<閲覧注意>身の毛もよだつ本当にあった長編怖い話まとめ(66)

kent303
<閲覧注意>身の毛もよだつ本当にあった長編怖い話をまとめました。

ナルコレプシー

ナルコレプシーという病気がある。自分の症状はこれに近いと思った。
話している最
中などに意識が瞬断して(寝て)しまう妙な病気だ。

日中、仕事をしている間は大丈夫なのだが、帰りの電車の中でいきなり寝てしまい、寝過ごすことが多くなった。何だそんなこと、と思えるかもしれないが、ちょっと尋常でない。
小学生の頃など、夕方など中途半端な時間に寝てしまい、時計を見て飛び起き
て遅刻する! と思ったら夕飯の時間だった、という経験は誰もが持っているだろう。アレと同じ。
いきなり引き摺られるように眠りに落ち、起きた時に全く状況把握が出来ない。
最初はホント、何がなんだか解らず、単に寝過ごしたと気付くのに数十秒の時間を要した。
これ、立っているときでも眠りに落ちてしまう。
吊り革につかまったまま「膝カックン」状態で目が覚めるのだ。
ひどい時には後ろの人に倒れ込むようになってしまったことさえあった。
もちろん夢など全く見ない…幸いなことに。

ネットで調べたが、鉄分と睡眠障害の関係は分からなかった。
見つけたのがこの病名だが、取り敢えずもっと眠れば何とかなるだろう。
そう考えて夜のネットは控え、週末も意識して寝溜めするようにした。
これが奏効したようで、以前のように前後不覚に眠りに落ちることは殆ど無くなった。
まぁ、木、金曜辺りはヤバい感じもあるのだが、その時は鉄分の摂取を控えるようにした。

ある日、会社の帰り。座れたので、寝てしまった。そのまま意識が戻って、目は瞑った
ままだったが電車の中にいることは分かった。
手首と足首が重たいが、心地よい感じ。
かたんかたんと言う規則的な音と車内アナウンス。
降りる駅はまだまだ先であることも分かり、このまままた寝てしまっても良いと思った。
そして見た夢-

山の中。走っている。この世のものでない恐ろしいものから必至に逃げている。
時々首の後ろにふわっとした冷気が触れる。
これに捕まったら死ぬ、追いつかれたら死ぬと思って必死で走った。しばらくすると道が2手に分かれている。
何も考えられず、咄嗟に右の道へ。

暫く走ると吊り橋が見えた。げ、マズい。
揺れるだろうし、ペースはどうしたって落ちる。
それに床木が腐っていて踏み抜いてしまうこともあるのでは? しかしそんな心配をしても仕方が無い。
えぇい、ままよと思って飛び乗った。
吊り橋は確かに揺れたが、思ったより上手く走ることが出来た。
後ろのものは吊り橋を上手く渡ることが出来ないのか、背中に感じる冷気がやや遠ざかったように感じた。
逃げ切れる。そう思った。

吊り橋を渡ったところに唐突にレバーがあった。瞬間ピンと来た。後ろを振り返ると
黒い霧のようなモヤモヤと、そこから生える無数の手。思った通り距離を取ることが出
来ていた。その姿で吊り橋に手間取るってなによw、と若干の余裕もあった。レバーに手
をかけ、思いっきり下に引く-

「プシュー」と音がして、電車のドアが開いた。「稲毛~、稲毛~」。思った通り、
目を覚ますことが出来た。以前のように前後不覚ということもない。2つ乗り過ごして
しまったが、2つだけだ。その時は深く考えず、反対の電車に乗って帰った。

こんな夢も忘れかけていた頃…走っている。山の中。道が2手に。
ん? そうだ、電車で座ったんだ。首の後ろに時々触れる冷気。この道は右だ。
あの吊り橋、走って渡るのは中々気持ちよかったっけ。そして、レバー…レバー? 無い! レバーが無い!
ここで初めて冷や汗がどっと吹き出してきた。
振り返ると、例によって吊り橋で難儀する黒い雲と無数の手。しかし今度は余裕はなかった。
また全力で走り始めた。

どこをどう走ったかは分からないが、また見覚えのある分かれ道。右はダメ、今度は左だ。
霧のようなもやもやはすぐそこまで迫っているらしく、時々首の後ろに冷たいものが触れた。

また吊り橋だ。これはチャンス。
心臓が口から出そうなほどバクバクしていたが、最後の力を振り絞って全力で渡る。レバーがあった。
やった! 助かった…後ろを見るとやや吊り橋を渡ることに慣れたのか、以前より近くまでモヤモヤは迫ってきていた。お~、
学習してるwww と若干の余裕をブッコキつつ、レバーを引く-

「千葉~、千葉~。」ふぅ、危なかった…。しかしホント、レバーがなかったときはドキッとしたぜ。
車内アナウンスはここ千葉駅で終点、東京駅への折り返し運転ではな
く車庫に入ることを伝えていた。車掌に促され、組んでいた足のしびれをかばいつつホー
ムに降り立った…

ん? 一つの疑問が脳裏に浮かんだ。
この前は稲毛、つまり終点の一つ手前でレバーを引いた。これは右の吊り橋の道のレバーだ。
今回は終点でレバーを引いた。これは左の吊り橋の道。
そして車庫への回送電車となり、このあとドアが開くことは無い…。

