<閲覧注意>本当にあった怖い話「高橋コウの手記」「古い鏡」「谷川地下ホーム」

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<閲覧注意>本当にあった怖い話「高橋コウの手記」「古い鏡」「谷川地下ホーム」についてまとめました。

高橋コウの手記

高橋コウ(山梨県)の手記

◎タブーの山への挑戦
私の住んでいる山形県最上町は、宮城秋田両県の県境に近い場所で、奥羽 山脈のほぼ真ん中に位置している海抜二、三百米の山里です。見渡す限りの 険しい山々と、深い渓谷に囲まれていて、すぐ近くには広い傾斜の続く高原が 眺められます。名だたる豪雪地としても有名ですが、陽春の候ともなりますと 、どこを歩いてもぜんまい、わらび、山うどなどの山菜が豊富に採取されます。
私は山菜取りが好きで、人様から名人級などとおだてられるくらいに、質がよ くて太いぜんまいやわらびを探すのが得意なのです。
長い間の経験と、好きな道だからこその工夫などが原因だと思います。ところ が、附近の連山をくまなく歩き回っていて山のベテランと自他共に許す私も、あ る特定の区域だけは足を入れたことがないのです。

それは、山形宮城両県境にまたがる田代峠から、更に入った山奥の附近 です。地形がきわめて複雑なこと以外には、何の変哲もなくて、深い谷が 多く湿地が続いている山地ですが、地元の人々は古来から、この地域に 行った者は、再び戻ってこないとか、運よく帰れても発狂してしまったり、 突発的事故死が起きると伝えられています。地獄の山との別名もあって、 山登りはもちろん、山菜取りの人も恐れて近寄らないくらいタブーの山で もあります。
太平洋戦争の末期に日本内地を移動中の旧海軍双発飛行機一機が、
地元住民の誰もが視認している中で、田代峠奥地の上空で急に飛行中
の機体が空中爆発して墜落した事件がありました。捜索に出向いた現
職警察官と数名の消防団員達は、地元古老の制止を振り切って入山し
たまま、杳として消息を絶ち、更に救援に赴いた少数の海軍兵士さえ、 行方不明になってしまいました。
数年前の冬です。今度は陸上自衛隊のヘリコプター機が訓練飛行中

に、田代峠奥地と推定される場所で、危険緊急電報を打電したきりで、 不明になったことがありました。空中からの捜索は行われましたが、近 代装備を誇る大勢の自衛隊員が来ましたのに、なぜか現場と覚しい所 までは直行せずに、何も回収しないで帰ってしまったのです。私ならず とも、そこに何かあるはずだと思います。しかし、昭和五十年代のご時 世に、迷信や非科学的な現象が存在するはずがありません。

ようし、誰もが嫌がって行かないなら、山男ではないが山女の名にかけて 私が行ってやろう。そして、どんな物があるのか、いかなることが起きるの
かを、私自身のこの目で確かめてやりたいと決心しました。五十歳をすぎ た私には、異常な決意だったのですが、独身で気楽な会社勤めの上の息 子に相談しますと、
「お母さん、それだけは止めたほうがよいと思うよ。何百年も人間が入っ ていない場所だから、ぜんまいのすごいのがあるだろう。だが、禁制を破 って入り、あとで気ちがいになったり、早死してはつまらないからなあ」
と、てんで乗ってこないのです。そう言われるほど闘志が湧き上がる私 は、

「おやっ、今どきの若い者にしては、珍しい縁起かつぎだわねえ。そんな ら、私一人で這ってでも行って来ますよ」
そう宣言しますと、仕方なさそうに、
「しようがないなあ。それでは、田代峠の近くまでは車で案内するよ。だ けど、近づいて眺めるだけ。それ以上は山に入らない約束をすれば一緒 に行ってもよいよ」
しぶしぶの返事でした。

