文章が読めない…『塾講師が最近の生徒に感じたこと』が興味深い

nyokike
塾講師が最近の生徒を見て感じた国語力の低下がTwitterで話題に。理数系の人からも文章を読解したり、言葉として表現する力の重要性が指摘されました。

▼塾の講師が最近の生徒に感じた違和感がTwitterで反響を呼んだ

塾で教えていて、わりと衝撃的だったことの一つが「国語の教科書以外で、まとまった文章を読んだことがない子」の存在を、リアルに目の当たりにしたときのことだ。当時、その生徒は中学二年生だったが、計算問題以外は壊滅的で、その理由を探していたときに、ふと思い至って本人に確認をしてみた。
「小説や物語は読むかい?」と聞くと「読まない」という。では「家に文字だけの本はあるかい?」と聞くと、やはり「ない」という。さらに確認してみると、家には「マンガ日本の歴史」のようなものが数タイトルあるだけだという。それを聞いて、僕はこれまで彼の見ていた世界を想像して、背筋が凍った。

さらに僕はこう聞いた。

「もしかして、国語で文章を読むときに、どこかに『正解』が書いてあるはずだとしか読んだことがないのかな?」

返事は、予想通りだった。

「はい」

そうなのだ。彼にとって「言葉」とは、ただただ「正解の言葉」と「間違いの言葉」の二種類しかなかったのだ。

その生徒は、間違いだと指摘されることを異様なまでに嫌う子だった。間違いだと言われた瞬間に、嫌悪感を露わにしたし、そのまま塞ぎ込んでしまい、その後しばらくは誰の言葉も耳に入らないような状態になった。ときに身体を震わせ、怒りなのか悔しさなのか、爪を立てるなど自分の体を傷付けさえした。
点数を採るための勉強でしかなかった
何度かその生徒に「今の気持ちを何か言葉にできるかい?」と聞いたこともあったが「何かぐちゃぐちゃしている」というのが、お決まりの返答だった。それもそのはずで、なぜなら彼は自分の感情を表したり、理解したりするための「言葉」を、ただの一つも持ち合わせていなかったのだ。
その生徒にとって「言葉」であり「文章」というのは、極端な言い方をすれば、どこまでいっても「意味」を持たないものだったのだ。ただひたすらに、周りの反応から「正解」だと認めてもらうために並べ立てるためのものでしかなかったのだ。「自分のため」の言葉を、何一つ持っていなかったのだ。
つまりその生徒の中では、言葉は彼の周りの世界の何にも結びついていなかったのだ。誰かに「正解」か「間違い」かに振り分けてもらうことでしか、彼は自分の発した言葉を理解できなかった。そして彼にとって「間違い」は許されないことであり、また自分を「ぐちゃぐちゃにするもの」でしかなかった。
言葉を自分のものにできてる?
この話は極端な事例だと思うけれど、これに近いことが今の教育の現状ではわりと頻繁に起こっているのではないかと、僕は感じている。「空気が読めるか否か」というのも要するに、言葉そのものの意味によってではなく「その場の雰囲気に正解することができるかどうか」でしかないのかもしれない。
「文章が読めない」という話は、特にこのTwitterでは決まり文句のように頻繁に見かける話題だ。その原因の一つはもしかしたら、程度の違いこそあれ、このスレッドでお話した生徒のような人が、実はかなりの数いるということなのではないかと思ったりもする。
そしてこの話は「本を読まないと、この生徒のようになってしまう」という話ではないし、逆に「本をたくさん読みましょう」とか「本を読めば大丈夫」とか言いたいわけでもない。言葉を教えることや、言葉を受け取ること、そして言葉を「自分のものとして使う」ことの難しさと大事さを感じてほしい。
このスレッドを読んでくれた方々は(そしてそこにはもちろん、この文章を書いた僕も含まれている)、「運良く」言葉を「自分のもの」として使えるようになっているだけなのだと思う。だからこそ「できない」ことを責めても意味がない。自分たちができることを、少しでも伝えることが「教育」だと思う。
蛇足だけど、塾の講師としての僕はこの生徒に、いわゆる勉強における「正解を書かせる」こともできただろうし、世の中にはそういう方法論がたくさんあることも、一応は知っている。けれど、僕にはどうしても、それが「教育だとは思えない」のだ。これからも僕は、僕が伝えられることを伝えていきたい。