妄想だと思いつつも、私は快速電車の利用は止め、並走する各駅停車を利用するようになった。
もちろん絶対に座らない。
…しかし、「猿夢」を読んだ今、普通に寝るのも恐怖を感じるようになった。
睡眠不足になってきたのか、仕事中にも意識が飛んでしまうこともちらほらと。
私は今、覚醒剤の入手を真剣に考えている…。
ナルコレプシー

青いテント

私は野生動物の写真を撮って自然誌に寄稿するという仕事をしていました。夜間に
山中の獣道でテントを張り動物が通るのを待って撮影する。また、赤外線センサーを
用いて自動シャッターで撮影するなどです。
仕事柄、人気のない山中に一人でこもるのが怖いと思ったことはありませんでした。
あの時までは。

奥多摩秩父山地を沢沿いに登ったときのことです。地図を見て想定していた付近には
午後の1時頃に着きました。河原に一人用のテントを貼って5時過ぎまで仮眠を
するのがいつものルーティンです。絶対に人のいるはずのない山奥ですので都会の
ただ中よりは安全なはず・・・そう思っていました。クマよけのラジカセを木の枝にかけ、
眠りにつきました。

起きた時にはもう外はかなり暗くなっていました。ランタンをテント内に吊し、機材を
準備してヘッドランプを装着し撮影に出かけます。期待と緊張の瞬間です。テントを出て、
おかしなことに気づきました。沢の上流に向かって10mほど離れたところにやはりテント
が見えます。青い色のようです。ここは釣り場ではないし、本当に人外の地です。私の他に
登山者がいるとはとても考えられませんでした。

テント内の明かりは透けて見えません。だれかが眠っているのでしょうか?それにしても、
私がテントを張ったときにはなかったのは間違いありません。私の仮眠の間に音もなく
誰かがやってきた、ということなのでしょうか。・・・とりあえず撮影の下見に出かける
ことにしました。その時、青いテント内に明かりがつきました。するとテントの色が急に
まだらに変化しました。テントの内側からそこかしこにどす黒い色がしみ出しています。
青い地でよくわからないのですが、その時に古い血の色を連想しました。

礼儀としてテントの人に一声かけるべきなのだろうか、そう思いましたが後からきた向こうが
なんのあいさつもないのにそれも変かな、と考えました。実はそれはいいわけで、何よりその
テントが不吉な感じがして怖かったのです。・・・大変だけど場所を変えよう、と思いました。
そこでテントを撤収し、なるべくそのテントのほうを見ないようにしながらさらに1kmほど
沢を登りました。これで今夜の撮影はできなくなってしまいました。

上流の河原でテントを張り直したら時刻は9時近くになってしまいました。簡易食を食べて
眠りにつきました。まだ肌寒い五月のはずですが、びっしりと寝袋内に汗をかいて夜中に
目を覚ましました。午前2時頃です。テント内の空気がこもっていたのでジッパーを開けて
外の空気を入れようとして、愕然としました。私のテントのすぐ目の前にさっきの青いテントが
あったのです。「えっ、嘘!」・・・するとテント内に明かりがつきました。そしてまだらに
なったテント内から二つのてのひらが黒く浮かびあがりました。テント内の人が私のほうに向かって
手を突っ張っているのです。

私は一瞬気が遠くなりかけましたが、急いで反対側から外に出て横に回り込み、持っていた
懐中電灯でそのテントを照らしました。そのテントの中のものはあちこち手探りをしていま
したが、ジッパーを開けて外に出ようとしています。
私は後ろも見ずに沢に入り膝までぬらして駆け下りました。途中真っ暗な中で何度も転びながら
駆けて駆けて駆け下りました。途中で懐中電灯も放り出してしまいました。息が切れて走れなく
なったところで、うずくまって震えながら朝を待ちました。

次の日ふもとから人を呼んで昨夜の場所に行ってみると、二つのテントがならんであり、一つは
私のもの、一つは青いテントでしたが昨日見たよりもずっと朽ち果てていました。テントの中には
10年以上経過したと思われる男性の人骨がありました。私はそれ以来動物の撮影はやめ、山へも
行っていません。以上本当の話です。
青いテント

トライアングル

中学校の頃の音楽室での話。
音楽室の後方の壁に食器棚のような棚があって、普段はカーテンがかかっているんだが、中を覗くと、
すごい古い誰かの手書きの楽譜とか、完全に色が変色した古い教科書、日付を見ると昭和34年とかの資料といった
どうやら授業ではもう使わないけど、捨てるに捨てらんない系らしきもの? が色々入っていた。

右下が引き出しになっていて、中にはやはり古いカスタネットや笛のようなもの、
あとボロッボロに錆びて完全にこげ茶色になっているトライアングルが入っていた。

この音楽室には噂があり、6時を過ぎてからこの音楽室でこの茶色のトライアングルを3回鳴らすと、
壁に貼ってある作曲家の肖像画の目線が一斉に凝視してくるというものだった。

ある日、友人のAが女子達とこの話で盛り上がり、
すっかりテンション上がったAが、これを試して、どうなったかあとで報告してやると言い出した。
一人でやっても証拠が無いからっつって、Aと同じくバスケ部だった俺がどうしても一緒に行ってくれと言われ、ついて行くことになった。

