ケビン・ユーキリス
ユーキリスについて
ケビン・エドマンド・ユーキリス(Kevin Edmund Youkilis , 1979年3月15日 – )は、アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ出身のプロ野球選手(内野手)。
~プロ入り前~
ユダヤ系のシカモア高等学校へ進学し、全米の野球大会では優勝を経験[2]。地元のシンシナティ大学へ進学し、2001年までに同大学の新記録となる53本塁打・206四球・長打率.627・出塁率.499を記録した
~レッドソックスにドラフト8位で入団~
2001年に入団
2004年にメジャーデビュー
2008年にオールスターシャツ出場
2009年にワールドベースボールクラシックに米国代表で出場
2011年は一塁手のエイドリアン・ゴンザレスの加入により、元々のポジションだった三塁手へ戻った。
守備率.967は三塁手としてリーグトップだった一方で、打率は.258にとどまり、レギュラー定着後ではもっとも厳しいシーズンとなった。
2012年は開幕4番を務めるが春先から不振に陥る。加えて新監督のボビー・バレンタインから「無気力だ」と批判されたことを発端とする確執がメディアで大きく報じられ、新人のウィル・ミドルブルックスの台頭もあってチーム構想から外れた。
~ホワイトソックスに移籍~
2012年シーズン途中の6月24日にブレント・リリブリッジ外野手、ザック・スチュワート投手との交換トレードで550万ドルの金銭と共にシカゴ・ホワイトソックスへ移籍。シーズン終了後にFAになり、恩師のテリー・フランコーナが監督を務めるクリーブランド・インディアンスが2年1800万ドルを、ニューヨーク・ヤンキースが1年1200万ドルを提示した
~ヤンキースへ移籍~
2012年12月14日、ヤンキースと1年契約を結んだ。手術明けとなるアレックス・ロドリゲスに代わる三塁手を務めることを期待された。
2013年は腰部挫傷を抱えながら開幕を迎え、4月30日に15日間の故障者リスト入りした。5月30日に復帰したが、6月14日に再び故障者リスト入りし、6月20日に手術を受け、60日間の故障者リスト入りした。回復には10週間から12週間かかる見込み。10月31日にFAとなった。
得意技
~選球眼~
打率や本塁打といった数値はそれほど目立たない反面、選球眼に優れ、出塁率の高さが持ち味で、2006年には1打席当たりの投球数4.42はリーグ最多となった[5]。またチャンスにも強く、ランナー無しの場面では打率.243に対して、ランナー有りの場面では打率.340を記録
あだ名は”四球のギリシャ神”
2003年に2Aでマイナーリーグタイ記録となる71試合連続出塁を達成し、2004年にメジャーに初昇格。2006年にレギュラーに定着し、打率.279ながらも92個の四球を選び、出塁率.381をマーク。2007年も出塁率.390をマークし、ワールドシリーズ制覇に貢献。2008年には自己最高の打率.312、29本塁打、115打点をマークし、ハンク・アーロン賞を獲得した。また、2009年、2010年は出塁率が4割を超えるなど、チームの中軸として活躍
~ムードメーカー、守備~
はつらつとしたプレーも魅力のひとつで、同僚のダスティン・ペドロイアと共にチームのムードメーカーとなっている。いかなる場面でも手を抜くことがなく、2007年レギュラーシーズンには一塁守備で失策0を記録し、9月7日にはリーグ記録となる179試合連続無失策記録(2008年6月7日に失策を記録するまで、238試合連続無失策記録を樹立。その後ケイシー・コッチマンが274試合に記録を更新)を達成するなど堅実でゴールドグラブ賞を受賞した
ホームラン集
年俸12億円から3億円に
ヤンキースでの12億円だったが楽天での年俸は3億円
楽天フロントの調査力と交渉力には感服
マー君がいなくなる楽天
大物獲得でまた東北を盛り上げてくれることを期待

