ムスリムが一生に一度はしたいハッジ(メッカ巡礼)って何?

ユミアンヌ

ハッジとは?

ハッジ(アラビア語:حجّ ḥajj, トルコ語 hac)は、イスラーム世界における、メッカ(マッカ)への巡礼の事を指す。五行の1つ。ヒジュラ暦第十二月であるズー=ル=ヒッジャ月(巡礼月)の8日から10日の時期を中心にメッカとその周辺地域で行われる一連の諸儀礼から構成される。特にズー=ル=ヒッジャ月以外でのメッカ巡礼を指すウムラ(小巡礼、en:Umrah)と区別して「大巡礼」とも呼ばれる(なお、ウムラは五行には含まれないことに注意)。

すべてのムスリム(イスラーム教徒)にとって、少なくとも人生のうちに1回は、メッカ巡礼が義務付けられている。ただし、すべてのムスリムに課せられる他の四行(信仰告白(シャハーダ)、礼拝(サラート)、喜捨(ザカート)、断食(サウム))と異なり、巡礼は実行できる体力や財力のある者のみが行えば良いものとされている。
ハッジ – Wikipedia

巡礼月に行う巡礼(ハッジ)と、巡礼月以外に行う巡礼(ウムラ)の違い

・ハッジはイスラーム教における五行の1つであり、身体的・経済的な問題がない限り、全てのムスリムは一生に一度行う義務があるとされる。一方、ウムラは五行に含まれず、強く推奨されてはいるものの義務ではない。
・ハッジはヒジュラ暦のズー・ル=ヒッジャ月(巡礼月)8日から10日を中心とした特定の時期に行う。一方、ウムラはいつ行ってもよい。
・ハッジはさまざまな儀式を経なければならず、数日単位の時間がかかるが、ウムラは数時間で終えることができる。
ウムラ – Wikipedia

ハッジを手助けしてくれる案内人

ムタッウィフ(アラビア語: مطوف ラテン文字化: Mutawwif)[20]は、ハッジのガイドをする周遊旅行業者である。ハッジを管理するサウジアラビア政府とともに、重要な役割を果たしている。メッカのいくつかの一族により伝統的に運営されている。1930年代に、サウジアラビア初代国王アブドゥルアズィーズ・イブン=サウードが、ムタッウィフを6つの会社に統合した。ムタッウィフは、巡礼に訪れた人々のために、聖地への案内や買い物ツアーだけでなく、様々な仕事がある。渡航書類の保管から、交通手段や宿泊施設の手配、儀式のセッティング、陣痛の妊婦を病院に運んだり、現地の料理を好まない場合には、好みの食べ物の調達もする[21][22][23][24]。
ハッジ – Wikipedia

ハッジの時期は色々と大変!

かつては距離や経済的な問題などで、メッカから遠く離れた地に住むムスリムは、一部の富裕層を除いて巡礼など夢のまた夢であった。しかし、近年になって交通網が発達し、経済成長を遂げた国では、一般市民の所得でもハッジが可能となってきた。あまりにも渡航希望者が多くなりすぎたため、例えばインドネシアではメッカ巡礼者の数を制限している。年20万人は許可されるが、それを遥かに上回る人数が渡航希望を出すため、希望を出してからも10年以上は待つことになるという[3]。
ハッジ – Wikipedia

数百万人が集うこの行事はサウジアラビア政府にとっても治安の維持が大変で、毎年混雑の為に圧死者が出る悲劇も起こっています。
巡礼(ハッジ)と大祭礼 – 日本 オマーンクラブ(オマーン情報 オマーン国際交流 オマーン異文化交流)

服装にもルールが!

イフラーム

メッカに滞在する間、イフラーム (iḥrām) と呼ばれる巡礼中の禁忌の状態に入り、定められた場所(ミーカート)で男性の巡礼者は巡礼用の衣服の着用が求められる。女性には巡礼用の特別着の規定はなく、全身を覆う服を着用し、顔だけを出すようにすれば良いとされる。男性の場合、イフラームは2枚の縁縫いのない布からできていて、胴の上はだらりと垂れ下がっている。また、白い飾り帯によって布地の下の方は守られていて、これに、サンダルが付随する格好である。
ハッジ – Wikipedia

イフラームの間は、結び目を作ったり縫い目のある物を身に着けてはならない。サンダルにも縫い目があってはならず、足首と足の後部を露出させなければならない。教派によっては足の甲もはっきり見せることが求められる。 さらに、身体やイフラーム布に香料をつけることも許されない。汚れた素材で作られたイフラーム布をまとったり、イフラーム布を汚してもならず、もし汚した場合は新しいイフラーム布に着替えなければならない。さもなければ、そのウムラまたはハッジは正しいものと認められない。
イフラーム – Wikipedia