◎不思議な洞窟の老婆
息子は休暇をもらい、長年の教員生活から解放されて気楽な恩給暮ら しの私との二人は、昨年五月十日の晴れた日に、宿願の田代峠に向か いました。山と高原のだだっ広い私の町は家から峠まで二十粁(キロメー トル)以上もあるのです。未舗装のでこぼこ道を車にゆられて行きますと 峠より相当離れている手前に、屋敷台と称する数軒の小落がありました。
車はそれ以上進めません。
駐車させてほしいと、一軒の家を訪れました。わらぶきの屋根と、手造 りの荒い柱が目立っていて、電灯もありません。黒ずんだランプが印象 的で、現代では想像もつかないくらいに、古風なたたずまいでした。この
では、他家の人間と会うことが珍しいらしくて、底抜けの善意を示して くれましたが、田代峠から奥の山の地理を尋ねますと、上機嫌だったこ の家の主は、急に険しい顔つきになって、

「お前さん方よ。わしらのような山歩き商売の者でさえ、峠から向かい 側には足を入れないのだ。止めた方がよいと思う。一歩でも踏み込むと、 得体の知れないものがあって、必ず災難が振りかかってくる。わしが知 っているだけで、何人かが命を落とした。あそこだけは止めなさい」
こう言って、山菜取りには予備の食糧がいるだろうと、小動物のくん製 肉をたくさん持たせてくれました。

峠まで歩きましたが、八粁足らずの道程だと思っていましたのに、背丈 ほどもある熊笹をかき分けるのに手間どって、予想外に時間を費やして しまい、日の長い五月の一日も暮れようとしていました。山のベテランと もなると、用意のテントも持参していますし、野宿は平ちゃらです。さすが に人跡未踏のこのあたりでは、見たこともない超良質のぜんまいがそこ ら中にあって、うなっていました。

今晩は泊まり、明日は一日中かけて、山菜を集めれば、運び切れない ほどのえらい数量のぜんまいを確保できそうだ。二人で採れば六十キロ は超すに違いない。乾燥しても六キロは出ると計算しました。キロ当たり 一万ですから、六万円以上になりそうだと、われながらみみっちい計算を していました。
突然、私達の目の前に老婆が現れました。初夏の日暮れの逆光線を
浴びて、音もなく姿を見せたとき、私と息子はぎょっとしたのです。乱れた 髪としわだらけの顔はよいとしても、ぼろ切れなのか南京袋をほごしたも のなのか、衣裳めいたのを身にまとって、帯の代わりに蔦を使っていま す。どうしてもこの世の人とは思えない形相でした。地底から涌き出るよ うな声をしぼって、何やら尋ねているのです。私は山の衆と言われている 独特の〝またぎ〟の言葉も知ってますが、それとも違うようでした。判ず ると、お前さん方はどこに行くつもりなのか。峠から向こうには行っては いけない。今晩はおそいから自分の住処に泊まっていけ。そんな意味で した。

案内された住処というのは、山の中腹に掘った洞窟でした。家財道具ら しいものは何もないのです。洞窟内の地べたに炉を作っていて、製ら しい土鍋の中には、とうもろこしと、何ともわからない肉片の塩じるでした。
鍋ごと食えとのことでしたが、盛り付ける茶碗や皿がなかったのです。
水のしずくがしたたり落ち、がらんとした洞窟は、松やにの灯に黒ずんだ 岩肌が不気味に光っていて、休むどころではありません。老婆の姿をし げしげと眺める毎に、原始的な服装と動作のテンポが常人と違っていて 、なぜこんな山奥に独りで生きているのか、分からなくなってくるのでした 。言っていることは、半分ほど理解されましたが、

