胃のポリープを取り除く
一泊入院で、10分足らずのことらしいです。やっぱり取っておく方が良いと思いました。身体と仕事量、精神的なハリ。いろいろ考え、決断、実行です。
その27(2009年7月19日記)
身体と仕事
08年12月に前立腺癌の治療をしてから半年経ちました。
このあとどうするか。人生設計は心、身との相談になります。体の方は昨年は相当に細かく調べていますから、他には差し当たって悪い所は無さそうです。
氣になるのは胃のポリープです。5年くらい前から発見されてはいたのですが放っておいたのです。これはいつか切除するとして、問題は65才の今後の生き方。いろいろな委員会や理事会というのが年に3、4回ずつあります。まあ同級会に行くくらいのもので、責任はありますが、さしたる苦労や時間は要しません。
問題は本業の将棋です。実は社団法人日本将棋連盟は改革の途上にあったのです。赤字を黒字にする。一応は軌道に乗りつつありますが、うっかり手を抜くとすぐに赤字になってしまいそうです。公益社団法人への移行というのも大きな仕事です。
立候補
私は会長職を続ける意志を固めました。2年に一度の選挙です。
「私は会長として2年間将棋界を引っ張ってゆきたい。それには支持率が一番です。思い切った政策を打ち立てますので宜しく」
マニフェストを掲げて立候補しました。
5月26日が棋士総会です。2、3ヶ月の選挙運動期間がありますから、とにかく元氣でいなければなりません。それでいて前立腺のことも公表しておく必要があります。
かくして激務を続けるというよりも「俺でなくして誰がやる」という思いで立候補したのです。結果、会長に再任。これが幸なのか不幸なのかは分かりませんが、自分の意思通りの人生が歩めるということは幸せと言い切るよりありません。
かくして自分の体は将棋界に捧げることとなりました。
仕事は次から次へとあります。早目に胃のポリープを切除しておこうと思いました。6月4日に入院、6月5日に退院という一泊二日コースで切除しました。
ただ、閉口したのはそれからの1ヶ月です。アルコールは一切なしでした。それよりも食後にドロッとした甘いものを飲む。そんな思い出を次回から書きましょう。
考えてみますと、口から飲んだ所と、オシッコで出る所と二ヵ所を半年足らずで治療したことになるのですね。
その28(2009年7月26日記)
胃のポリープ(その1)
5年程前から胃の下の辺りにポリープがあるらしいことは分かっていました。半年ずつの検診にしてもらいました。
一回はバリウムを飲んでレントゲン。もう一回は胃カメラと交互に検診です。最近はバリウムの量も減り、味も良くなったようです。
それにしてもやっぱり人間ドックの花形ではあります。時間もなにも全てに亘って他の検査の総量と胃のレントゲンのみとが五分五分という感じです。
胃カメラの方は喉からのものと鼻からのものがあります。私はここ数回は鼻からの方を選んでいます。こちらの方も管が細くなって楽です。どちらの方も競争なんでしょうか。
胃カメラは、最近はベッドに横になって検査中の自分の胃の中がそっくり見られるのが良いです。恐いような氣もしますけどね。
「これですよ。良く見て下さい」
「あのー。これはどのくらいの大きさなんでしょうか」
「直径2cm弱というところでしょうか。キノコ型をしています」
胃の中にアザミの花が一輪咲いているかのようでもあります。自覚症状が無いので放っておきましたが、そろそろ切り時かと思いました。
棋士総会が5月26日。それから10日間くらいは忙しい日々でした。問題は手術日です。6月4日入院してその日のうちに切除。念のため一泊入院して翌日退院というスケジュールです。入院日数が物足りないという訳でもないのですが、少し不安ではあります。そんなに楽なら放っておいても良いではないかなぁと思ったりもしました。
6月4日に入院。前日からの準備があります。
