ざっくり「戦国の女性達」姫・奥方・正室・側室・侍女のまとめ

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ざっくり「戦国時代の女性達」姫・奥方・侍女のまとめです。瀬名(築山殿)、駒姫、北条政子、帰蝶(お濃)、お市の方、お江、茶々(淀殿)、細川ガラシャ、糸、高瀬姫、栄姫、小西マグダレナ、春日局、鶴姫、井伊直虎、戦国の女、戦国女性。戦国武将の奥方様。戦国の妻たち。

瀬名(築山殿)

築山殿(つきやまどの、生年不詳 – 天正7年8月29日(1579年9月19日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。徳川家康の正室。名は未詳。一般的には築山殿、築山御前(つきやまごぜん)、または駿河御前(するがごぜん)ともいわれる[2]。「築山」の由来は岡崎市の地名である。
父は関口親永。
母は今川義元の伯母とも妹ともいわれ、もし妹ならば築山殿は義元の姪に当たる。『井伊年譜』や『系図纂要』『井家粗覧』の系図によると井伊直平の孫娘で、先に今川義元の側室となり、後にその養妹として親永に嫁したという。その場合だと井伊直盛とはいとこ、井伊直虎は従姪に当たる。
築山殿 – Wikipedia

駒姫

駒姫(こまひめ、天正7年(1581年) – 文禄4年8月2日(1595年9月5日))は、安土桃山時代の女性。最上義光と釈妙英(大崎義直の娘)との間の次女で、羽柴(豊臣)秀次の側室候補。別名、伊万(いま)。伊達政宗の従妹に当たる。彼女の名は御駒山からとられている。
駒姫 – Wikipedia

井伊直虎(いいなおとら)

井伊 直虎(いい なおとら)は、戦国時代の女性領主。遠江井伊谷(静岡県浜松市(旧・引佐郡)引佐町)の国人井伊氏の当主を務め、井伊谷徳政令など内政手腕に優れ「女地頭」と呼ばれた。井伊直親と婚約したが、生涯未婚であった。井伊直政のはとこであり養母。
井伊直虎 – Wikipedia

北条政子

北条 政子(ほうじょう まさこ、保元2年(1157年) – 嘉禄元年7月11日(1225年8月16日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室。伊豆国の豪族、北条時政の長女。子は頼家、実朝、大姫、三幡。兄弟姉妹には宗時、義時、時房、阿波局、時子など。
周囲の反対を押し切り、伊豆の流人だった頼朝の妻となり、頼朝が鎌倉に武家政権を樹立すると御台所と呼ばれる。夫の死後に落飾して尼御台と呼ばれた。法名を安養院(あんにょういん)といった。頼朝亡きあと征夷大将軍となった嫡男・頼家、次男・実朝が相次いで暗殺された後は、傀儡将軍として京から招いた幼い藤原頼経の後見となって幕政の実権を握り、世に尼将軍と称された。
なお、「政子」の名は建保6年(1218年)に朝廷から従三位に叙された際に、父・時政の名から一字取って命名されたものであり、それより前の名前は不明。
北条政子 – Wikipedia

帰蝶

濃姫。鷺山殿。安土殿。
名は帰蝶。(正し帰蝶は後世の創作という見方も強い。)
斎藤道三の娘。
生母は小見の方(明智光継の娘)。
小見の方が道三に迎えられたのは天文二年(1533)。
その二年後に帰蝶が生まれたとする説もある。
ならば天文四年(1535)の生まれと思われる。

帰蝶が織田信長の元へ嫁いだのは天文十七年(1548)。
以後、帰蝶は濃姫と呼ばれることとなる。
美濃の姫と言うことで濃姫となったのだろう。
武将列伝番外 女性列伝・濃姫

お市の方

お市の方 おいちのかた

1547-1583 戦国-織豊時代の女性。
天文(てんぶん)16年生まれ。織田信長の妹。信長の命で,永禄(えいろく)10年近江(おうみ)(滋賀県)小谷(おだに)城主浅井長政にとつぐ。3女(淀殿,京極高次の妻常高院,徳川秀忠の妻崇源(すうげん)院)と2男を生む。浅井氏がほろんだのち再婚した柴田勝家とともに,羽柴(豊臣)秀吉に攻められ天正(てんしょう)11年4月24日越前(えちぜん)(福井県)北庄(きたのしょう)城で自害。37歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。名は市。通称は小谷の方とも。
お市の方(オイチノカタ)とは – コトバンク

淀殿

●浅井長政の長女
近江国小谷城主、浅井長政と織田信長の妹、お市の方の長女に生まれる。
●小谷城落城
1573年 (7歳)
小谷城が伯父織田信長に攻められ(小谷城の戦)、父長政が自害。
その際、母お市の方やふたりの妹とともに小谷城から落ちのびる。
その後、尾張国清洲城で過ごす。
●越前
1582年 (16歳)
母のお市の方が、織田家家老柴田勝家に再嫁し、ともに越前国北ノ庄城に移る。
●秀吉の側室
1583年 (17歳)
羽柴(豊臣)秀吉に攻められ、勝家と母お市の方が自害すると、秀吉の庇護下に。
この後秀吉の側室となる。
●淀城
1589年 (23歳)
長子鶴松を生む。
秀吉が築城した山城国の淀城に移り、淀殿と呼ばれる。
1590年 (24歳)
小田原城攻めの歳、羽柴(豊臣)秀吉から呼ばれ小田原の陣中へ。
1591年 (25歳)
鶴松夭折。
●秀頼出産
1593年 (27歳)
二男拾(豊臣秀頼)を生む。
淀殿/年表でみる戦国時代

