南回りヨーロッパ線の思い出

道楽生活

▼航空機の進化により今では当たり前になったヨーロッパへの直行便


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今はヨーロッパ各地へも休憩・給油なしのノンストップで行く時代
南回りヨーロッパ線 – てつきちによる日本の乗り物(電車・バス・飛行機・船)体験記

▼かつてのヨーロッパ方面への航路はアンカレッジなどを経由するのが一般的であった


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ヨーロッパ航空航路とは日本や東南アジアからヨーロッパへ向かう航空航路のこと。南回りヨーロッパ線、北回りヨーロッパ線(ポーラールート)、シベリア上空経由路線などがある。
ヨーロッパ航空航路 – ウィキトラベル

1990年代初頭における航続距離が10,000キロを超えるボーイング747-400やマクドネルダグラスMD-11・エアバスA340 などの就航や、1990年代初頭のソビエト崩壊によりシベリア上空経由の航路が全面開放されたことにより、路線運行の廃止とシベリア上空経由路線へ のシフトが相次ぎ、現在この路線を運行する航空会社はなくなった。

しかしながら、各駅停車のローカル線のように、何度も離着陸を繰り返しながら飛ぶこの路 線を懐かしむファンも多い。
ヨーロッパ航空航路 – ウィキトラベル

▼昭和42年3月6日には日本航空は世界一周線を開設 東京からニューヨーク、そしてロンドンと南回り欧州線を結び付けたものだった


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世界一周線は,昭和42年3月6日開設された。これは,41年11月乗入れを実現したニューヨーク線をさらにロンドンまで延長し,ここで従来の南回り欧州線と結びつけたもので,この結果,東京-ホノルル-サンフランシスコ-ニューヨーク-ロンドン-パリ(またはフランクフルト)-ローマ-カイロ-テヘラン-ニューデリー-バンコック-ホンコン-東京の各地が結ばれることとなり,日本航空(株)は国際線運航開始以来13年にして世界の航空会社の「最大の夢」である世界一周線を完成したわけである。
3 世界一周線とモスワ線の開設

1967年3月6日に日本およびアジアの航空会社として初の、そして日本の航空会社として唯一の世界一周路線を開設し、ダグラス DC-8による週2便の運航を開始した。この世界一周航路は1972年まで運航された。
世界一周路線 – Wikipedia

▼当時の日本航空の世界一周線のルート


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東京=香港=バンコク=ニューデリー=テヘラン=カイロ=ローマ=フランクフルトまたはパリ=ロンドン=ニューヨーク=サンフランシスコ=ホノルル=東京
世界一周路線 – Wikipedia

▼昭和42年3月の日本航空の時刻表 当然、世界一周線のダイヤも記載されている


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1967年(昭42)3月の時刻表より、世界一周線の部分。

実際には一機が通して一周を運航するわけではありませんでしたが、日航機だけを利用して世界一周が可能となりました。

当初はロンドン・ニューヨーク間のみでしたが、のちにパリ・ニューヨーク間も運行されました。
#時刻表にみる日本航空国際線の伸長


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▼これは1970年秋の日本航空の国際線の時刻表

yota8nsx@yota8nsx

日本航空の1970年秋の国際線タイムテーブル
ヨーロッパ線の南回りって数時間ごとに止まっていくので面白そう
とは言っても東京13時発ロンドン翌日10時45分着ということは29時間45分かかるから今の直行便の倍以上
機内は全面喫煙可だから地獄のようです pic.twitter.com/fCTFEHk3Xr

▼なぜ日本航空は1972年に世界一周線を取りやめたのか?