6月3日。夜9時以降の飲食は控えて欲しいとの指示がありました。その2日前くらいからアルコールは控えておりました。6月3日は消化の良いものを食べておきました。
6月4日。朝7時までならコップ半分くらいの水分は摂っても良いと言われているので、ほんの少し飲んでおきました。
その29(2009年8月1日記)
胃のポリープ(その2)
胃のポリープの切除というのは簡単なんですね。口から管を入れてチョキ。
説明によるとポリープの根元を縛っておき、少し経つと血行が行き渡らなくなった頃になって縛った所を切ってしまう。クリップ状のもので止血して終り。切り取ったものは引き上げて後日検査するということでした。これが良性だったか悪性だったかが問題ではあります。
一日ではあっても一泊ですから、パジャマやタオル、湯のみ等は持って行きましたが、近くの民宿へ行ってくるようなものでした。
6月4日に入院、治療して明くる5日に退院。点滴は5日の正午頃までやっていて、それが終れば退院です。
本当は2時間くらい前に退院できたのですが、どうも点滴が落ちてくるのが遅いんです。あとで分かったのですが、落差の違いです。ベッドでじっとしていると早く落ち(これが普通です)、電話をしたり、本を読むために起き上がっていたり、腕を上げていたりすると遅くなる。時々立ち上がっていたりしましたので遅くなったようです。
前立腺の時に比べれば、はるかに楽な入院でしたが退院後は逆です。胃の方は飲み薬が2種類約二週間。それに錠剤が一ヵ月分出ました。飲む方はドロッとした甘みのあるものです。食後3回と就寝前に飲む。まずいんです。
しばらくはお粥で我慢。アルコールは禁止です。ということで人生が詰まらんね。
切り取る前に自覚症状がなく、退院後も酒を飲んでも大丈夫なようにも思えたのですが、胃の中の写真を見せてもらうと、確かにポリープは立派でした。かくして1ヶ月じっとしていました。
ビールでキューッというのがいけないらしい。出来ればごはんを食べている途中でお酒を少々が理想とのこと。酒がまずいです。
■前立腺癌に関するシンポジウムのお知らせ
9月6日に札幌で会があります。
私も治療経験者として講演をします。大掛かりな会のようです。
詳細は後日お知らせします。
友の会
今週は休みます。
9月に行われる前立腺癌のシンポジウムの大要をお知らせします。
日時:9月6日
場所:札幌
申込み等詳細については近々にお知らせいたします。
私は30分間お話をします。「告知された患者の氣持ち」
その他にも専門医の話し、患者の家族、専門医と私も交えたディスカッション。私はパネリストですね。
「同病相憐れむ」という言葉がありますが、友の会を立ち上げて皆で支え合ってゆきたいと思っています。
私も一応は全てうまくいった筈ですが、いつ、どのように体が変化するか分かりません。胃のポリープにしろ、全く新しい何かが生じてくることは覚悟している。その時に備えて体の健康よりは心の健康を保持していたいです。
その30(2009年8月16日記)
人間ドック
年に2回検診しています。時間もかかるし金もかかる。しかし病氣になってしまったり、あの世へ行ってしまうと仕事をして金を稼ぐということが出来ませんので、ドックだけはしっかりと受けた方が良いと思っています。今年は9月が2回目です。
10年か20年続けていますと年々体が老化していくのが分かります。そのうち脳みそも調べられてどのくらい若い頃と違っているのかが分かる時代が来るのかもしれませんね。
私が考えるに、内臓や機能が平均して同じように徐々に劣化してゆくことが望ましいことでしょう。そして耐用年数が尽きてサヨナラ。これが全部健康で若いままだったのに心臓だけが機能停止でハイそれまで、というのが一番悪い。徐々に、徐々にですね。一ヶ所だけは困る。
前立腺癌は治療しましたから一応は健康状態は良好ということでしょう。胃は良性のポリープを切除しましたので、これも良しとせねばなりません。他にいろいろ氣になりますのや。
