美しい!その人の人生を表す辞世の句

スレイプニル

辞世の句にはその人物の人生が凝縮されています。
我々もこのような言葉を残して、この世を去りたいものです。

毛利元就

友を得て猶ぞうれしき 桜花 昨日にかはる けふの色香は

大石内蔵助

極楽の道はひとすぢ君ともに阿弥陀をそへて四十八人

あら楽し思いは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし

大石主税

あふ時は かたりつくすと おもへども わかれとなれば のこる言の葉

当たり前のように毎日顔を合わせていた時には、もう十分に語り尽くしたと思っていたけれど、いざ別れとなり、これを最後にもう二度と会うことがないと思うと、胸がいっぱいとなり、まだまだ話したいことがたくさんあったのにと、とても心残りな気持ちとなるものである。

増田利夫

散るために 咲いてくれたか 桜花 散るこそものの 見事なりけり

散ることがわかっているのに、それでも咲いてくれたか桜の花よ。しかし散っていく姿にこそ人も桜も本当の美しさがあるものだ。

大江千里

もみぢ葉を 風にまかせて 見るよりも はかなきものは 命なりけり

紅葉して風に吹かれるままに散っていく木の葉よりも、儚いものは人の命である。

在原業平

ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを

人間誰しも最後にはたどる死出の道だとは、聞き知っていたけれど、それが昨日今日というほどに差し迫ったものだとは思わなかった。

西行

願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ

できることならば咲き乱れる満開の桜の下で死にたいものだ。釈迦入滅の如月(二月)の望月(十五日・満月)の頃に。

徳川慶喜

この世をば しばしの夢と 聞きたれど おもへば長き 月日なりけり

これで、とうとうこの世ともお別れだ。人生とは短い夢のようなものだと聞いていたが、振り返ってみればずいぶんと長い年月を生きてきたものだ。

浅野内匠頭長矩

風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん

赤穂事件(忠臣蔵)のきっかけ

十返舎一九

この世をば どりゃお暇に せん香の 煙とともに ハイ(灰)左様なら

石川五右衛門

石川や浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ

細川ガラシャ

散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ

花も人も散りどきを心得てこそ美しいのだ

高杉晋作

おもしろき こともなく世に おもしろく すみなすものは 心なりけり

自分の人生を後世の人がどう語ろうと、それは私の心の、私だけがわかっている私の人生ではない・・

徳川家康

先に行く あとに残るも同じこと 連れて行けぬをわかれぞと思う

今、死にゆくわしも、今は生き残るそなた達も、諸行無常の同じ世界にいる。いずれも死ぬ事には変わりない。   だからといって、わしはそなた達家臣をを死出の道連れとはしない。お別れだ。

伊達政宗

曇りなき 心の月を さきたてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く

何も見えない真っ暗闇の中で、月の光を頼りに道を進むように、戦国の先の見えない時代の趨勢を自分が信じた道を頼りにただひたすら歩いてきた一生であったなあ。

上杉謙信

極楽も 地獄も先は有明の 月の心に懸かる雲なし

私の死後、私は極楽、地獄に行くのかはわからないが、どちらに行くことになっても今の私の心境は、雲のかかっていない明月のように一片の曇りもなく、晴れやかである。

豊臣秀吉

露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢

露のようにこの世に生まれ落ち、そして露のようにはかなく消えていってしまったこの身であることよ。大阪城で過ごした栄華の日々は、夢の中の夢のようにはかないものだった。

吉田松陰

身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

もし私の命がこの武蔵野のどこかでで終えることになっても、自分の思想は永遠にに留めておきたいものだ。

北条氏政

吹きと吹く 風な恨みそ花の春 紅葉も残る秋あらばこそ

吹く風を恨むな。花が残る春や、紅葉が残る秋がある訳がないのだから

紀貫之

手にむすぶ 水に宿れる月影の あるかなきかの世にこそありけれ

手にすくった水に映った月のような あるかないか分からないようなはかない世に生きていたんだな

お市

さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 別れを誘ふ ほととぎすかな

ただでさえ寝る頃合いなのに、これはまるで夏の夜に別れを誘い鳴くホトトギスみたいですね。

足利義輝

五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで

https://matome.naver.jp/odai/2147661648385162101
2016年10月19日