●秀吉の死
1598年 (33歳)
秀吉が死没すると、大坂城で豊臣秀頼の後継をつとめる。
1599年 (34歳)
大坂城の西の丸に徳川家康が入城。
1600年 (35歳)
関ヶ原の戦で、秀頼のいる西軍が敗戦。
これにより直轄領を大きく削られる。
1603年 (38歳)
徳川秀忠の娘で姪の千姫を、豊臣秀頼の妻に迎える。
●徳川との対立
1605年 (40歳)
徳川秀忠が2代将軍となり徳川の世襲が決定的になったことに激怒。
1614年 (49歳)
方広寺鐘銘事件。
●大坂の陣
大坂冬の陣では、籠城策を主張。
1615年 (50歳)
大坂夏の陣で敗戦、秀頼とともに自害。
淀殿/年表でみる戦国時代

浅井長政の三女で、母は織田信秀の娘・市(織田信長の妹)。いわゆる浅井三姉妹の一人で、長姉の淀殿(茶々)は豊臣秀吉側室、次姉・常高院(初)は京極高次正室。猶女に鷹司孝子がいる。
最初の婚姻相手は佐治一成だが、秀吉によって離縁させられる。2度目の婚姻相手は秀吉の甥・豊臣秀勝で、娘の完子が生まれたが死別。3度目の婚姻相手が後に江戸幕府第2代将軍となる徳川秀忠である。
崇源院 – Wikipedia

細川ガラシャ

1563-1600 織豊時代のキリシタン。
永禄(えいろく)6年生まれ。明智(あけち)光秀の娘。細川忠興(ただおき)の妻。本能寺の変後,夫により丹後(京都府)味土野(みとの)に幽閉される。豊臣秀吉にゆるされ復縁。高山右近(うこん)らの影響で,天正(てんしょう)15年受洗。関ケ原の戦いに際し,石田三成方の人質要求を拒否し,慶長5年7月17日家老の手でみずからの命をたった。38歳。名は玉。ガラシャ(伽羅奢)は洗礼名。
【格言など】先立つはおなじ限りの命にもまさりて惜しき契(ちぎり)とぞしれ(辞世)
細川ガラシャ(ほそかわガラシャ)とは – コトバンク

糸姫(いとひめ、元亀2年(1571年) – 正保2年6月20日(1645年8月11日))は、福岡藩初代藩主・黒田長政の正室。
元亀2年(1571年)、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の家臣・蜂須賀正勝の娘として尾張国(もしくは大坂)にて誕生。母は鳥井越中守の娘・白雲院。異母兄に蜂須賀家政、姉に奈良姫(賀島長昌正室)がいる。
天正12年(1584年)、同じく秀吉の家臣である黒田孝高の子・黒田長政と結婚(豊臣秀吉の養女として嫁いだとの説もあるが定かではない)。
慶長2年(1597年)には娘・菊(後に井上之房の子・井上庸名の妻)が生まれる。
ところが、関ヶ原の戦いの直前に離縁させられ、長政には徳川家康の意向(婚姻政策)により家康の養女である栄姫(保科正直の娘)が正室として嫁いだ[注釈 1]。なお、この糸姫との離縁が、江戸時代中期までの黒田家と蜂須賀家の127年に渡るのきっかけとなった。
その後は実家・蜂須賀家領国の阿波国で暮らし、正保2年(1645年)に死去。戒名は寶珠院殿桃渓僊公尼大姉。墓所は桃渓山臨江寺。
糸姫 – Wikipedia

高瀬姫

高瀬姫(たかせひめ、? – 寛永11年8月11日[注釈 1](1634年10月2日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。遠江国引佐郡井伊谷の領主・井伊直親の娘。井伊直政の異母姉。
高瀬姫 – Wikipedia

栄姫

慶長5年(1600年)6月6日、伯父である家康の意向により、先妻である糸姫と離縁になった黒田長政に嫁いだ。この際、化粧料として豊後国玖珠郡領内に1000石賜った。関ヶ原の戦いで西軍による妻女人質計画があった際、大坂を脱して長政の領国であった豊前まで逃れている。
栄姫 – Wikipedia

マグダレナ

ワクサ – 熱心なキリシタンで洗礼名はマグダレーナ。秀吉の正室ねねに仕えたといわれるが不詳。
小西行長 – Wikipedia

春日局

父は美濃国の名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で明智光秀の重臣であった斎藤利三、母は稲葉良通(一鉄)の娘である安、養父は稲葉重通。 稲葉正成の妻で、正勝、正定、正利の母。養子に堀田正俊。 江戸城大奥の礎を築いた人物であり、松平信綱、柳生宗矩と共に家光を支えた「鼎の脚」の一人に数えられた。 また、朝廷との交渉の前面に立つ等、近世初期における女性政治家として随一の存在であり、徳川政権の安定化に寄与した。
春日局 – Wikipedia


https://matome.naver.jp/odai/2143408152509702001/2143409399323787203

鶴姫

捕らえられていた鶴姫は、自身を処刑するための磔柱を作る音を聞き「なかなかに きいて果てなん唐衣 わがために織る はたものの音」と辞世の歌を詠んだ。千本松河原(築上郡吉富町小犬丸)で磔にされた鶴姫と侍女達の遺体は埋葬され塚が築かれた。後に同地に鶴姫の霊を祀る宇賀神社が創建された。
城井鎮房 – Wikipedia

参考リンク

https://matome.naver.jp/odai/2143408152509702001
2017年07月11日