この音楽室には普通の教室と同じくドアが2つある。黒板側と後ろ側。
後ろ側のドアのところは木琴と鉄琴が置いてあって足の踏み場があまり無いんで、
授業で出入りする時も生徒は黒板側しか使わない。後ろ側のドアは常時鍵がかかっている。

放課後、音楽の先生が黒板側のドアは必ず鍵をかけてチェックするが後ろ側しない。
コーラス部の人に頼んで後ろのドアの鍵を開けといてもらえば、先生のチェックを逃れて後ろ側のドアを開け、木琴とかもちょっとずらせば中に入れる。

そんなわけである日、練習終わったあと中に進入。初夏の頃だったので6時でもまだ結構明かるかった。
俺ははっき言って怖かったので他の部員も誘いたかったが、Aはそれをやると反対する奴が居そうでヤダというから結局2人っきり。
引き出しからトライアングルを取り出し、Aが鳴らす。
チーン。   チーン。   チーン。
おそるおそる肖像画を片っ端から確認する。どうやら変化は何もない。三打目のトライアングルの残響も止み、黒板のところの時計の秒針しかきこえない。
俺はこの雰囲気だけでなんか怖い。音楽室の空気が一気にずっしり重くなったような気がした。
Aは全然怖がってない。「何も起こらないのかなー」と顔に笑みを浮かべ、さらにトライアングルを鳴らす。
チーン。四打目。   チーン。5打目。
俺はびびりつつAの様子をずっと見てた。

チーン。6打目。
6打目は唐突にAがトライアングルを手で握って音を止めた。
「出よう」
Aがトライアングルを席に置き、俺の袖を引っ張りドアのところに引っ張って行く。その顔に笑みは無い。
「どうした?」「いいから」
俺はそこそこ強い力で俺を音楽室から廊下につれ出された。
こいつは一体何を見たんだろうか? 音楽室からは出たのでもういいかと思って
「えっ、何、何、なんか出・・・」「ちょ、(ヒーッ)」
Aは俺の『出た』という単語を止めたかったのだとわかった。が、取り乱していて呼吸が整わず、(ヒーッ)と息で音を立てただけだった。

怯えている。まじでAが怯えている。
様子が尋常じゃないので、俺はだいじょうぶだいじょうぶ、どうってことねーってとか励ましつつ、一緒に学校を出た。
そのままAには何も説明させず、とにかく公園まで行った。ベンチに座り、Aが落ち着くのを待つ。
ここからは学校は見えない。

音楽室にトライアングルを放り出して来てしまった。

Aはしばらく顔面蒼白で、俺もどうしたらいいのかわかんなかったけど、
犬の散歩のおっさんが一人通り過ぎたのをちらっとAが見たので、これをきっかけに聞いてみた。
「俺、何も気付かなかった。どの絵が動いたの? ベートーベン?」
「・・・ビタワン」 「え?」 「だから、ビタワン」
黒板側の窓際には、何やら書類の入った袋がいくつかあり、

そのうちの一つが何故かペットフードのビタワンの一番大きなサイズのビニール袋だった。
それにプリントされた犬の絵が目を真っ赤にし、Aを凝視していたらしい。

これを聞いて、家に帰ってから疑わしくなった。Aは俺を怖がらして、その様子を笑いにするために演技してんじゃねーかと思った。
次の日学校に行ったら、俺がびびっていた様子を言いふらしてネタにするパターンか? と。

しかし次の日、どうもAは誰にもこの話をしていなかった。同行した俺のほうが女子から昨日どうなったのと訊かれる。
やがてトライアングルを放置したことから侵入がばれた。と言っても俺が一緒だったことはバレず、
職員室にAだけ呼ばれて怒られた。
その際、音楽室で見たことを全てAが話した上で、Aの頼みで先生はビタワンの袋をやめて別の袋にした。

あれはもしかするとマジだったのかも知れない。今俺は、ビタワンのデザインがちょっと怖い。
トライアングル

城跡の惨劇

次にお話させて頂くのも、引き続きAさんの体験談です。
これも戦前の体験だそうですが、この話をしていた時のAさんはしたたかに酔っていました。
ですので、実際の体験とは異なる部分が入っているかも知れません。

前回の話から時は流れ、Aさんは17,8歳位になっていました。

そんなAさん。ある日用事があって山道を歩いていました。
昔の人というのは凄いもので、峠の5つや6つは休み無しでも平気で歩いたそうです。
初夏の日差しを浴びながら『もうひと踏ん張りで峠の頂上だ…』と考えていたのですが、その時妙な音が聞こえてきました。

何やら、後ろが騒がしい…足を止めて後ろを振り返りました。音からすると、誰かがこちらへ駆けてくるようです。
ガシャ、ガシャ、ガシャ…何かがぶつかり合うような音…何の音だろう?

