ザ・ドリフターズのメンバーでタレントの志村けんさんコロナ肺炎のため死去。70歳

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2020年3月29日午後11時10分、ザ・ドリフターズのメンバーでタレントの志村けんさん(本名・志村康徳=しむら・やすのり)がコロナウイルスによる肺炎のため都内の病院で死去した。70歳。死因は新型コロナウイルスによる肺炎。

志村 けん(しむら けん、1950年2月20日 – 2020年3月29日)は、日本のコメディアン、お笑いタレント、司会者である。ザ・ドリフターズのメンバー。イザワオフィス所属。1972年までの旧芸名および中国語での表記は「志村 健」。本名は志村 康徳(しむら やすのり)。

2020年3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎の為死去、満70歳没。

付き人から芸能界デビューを経てドリフ入り

1968年2月、高校卒業間際にいかりや長介の家へ直接押しかけ、弟子入りを志願する。由利徹やコント55号とザ・ドリフターズ(以下ドリフ)のいずれに弟子入りするか迷ったが、音楽性の面からドリフを選んだ(高校二年時に実際に由利徹のもとを訪ね弟子入りを志願したが、断られている)。雪の降る中、いかりやの帰宅を12時間ほど待ち続けるも、門前払い同然の扱いで、容赦なく突き放されたが、それでも食い下がったため根性を買われ、「バンドボーイ」が辞めてメンバーに欠員が出たらという条件で仮採用された。いかりやは後に「帰宅すると勝手に居ただけで待っててくれと言った覚えはない」と語った。一週間後に呼び出された後楽園ホールで、いかりやから正式に採用を告げられた志村が、「じゃあ(高校)卒業したら来ます!」と答えると、「バーカ、明日から行くんだよ、青森に!」と言われ、翌日から青森巡業などへ同行させられるなどすぐに多忙となり、高校卒業式は当日の午前中だけ時間を貰い慌ただしく式に出席し、仕事に戻った。
加藤茶の付き人となるも1年余りで一度脱走し、、バーテンダーなどのアルバイトをしていた。仲間が伝えるのを忘れていたため、脱走したとメンバー内で騒がれていた。戻って来た時にはいかりやの家に行きづらかった事から、加藤の家に行って頼み、いかりやへ口添えしてもらったところ、「二度も弟子入りする奴は、よくよく好きなんだろう」と出戻りを認めてくれた。その後、しばらく加藤の付き人兼加藤家居候となる。

公式サイト

発症から2週間ほどで亡くなる

新型コロナウイルスに感染して肺炎を発症し、入院して治療を受けていたお笑い芸人の志村けんさんが29日午後11時10分、東京都内の病院で死去した。70歳。訃報を受け、各界の芸能人をはじめ、SNS上では「マジか…」「ショック…」「涙が止まらない」「信じられない、信じたくない」などの追悼の声が相次いだ。
志村けんさん訃報に追悼続々 研ナオコ「どうしよう」 山田邦子「まだ早い」 近藤春菜は絶句し涙(オリコン) – Yahoo!ニュース

志村さんは昭和25年に東京 東村山市で生まれ、高校時代に、いかりや長介さんをリーダーとする人気コミックバンド「ザ・ドリフターズ」の付き人となり、昭和49年に正式なメンバーとなりました。

民放の公開バラエティー番組「8時だョ!全員集合」では持ちネタの「東村山音頭」や、チョビひげ姿で加藤茶さんと踊る「ヒゲダンス」などを披露し、一躍人気メンバーとなりました。

その後も自身の冠番組で「バカ殿様」や「変なおじさん」などの個性的なキャラクターを生み出し、「アイーン」や「だっふんだ」などのギャグは世代を超えて親しまれてきました。

長年にわたってテレビのタレントとして活躍する一方、平成18年からは自身が座長を務める舞台の公演を続けるなど、精力的に活動していました。
コメディアンの志村けんさん死去 新型コロナ感染で肺炎発症 | NHKニュース

30日から放送が始まったNHKの連続テレビ小説「エール」では日本を代表する作曲家の役で出演することになっていて、今月6日にも収録に臨んでいました。

また、ことし12月に公開予定の山田洋次監督の映画「キネマの神様」では初めて主演を務めることになっていて来月から撮影が始まる予定でした。

しかし新型コロナウイルスへの感染を公表した翌日となる今月26日、所属事務所から出演を辞退することが発表されました。

このほか新型コロナウイルスの影響で延期されたこの夏の東京オリンピック・パラリンピックでは聖火ランナーに選ばれ、ことし7月に都内を走る予定でした。
コメディアンの志村けんさん死去 新型コロナ感染で肺炎発症 | NHKニュース

ご冥福をお祈りいたします。

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2020年03月31日