尿酸値が7.0に近い。これは7.0を超えると痛風になるとおどかされています。あれは痛いらしいですね。近頃は薬も良くなってきて、食べ物も大体OKと聞いています。
ビールで焼肉、レバ刺等は特に良くないらしい。イクラ、ウニ、蟹、海老も要注意とか。私の好物ばかりです。私の食事の書き込みを見て「痛風になりますよ」と警告されて10年です。ならなければ美味しいものを食べた方が得ですから好き放題でした。しかし、どうやら危険水域に達してきたようです。女性は痛風になる人は少ないということでした。どうしてなのかは専門の医師に聞くよりない。
米長語録
「女に痛風無く、男に陣痛なし」
ともあれ、酒を飲み、ウニやイクラを食べ、女性が美しく見える現状をいつまでも保ちたいものです。
その31(2009年8月23日記)
シンポジウムのお知らせ
これからは私自身の健康のことやガン友の会、そして出版予定を書いてゆきます。
とにかく下記のURLをご一読下さい。
http://www.asahi.com/blueclover/images/img_activity2009/0906.pdf
○9月6日札幌にて、前立腺癌のシンポジウムがあります。その詳細が載っています。
○それぞれに悩みはあるもの。個別に人生相談というか悩み相談に対応するようになっている筈です。
○お互いに情報を共有し、ともに励まし合いたい。
「もっと、こうすれば良いのに」というご意見のある方はメールを下さい。
対局掲示板の「管理者へメール」をクリックしてください。
その32(2009年8月29日記)
整理券
9月6日の札幌のシンポジウムは申し込み制になっています。どうしても行きたいという方は私宛にご連絡を。整理券の用意があります。
9月に入って早々半年一度のドック検査をします。結果が出るのは2週間後くらいです。
徐々に数値が悪くはなってきています。今回は氣になる部位はしっかりと検査をしてもらうようオプションを頼みました。
来週は札幌の報告。その次の週はドックの報告。
現在は至って元氣です。大いに酒を飲む日々。仕事をやりこなしている日々です。
その33(2009年9月5日記)
検査結果と出版
9月1日は半年毎の定期健診でした。今回はオプションとして食道を念入りに診てもらう。親族で食道癌の者が居るからです。もっとも不思議な癌で、一年に一回チョキチョキと定期的に切除すればなんでもないそうです。
私の検査結果は中旬に出ますので、9月19、20日頃更新時にお知らせします。
本が出版される。「癌ノート(仮題)」。予定では10月8日発売。ワニブックスの新書版です。私の癌ノートを主として、主治医が専門医の立場からコメントや詳細を書いたものです。
これは前立腺癌に悩んでいる人々や専門医の方々に、患者の氣持ちを知ってもらうための本です。
その34(2009年9月12日記)
今週は「週刊ヨネナガ」の「まじめな私」をお読み下さい
その35(2009年9月21日記)
私の検査は半年毎の人間ドックと、今は3ヶ月ごとになった前立腺癌治療のアフターケアと2つあります。
前立腺に関しては採血、採尿とダブってするようですが、これは二ヵ所で検診してもらえる訳ですからきちんとしています。
人間ドック
9月1日検査のものはPSAが0.93でした。半年前、つまり治療後3ヶ月後が0.294でしたから、それから考えると数値が氣になります。
「2.0を超えると問題」という風にも言われていますが、まだ安心出来るということです。
泌尿器科
9月8日は3ヶ月目の検診です。こちらの方は0.77でした。一応はホッとしました。僅か一週間ではありますが、数値が下がったからです。
同時に示されたテストステロンなるもの。私がスケベ指数と呼んでいるものですが、294でした。男性として正常に近づきつつある。この数値が上昇するとPSAも上昇するらしいです。
ここまで書きましたが、今日の記載は新刊本には載りません。8月末日までの顛末を記したのがワニブックスからの出版本です。
