【多重人格】人格が何人もいたら頭の中はどうなってるの?嘘みたいな本当の話

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そもそも多重人格ってなに?

ご存じの方も多いと思いますが、一応、ご説明します。多重人格とは正式には解離性同一性障害という病気で、本来、人間のはひとりの人格で成り立っているのに対し、多重人格者は複数の人格が1人の体の中に存在し、人格それぞれが、考えや感情、意思をもっており、人格が交代する毎に性格や口調、年齢や性別などが変わり、他人からみると、まるで別人のようになります。そして、それが、20人であったり、それ以上であったり、3人以上の人格を持っている人を多重人格とよびます。また、多重人格に効果的な薬はなく、多重人格によって併発するうつ病や不眠などの症状に応じて薬を服薬します。人格を1つにまとめることを統合といい、場合によっては入院し統合するための治療を行うこともあります。そして、多重人格という病気は医師によっては存在しない、などと医師ですら多重人格という病気を疑ってしまうほどの症状が現れます。

どうして多重人格になったの?

医学的な説明では、強いストレスや辛い体験をし、それを受け入れられずに別の人格を作り出し、人間が本来もつ、防衛反応で起こるものだと言われています。そして、多重人格の私もその説明に納得できます。私は幼少期に自分には耐えかねないストレスを感じていました。私のなかにいる人格で一番年齢が若いのは6歳の子ども、そして男の子です。女の自分じゃ生きていけない男の子になって強く生きていかなきゃいけない、という思いと強いストレスが重なり6歳の自分のまま男の子ではあるけれどもその時の記憶を鮮明に覚えていて詳しく話すことができます。そして、私の考えでは、生まれ育った環境がそうさせてしまう、と思っています。親からの虐待、借金とりがやって来る日々、両親の喧嘩、歳が離れた姉の自殺未遂、生まれて来なければよかったなどの言葉をいまだに鮮明に覚えています。そういう環境で幼い子どもが何をできるでしょうか。自分を守るために、そして私は双子だったので双子の片割れを守るために、そこで一度、辛い記憶を切り離し、それに耐えられる男の子の人格ができあがったのだと思っています。さらに、双子の片割れも同じく多重人格です。

どうして、多重と呼ばれるほどの人格ができた?

最初にできた人格は、自分自身を守るための人格です。本来の自分なんてとっくに現実をみていません。みていられません。だけど、6歳の人格が私というひとりの人間で生きて行けるでしょうか。人格はさらに新しい人格をつくりだし、自分を守るためには、どういう人間が必要か、生きていくためには、どういう人間になる必要があるのかと考えるのです。さらに、私の家庭環境は最悪といっていいほどのものでした。それがどれだけの期間つづいたことか。そして、子どもの私は親の愛情を感じられず寂しさや孤独に襲われます。幼い頃からそのような環境で育ったために、それが普通でないことに気づけないのです。そのため、そのような環境下であっても、親に認められたい、愛されたい、そう心では思うのです。ですが、その望みも叶うことはありません。すると、自分を認めてくれる自分を作るのです。お姉ちゃんや、お兄ちゃんを自分でつくりだしてしまうのです。環境は人のほぼ全てを変えてしまいます。

人格も成長する

どうして、自分を守るためにできた人格なのに、自分を守れない人格ができてしまうのでしょうか。それは、人格も何年という月日を重ね成長するのです。人間には生まれもった個性があります。ですが、その人格たちはそれぞれ役割が最初に決められできあがるのです。それは、人格の個性ともいうことができ、多重人格になる前とまったくの別人になることはそのことが関係していると思います。簡単な話、喜怒哀楽をすべて人格別にわけてしまったとすると、喜と楽は楽しいだけでしょう。ですが、人格も成長し、多重人格は日常を交代しながら送り、人格によっては、自分の記憶という実感はないけども、そういうことがあった、という事実だけを認識していることもあるのです。そのため、喜怒哀楽の怒や哀はいってしまえばマイナスの感情です。この感情しかわからないのです。どうして他の人格は笑えるのか、楽しめるのか、なぜ自分は辛いばかりなんだ、喧嘩しかできないんだ、羨ましさや、妬ましさが人格同士でおこるのです。その結果、怒りを持った、人格は楽しむ自分を許せない、哀しむ自分は、どうして、私だけが辛いのか、死んでしまいたい、などと自傷行為に走ることもあるのです。もともとは自分を守るために生まれた人格だとしても、1人の人間として確立してしまってるのです。そのような状態になってから、良い環境に恵まれたとしても、その時の記憶は人格一人一人が覚えおり、そして、時間がたった大人になったいまですら、受け入れられない過去が実際にあり、その過去の現実を受け入れられずにいるのです。