Aさんは気にせずに先を急ごうと思ったのですが、音が気になってしょうがありません。
「鍋釜を背負って夜逃げでもしてるのか?でも今は昼間だから夜逃げじゃねぇよなぁ…」
暢気な想像をしていたAさんの前に、その音源の主が姿を現しました。

「なんだ、ありゃ…」
思わず呟くAさん。無理もありません。彼の目の前に現れたのは全身を甲冑に身を包んだ男だったのです。
外見を見る限り、Aさんとそれ程違わない年齢…いや、あどけなさが残っているので、
1歳か2歳年下かも知れない…の男性が、やはり同い年ぐらいの女性の手を引きながら、こちらへ駆けてきます。

「そんなに急いで、何処へ行く?」
Aさんは声を掛けましたが、2人はその声を無視して、と言うよりまるで聞こえない感じで走ってきます。
やがて、Aさんの前を2人が通過しました。

「人を無視して、なんだあいつ等は。女連れて歩いてるからって調子乗りやがって」
少々嫉妬が混じった独り言と共に2人を見送ったAさん…と思った瞬間、今度は凄まじい速さで数人の集団がAさんを追い抜いていきました。
「危ねぇな、コノヤロー!」
突然の事にビックリしてと叫ぼうとしたAさんですが、その集団の姿を見て、再度ビックリしました。

先程の男性と同じく、全員が甲冑を着込んでいます。手には日本刀だの槍だの、物騒な物も持ってます。
「物騒な連中だなぁ。あんな物で何をするつもりだ、オイ」

少々好奇心が出てきたAさんは、峠の頂上まで一気に駆け上がりました。
そして下を見下ろします。頂上からは真っ直ぐな一本道が続いてます。
そこからは、さっきの2人組の男女、それに甲冑集団も見えました。

集団は男女を取り囲んでいました。そして、槍や刀を2人に向けています。
「尋常じゃないぞ、これは…一体何が起きたんだ?」
そう呟いた瞬間。槍を持った1人が女性を一突き。

「あっ!やりやがった!」
思わず叫ぶAさん。が、包囲した集団は情け容赦なく、今度は男性の方に槍や刀で襲い掛かります。
男性は僅かに抵抗したようですが、これまた槍や刀でメッタ刺しにされ、斃れてしまいました。

『寄ってたかって酷い事しやがる!』そう思ったものの、Aさんとて安心はできません。
殺害現場を見た以上、自分だって殺されるかも知れない。こんな山の中じゃ助けも呼べない…。

が、Aさんの心配とは裏腹に、誰もAさんの事を気にしてる様子はありませんでした。
彼等は既に虫の息となった2人を、尚も槍や刀で刺し続け…最後に、なんと首を切り落としてしまいました。

昼間の惨事を目の当たりにして、呆然とするAさん。
やがて、その集団は首を乱暴に掴むと、こちらへ引き返してきます。
『逃げないと…』
そうは思うものの、体が動きません。
甲冑集団の人々は、顔や鎧に飛び散った血を拭こうともせず、こちらへ歩いてきます。

やがて、Aさんの目の前まで来た彼等は、Aさんには目もくれず、さっさと峠を下って行ってしまいました。
「何だったんだ、あいつ等は…そんな事より警察だ、警察に知らせないと!」
そう思い直し、再び峠道を見下ろします。しかし…

「あれ?あの2人はどこへ消えた?!」
ついさっき、集団に寄ってたかって殺されて首を刎ねられた筈の2人の遺体が消えていました。
急いで峠を下りて、先程の惨事が起きたであろう場所に駆け寄ります。

現場には死体はおろか、血の一滴も残っていません。
「首の無い奴が1人で歩き回る筈は無い。それに、さっきの奴等は首しか持ってなかった。じゃあ、俺が見たのは一体…」

この惨事は、夜中や明け方ではなく、白昼堂々と行われました。
また、甲冑の音を覗いては走る音も叫び声も一切しなかったそうです。

この不可解な出来事に関しては、Aさんなりに結論を出しています。
彼が言うには、村からそう遠くない所に、小さな城跡がある。
ある時、何らかの理由で城から女性を連れて脱走した者が居るのではないか。

追撃隊まで組んで追いかける程だから、何か重要な情報でも持ってたのだろう。
もしくは、逃げられては困る人物だったのかも知れない。
そして、数百年の時を超えてその時の光景が何度も繰り返されているのではないか。
それをたまたま、Aさんが目撃してしまった…。

すいません、名前を入れるのとsageを忘れました。>659の続きです。

上の件については、私も独自に調べました。ただ、ネット上で調べただけなので限界があります。

まず、Aさんの言う「村からそう遠くない」というのは、人それぞれだと思い ます。
私にとっては「結構遠い」と思える距離でした。また、城跡にしても「青葉城址」や「久保田城址」のように立派なものではなく、本当に小さな
もので、県内の田舎に小山(と、言うよりは丘)がポツンとある感じです。

城跡に関わる歴代城主やその一族なのですが、その末裔は今でも居ますので、ここで出すのは控えさせて頂きたいと思います。

それにしても、この残酷な光景は今でも繰り返されているのでしょうか。
城跡の惨劇

生ゴミの部屋

空気(からけ)読まずに俺も怖い話投稿するんよ。

俺が高校の時の話だ、俺らが通っていた高校は県内でも屈指の底辺高だった。
その底辺高の中で、俺はごく標準的な生徒で適度に学校をふけたりしながらも大した悪事にも手を染めず毎日をエンジョイしていた。

そんな有る日、暇をもてあましていると俺の友人田所が「 まずうち(の近所)さぁ、幽霊屋敷あんだけど…肝試しして行かない?」と誘ってきた。
Aの話によると、あの家の近所に、ボケた老婆が孤独死して以来放置された廃屋がるのだという。
一緒に居た田所の後輩も「あー、いいすっねぇ」と乗り気だったのでそのまま学校をふけて老婆宅に侵入することにした。