「癌ノート」という題です。本の出版とは関係なく、このホームページ版「癌ノート」は続けてゆきたいと考えています。あるいは、全く別に双方向性のものにするかもしれません。ご希望などありましたらメールを下さい。
その36(2009年9月26日記)
出版間近
前立腺癌の治療方法は日進月歩です。私が施した治療は現時点(平成21年)では最先端のものだそうで、これから全国的に広まってゆくことでしょう。しかし行き渡った頃には又新しい手法が登場するに違いありません。
私の本の内容は、数年間は最も親しまれるというか、患者やご家族への情報提供に適していると思っています。
ワニブックスからの新刊本「癌ノート」は10月8日に出版予定です。私も今から楽しみにしています。
数日前に新聞広告が出るものと思われます。
巻末に藤沢秀行が出て来て、ちょっと勇氣づけられることでしょう。
その37(2009年10月18日記)
PSA
PSAの検査は60才過ぎの人には絶対。50代でもやった方が良いと信じています。ところがこれに異を唱える人々もいる。
今後の私の役目としては、一大キャンペーンを張ってPSA検査のための運動をすることです。
前立腺癌予備軍の人は大勢います。半年か一年に一度、500円から2000円くらいですから、定期検診のメニューの中へ入れる方が良いと思います。
来週は横浜でお医者さん同士の一大論争があるらしい。しかし私は素人ですので、アマチュアなりにその立場で頑張ろうと思います。
新刊本は好評のようです。ワニブックス[PLUS]新書 定価760円+税
私がインターネット上でつづったものを加筆修正。治療して下さった秋元哲夫先生(東京女子医大准教授)が専門医の立場から解説されています。
下記の新連載としてこのページを発表したのは08年12月30日からのことです。あれから一年近く経ちます。
この本によって一人でも多くの人がPSAの検査を受けたり、前立腺癌に関しての正しい知識を持ってもらえたらと願っています。
(2009年10月24日記)
PSA検査推進
私はPSA検査推進委員会議長(?)のような役割を演じたいと思います。
これからのインタビュー記事などの予定を書きます。
■「文藝春秋SPECIAL」 特集:健康 11月27日発売
■「暮しと健康 2月号」(保健同人社) 12月25日発売
秋元哲夫先生との対談
■「がんサポート」(エビデンス社)
鎌田實先生との対談
(2009年10月31日記)
その40(2009年11月21日記)
ユビマン
私より少し年上の人で全摘の人がいました。じっくりと話を聴く。私はその後が知りたい。ズバリSEXですね。
全く立たないんですね。触っても何も感じないし一物があるのかどうかさえ分からない。手や足を触るのと同じことだそうです。
「それじゃ女性は卒業したのか」
「それが相変わらずでね。彼女とはうまくいってるんだ」
「うまくいっているって、まさか裸のおつき合いはしてないんだろうね」
「そのことなんだがね。実は全く関係なく同じなんだ」
話をまとめると全く変わりなくベッドインするんだとか。しかし肝心のものは役に立たない。
「手と口があるんです」
「手八丁口八丁というのはそこから来た言葉ですか」
「それはどうか分からないが、とにかく彼女が昇天するんですね。そうすると自分自身も全く同じ快感を得られるんです」
「おしゃかさんみたいやな。他人の悦びを己の喜びとなすとね」
「おっしゃる通りです。ですから快感も彼女の満足度も全く以前と変わりません」
これは重大な証言である。このことは前立腺治療の大きな変革をもたらすものかもしれない。
全摘が良いんですね。なぜなら再発しないからです。私もいずれは再発すると思っています。しかしそれは90才を越えた頃でしょう。ですから私は97才以降の自分がとても心配なのです。
私なりのライフワークは確立しましたが、全摘を楽しむという方法もあったとは。「知人の愛」に認識を新たにしました。
その41(2009年12月5日記)
対談のお知らせ
