倉田百三 恋は遊びでもなく楽しみでもない、生命のやみがたき要求であり、燃焼である

koitate2016
まじめにチャートをねる。れんしゅうせず本番かいし。とうぜんがばるわらわれる。じぶんでもできそうとおもわれる。

倉田百三(くらたひゃくぞう)

日本の作家です。仏教徒でもあります。

代表作は、『愛の認識との出発』です。

1921年発表され、ベストセラーになりました。

『出家とその弟子』は、親鸞と唯円を題材にした作品です。

フランスで翻訳された際は、ロマン・ロランが前文を書いています。

すこ☆ふし@BlueGlassMO

買ったのに手をつけていないシリーズ3
「法然と親鸞の信仰」倉田百三
10年程前「親鸞展」があって、入り口の日本画背景がすごく印象的だった(タイトルや作者は失念)
館で遊ぶ平安貴族、その下に羅生門と侍、門外には貧民と累々と横たわる屍達
平安末期の地獄で、庶民の極楽往生を願った法然と親鸞の書 pic.twitter.com/HDZZoF1mLN

愛と認識との出発

青春は短い。宝石のごとくにしてそれを惜しめ。俗卑と凡雑と低吝とのいやしくもこれに入り込むことを拒み、その想いを偉いならしめ、その夢を清からしめよ。夢見ることをやめたとき、その青春は終わるのである。
『愛と認識との出発』倉田百三

暗い暗い、気味悪く冷たい、吐く気息も切ない、混沌迷瞑、漠として極むべからざる雰囲気の中において、あるとき、ある処に、光明を包んだ、艶消しの黄金色の紅が湧然として輝いた。
『愛と認識との出発』倉田百三

われらは生きている。われらは内に省みてこの涙のこぼるるほど厳粛なる事実を直観する。
『愛と認識との出発』倉田百三

私は恋愛を迷信する。この迷信とともに生きともに滅びたい。この迷信の滅びるとき私は自滅するほかはない。ああ迷信か死か。真に生きんとするものはこの両者の一を肯定することに怯懦であってはならない。
『愛と認識との出発』倉田百三

私は人生に二つの最大害悪があると思う。一つは肉交しなければ子供のできないことと、他の一つは殺生しなければ生きてゆけないことである。
『愛と認識との出発』倉田百三

出家とその弟子

私はあの作において、人間の種々の貴き「道」について語り得ていることは私のひそかに恃たのみとしているところではあるが、それは「道」を説くために書いたのではなく、生活に溶かされたる「道」の体験を書いたのである。
『出家とその弟子の上演について』倉田百三

映画「日本でいちばん長い日」で隊員がポケットにねじ込んでいるクタクタの文庫本は倉田百三の「出家とその弟子」岩波文庫版。ぼくは新潮文庫のジャケが好き。 pic.twitter.com/20HNbQbV7k

山崎健二@notarico

17年くらい前に稲垣足穂のゆかりの地をめぐる旅をして以来の明石。タルホが寄寓していた無量光寺を再訪。この山門は左甚五郎作と伝わっている。山門の前には光源氏が通ったという細道がある。wikiには倉田百三がここで出家とその弟子を執筆したと書いてあるが本当だろうか。 pic.twitter.com/T4k49gveJ5

学生と読書

自ら問いを持ち、その問いが真摯にして切実なものであるならば、その問いに対する解答の態度が同様なものである書物を好むであろう。
『学生と読書』倉田百三

天才の書によってわれわれは自分の力では開き得ない宇宙と人間性との奥深き扉をのぞき得るのである。それは最も深き意味での人間教育である。真と美とモラルの高みへとわれわれを引き上げてくれるのである。
『学生と読書』倉田百三

tapioca@tapioca077

中島岳志『親鸞と日本主義』

倉田百三、亀井勝一郎、マルクス主義者たちが、揃って日本主義に呑み込まれファシズムを礼賛したのは何故か?
共通するのは親鸞の思想だった。
そして、総本山の真宗教学すら自ら国体思想に跪き、阿弥陀仏に天皇制を換置した。

著者の鮮やかな分析に圧倒される。傑作! pic.twitter.com/3CZtKLJLjX

https://matome.naver.jp/odai/2157304245966529801
2019年11月06日