【神仙思想】雲母を食べて仙人になった何仙姑(かせんこ)の伝説

kondatetanaka
中国の八仙「何仙姑」についてまとめてみました。

▽神仙とは

仙人や神仙はいずれも自分の体内の陰と陽を完全調和して、道教の不滅の真理を悟った。彼等は道教の道(タオ)を身に着けて、その神髄を完全再現することができる。
仙人 – Wikipedia

▽ 三国志に登場する左慈も道士

『後漢書』方術列伝によると、左慈はかつて司空であった曹操の宴席に招かれ、曹操がふと「江東の松江の鱸があればなあ」と呟いた時、水をはった銅盤に糸を垂らして鱸を釣り上げてみせた。曹操は手を打って大笑いし、さらに「蜀の生姜がないのが残念だ」とこぼして「使者に蜀の錦を買いに行かせたが、あと二反を買い足すように伝えておいてくれ」と言った。左慈はすぐに生姜を手にして帰ってきた。後日、使者は益州から帰ってきた時、左慈に会ったので錦を買い足したと証言した。
左慈 – Wikipedia

▽ 八仙の一人「何仙姑(かせんこ)」と雲母の伝説

『東遊記』によると、彼女は唐代の武則天の時に、広州増城県にある雲母渓にいた何素(『仙仏奇踪』等、他の文献では何秦とも)の娘で、生まれたときには六本の髪の毛が生えていたという。十四、五歳のとき、夢に神人が現れて、「雲母の粉を食べなさい。そうすれば身体が軽くなって、不死となるだろう」と言われた。
何仙姑 – Wikipedia

しばらくすると、しゃべり方がおかしくなった。武則天はこのことを訊いて、使いの者を送り宮中に召し出そうとしたが、その途中で忽然と姿を消した。武則天は臣下に国中を捜させたが、結局見つけることはできなかった。景龍年間に、李鉄拐が彼女を引き連れ、白昼昇天し去っていった。天宝9年に、麻姑と一緒に五色の雲の中に立っているのが見られた。また、大暦年間中、ある人が広州の小さい石楼で彼女に会っているのを刺史の高皇が目撃し、それを朝廷に奏上したという。
何仙姑 – 何仙姑の概要 – Weblio辞書

何仙姑画像(图片来源于网络)

▽ 雲母が雲を作ると考えられていた

古代中国では雲は岩の精気から生じるという思想があった。黄土の平原がどこまでも続く中国では雲は高山の上でないと出来にくく、中国の山は岩山が多いためにそのように考えられたらしい。特に雲母は鉱物でありながらどこまでも薄く剥がれて細片は吹けば飛ぶほど軽いため、雲母が「雲の母」だと考えた。また雲母にはさまざまな色合いがあり、中国ではこれを五色の雲=瑞雲ととらえ、雲母を神仙と関わりの深いものと考えた。
道教の理論書である「抱朴子(ほうぼくし)」にも雲母を様々な材料と調合して服用すると長寿になり、10年続けて服用すれば頭上を雲が覆うようになると記されている。
雲母: 伝説の魔剣・聖剣・盾

▽ 道教の理論書「抱朴子」

存最古の神仙に関する記述である『史記』封禅書によると、斉の威王・宣王や燕の昭王のころから、しばしば人をやって海に入らせ、蓬莱・方丈・瀛州の三神山を探させるということが始まったらしい。この三神山は伝書によると渤海の中にあって、そこには仙人が住んでおり不死の薬もあるらしいのだが、人間が行こうとすると風が船をはばんで、どうしても行くことができなかったという
道教研究 ~『抱朴子』を中心とした功過思想の流れ~

https://matome.naver.jp/odai/2159322024183087701
2020年06月27日