ウェスタの処女とは?
ウェスタの処女(ウェスタのしょじょ、ラテン語:Vestales(複数形)、Vestalis(単数形)、英語:Vestal Virgin)あるいはウェスタの乙女、ウェスタの巫女は、古代ローマで信仰された火床をつかさどる女神ウェスタに仕えた巫女たちのこと。ウェスタの聖職者団およびその安寧はローマの永続と安定の根本であるとみなされ、ウェスタは彼女たちの守る決して絶やしてはならない聖なる炎として具現化された。ウェスタの処女たちは、結婚や子育てといった一般的な社会的義務から解放されていた。それは彼女たちが国教に遵ずることを学び、また正すことに奉仕するため、純潔を誓っていたからである。それは男性の聖職者たちにはできないことだった[1]。
ウェスタの処女 – Wikipedia
ウェスタの処女のはじまり
ローマが、ローマとして成立した時の初代ローマ王はロムルスという男性。この人の名から「ローマ」という国名となったというのが定説です。
いきなり王政から始まった国家ですが、ローマ王は世襲ではなく選挙や推挙で選ばれる。が、二代目の王に選出された賢王ヌマ・ポンピリウスも男性王。ローマ人達は、新王ヌマ・ポンピリウスに対して、女性の大切さ、家庭の大切さ、食事が出来る大切さを忘れない為、女神ウェスタに仕える巫女の制度を設立させることを要求します。そしてそれはあっさりと認められ、ウェスタの巫女(=ウェスタの処女)は、ローマ国家の重要な制度として確立された。
歴史の謎に誘われて : ウェスタの巫女を怪説
職責を果たす巫女には公費が支払われ、ローマに於ける最も重要な公職、且つ何人たりとも侵す事の出来ない聖職と位置づけられた。
歴史の謎に誘われて : ウェスタの巫女を怪説
ウェスタの処女たちは、ローマで権勢をふるい、影響力をもつようになる。スッラが若きユリウス・カエサルをローマから追いやった時代には、彼女たちがカエサルのために仲裁にはいり、スッラの赦しをえたのだ[6]。アウグストゥスは彼女たちをあらゆる主要な奉納式および典礼に関わらせた。
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ウェスタの処女の選出条件と決定方法
最高神祇官は、籤によって[要出典]6歳から10歳までの若い候補者20人から巫女を6人選ぶ。候補となるにはローマの自由市民の娘であり、また心身ともに健康なことが求められ、くわえて二親が存命していなければならなかった。
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亡くなったウェスタの巫女との交替で候補者となる娘は、最も貞淑なるものとしてウェスタの長の前に居所にいれられる。タキトゥス(年代記ii.30,86) は、Gaius Fonteius Agrippa と Domitius Pollio がその娘を空位となった巫女に推薦している、とする。紀元前19年のことだ。当時のAgrippaが離婚直後だったというだけで、Pollioの娘が選ばれた。最高神祇官(ティベリウス)は落選した候補者へ銀貨100万枚の持参金でもって「慰撫」した。
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処女神ウェスタの巫女となる以上、彼女達は、その任期が終えるまでは処女であり続けなければならない。性の目覚めが起きようと、絶対的な禁欲生活を送ることを固く誓わされる。
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ウェスタの処女の任期とその務め
巫女としての任期は30年。学びの10年、勤めの10年、教えの10年を経て、それ以後の人生をどのように生きるかは自由選択となる。(※実際は30年ではなく、30歳までが任期とされたらしい)。
歴史の謎に誘われて : ウェスタの巫女を怪説
彼女たちの務めは、ウェスタに捧げられた聖なる炎を絶やさないことである。ウェスタは火床と家庭をつかさどる女神なのだ。彼女たちはまた、聖なる泉から水を汲み、典礼に用いる酒食を用意し、寺院の聖所におかれた聖具を管理する[13]。ウェスタの聖火を絶やさぬことで、そこから家政にもちいる炎をともす彼女たちは、ローマ人の宗教観にあって彼らの「代理母」となるのだ。この聖なる火は、帝国においては皇室の炎ともみなされた。
ウェスタの処女たちは、様々な人々の聖約や意志をまもり続けるという職務も持っている。そこにはカエサルやマルクス・アントニウスといった人物も含まれていた。また彼女たちはパラディウムも含めたいくつかの聖具の保護や、ひろく神への供物とされていたモラ・サルサという麦と塩をまぜた特別な粉をつくってもいた。
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ウェスタの処女らに与えられた特権
・信仰が非常に篤かった時代には、ウェスタの処女たちの聖職者団は幾多の典礼に参加を求められた。彼女たちがそこに向うときにはいつでも、リクトルが先導する二輪の乗物に載せられた。
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リクトルとは、今でいうSP。
・競技会や公演会があるときには、必ず、来賓/貴賓席が用意される。
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・如何なる女性達とも一線を画し、家父長制のもとになく、個人財産権を持つことが許され、意志の表明や投票が許された。
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・彼女たちには、通常の宣誓なしに元老院であろうと何処であろうと、証言をする権利が与えられ、その言葉は疑われることなく「真」とされる。
・巫女は、絶対不可侵の清廉潔白な存在であるとされ、特に、条例のような公文書や重要決裁の場などでは、その意見が求められていた。
歴史の謎に誘われて : ウェスタの巫女を怪説
・その人格は不可侵なものであった。その身体を傷つけることは死罪を意味し、つねに護衛する人間がついた。
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・巫女は全員、ローマの娘であり、ローマ市民が巫女を抱くことは近親相姦として断罪される。
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・彼女たちは有罪となった囚人や奴隷に面会することで解放してやることができた。もし死刑を言い渡された人間が処刑のまえにウェスタの処女に会うことが出来れば、自動的に赦されることになっていた。
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・5月15日にはテヴェレの川へアルジェイ(en)と呼ばれた宗教的な藁人形を投げ込む役がまかされていた。
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禁忌を破ったウェスタの処女の末路
禁欲を破った時、彼女達に待っているのは「死」です。
歴史の謎に誘われて : ウェスタの巫女を怪説
禁欲の誓いを破ったものは、カンプス・セレイタス(コッリーネ・ゲートのちかくの地下房)にわずかな水と食料のみを与えられて生き埋めにされた。それは古代の信仰によるものであり、法で定められたものではない。しかし、誓いを破った巫女は市内に埋める。その必要があった。何故なら・・・
「巫女の血はけっして流してはならない」という禁忌を犯さずにその命を奪う唯一の方法は「生きながら埋めることだ」と、伝習されていたから。
社会とは、伝統と風習を受け継いで成り立って来たのだから理不尽であっても従う以外にない。禁を破った巫女は、自ら生き埋めの「居住空間」を永遠の住処として身を隠さねばならない。
歴史の謎に誘われて : ウェスタの巫女を怪説
ウェスタの処女の終焉
ウェスタの聖職者団は394年に解散され、聖なる炎がともることはなくなった。キリスト教徒であるテオドシウス1世の命であった。ゾシモス(en)の記録するところでは[8]、テオドシウス1世の姪であったセレナという貴婦人が、神殿へ足を踏み入れ、女神の彫刻から首飾りをはずし、自らの首にかけたのだという。最期のウェスタの処女であった老女が、その不信心を非難して訴えでている[9]。
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