kaizin
明治・大正・昭和の作家たちも博打好きは多い。無料で読めるギャンブル系の随筆や小説。
競馬
それから間もなく馬券と云ふものが廃止になつた。よつて暫くは無沙汰して居つた、すると公認競馬で、馬券でなく商品券と云ふ塩梅にして十円の入場料で、二円券を五枚づつ呉れることになつたので、それで又夢中になつて行つて居つた其頃には取敢ず御客も今のやうに這入つて居らぬので、競馬場も閑静なものであつたが、何時しか又馬券が復活すると云ふ噂が立つと同時に、追々と又競馬が盛になつて来た。震災後兪々馬券一枚二十円と云ふ規則が出来て、十二月に目黒で皮切をした。
初代 桂小南 競馬興行と競馬狂の話
落語家の初代桂小南(1880〈明治13〉年5月24日生~1947〈昭和22〉年11月21日没)による随筆エッセイである。
初出が1929〈昭和4〉年(「グロテスク」9月号)となっているので、当時49歳。第一回日本ダービーが1932〈昭和7〉年だから、その3年前にあたる。そんな昭和初期当時の競馬場の様子などが伺えて大変興味深いのです。
「初代桂小南」ってなに?|さくら^∀^くんの、なんだろう?
競馬興行と競馬狂の話 初代 桂小南 スピードの世の中であります。此意味に於て、競馬は最も今日高速度的世相の推移を如実に表示するものであらうかと思はれます。私が年末、大の競馬狂として之に没頭しますのも、さうした点に興味を持つからでありますが、執着の結果は春秋の競馬シーズンを待ち兼ねてどうか是が同一の興趣と実感とを室内に於て味ふ工夫もがなと、好きには身を窶すで、日夜専心専一苦心を致しました。所が思ふ…
鞭むちは持たず、伏ふせをしたように頭を低めて、馬の背中にぴたりと体をつけたまま、手綱たづなをしゃくっている騎手の服の不気味な黒と馬の胴どうにつけた数字の1がぱっと観衆の眼めにはいり、1か7か9か6かと眼を凝こらした途端とたん、はやゴール直前で白い息を吐はいている先頭の馬に並ならび、はげしく競り合ったあげく、わずかに鼻だけ抜いて単勝二百円の大穴だ。そして次の障碍しょうがい競走レースでは、人気馬が三頭も同じ障碍で重なるように落馬し、騎手がその場で絶命するという騒さわぎの隙すきをねらって、腐くさり厩舎きゅうしゃの腐り馬と嗤わらわれていた馬が見習騎手の鞭にペタペタ尻しりをしばかれながらゴールインして単複二百円の配当、馬主も騎手も諦めて単式はほかの馬に投票していたという話が伝えられるくらいの番狂ばんくるわせである。
織田作之助 競馬
競馬 織田作之助 朝からどんより 曇 ( くも ) っていたが、雨にはならず、低い雲が 陰気 ( いんき ) に垂れた競馬場を黒い秋風が黒く走っていた。午後になると急に暗さが増して行った。しぜん人も馬も重苦しい気持に 沈 ( しず ) んでしまいそうだったが、しかしふと 通 ( とお ) り 魔 ( ま ) が過ぎ去った 跡 ( あと ) のような 虚 ( むな ) しい 慌 ( あわただ ) …
あの競馬場の熱鬧は、そのままが、人生の一縮図だと、観るのである。あの渦の中で、自己の理性を失う者は、実際の社会面でも、いつか、その弱点を、出す者にちがいない。
吉川英治 競馬
競馬 吉川英治 競馬場がふえ、競馬ファンもふえてきた。応接間の座談として、競馬が語られる時代がきた。その中で、時々、知人のあいだにも、“楽しみを楽しまざる人”がまま多い。——競馬を苦しむ方の人である。 このあいだも、某社の、記者としても人間としても、有能な若い人だが、競馬に熱中して、社にも負債を生じ、家庭にも困らせている人があるという話が出て——僕はその若い有能な雑誌記者を惜しむのあまり、その人…
百合の父さんが弾かれたやうに飛びあがつた。――先頭をきつてゐるのがトラベラスである。容易に静まらないトラベラスが漸く正面を向いたときが、他の馬よりずつと先の方へ出てゐたので、そのまゝスタートの旗が振られたのである。