多重人格という自覚がない

さらに多重人格の私は大人になるまで、自分が多重人格だという自覚はありませんでした。酷い家庭環境で育ち、学校も不登校。そして、その頃から多重人格は始まっている。それが当たり前だから、自分を疑うこともしないのです。そして、教えてくれる人や人との関わりを避けてきた私は人から指摘されることもなかったのです。

心の中や頭の中で何が起きてるのか

私の場合は、寂しさや孤独、恐怖や不安などから人格が生まれ、さらに子どもから大人までの人格が存在し、自分の心の中や頭のなかを意識すると、まるで違う部屋があるかのように、わたしのなかにいる人格がいるのです。そして、その人格は家族のような感覚であったり、兄妹のような感覚であったり、時には喧嘩をする友達のような感覚として人格をみているのです。また、意識しなくとも現実に生きている人格が悩んだり迷ったりすると、こうした方がいいよ、ああしたほうがいい、いや、それはダメだよなどと人格同士で話しあいをしたり相談をしたり、一緒に悩んだりするのです。寂しいときも苦しいときも人格同士で助けあうのです。それでも、現実世界の人間関係のように仲良くできない人格はもちろんいて、そういう人格が自分を傷つけたり、自ら命をたとうとしたり、他の人格の邪魔をしたりするのです。

人格をコントロールして生きる

多重人格の自覚がない私は、人格をコントロールして生きていました。両親の前ではこの人格、面接この人格、危険を感じたらこの人格、仕事にいくのはこの人格、仕事をするのはこの人格、なにもかもを細かく振り分け、20人以上の人格を自覚のないまま、つくりあげていたのです。コントロールが上手くいかないと、心のなかで、人格同士で言い争いになったり、お前は一時表にでるな、などと指示することもあります。また、死のうとしている自分や人を傷つけてしまう自分も表にでないように、他の人格が言い聞かせるのです。また、疲れた、誰か変わってなどと心の中にいる人格にいうと変わってくれます。意識的に心なかに入れる人格もいます。信じられない話ですが、本当の話です。

統合し一人の人間になってもすぐ人格は現れる

幼い頃から人格をつくりだし、複数の自分を使い分け生きてきた人が、一人になったとき、その、複数の人格の記憶や感情はすべてひとつにまとまります。それと同時に受け止めきれなかった辛い過去も鮮明に思い出すのです。うつ状態の自分は、自傷してる自分、はたまた、元気な自分、人に暴言や暴力振るう自分、子どもの自分、死のうとしていた自分、辛い過去だけでなく、長い間、心なかにいた人格の気持ちや感情も本来はすべて自分のものです。ですが、一人一人が別の人間のように生きてきたのに、考えが同じなわけもなく、自分が人に手を出したことを許せなかったり、大人なのに子どもになっていた自分を恥じたり、人格交代し記憶をなくし、浮気していた状態があったりと、頭のなかも心もめちゃくちゃになるのです。そんなもの到底受け入れられるわけもなく、苦しいものが多すぎて、人に期待ふることもなく希望をもつこともなく、死を選択してしまい死にかけたところを人に止められ、男性恐怖症の自分がいることを知ってる自分が、とっさに表に現れ、助けた人に対して、荒い口調で暴言を吐き、触れられたことに対してとても怒ったのです。その後、すぐに、死のうとしていた記憶もきれいに忘れ遊びに出掛けているのです。自分でも恐ろしいです。現実にこんなことが起こってるんです。

私の現在

何故、私は多重人格だと言いながら、人格を把握しこうして記事にすることができるのでしょうか。それは、すべてを把握し人格を操る人格が存在するからです。そして、何度か自分ひとりの人間になりある程度の記憶を取り戻したり、また忘れたりしているからです。また、人格同士で情報を共有しあうメモ帳のようなアプリをいれ、他の人格の気持ちや何をしたかを、それをみて記事に書いているからです。私の場合、辛い過去や経験が多すぎて、一生かけても病気はなおらないかもしらないと自分で思っています。けれど、どの人格も私にはかわりないのです。人と少し違う生き方をしているだけ。むしろ、そうやって、生きたほうが、私にとっては、生きやすいのです。

さいごに

多重人格は嘘つきよばわれされたり、妄想などと言われたりすることもあります。ですが、私のまとめた記事はすべて嘘のような本当の話です。メンタルが弱いとか、真面目すぎるとか、協調性がない、とか、うつ病は弱い人間だからだ、などという人もいますが、私は環境が人間のほとんどを変えてしまうと思っています。幼い子どもなら、なおさらそうでしょう。なにも知らないのですから。本当に知的に障害がある人もいますが、その人も好きでなったわけではありません。そんな障害がありながらも、生きてるじゃないですか。それだけで、立派なことです。生きてるだけで良いっていうのは、立派な人間であることではないんです。生きることは苦しいことなんです。苦しいことだから幸せを感じられるんです。今回は多重人格の私が、実際に多重人格の人の頭のなかや心なかはどうなってるか、について解説致しました。

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2019年11月26日