「お前さん方は、翌朝になったら、峠から戻ってくれ。一歩でも入ったら 、どんな災難が降ってくるかも知れない。うちの旦那は、あそこに出掛け たきり戻って来ないし、最近では、地図作りのお役人さんと営林署の人 が、止めるのも聞かずに行って、次の日には死体となって烏や鷹の餌に なってしまった。悪いことは決して言わないから、必ず実行してくれや」
との意味でした。予想通り、普通の人間が現場に近寄ると、なにかの 理由によって、不幸な事態になるらしいことは、彼女の言によっても了承 できるのでした。でも、その正体を突きとめたい気持ちも十分にありまし た。

◎空中に体が舞上って
次の日の朝早く、帰る振りをして、お婆さんに謝して洞窟を出た二人は、 少しばかり戻ってから、問題の場所を確かめようと話し合いました。人工 衛星のとび交うご時世に、婆さんの言うような馬鹿なことがあってたまる かいとの息子の提案に、好奇心きわめて旺盛な私が一も二もなく賛成し たからです。
ひどい道中になりました。ばら科の植物と強じんなつるの多い茎がから み付き、足を取られ大変な難行軍になりました。一歩一歩が汗だくにな り、必死の歩行なのです。二粁ほども進んだと思います。参ってしまうな あと奥山に進んだのを後悔し始めましたが、今更引き返すことはできま せん。
「お母さん、前の方が変な色に変わってきたよ」

息子は、ばらとの闘いの苦しい道程が終わりそうになった時、私に問い かけました。私自身も先刻から、数百米ほども前方に淡い青のまじって いる緑色のガスか霧に似たものが突然に発生して次第に大きくなり、こ ちらの方角に進んでくる感じを気にしていたのです。長い期間山歩きを 過ごしてきた私には、このような色彩のガスを経験したこともありません し、発生する場所と湧き上がり広がる工合も、常識では判断できない現 象でした。この時刻と現在の天候状態では、ガス、霧ともに湧くはずがな いのです。

これが田代峠の奥に存在すると言われている不明の正体なのかと、さす がにぎょっとして足を停めようとしましたが、自分の意志とは正反対に、 足の方で動きをとめてくれません。私より数歩だけ前を進んでいた息子 も同じ思いだったそうです。ガスはますます濃くなって、私達の方に向 かって輪を広げてきて、私達は見えない引力にずるずると引き込まれて いくのでした。
前を歩いていた息子が、真青な顔を私に向けて叫びました。「お母さん。 これ」山歩き用に使っていて、私が息子に持たせておいた大型の携帯用 羅針盤を指差していました。あとは恐怖で言葉が出ないらしいのです。

必 ず北を示していなければならない指針が、無暗にぐるぐる回るだけで、不 安定な針先はどこを差しているのか見当がつきません。そんな信じられ ないことがと、羅針盤を水平に持ち直しても、同様に針は固定せずに大 きく回ったり鋭く振れ動いて、決まった所を差さないのです。不安定な振 れがおさまると、前方の方角に固定してしてしまいました。初夏の太陽の 方向と言えば、東か南です。磁石の北に向くべき針が、東南に。あり得 べからざる事態に仰天してしまいました。そして、指針に向かって私達 の身体までが、吸い込まれるように動かされていることに気付きました。

あっと言う間に延びてきた緑の気体が、私達を包んだようでした。くんく ん鼻を鳴らして嗅いだ私は、ガスか煙霧に似たこと気体は酸素と窒素か らなる空気でなくて、説明のしようもない別の成分の気体ではなかろうか と直感しました。緑のガスを大きく吸い込みますと、すうーっと肺の中ま でしみる快いものを覚えました。
と、同時に、急に身体が軽くなりました。普通に歩いたつもりだったの ですが、足を踏み出した瞬間に、ふあふあした自分の身体は二米も高く とび上がった感じで、そのまま十米ぐらい前方に音もなく降りる感じでし た。映画のスローモーションフィルムと同じような動作だと思い、突然に 地球の引力がなくなってしまったのでは、いやあるにしても何分の一か に減ってしまっているのです。