イフラームを身につけている間は、巡礼者は髭を剃らず、爪も切らず、宝石も身に着けない(ただし腕時計は身につけることが多く、その質で身分の見当はつく)。タルビヤ (en:Talbiyah) として知られる祈りは、巡礼者がその衣装を纏っている際に、詠唱される。
ハッジ – Wikipedia

神の前では巡礼者はすべて平等であるということ示すためのものであり、すべての人間が同じように衣装をまとっている時には、たとえ王子であれ貧困者であれ、その間では、まったく相違がないことを象徴付けている。イフラームはまた、清純と免罪を象徴する。
ハッジ – Wikipedia

また、巡礼中は性による区別はなく、モスクとは異なり男女が同じ線上で共に祈る。これは、裁きの日には男女の別なく裁きの列に並ぶことを思い起こさせるためである[2]。
イフラーム – Wikipedia

イフラームに着替える場所にも指定が!

ミーカート(英語表記Mīqāt、アラビア語表記 ميقات)とは、ハッジで聖域に入る際、普段の服装からイフラームに着替える場所として指定された場所のことである。基本的には、以下の6箇所である。
ミーカート – Wikipedia

・ズー・ル=ハリーファ (مسجد ذي الحليفة) – メディナの南11km。メディナ方面からの巡礼者にとってのミーカート。ここは、ムハンマドが別離のための最後の巡礼を行った際に、ここから聖域に入ったという先例に倣っている。
・アル=ジュフファ (الجحفة) – メッカの北187km、ラービクの東郊。シリア、エジプト、北アフリカ方面からの巡礼者にとってのミーカート。
・ザート・イルク (ذات عرق) – メッカの東北94km。イラク方面からの巡礼者にとってのミーカート。
・カルン・ル=マナーズィル (قرن المنازل) – メッカの東96km。サウジアラビア東部、クウェート方面からの巡礼者にとってのミーカート。
・ヤラムラム (يلملم) – メッカの南東54km。イエメン方面からの巡礼者にとってのミーカート。
・ワーディー・マフリム (وادي محرم)
ミーカート – Wikipedia

これらのミーカートは基本的に、陸路で聖域に入る際にイフラームに着替える場所として指定されている。これは、キャラバンを組織しての巡礼が基本的なハッジの形態であったからだが、今日の交通事情の発達では海路・空路で聖域に入る機会も多く、この場合はいつ・どこで着替えるかという問題が生じてくる。海路でメッカの外港であるジッダへ移動した場合を例に挙げるとすると、スエズ方面から紅海を南下している場合には、アッ=ジュフファと同緯度の地点に着いた時点で、イフラームに着替えることになる。また、空路でメッカを目指す場合は、一般的には出発地点の空港の指定場所で着替える。
ミーカート – Wikipedia

ハッジ前にやること

メッカに到着すると巡礼者(地方で‘ハージー’(en:Hajji) として知られる)は、アブラハムとハガルの生涯そして世界中に広がるムスリムの一体性を象徴する宗教的な儀式を執り行う。
ハッジ – Wikipedia

・タワーフ:カアバ神殿の周りを急ぎ足で4回、続いて3回ゆったりとしたペースで、反時計回りに回ること。可能ならば各回ごとに黒石に接吻、もしくは手で触れる。
・サアイ(英語版) (sa ‘y) :マスジド・アル・ハラーム内に今はあるサファーとマルワ の丘の間を7回駆け足で往復すること。このことは、ザムザムの泉(ザムザム)が天使と神によって送られる前のハガルの狂わんばかりの水探しを再現したものである。
ハッジ – Wikipedia

これらの儀式がウムラを構成し、小巡礼ともたびたび呼ばれる。宗教的儀式ではないが、ウムラの儀式が終わった際には、ザムザムの泉の水を多くの巡礼者は飲む。また、人々は、おおよそ1インチほど、自らの髪を刈り込む。

ここで、巡礼者は、イフラームから普通の服装に着替えることができる。
ハッジ – Wikipedia

ハッジに求められている部分ではないにもかかわらず、ウムラの後に、巡礼者は、メディナ(マディーナ)の「預言者のモスク」を訪問する。ムハンマドの墓がモスクの近くにあり、同様に、アブー・バクルとウマル・イブン・ハッターブの墓もある。一晩かそれ以上、巡礼者は、メディナに滞在した後、大巡礼を始める準備のために、メッカに戻る。
ハッジ – Wikipedia