原チャで老婆宅に到着、外観はどこにでも有るような一軒家だが外からでも異臭が鼻につく。
しかし、そんなことも気にせず進む田所と後輩、ここだけの話こいつら実は出来てるらしい。
裏手に回り、壊れた雨戸から中にはいる、充満した悪臭がより一層鼻を突く。
学校からがめてきた懐中電灯で照らすと部屋中に生ゴミがまき散らかされている。
田所が言うには、婆さんがボケて部屋中に生ゴミをまき散らかせていたという、が臭いからしてずい分最近の生ゴミじゃないのかこれ?
生ゴミ臭い部屋を探索していると、外から人が入ってくる音がした。
俺らは不法進入がバレルと警察沙汰になると思い、クローゼット中に隠れた。

中で息を殺しながら、外の様子を伺うと30くらいの女が何かをブツブツ言いながら部屋中に何かをまいている、暗くてよく分からなかったが
直感で俺はこの女が生ゴミを部屋にぶちまいている犯人だと理解した、所で田所がつぶやいた。
「あれ、ここの家の嫁さんじゃん。」田所によるとボケた婆さんには息子が居て嫁ともども同居していたのだが、死ぬ寸前に別居したらしい。
部屋中に生ゴミをぶちまいてる女はその別居した嫁その人なのだという。

10分ほど、息を殺しているとその女は出て行った。
俺らはやっとクローゼットから出ると、やはり先程に比べて生ゴミが増えている。
田所は、「幽霊の正体ってあの嫁さんかよ、まあボケた婆さんにいびられてるって噂だったし婆さんが死んだあとも恨みがあったんだろうなあ」などとぼやいていた。
女が出て行って気が抜けた俺らだったが、隣の部屋で物音がするのに気づいた。

女がまだ出て行ってなかったのかと思ったが、さっきとは何か様子が違う。
俺はそーっと隣の部屋を覗いてみた、犬が生ゴミを食っていた。
なんだ犬かと、俺は安心して懐中電灯を点けて犬に向けた、その犬の頭の後ろにはもう一つ頭があった、まるで老婆のようだった。
そしてそのもう一つの顔は何か言っている、どうやら何か謝っているように聞こえる。
よく聞くと「もう意地悪しないから。生ゴミ食べたくない。ごめんなさい」といっているように聞こえる。
その一方で犬の顔は嬉々として生ゴミをほおばっている。

俺が固まっていると、田所が「逃げるぞ!」と叫び我に帰ったおれは脱兎のごとくその家を飛び出した。
俺が経験したのはここまでだ、田所によるとあの犬は婆さんの家で飼っていたインム君にそっくりだという。

さらに後日田所宛てにあの家の元嫁から手紙が送られてきた、俺も読ませてもらったが。
嫁があの婆さんにいかにいびられてきたかを、訴える内容をだった。

・息子@8ヶ月に蜂蜜→救急搬送
・珍しく「昼作るわ~」とカレーを作る。私の皿だけに飼い犬の糞を混入→救急搬送
・私専用の汚物入れを荒らし、居間に使用済みナプキンを広げて「やっぱり悪い血だ!!」「汚らわしい!!」→これは何がしたかったか不明。

上記のようなことが地文字で書かれていた。

田所が言うには「これ径血だぜ。」ということだ、なぜ分かるのかは不明。
しかし、この手紙以降は何の異常もないという、あの空き家も程なくして壊されたそうだ。
生ゴミの部屋

代償

心霊スポットの話

俺が高2の頃だから今から7年前のことになるけど地元に心霊スポットがあったんだよ
俺の家から歩いて二百メートルくらいのところ
でかい建物じゃなくて民家の廃墟なんだけど
住宅地からちょっと外れた崖の下にあって家の前が小さな林になってる
家自体はどこの道路にも面してなくて林からは細い私道を通らないと行けない
昼でも暗くてちょっと薄気味の悪いとこではあるけど
地元ではそんなに幽霊の噂とかはなかった

俺も厨坊の頃に壊れた玄関から当時の悪友と何回か入ったことがあるけど
2階建てで部屋数は6つくらいだったな
家財道具がけっこう残ってて、壁には十数年前のカレンダーが貼ってあるし
何かの領収書類や雑誌がほこりのたまった床に散乱してる
仏間もあって、仏壇には位牌も残ってたし鴨居には和服のじいさんの白黒写真もある
夜ならそうとう気味が悪いだろう

ここがコンビニで夏に売る心霊DVDで一家心中の家として紹介された
もちろん住所なんかはぼかして書いてるんだが
内部の写真とか見れば間違いなくその廃墟なんだよ
親父に聞いたところ、その家の人らは借金で夜逃げをしたんで
少なくともここでは心中の事実はないはずだと言ってた

んでDVDで紹介されてから、ちらほらと夜に見に来るやつらが現れだした
何でわかるかというとその家の前の林の中にときどき派手な車が停まったりしてるし
それに夜中に懐中電灯の光が見えたりうるさい話し声も聞こえてくるから
町内会で問題になってその家の取り壊しを権利者に掛け合おうかみたいな話になってた