牧野信一 競馬の日
競馬の日 牧野信一 一 眠つても眠つても眠り足りないやうな果しもなくぼんやりした頭を醒すために私は、屡々いろいろな手段を講じる。 頭がぼんやりしてゐると私は、いつも飛んでもない失敗を繰り返す癖に怖れをもつてゐたからである。 「うんうん——と、はつきり点頭いてゐたから約束通り僕は今迄停車場で待つてゐたんですよ。がつかりしちやふな、ほんとうに未だ寝てゐるなんて酷いや!」 森だ! と私は、吃驚りして寝…
穴場の入口の開くや否や、傍目わきめもふらず本命へ殺到する群集あり、本命主義の邪道である。他の馬が売れないのに配当金いずれにありやと訊いて見たくなる。甲馬乙馬に幾何いくばくの投票あるゆえ丙馬を買って、これを獲得せんとするこそ、馬券買の本意ならずや。
菊池寛 我が馬券哲学
我が馬券哲学 菊池寛 次ぎに 載 ( の ) せるのは、自分の馬券哲学である。数年前に書いたものだが、あまり読まれていないと思うので再録することにした。 一、馬券は尚 禅機 ( ぜんき ) の如し、容易に悟りがたし、ただ大損をせざるを以て、念とすべし。 一、なるべく大なる配当を 獲 ( え ) んとする穴買主義と、配当はともかく勝馬を当んとする本命主義と。 一、堅き本命を取り、不確かなる本命を避…
囲碁
本因坊・呉清源十番碁観戦記 坂口安吾 上 対局前夜、夕方六時、対局所の小石川もみじ旅館に両棋士、僕、三人集合、宿泊のはずであった。翌日の対局開始が、朝九時、早いからである。 僕が第一着、六時五分也。本因坊、六時五十分。さて、あとなる、呉氏が大変である。 ジコーサマの一行が呉氏応援に上京し、呉氏の宿所へ、すみこんだ。すみこむだけならよかったのだが、即ち、これ宗教なり、よってオイノリをやる、一日中、…
二時間、たった。二十五手目、本因坊が考えている。呉氏、目をとじ、ウツラ、ウツラしている。目をとじ、からだを左右にゆさぶっているのは呉氏のクセであるが、どうやら本当にねむいらしく、コックリやり、パッと目をあけ、慌てゝ立ち上る。四五分して、目をパッチリさせて、新しい顔で、もどってきた。
坂口安吾 本因坊・呉清源十番碁観戦記
文人囲碁会 坂口安吾 先日中央公論の座談会で豊島与志雄さんに会ったら、いきなり、近頃碁を打ってる? これが挨拶であった。四五年前まで、つまり戦争で碁が打てなくなるまで、文人囲碁会というのがあって、豊島さんはその餓鬼大将のようなものだった。 僕は物にタンデキする性分だが碁のタンデキは女以上に深刻で、碁と手を切るのに甚大な苦労をしたものだ。文人囲碁会で僕ほどのタンデキ家はなかったのだが、その次が豊島…
囲碁雑考 幸田露伴 棊は支那に起る。博物志に、尭囲棊を造り、丹朱これを善くすといひ、晋中興書に、陶侃荊州の任に在る時、佐史の博奕の戯具を見て之を江に投じて曰く、囲棊は尭舜以て愚子に教へ、博は殷紂の造る所なり、諸君は並に国器なり、何ぞ以て為さん、といへるを以て、夙に棊は尭舜時代に起るとの説ありしを知る。然れども棊の果して尭の手に創造せられしや否やは明らかならず、猶博物志の老子の胡に入つて樗蒲を造り…
呉清源 佐藤垢石 呉清源は今や棋聖といつてよからう。 昭和二十六年四月初旬に於て対本因坊昭宇、橋本宇太郎八段との読売十番碁に、六勝二敗二持碁の成績であるが、吾々素人が見てもこの十番碁は、呉清源の勝に帰するであらうことが予想でき、世間一般の評も呉清源の方が大きな分を持つてゐるといつてゐた。それはそれとして、まだ一つ残された問題が他にある。それは藤沢庫之助九段との対局である。呉と藤沢の両九段がいつ対…
