【話題の人物】北尾光司(きたおこうじ)【訃報】【死去】【横綱】【双羽黒】

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話題の人物シリーズ 北尾光司(きたおこうじ)さんです。関連ワード:訃報、死去、横綱、双羽黒

北尾光司(きたおこうじ)とは

元大相撲力士・元総合格闘家・元スポーツ冒険家・武道家、元プロレスラー。
大相撲横綱時代(第60代横綱)の四股名は双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ)。
北尾光司 – Wikipedia

出生

本名 北尾 光司
生年月日 1963年8月12日
没年月日 2019年2月10日(55歳没)
出身 三重県津市
北尾光司 – Wikipedia

来歴

中学校卒業と同時に立浪部屋に入門し1979年3月場所に立浪部屋から初土俵を踏む。

しかし、父親が建設会社の取締役で北尾はその一人息子として甘やかされて育てられたためか、少しでも厳しい稽古をさせると口癖のように「故郷へ帰らせてもらいます」と発言し、立浪も北尾に対してではなく稽古を付けた兄弟子を注意する始末だった。

北尾の横綱昇進が決定した。
当時、22歳11ヶ月での横綱昇進は昭和以降では4位のスピード記録であり、新入幕から12場所での昇進も昭和以降で6位であった。
幕内最高優勝が一度も無いまま横綱に昇進したことから、「(千代の富士の一人横綱状態を解消するための)仮免横綱」と呼ばれるなど、実力が正当に評価されないことが多くなった。
北尾光司 – Wikipedia

北尾は横綱昇進を機に、「双羽黒 光司」に改名。
北尾光司 – Wikipedia

1987年12月27日、立浪との若い衆に関する意見の対立から部屋を脱走、そのまま「(破門同然の)廃業」という事態になった。

大相撲廃業後には二輪免許を取得。プロレス入りまでの間は、ボクシング・アメリカンフットボールなどのオファーを断って「スポーツ冒険家」という肩書きでタレント活動を行った。

大相撲での電撃廃業から約2年後の1990年2月10日、東京ドーム大会でのプロレスデビューが新日本プロレスから決定、発表された。
北尾光司 – Wikipedia

プロレスの引退から5年後の2003年、日本相撲協会所属ではないフリーの立場ながら、代替わりした第7代立浪部屋のアドバイザーに就任。
北尾光司 – Wikipedia

訃報が伝えられた

2019年2月10日、慢性腎不全のため千葉県の病院で死去。同年3月29日に訃報が明らかになった。55歳没。

妻によれば、2013年から腎臓を患い闘病生活を送っていた。
北尾光司 – Wikipedia

https://matome.naver.jp/odai/2155390847308645901
2019年03月30日