80~90年代の日本のHiphop(ヒップホップ)のMC&DJ(ミュージシャン)

danasound
80~90年代の日本のHiphop(ヒップホップ)のMC&DJ(ミュージシャン)

脱線3

https://www.youtube.com/watch?v=4qtRP2cde0E

1989年結成。

山本精一の大阪市浪速区のライブハウス「難波ベアーズ」に出入りしていたことより仲良くなり結成。

1994年発売のアルバム『バチルカ』は大阪弁のラップアルバムとして話題になり、自主製作盤ながら1万枚を売り上げた。

1995年、エピックレコードジャパンよりメジャーデビュー。
脱線3 – Wikipedia

1P⊿INT kanek⊿@1POINTis3K

脱線3 「スペース・ホルスタイン」 (CLIP) youtube.com/watch?v=4qtRP2… BOOのラップに思わず鳥肌…。タケイグッドマンの作品はどれも一貫しててカッコいいな。これを8センチシングルで出してたってのも、なんつうかオモロ!シンコプロデュースだしね!さて、仕事行こ。

EAST END

https://www.youtube.com/watch?v=ZF99pK_go9g

1MCと2DJからなるヒップホップグループ。FUNKY GRAMMAR UNITの一員。1994年から1996年にかけては、「EAST END×YURI」名義で活動していた。

1994年2月、友人だった東京パフォーマンスドールの市井由理の新宿シアターアプルで行われたライブにゲスト出演。観ていたファイルレコード佐藤社長の一声でユニット「EASTEND×YURI」を結成。
EAST END – Wikipedia

家辺大輔@D_Yabe

「ラップやってるんすよ」っていう20代に「EAST END×YURI」って言ったら「何それ?」って言われた成人の日でした。ジェネレーションギャップって奴DA.YO.NE>何それ EAST END × YURI 高音質 youtu.be/zNoKcvsVuBk @YouTubeさんから

スチャダラパー

桑沢デザイン研究所で知りあったBOSEとANIに浪人中のSHINCOをDJに加え結成。今までの海外ヒップホップ・シーンの主流であった、マッチョでハードコア路線とは対照的なア・トライブ・コールド・クエストやデ・ラ・ソウルといったグループが登場した90年代初頭に、それらの影響を受け、そこに日本における上記のラジカル・ガジベリビンバ・システムなどの演劇シーンや、インディーズ・レーベルナゴムレコードなどの日本のサブカルチャーの文脈が結合した「オモロ・ラップ」を提唱しシーンに登場する。
スチャダラパー – Wikipedia

ゆなぱる@ZUWAIGANIDANCE

最近、今夜はブギーバックのこと考えてるけどこれってスチャダラパーのみんながラップしてパーティの中心でワイワイ笑顔でやってる端の方でオザケンが一夜限りの出会いの虚しさや無情さを歌ってる歌なんだな今更ですがもっと好きになりました

RIP SLYME

https://www.youtube.com/watch?v=C-Pai2WNgHs

1994年8月、RYO-Z, ILMARI, PES, DJ SHOJI, DJ Shigeの3MC+2DJにて結成。グループ名の由来は、初期メンバーでありMCであるRYO-Z, ILMARI, PESの頭文字を取り、それに当時流行していた玩具「スライム (SLIME)」の綴りを変えた”SLYME”を組み合わせた物。
RIP SLYME – Wikipedia

マチーデフ@macheedef

高校の時、初めて買ったレコードがRIP SLYMEの「真昼に見た夢」だった僕にとってはDJ FUMIYAさん、ILMARIさんとお仕事できた事は非常に感慨深かったです。
これからも精進します! 押忍!