本因坊と私 関根金次郎 本因坊もたうとういけなかつたネ。全く惜しいことをした。寂しいかつて?そりや、本因坊と私は四拾年近い交際だからな普通の友達つきあひにしたつて三十年、四十年となると仲々難しいのに、馬が合つたと言はうか、二人ツきりの水入らずで、よく旅行もしたし、睾丸も見せ合つた仲だからネ。 男の交際と言ふものは、羽織袴の交際だけじや駄目なものだよ。素ツ裸になつてお臍の穴から睾丸まで見せ合ふやう…
本因坊秀哉との交遊録
将棋
将棋の鬼 坂口安吾 将棋界の通説に、升田は手のないところに手をつくる、という。理窟から考えても、こんなバカな言い方が成り立つ筈のものではない。 手がないところには、手がないにきまっている。手があるから、見つけるのである。つまり、ほかの連中は手がないと思っている。升田は、見つける。つまり、升田は強いのである。 だから、升田が手がないと思っているところに手を見つける者が現れゝば、その人は升田に勝つ、…
手数将棋 関根金次郎 ついでに 手数 ( てかず ) 将棋といふものを紹介しておかう。 この手数将棋といふのは、五十手なら五十手、百手なら百手——その約束した手数のあひだで、相手をつめてしまはなければならないのである。 芝居のなかの若い衆に、 芝兼 ( しばかね ) さんといふ人がゐた。若い衆といつても、年のころは五十がらみで、小屋のなかで弁当やら酒などをはこんできてサービスする商売であつたが、…
将棋 菊池寛 将棋はとにかく愉快である。盤面の上で、この人生とは違つた別な生活と事業がやれるからである。一手一手が新しい創造である。冒険をやつて見ようか、堅実にやつて見ようかと、いろ/\自分の思ひ通りやつて見られる。 而 ( しか ) も、その結果が直ちに盤面に現はれる。その上、遊戯とは思はれぬ位、ムキになれる。昔、インドに好戦の国があつて、戦争ばかりしたがるので、侍臣が困つて、王の気持を転換さ…
坂口流の将棋観 坂口安吾 私は将棋は知らない。けれども棋書や解説書や棋士の言葉などから私流に判断して、日本には将棋はあったが、まだ本当の将棋の勝負がなかったのじゃないかと思う。 勝負の鬼と云われた木村前名人でも、実際はまだ将棋であって、勝負じゃない。そして、はじめて本当の勝負というものをやりだしたのが升田八段と私は思う。升田八段は型だの定跡を放念して、常にたゞ、相手が一手さす、その一手だけが相手…
勝負師 織田作之助 池の向うの森の暗さを一瞬ぱっと明るく覗かせて、終電車が行ってしまうと、池の面を伝って来る微風がにわかにひんやりとして肌寒い。宵に脱ぎ捨てた浴衣をまた着て、机の前に坐り直した拍子に部屋のなかへ迷い込んで来た虫を、夏の虫かと思って団扇ではたくと、チリチリとあわれな鳴き声のまま息絶えて、秋の虫であった。遠くの家で赤ん坊が泣きだした、なかなか泣きやまない。その家の人びとは宵の寝苦しい…
麻雀
麻雀を語る 南部修太郎 1 話 ( はなし ) はだいぶ 古 ( ふる ) めくが、 大正 ( たいしやう ) 十一 年 ( ねん ) の 秋 ( あき ) の 或 ( あ ) る一 夜 ( や ) のことだ。三ヶ 月 ( げつ ) ほどの 南北支那 ( なんぼくしな ) の 旅 ( たび ) を 終 ( をは ) つて、 明日 ( あした ) はいよいよ 懷 ( なつか ) しい 故國 ( こ…
麻雀殺人事件 海野十三 1 それは、 目下 ( もっか ) 売出 ( うりだ ) しの青年探偵、 帆村荘六 ( ほむらそうろく ) にとって、 諦 ( あきら ) めようとしても、どうにも諦められない彼一生の 大醜態 ( だいしゅうたい ) だった。 帆村探偵ともあろうものが、ヒョイと立って手を伸ばせば届くような 間近 ( まじ ) かに、何時間も坐っていた殺人犯人をノメノメと逮捕し 損 ( そ…
https://matome.naver.jp/odai/2139957029268673701
2014年11月17日