私だけではありません。突然の変化で、前を進む息子は恐怖におびえ

た顔を、間の抜けたスローモーション動作を示しながら振り返って見せ ているのです。第二歩を空中に躍らせた時、高い空を見上げました。空 は青色に決まっていますし、数秒前には間違いなく青だったはずなのに、 紫に変わっていました。ただの紫ではありません。抜けるように濃くすき 通って眺められる紫の色でした。そんな馬鹿な話ってあるものですか、 そう感じました。次には、ふんわり降りる際に、地上に目をやったのです が、たった今まで苦闘したばら科植物と蔦が消えていて、砂地になって いるのです。しかも、この地方で見る土砂でなくて、何時か九州の海岸 に遊んだ時に手につかんだ砂に似ています。まばゆく輝く水晶とも思わ れる石英がまじっているなあと思いました。山の中に海浜の波打ち際に 見られる砂があるとは、私は混乱してしまいました。

◎UFOの基地か?
もう一つの奇怪な現象に、はっとしました。ガスを通して見える五百米 ぐらいの先の小高い山の中腹が、がらん洞の洞窟らしい穴になってい て、その穴に向かって風が吹いているのです。附近の気体の流れが、 その穴に対して集中しているみたいでした。つまり、直径一粁もありそう な得体の知れない砂地の真上を、穴を中心点とした場所へ、四方八方 かたのかなり強い風が吹いているようだったのです。
木や葉は全く生えていません。緑のガスが一面にただよっている外に、 近づいて分ったのですが、小高い山と覚しい露出している山肌は緑色の 泡で包まれていたのを発見しました。しゃぼん玉遊びをするときや石鹸 から出る泡と同じような泡ですが、なぜか緑色の小粒の泡です。かなり 強い風があるのに、地面に着いて離れないでいるのです。どこから何の ためにと、私の頭は狂いそうになってしまいました。地球上の動植物で、 こんな泡を出すものは聞いたことがありませんし、気象学の方面でも見 聞きしていません。

大洞窟に近づいた私が、右手で地面に吸いついている泡を握った時に、 納豆のような粘っこいものがからんで消えずに残り、手の平は真赤にな りました。緑から朱に変わったことと、熱い感じだったのを記憶しています。
この小区域だけは地球上にありながら、別の未知の天体のようになって いるらしいことと、緑色に光っている泡自体が、確かに生きているのを確 認したように思われたことです。
大洞窟に吸い込まれるように入った私達は、がらんどうではなくて、雑 多なものが天井や岩肌にぺたぺたと張り付けられているのに気付き、何 故か鉄片を吸いつける磁石のような働きをする内部の岩壁に驚きました。

二十米もあろう高い天井に、にぶく光る物体を見つけ、取ろうとしてジャン プしました。ここは引力が極端に弱くなっているせいか、私でさえも楽に とび上がれるのです。緩慢な動作でしたが、身体がふあーっと空中に躍 り、難なく届きました。
縦横十糎(センチ)のも足りない銅合金の板でしたが手にして読むと、 確かに「金星発動機五二型昭和十九年製三菱航空機株式会社」と刻み 込まれていた記憶があります。後になってから、旧海軍に在籍したこと のある方にたずねますと、中型の陸上攻撃機とか称する飛行機用エン ジンの名称板だと教えてくれました。そうしますと、戦争中にこの附近で 不明になった海軍機のものになります

でも、大きな図体のジュラルミンや鉄片と人間の姿が見えなかったのは 何故だろうかと疑えるのです。地面に散らばっていたものも、銅製品で あるまいかと思われる物体が多くありました。鉄やアルミ合金などは溶け てしまい、銅だけが残されていた感じでした。その外には、何百年か以前 のものらしい百姓民具のうち、銅製品の鍋や萓合羽の支え具らしいのも 散らばってました。
タイムマシンの世界に踏み込んだ思いで、私は息子へ目で合図して、 いわくありげな洞窟から逃げようとしました。口は利けなくなっていました。
強い風力に抵抗して脱出するのは相当の苦痛でした。洞窟から出た途
端に小高い山のいただきあたりから、