部活の帰りに当時の友人と土手の自転車道を走ってたら
河原にマネキンの首が落ちてるのを見つけた
けっこうゴミの不法投棄があるところで、そういうものの一つなんだろうけど
珍しいんで自転車を止めて見に降りたら
長い髪つきの女のマネキンの頭部で、たぶん昔の美容院なんかにある発砲スチロールのやつ
これを見て友人が「これ使って、あの廃墟で探険に来るやつらをおどかさないか」と
突飛なことを言い出した

今にして思えば馬鹿なことをしたと思うけども当時はそのアイデアにわくわくした
んで、心霊スポット探索に来るやつは土曜の夜が多いからってんで
金曜の午後部活をさぼって廃墟の横の庭に行って準備をした
まずそのマネキン頭部に赤黒い絵の具をかける
釣糸を玄関前の繁みから二階の窓にわたしマネキンの頭部にフックを差し込んで糸に通す
さらにマネキンには別の糸をつけて、それを家の横から引っ張ると
繁みからマネキンの頭部が飛び出して糸を駆け上っていき
二階のガラスの全部落ちた窓に飛び込むように工夫した

マネキンが飛び出して上に登っていくまでは簡単だったが
窓には2回に1回程度しか飛び込まなかった
家の中から引っ張ればうまくいくんだろうが、それだとやっぱり怖いし
探険にきたやつらとケンカになってもマズイだろうと思ってそこは妥協した
家の横から引っ張って、それに気づいたやつが驚いたら塀の内側を通って逃げて帰る手はずにした
で、仕掛けはそのままにしてひとまず帰った

土曜の夕方に友人が俺の家に来て部屋でゲームとかしながら夜を待ったんだけど
なんとなく二人とも気持ちが萎えてきた
やっぱり怖いのもあるし、それよりも誰も人が来ないつー結末になるのが嫌だなと思い始めたんだな
友人は俺の家に泊まることにしてたんで夕食を食って
それでも9時には家を出て懐中電灯を持って廃墟に向かった
これから10時まで待ってだれも来なかったらあとやめて帰ろうつーことにした

で、廃墟についたら仕掛けはそのままになってた
うまく動くか試してみようという話もしたけど
窓に飛び込むと取りに入らなくちゃならないんでやめにした
季節は10月で、ここらは街灯が林の手前の道にあるだけで懐中電灯を消すとほぼ暗闇
虫があまりいないのをいいことに家の横のたぶん風呂場の窓とブロック塀の間のせまい場所に座って
友人とタバコを吸ったりしながら待ってた

9時40分頃になって、そしたら来たんだなあ探険のやつらが
車は一台だけでライトをつけたまま林の入り口に停まった
声だけ聞こえてくるんだけどどうやら男二人、女二人という感じ
車で来てるんだから俺らより年上だろう
なるべく引きつけて玄関の前まで来たら引っ張ろう
で、悲鳴があがったらこっそり逃げ出す
また気持ちがわくわくしてきた
その頃には目が闇に慣れていて友人の顔もうっすらと見えるが、どうやらこいつも同じ気持ちのよう

探険のやつらはかなりうるさくしゃべり合ってるようで俺らは怖いという気持ちはなかった
塀の内側に入ったらしく懐中電灯の光の筋が横に走るのが見えてくる
玄関前に来た感じがしたので友人が思いっきり釣糸を引っ張った
「ぎゃー」「うぎゃー 首、首、首」どっちも女の声
「嘘だろー おい待てよ おい」という男の声、ダダダダッと何人かが走って逃げていく音
やった、と思った
そして友人が先頭になってそろそろと庭を抜けて裏口にまわった

裏は生垣になっててそこを飛び越えるとすぐ山なんで
もう一度塀の外側をまわって廃墟の前に出てから家に戻る
俺も友人も満面の笑みで大声で笑い出したいのをこらえている
玄関の横まできたら停まっていた車がいきおいよく発進して行った
俺と友人は大爆笑してハイタッチ
家の正面に立って懐中電灯で照らすとマネキンはうまく二階の窓に飛び込んだ様子

さて帰ろうかとしたら
真っ暗な窓から白い細い手が出て
俺らの足元にぽーんとマネキンの頭部を投げてよこした
それはマネキンの軽さではなくドジッという重い音を立てて落ち
地面の上でぐるんと向きを変えると両目を開いた
それからどうやって家まで帰ったか覚えていない
ものすごく息をきらしていて俺の家族からは変に思われた
その夜から俺らは二人そろって熱を出し、家族が迎えに来た友人は翌日入院までした

しばらくたってから昼にこの話をした別の友人ら数人と見に行ったら
家の前に俺らが拾ったマネキンの頭部が泥まみれになって転がってるだけで
そいつらには作り話だろうと言われた
その後俺は特に霊障らしいものはない
ただ入院した友人は大学のときに聞いたことのない難病にかかって入退院をくり返している
代償

キレる大人

初めての修学旅行での話、かなり古い思い出になってきたからぶっちゃける
たぶん中一の秋くらいだよな修学旅行初体験って
場所もたぶん想像通り捻りもなく他の学校と同じ
そこで泊まった旅館の話なんだけど、4~6人組で一部屋だった気がする
しっかり覚えているのは洗面台
覗き込んで「おーい」って言うと違う部屋にいる子に聞こえて返事がかえってくる
古い旅館だし配管通して別の部屋の音が伝わっても不思議じゃない
それにそこそこ大声じゃないと会話にならないからすぐに先生にバレてあんまり騒ぐなって注意された程度
だけど子供にはいい玩具でどの部屋とどの部屋で会話出来るかチェックして遊んでた
先生もたぶん毎度のことなんだろーから少し注意するだけで大体スルーだった
問題は夜中に発生した