私の対談、インタビュー記事をお知らせします。
■秋元哲夫先生との対談
いわずと知れた私の治療医です。
「暮しと健康」2月号(保健同人社)
■鎌田實先生
『頑張らないけど諦めない』の名言の名医です。
「がんサポート」2月号(エビデンス社)
■「文藝春秋 SPECIAL」季刊冬号
特集:健康
11月27日より発売中です。
その42(2009年12月19日記)
本のご購読を
最近は地方紙に私の本の紹介をして下さる社が多く有難いことです。
私のインターネット上の「癌ノート」のみを読んでいるという人もいました。しかし、出版された本と、私のネット上のものとでは決定的な違いがあります。
それはお医者さんの解説が入っていることです。私の書いたものは、あくまで患者側からの見方です。時々間違っている箇所もあるようです。これに専門医の主治医が医学用語を用いてきちんと解説するのです。これで患者の気持ち、医師の立場と異なった二人の合作本になりました。一言で言えば本に厚みが出来たということでしょうか。
前立腺癌の知識を得るくらいの方はネットだけお読み下さい。もし、ご自身が治療を受ける、あるいは知人にそういう人がいるという場合は是非本を買って読んで下さい。私のネット上のものは、あくまで素人の患者側のことを全て告白したに過ぎないものです。
その43(2010年5月1日記)
疼痛と出血
4月に入って対局をしました。どのくらいの時間か、どんな風にしたか等は有料とさせていただきます。
相手も充分に悦んだようで、これは自分の(男の)満足とは全く別次元で嬉しいことです。
いよいよ私もたまらずドクッドクッと出たのですね。当然頭のテッペンがしびれるような快感が走りました。それは良いとして、灼熱感が前立腺を襲いました。痛いというべきか熱いというべきか、これも又強烈な刺激です。勿論無い方が良いのに超した事はありません。
いちおう事が済みますとですね。露骨な表現で申し訳ありませんが抜くということになります。そのあとは拭いたり添い寝したりと人それぞれ、その場の雰囲氣によります。
と、と、ところが、鮮血が滴り落ちたのです。ポタポタと落ちる。白いものが放出された後に赤いインクがポトポトという感じです。しかしこれは一過性であとは何でもない。続いてということもないし、少し時間を経てオシッコをしても何もありません。後日も何もなし。痛みもなし。
しかしあの赤い血はなんだったのだろう。心配はしていませんが、定期健診で主治医に聞いてみます。
その44(2010年5月9日記)
勇氣を
週刊現代5月8・15日合併号をお読みになりましたか。癌になったり、難病と闘っていたり同居したりしている著名人特集がありました。その中に私がいる。「前立腺癌になった人々に勇氣と元氣を与える記事でしたね」とお褒めの言葉あり。嬉しいです。
先週の生々しい実体験の告白。正直に綴ってみました。66才の初老の男が前立腺癌を宣告された。その男がどのような夜を過ごしているのか。
私は性とは体力ではなく、年令でもなく、氣力でもなく、欲望でもないと思うとります。それはなんなんでしょう。この世を去るまでモテる法。これについて語り合う会を立ち上げたい。あっちもこっちも立ち上げたい。人生は楽しいです。
燃える生命、これが最後かもと思う心を何かが突き動かしてくれるような氣がします。
その45(2012年.5月12日記)
久し振り
久しぶりに書きます。前立腺癌友の会ともいうべき会があるんだとか。そことリンクすることにしました。
少しずつ更新してゆくつもりです。
腺友ネットhttp://pros-can.net/
その46(2012.5.19)
PSA
放射線治療にしろ全摘にしろ、それで全てが終わった訳ではありません。
それぞれに尿もれ等の後遺症がある。これはまだ良いとして、PSAの値が跳ね上がったりして驚くこともあるのです。全摘したからといって、全てがうまくいったということでもないのです。
こんな話をポツリポツリと書いてゆきたい。