△やっしー▽@tomoedsmbr

高校生の時に聴いてた歌 ♫ “真昼に見た夢” by RIP SLYME sdtk.fm/INAVxX

RHYMESTER

https://www.youtube.com/watch?v=y5kq1WnAQpg

日本のヒップホップ・グループ。メンバーは宇多丸、Mummy-Dの2MCとDJ JINの3名で構成。1989年に結成し、93年にアルバム『俺に言わせりゃ』でデビュー。圧倒的なスキルとパフォーマンスから“キング・オブ・ステージ”の異名をとり、2001年に『ウワサの真相』でメジャーへ進出。ライヴ活動を軸に支持を集め、日本のヒップホップ・シーンの代表格へと成長。
RHYMESTER – TOWER RECORDS ONLINE

Takechiyo Yamanaka@takechiyo_yam

@yoshinosuK マニアックになりますが、日本でヒップホップって90年代後半まではヤンキー層にあまり受けないサブカル文化だったんです。ヤンキー然してないものだと、、RHYMESTERとかでしょうかね。活動歴20年以上の老舗グループです。

いとうせいこう

日本にヒップホップカルチャーを広く知らしめ、本格的にラップ・ミュージックで表現したアーティストの一人である。アフリカン・アメリカンのラップというスタイルを単に模倣したのではなく、日本語の表現方法の可能性を意識的に追求した点でその後の表現者たちに多大な影響を与えている。
いとうせいこう – Wikipedia

いとうせいこうはヒップホップを<起用仕事>と、捉えた〜クズやガラクタから音楽を作り出していく〜そこでは、いつも新発見や新発明が繰り返されている〜ラッパーやDJはさながらミュージカル・サイエンティスト〜ヒップ・ホップの自由度 『Jラップ以前』後藤明夫 TOKYOーFM出版

Kick the can crew

https://www.youtube.com/watch?v=j-4E0CfyC8s

BY PHAR THE DOPESTのKREVA、RADICAL FREAKSのMCU、DJ SHUHOとソロ活動をしていたLITTLEとそれぞれバラバラに活動していた3人が初めて共演した曲「カンケリ」(コンピレーション『THE BEST OF JAPANESE HIPHOP vol.7』に収録)をきっかけに意気投合。ユニット名はその曲名からKICK THE CAN CREW(=缶蹴る奴ら)と名づけられた。その後もインディーズでリリースを重ねていった。
KICK THE CAN CREW – Wikipedia

“行けるなら絶対行っとけ。だって俺らは現在進行形”

「過去を振り返るのは嫌」と言う43歳のKREVAが、今でも24歳のときに書いた歌詞を使っていて涙が出る。今の若い子が色々なラッパーにハマるように、自分にとっては彼らがスターだった。

Kick the can crew – タカオニ2000 youtu.be/j-4E0CfyC8s

dj honda

https://www.youtube.com/watch?v=p6agslFku8c

1980年代中盤からクラブDJとして活動、DJ KOOらとリミキサーグループ『The JG’s』を結成、リミックス作品に関わる他、グループ自身のアルバムも発表する。

1992年に渡米し、同年ニューヨークで開かれた DJ Battle World Supremacy で準優勝した(このときの優勝者はビースティー・ボーイズのミックス・マスター・マイク)。
dj honda – Wikipedia

Daisuke Takahira@DaisukeTakahira

90年代に聞いたdjhondaはかっこ良かったけどね

ファラ@sikeimusic

生まれて初めて dj honda の曲聴いてるけど、これぞ90年代ヒップホップって感じでシブくて良い。

TINNIE PUNX

https://www.youtube.com/watch?v=f3REQT_7sbA

日本のヒップホップ黎明期に活動したヒップホップ・グループである。(TINNIE PUNXもしくはTINY PANX〈Aはアナキズムのマークである丸の中にA〉と表記される)。ビースティ・ボーイズの初来日公演の後楽園ホールではオープニング・アクトをつとめた。
タイニー・パンクス – Wikipedia

近田春男 タイニー・パンクス pic.twitter.com/WZlKHYPk6X

HM@akashic_dub

Shodai@Ringoski

藤原ヒロシの半生記『丘の上のパンク』読んでる。若い頃はパンクに影響受けてたって言ってる記事は読んだことあるけど、その時のビジュアルは初めて見た。可愛い。確かにこれはタイニー・パンクスだ。 pic.twitter.com/tajp3DVI6t
https://matome.naver.jp/odai/2157820415836554301
2020年01月09日