脱線3
1989年結成。
山本精一の大阪市浪速区のライブハウス「難波ベアーズ」に出入りしていたことより仲良くなり結成。
1994年発売のアルバム『バチルカ』は大阪弁のラップアルバムとして話題になり、自主製作盤ながら1万枚を売り上げた。
1995年、エピックレコードジャパンよりメジャーデビュー。
脱線3 – Wikipedia
1P⊿INT kanek⊿@1POINTis3K
EAST END
1MCと2DJからなるヒップホップグループ。FUNKY GRAMMAR UNITの一員。1994年から1996年にかけては、「EAST END×YURI」名義で活動していた。
1994年2月、友人だった東京パフォーマンスドールの市井由理の新宿シアターアプルで行われたライブにゲスト出演。観ていたファイルレコード佐藤社長の一声でユニット「EASTEND×YURI」を結成。
EAST END – Wikipedia
家辺大輔@D_Yabe
スチャダラパー
桑沢デザイン研究所で知りあったBOSEとANIに浪人中のSHINCOをDJに加え結成。今までの海外ヒップホップ・シーンの主流であった、マッチョでハードコア路線とは対照的なア・トライブ・コールド・クエストやデ・ラ・ソウルといったグループが登場した90年代初頭に、それらの影響を受け、そこに日本における上記のラジカル・ガジベリビンバ・システムなどの演劇シーンや、インディーズ・レーベルナゴムレコードなどの日本のサブカルチャーの文脈が結合した「オモロ・ラップ」を提唱しシーンに登場する。
スチャダラパー – Wikipedia
ゆなぱる@ZUWAIGANIDANCE
RIP SLYME
1994年8月、RYO-Z, ILMARI, PES, DJ SHOJI, DJ Shigeの3MC+2DJにて結成。グループ名の由来は、初期メンバーでありMCであるRYO-Z, ILMARI, PESの頭文字を取り、それに当時流行していた玩具「スライム (SLIME)」の綴りを変えた”SLYME”を組み合わせた物。
RIP SLYME – Wikipedia
マチーデフ@macheedef
これからも精進します! 押忍!
RHYMESTER
日本のヒップホップ・グループ。メンバーは宇多丸、Mummy-Dの2MCとDJ JINの3名で構成。1989年に結成し、93年にアルバム『俺に言わせりゃ』でデビュー。圧倒的なスキルとパフォーマンスから“キング・オブ・ステージ”の異名をとり、2001年に『ウワサの真相』でメジャーへ進出。ライヴ活動を軸に支持を集め、日本のヒップホップ・シーンの代表格へと成長。
RHYMESTER – TOWER RECORDS ONLINE
Takechiyo Yamanaka@takechiyo_yam
いとうせいこう
日本にヒップホップカルチャーを広く知らしめ、本格的にラップ・ミュージックで表現したアーティストの一人である。アフリカン・アメリカンのラップというスタイルを単に模倣したのではなく、日本語の表現方法の可能性を意識的に追求した点でその後の表現者たちに多大な影響を与えている。
いとうせいこう – Wikipedia
クレー(ソロプロジェクト名:和音)@rockdacypher
Kick the can crew
BY PHAR THE DOPESTのKREVA、RADICAL FREAKSのMCU、DJ SHUHOとソロ活動をしていたLITTLEとそれぞれバラバラに活動していた3人が初めて共演した曲「カンケリ」(コンピレーション『THE BEST OF JAPANESE HIPHOP vol.7』に収録)をきっかけに意気投合。ユニット名はその曲名からKICK THE CAN CREW(=缶蹴る奴ら)と名づけられた。その後もインディーズでリリースを重ねていった。
KICK THE CAN CREW – Wikipedia
ムッチー(ガッチー & ムッチー)@Gatchy_Mutchy
「過去を振り返るのは嫌」と言う43歳のKREVAが、今でも24歳のときに書いた歌詞を使っていて涙が出る。今の若い子が色々なラッパーにハマるように、自分にとっては彼らがスターだった。
Kick the can crew – タカオニ2000 youtu.be/j-4E0CfyC8s
dj honda
1980年代中盤からクラブDJとして活動、DJ KOOらとリミキサーグループ『The JG’s』を結成、リミックス作品に関わる他、グループ自身のアルバムも発表する。
1992年に渡米し、同年ニューヨークで開かれた DJ Battle World Supremacy で準優勝した(このときの優勝者はビースティー・ボーイズのミックス・マスター・マイク)。
dj honda – Wikipedia
TINNIE PUNX
日本のヒップホップ黎明期に活動したヒップホップ・グループである。(TINNIE PUNXもしくはTINY PANX〈Aはアナキズムのマークである丸の中にA〉と表記される)。ビースティ・ボーイズの初来日公演の後楽園ホールではオープニング・アクトをつとめた。
タイニー・パンクス – Wikipedia
Shodai@Ringoski