夜はテンション上がるとはいえ流石に廊下にまで聞こえるほどの音量でヒソヒソ話はしない
自分たちは枕寄せて普通にヒソヒソ話をしていたのに、いきなり先生がはいってきて怒られる
「いい加減にしなさい!」って
自分たちは不良(笑)でも優等生でもない当たり障りない普通の生徒だったから流石にビックリした
深夜に寝ないで小声でおしゃべりがそれほど先生を激怒させるものかと
でも先生はそう言った直後に洗面台の方へ向かった
「ココで話してたのは誰か答えなさい」と言う
それが水電話(確かそんな風に呼んでた)のことだとわかったので素直にやってませんと答えた
すると先生がマジギレして鬼の形相で掛け布団を剥ぎ取って怒鳴る

ちょっと脱線して学校の話をすると、うちはぶっちゃけると幼稚園くらいから高校まで一貫の受験校三ツ星レベルのいいとこってヤツだった
先生も生徒も基本お上品、不良=髪をしっかり結ばないとか、制服のベルトでスカート丈を短くしている、
成績が悪い(最重要項目)とかそんなので卒業までたいしたトラブルはなかった

昼食の弁当の中に果敢にも饅頭を詰め込んで食べているところを見つかりHRでこれはお菓子扱いなのか(お菓子持込は校則違反)
弁当の範囲内で許可されるべきなのか先生vs生徒で熾烈な言語による闘争が起こり
結果として売店で昼食時に販売されるものがすべて「菓子」パンと呼ばれる部類であること(惣菜パンは食中毒の問題とかで売っなかった)
弁当箱に詰めて昼食の時間に食したということから、昼食時においてのみ「弁当箱に入っているのならば」饅頭も可という判決を勝ち取るレベルのトラブルしかなかった

そういう環境にどっぷりだったからあの先生の怒りようは初めて見るマジギレで間違ってないと思う
文字通り自分たちは凍りついたまま、先生は口調こそいつもの先生だったけど行動がありえないくらい乱暴だった
腕をつかまれて「さっきまでここで先生と話していたのは誰?」と
当時のあの部屋内のメンバーで自分がリーダー格?だったことと、実はこの水電話に気がつき大はしゃぎで仲間引き連れてチェックし回っていたのは何を隠そう自分だったので
先生が自分を犯人と決め付けていることに今ならすごく納得がいく
だけどやってないものはやってないし、涙溜めてやってませんって震える声で言うと周囲も○○さん(自分)はやってません!ってフォローする
こっちが必死に泣くのを堪えてるのに背後では誰かがすすり泣きはじめ、ようやく他の先生が合流

興奮するA先生(怒鳴り込んできた方)と騒がしいからやってきたB先生とその後ろに別部屋の子が二人ほど
先生同士の会話でなんとなく状況を理解した
発端はもう一方の部屋で夜中に洗面台から声がして眠れない怖いという報告をA先生が受けた
A先生はどうせあの水電話だろうとわかってて、とりあえずその洗面台を通して注意してやろうと生徒と共に部屋へ
洗面台から聞こえてきる気味の悪い声と先生が何を言っても怯まないことで「悪質すぎるいたずら」と判じた先生は一路この洗面台と繋がってる部屋へ
そこが自分らの部屋なわけだがそれでも僕はやってない、本当に
A先生は普段のお上品っぷりが嘘みたいに興奮してて、たぶんそれだけでヤバいのはA先生の方と思ったB先生がA先生を連れて教師の泊まる部屋へ
次にC先生が来て本当にやってないのかと聞かれやってませんと答えると「今夜はもう寝なさい」とか言って放置された
翌日、A先生だけ強制送還の知らせ

説明もなしで消化不良だったから例の部屋の子とっ捕まえて事情を吐かせる
と言ってもあまり情報は増えず、夜中に洗面台から声がしたから○○さん(自分)だと思った
近づいたら日本語か?と思うような言葉がお経みたいにのろのろと聞こえてきたので怖くなって先生を呼んだ

先生はしばらくソレと会話しようとしてたけどおかしくなり始めていきなりキレた
この向こうにいるのは誰と聞かれて○○さん(自分)ですと言った、そもそもチェックして回ってたのが自分だし仕方ないんだけどね
先生、来襲
こんな感じ
その後が滞りなく終わったけど、A先生はこの修学旅行以来キレやすくなったように子供心に感じた
保護者会でも問題になったらしい
結局、中学卒業を前にA先生も学校を辞めてしまった

同窓会を開く折に自分もその幹事の一人を務めたのだけど、A先生とは連絡つかなかない&現在の連絡先の情報皆無

同窓会で集まって昔話に花を咲かせていて修学旅行のネタが出た時も自分ともう一人がこの話を蒸し返したけど
不思議なことに反対側の部屋にいたはずの人たち(当事者)が全員不参加で、参加していた先生ですら「そんなことあったっけ?」と
盛り上がらないまま次の話題に移った
別れる前にどうしてもと思って絶対何か知ってるであろう先生を捕まえてあの夜のことを聞こうとしたら