中止された理由は大西洋路線が不振だったことに加え、1972年に日本航空が連続航空事故を引き起こし、国際路線用のDC-8を3機失い運航可能な機材が減少したからである。
世界一周路線 – Wikipedia


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▼1983年夏の日本航空の国際線の時刻表 南回りヨーロッパ線は全便DC10に 最長でロンドンへ飛んだ

イリューシン62@gamo19171991su

1983年夏の日本航空国際線時刻表。南回りヨーロッパ線が全便DC-10に、との謳い文句。それまではロンドン直行(週3便)がボーイング747、アテネ便(週4便)がDC-8。因みに、北回りヨーロッパ線は70年代末期までには全便ボーイング747になっていました。 pic.twitter.com/I93noOc3fd

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ロンドン・ヒースロー空港での日本航空のDC10

▼1972年に日本航空の南回りヨーロッパ線に乗った記録がネット上に残されている


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ヨーロッパ旅行の帰り便はローマからの南回り羽田行き(DC-8-53 JA8011)でした。

経由地がアテネ、テヘラン、ニューデリー、バンコク、香港と多く、経由地を出発するたびに食事が出て、最後はデザートしか食べられなくなった記憶があります。

ローマ発が11月1日14:15で羽田着が11月2日21:40でした。時差が8時間あるので、なんと23時間半かかったことになります。

現在のスピード時代には考えられないフライトです。羽田空港の横にあるホテルに泊まり翌日昼過ぎまで起きられないほど疲れました。
初めての南回りヨーロッパ線 – JAL (日本航空) クチコミ | FlyTeam(フライチーム)


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▼南回りヨーロッパ線に乗務する乗員たちも色々と大変だった

日本を出て帰国するまで乗務パターンによっては3週間近くの長旅になることも


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1960年代から80年代後半にかけて、南回り欧州線が存在していたのをご記憶でしょうか。

今では機体の性能アップでニューヨークまでも直行便がありますが、南回り便はDC-8型機だったため各地で給油しながら飛行。

しかし、この離着陸のくり返しと北回りに比べて運賃が割安だったせいか、当時は結構根強いファンがいたのです。
長期戦だった今はなき南回り欧州線 | Relive Journal

飛行ル-トは東京、香港、バンコク、ニューデリーまたはボンベイ、カラチまたはテヘラン、ベイルート、アテネ、ローマ、パリまたはロンドンで、私たちクルーはこの行程を約2週間かけて乗務。

なぜそんなにかかるかといえば、まず東京から乗るとバンコクで降り、次便が来るまで2、3泊待機。その後はテヘランかカラチで次便まで3、4泊。

この順番でアテネ、ローマ、そして最終地で宿泊待機というローテーションが組まれていたからです。

もちろん帰路はこのルートを逆に東京まで行きます。結局、日本を出て帰国するまで乗務パターンによっては3週間近くの長旅になることもありました。
長期戦だった今はなき南回り欧州線 | Relive Journal

▼南回りヨーロッパ線は北回りやシベリア上空経由に比べると安かったが、その反面、不安定な要素も強かった

航空機のチケットの値段が、北回り便や、シベリア上空を通過する便に比べて安いために、若者に重用されていたのです。

ただし南回り便は、気候が不安定であったり、あるいは政情不安定な国も多くありました。

その分チケットの値段は安いのですが、本当に着くかわからない、あるいは途中の都市で何日も足止めにされるといったこともあったようです。
飛行機の南回り北回りとは? (2016年3月8日) – エキサイトニュース

▼シベリア上空の航路が解禁となりボーイング747-400、ボーイング777などが登場  飛行機の進化により直行便が主流に


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ボーイング747-200LRや-400などの航続性能の高い機材が登場してきたこと、英国航空以外はアンカレッジでの乗降が認められていなかったため、航空会社にとって着陸しても集客のメリットがなかったことなどにより、日本航空やエールフランスなども、アンカレッジに着陸しない北極圏経由の北回りヨーロッパ線を開設。

アンカレッジ国際空港の日本人向け売店は次第に衰退していった。
ヨーロッパ航空航路 – ウィキトラベル

1991年のソビエト崩壊によってシベリア上空経由の航路が全面開放されたことにより、フィンランド航空などのノンストップ便は直ちにシベリア上空経由に変更された。

1990年代初頭には全ての北極圏経由北周りヨーロッパ線がシベリア上空経由の航路へとシフトされ、現在、旅客便としてこの路線を運行する航空会社はなくなった。

しかし、アンカレッジ国際空港ターミナルのうどん屋の味とともにこの路線を懐かしむ人は今も多い。
ヨーロッパ航空航路 – ウィキトラベル

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2020年02月07日