▼国語って大事…この話にTwitterからは様々な声が聞かれました

NikoEveryday@NikoEveryday

@isa_kent こんにちは
同感です 息子達の小学校の先生が “全ての教科の基本は国語です”と伝えてくださいました
妹は理系頭ですが国語科の教務主任です
息子(工学部卒業)は小説を読みまくり理系大学に合格した男と家庭内で笑い話になります
読む理解する想像するは生きるうえでも大切だと思います

(。・・。)@cercidi_8

@isa_kent 国語だから衝撃的に感じてしまいますが、英語だと日本ではよくあることですね。洋楽の歌詞を一生懸命読んで意味を理解して歌ったり、日本語じゃなくて自分の感情そのものを英語と紐付けたりしていないから、英語は正解か間違いしかない言語に感じてしまってる人が多いのでしょうね。

yokogao@saudade0

@isa_kent 一連のご意見素晴らしい視点。この本題の困難さの一つが、「言葉と自分のものとして使える側の意見は、言葉を自分のものとして使えない人には抑圧的になる」点。件の子供がパニックになるように、そこでの相互の言語コミュニケーションが生まれないこと。なので本質的な困難が。

なみえ@@NamiNami_mofmof

@isa_kent 心理学でいう「感情の社会化」が不足しているのでしょうね。この子の場合は根本的に言葉の認識や語彙の乏しさが顕著なのかもしれませんが、読書量があって語彙が充分でも抑圧的な環境により躓く場合もあります。ただ個人的にはそれ以上に、間違うことが許せないその子の心が心配です。

地球を創る@SxGT9H1iPF0jWNe

@isa_kent @yujiscope 自分の気持ちをアウトプットする日記って、予想以上に心を育むのかめしれないと、突然思いつきました。私もほとんど書いてませんが^^.

・アウトプットする語彙力がない…そんなポイントも指摘されています

桃の花針灸院@chikako_komai

@isa_kent 成人過ぎても全ての感動を「ヤバイ」でしか表現しない人に遭いました。すごいのも怖いのも困ったのも全てヤバイ。家族に大事にされていたけれど、逆に全部察して貰えて、自分の状況を説明する必要が無かったのかと思います。

桃の花針灸院@chikako_komai

@isa_kent 言葉(単語)を知っていてもリアルな感情、感覚が載ってこないとただの記号です。
本を読んでも意味がわからないから面白くない、続かないでしょうね。

桃の花針灸院@chikako_komai

@isa_kent うちは小さなお子さんをお持ちの方もよくいらっしゃいます。基本的な子供に対する姿勢はまず「それで?」と聴くこと。今までの自分の言葉では説明が足りないと気づくと一生懸命考えて、それが伝わる快感に気づきます。会話をいかに続かせられるかが大人の役割かと。

鬼蜻蜓@dorakiv2

@chikako_komai @isa_kent ハイコンテクスト/ローコンテクスト
社内研修で習いましたが、ハイコンテクスト:日本語は曖昧な表現でも伝わる・読み取る事が優先なので、空気を読む事が出来る。この影響で、ヤバいだけで伝わるのが当たり前になってるんだと思います。悪い事ではありませんが、明確な表現の優先度が低いと思います。
@isa_kent 子供が海外の学校に通った時に似ています。語彙を持ち合わせていないので自分の気持ちを表現出来ない。と言う事で言語の先生の指示で図書館で赤ちゃん向けの本を借りてきて沢山読みました。言葉と言うのは自分と一体になってこそ使いこなせる物だとその時知りました。長文も短い文の連続で
@isa_kent 幼児用の短い文を読む練習をして行くと長い文が理解出来るようになります。幼少期の絵本はとても大切。もし、文を読むのが苦手かも?と感じたら易しい本に戻ってみて下さい。○歳だからこの本、親は○歳で読んでいたからあなたも読めるはずだと益々言葉の壁が高くなってしまいます。

・ではどうすればいいのだろう…こんな声も聞かれました

リク@ricky0web

@isa_kent 俺もこういう子だったから気持ちはわかる。でも、こういう子を目の当たりにしたら何か言えるだろうか。
この子に自分に合っている本が早く見つかるように願う。
https://matome.naver.jp/odai/2158990001566696101
2020年05月21日