ハッジ中にやること

大巡礼は、巡礼月の第8日から始まる。巡礼者は再び、イフラームを着用する。
ハッジ – Wikipedia

メッカのホテルを後にし、6キロほど離れたミナーのキャンプにバスで移動します。これから巡礼が終了する巡礼月13日まで、このミナーのキャンプを拠点に行を行います。ミナーは谷になった場所で、ミナーとメッカ、そして、ミナーとムズダリファの間には境界線があり、巡礼者はその境界線の内側に滞在しなければなりません。そのため、境界線の内側は各国からの巡礼者のテントでびっしり埋め尽くされています。テントは国ごとに場所が決められおり、テント内は男女別に分かれています。
知ろう!学ぼう!楽しもう!⑪

巡礼月9日、ミナーから14キロほど離れたアラファという場所に行き、日没までそこにとどまって祈りを捧げます。アラファは天国から追放されたアーダム(アダム)とハワー(イブ)が地上で再会した場所だと言われています。アラファにはラフマ山という山があり、そこで預言者ムハンマドは最後の説教を行い、彼の後に続く人々への神の許しと加護を祈ったと言われています。そこに滞在し祈りを捧げることはハッジのクライマックスです。日没後はアラファとミナーの間にあるムズダリファという場所に移動し、そこで野営しながら夜明けを待ちます。
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夜が明けたら巡礼月10日、ミナーに戻り石投げに向かいます。これは預言者イブラヒームが神命に従って息子のイスマイルを犠牲に捧げようとしたとき、悪魔に不信を吹き込まれ、石を投げて悪魔を追い払ったという故事にちなんでいます。石柱に向かって石を投げるのは、日本の豆まきに似た感じです。
知ろう!学ぼう!楽しもう!⑪

その後で、一匹の動物が生贄になる。伝統的に、巡礼者は、自らの手で動物を殺すか監督するかのどちらかである。今日では、大巡礼が始まる前に、多くの巡礼者は、メッカにて犠牲となった証を買い求める。 巡礼月の10日、巡礼者は、イフラームの制限から解放される。すなわち、髪を剃り(あるいは切り)、イフラームの服装から着替える。髪を剃るという行為は、再生の象徴であると同時に、ハッジを完了したことに寄っての巡礼者の罪が一掃されたことを示す。その日中に、巡礼者は、メッカにあるマスジド・アル・ハラームを訪問する。
ハッジ – Wikipedia

はみ出しメモ:巡礼月10日はハッジに参加してない人もお祝いする!

イード・アル=アドハー(عيد الأضحى 、Eid ul-Adha)はイスラム教で定められた宗教的な祝日。イブラーヒーム(アブラハム)が進んで息子のイスマーイール(イシュマエル)をアッラーフへの犠牲として捧げようとした事[1]を世界的に記念する日。
イード・アル=アドハー – Wikipedia

イード・アル=アドハーはヒジュラ暦の12月10日から4日間にわたって行なわれる。この日は世界中のムスリムによるサウジアラビアのメッカへの毎年恒例の巡礼においてアラファト山を降りる日の翌日にあたり、すなわちハッジの最終日である。また、巡礼に参加しているムスリムはもちろん、巡礼に参加していないムスリムも経済的能力があれば動物を(羊の場合は1人分、ラクダおよび牛の場合は最大7人まで)贄として捧げ、この日を祝う。
イード・アル=アドハー – Wikipedia

残りの日数ですること

その後、巡礼月11日~13日まではミナーのキャンプにとどまり、毎日石投げを行い、最終日にもう一度マッカに行って別れのタワーフとサアイを行います。これでハッジの行がすべて終了することになります。
知ろう!学ぼう!楽しもう!⑪

巡礼期間中にハッジを済ませたものはハーッジュ حاجّ ḥājj(女性形はハーッジャ حاجّة ḥājja)、あるいはハーッジー حاجّي ḥājjī という尊称を得て、ムスリムの社会で尊敬を受ける。
ハッジ – Wikipedia

巡礼者たちに人気のお土産、ザムザムの泉の水

ザムザムの泉(アラビア語: زمزم Zamzam)とは、サウジアラビアにある聖地マッカ(メッカ)のマスジド・ハラームにある泉である。

古くからマッカの貴重な水源であり、イスラム社会においては聖なる泉とされている。ザムザムの泉から湧き出る水はザムザムの水と呼ばれ、イスラム教における聖水のようなものとして扱われている
ザムザムの泉 – Wikipedia

この水は販売目的での国外への持ち出しはサウジアラビアの法律によって禁止されているが、巡礼者が個人的に持ち帰る分には自由であり、巡礼者の代表的な土産物になっている。マッカの周囲にはザムザムの水を売る店が多数ある。一部の航空会社ではザムザムの水の機内持込に関して荷物の重量制限から一部除外するなど特別な規定を設けているところがある。
ザムザムの泉 – Wikipedia

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https://matome.naver.jp/odai/2158488972481349001
2020年03月23日