「あなたたちのいたずらじゃないことはわかってるから心配しないで」と誤魔化された
そこんとこは別に心配してないけど、先生が何を持って「心配するな」と言ったのか深い意味があるならぜひ知りたいもんだ
反対側の部屋にいた一人のことは最近、親づてで状況を知った
長いこと欝を患って働くことも出来ず大学を途中退学して、人生も途中退場してた
親同士の方が情報交換盛んだったりするから、今後も他の面子がどうしてるか、A先生がどうしてるか調べていこうと思う
濡れ衣着せられかけたからっていうか、あの時のA先生の形相が今でも忘れられない
キレる大人

ヤケドの治療

昭和の初め頃、夕張のボタ山でのお話。
開拓民として本州から渡って来ていた炭鉱夫、Aさんは、爆発事故に見舞われた。
一命はとりとめたものの、全身ヤケドの重体だった。
昔の事とて、ろくな治療も施されず、全身包帯に包まれて女房の待つ飯場の一部屋に担ぎこまれた。
付き添ってきた医者は、大怪我だが、今夜を乗切れば命は助かるだろう、何かあれば呼びに来なさい。
自宅の場所を教えて引き上げていってしまった。
その真夜中。ロウソク一本の薄明かりの下、枕元でひとり看病していた女房がふと気が付くと、玄関に誰かの気配がする。
女房が出てみると、大勢の人間が立っている。彼等の云うには、
自分達はAさんと一緒に働いている仲間である。今日は大変な災難に会われて、お気の毒です。
すぐにでも見舞いに来たかったのだが、生憎我々も作業を中断するわけにいかず、こんな非常識な時間になってしまった。
どうか我々にもAさんの看病の手伝いをさせて欲しい、との事。

女房はひとりで心細かった処への、この温かい申し出に感動し、部屋に入りきれないほどの仲間達を迎え入れた。
それぞれ、一人ずつAさんに話し掛け、励ましては部屋の中に座って、女房にも優しい言葉を掛けてくれる。
女房はすっかり安心してしまった。
その中の一人が、自分は医術の心得がある、診察してやろう、と申し出た。見ればボタ山で働いているとは思えない立派な紳士だった。
誰かの知人なのだろうか。
彼は、これは酷いヤケドだが、私は幸いヤケドの治療法に長じている、今夜のうちに術を施せばAさんはすぐ治る、と言った。
女房に否応が言えるはずもない。やがて紳士による治療が薄暗がりの中で始まった。
治療は荒っぽいものだった。
紳士は、ヤケドには、焼けこげた皮膚を取り除いてやるのが一番の治療法だと説明し、
Aさんの身体を包んでいる包帯を取り除けると…。やがてAさんの皮膚を無造作に剥ぎ取り始めた。
炭鉱夫仲間でも屈強な身体付きで知られたAさんもこれは堪らない。

Aさんはあまりの苦痛に絶叫し、いっそ殺してくれと、泣き叫んだ。
女房はおろおろする以外、なにも出来ない。あまりの凄まじさに、自分も耳を塞いで泣き叫び始めた。
紳士は、ここが辛抱じゃ、すぐ楽にしてやる、と、声を掛けながら眉ひとつ動かさず作業を続ける。
どれぐらい時間がたったか。
いつしかAさんの絶叫は治まっており、静寂が戻っている。
紳士は女房に、心配かけたがもう大丈夫、すぐに元気になるよ、と声を掛け、席を立った。
女房は何度も何度も頭をさげながら、表まで紳士を見送った。
遠い空がうっすら明るくなっている。もうすぐ夜明けだ。
部屋に戻ると、さっきまで狭い部屋から溢れ出る程大勢いた見舞客がひとりも居なくなっている。
女房は不思議に思うより、不快に感じた。
帰るのだったら、一言くらい挨拶してくれても良いじゃ無いか。
疲れきった女房はAさんの枕元に腰を下ろし少し休もうと思ったが、Aさんの顔色をみて驚愕した。
夜明けの日差しの中で見るAさんの顔色、それはまるでロウのようだった。

女房はAさんに取りすがって再び号泣するしかなかった。
騒ぎを聞きつけた隣人に連れてこられた医者は、Aさんを見るなり女房を怒鳴りつけた。
誰が患者をいじった!
Aさんを包む包帯の巻き方は、明らかに素人のものだった。
包帯を取り除けた医者は,Aさんの身体から目を背けた。無惨に生皮を剥ぎ取られた遺体がそこにあった。
あまりの奇怪な事件に、警察が呼ばれ、半狂乱の女房から何とか事情を聞き出した。
だが、その夜現れた男達も、例の紳士も、ボタ山はおろか近隣の町村にも該当者はいなかったと云う。
話を聞いたある人が、それはキツネの仕業だろう、と言ったそうだ。
キツネにとって、人間の瘡蓋や火傷瘡は霊薬になるとされ、
ある地方では火傷や瘡蓋のある者は山にはいるとキツネにだまされるという言い伝えがあると云う。
女房は目の悪い女で、日頃から泣き腫らしたような瞼の持ち主だったという。
キツネはそれに付け込んだのだろうか。
残念ながら、女房がその後どうなったかまでは、この伝奇の採集者は伝えていない。
ヤケドの治療

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2019年08月25日