白昼ですが写真のフラッシュより も強烈な光線を浴びた感じでしたが、目がくらんで倒れたように思います。
これも後で聞いたのですが、息子は一遍は倒れたけれども再び起き上
がって、夢遊病者のように前の道を歩いて帰ったようだった、と言ってい ます。そのへんは、はっきり分からないのですが、フラッシュに似た光は、 白くはなくて緑色の光線だったと断言できるのです。

何時間過ぎたのか分かりませんでしたが、ふと、目を覚ましますと、私と 息子の二人は、前に申し上げました老婆の住む洞窟の前に倒れていた のです。起き上がった私達は、ほら穴に入ってみますと、人影はおろか 確かにあった諸道具は、何一つなく姿を消しているのです。そして炉端だ った土面から泡が涌き出ていました。例の緑色に輝き光る泡が、生きも ののようにうごめいているのでした。
私達が四日間も家に戻らなくて、大騒ぎになっていることも知りました。
それから、息子の方は二カ月ばかり安静してから、元の健康体に回復し
ましたが、私は現在でも近くの市にある精神科病院に通っています。先 生から、高空に長時間いたための症状に似ていると診断されましたが、 誰も私の話を信用してくれません。ですが、私だけではなしに息子も奇 怪な体験をしているのです。

私達は、信じられない現象を自分の目で確かめて、あそこの場所はいっ たいなんだろうかと考えましたが、地球以外の天体からやって来て、少 なくとも何百年の間も、UFOなどの未確認物体を誘導する地球基地では あるまいか。洞窟に住んでいたお婆さんは、老婆に姿をやつした他天体 からの派遣員だとも信じられるのです。
いくら考えても分からないのが緑色の泡でした。地球人の私達には理 解できなかったのですが、自在に色彩を変化させ、超短波のような電波 を発信して、通信の役目を果たしているとしか想像できません。
田代峠の山地に、複数の人間がこの目で確認しても、誰も本気にして くれないことを情なく思います。

editor注:田代峠界隈は今でもUFOが目撃される。
高橋コウの手記

古い鏡

ちょっとイヤな話なんで、そう思ったらスルーして下さい。よろしく。

もう5年くらい前のことです。その頃の俺は地元の大学に通っていました。
夏休みになって、遠くの学校へ行ってる原田から「帰省してるんで遊ぼうぜ。」
って電話掛かってきたんで、中学や高校の頃の友達4人で麻雀をすることにし
ました。集まったのは清水の部屋です。清水の部屋は離れになってて、多少騒いでも大丈夫だったんで、
高校の頃から良く溜まり場にしていました。面子は俺と原田と清水と、あと石川って奴でした。

明け方まで麻雀やった後、気分直しに清水の車でドライブに行こうってこと
になりました。
「どうせならさぁ、あのサティアン行ってみよーぜ。」
清水がそう言い出しました。

そこは高校生の頃、俺たちの間で一瞬話題になったスポットでした。
清水の家から10キロくらい離れた山の中にある宗教団体の施設があり、丁度オウムの事件があった頃に
宗教団体はそこから出ていって県内の別の場所に移りまし
た。その宗教団体はある巨大な宗教団体から枝分かれしたもので、そういった
ケースの典型的なパターンを踏んでいました。すなわち、教義の正当性を主張
するために本家の宗教団体を激しく糾弾し、世間の理解が得られないと知ると、
今度は自分たちは迫害されていると思い込み、逃げ出すように人目の着かぬ場
所に拠点を据える。そんな事を繰り返していた訳です。

一連の話を清水から聞いた俺たちは、見たこともないその施設を勝手にサティアンと名付け、
しばらくの間カルトな妄想を膨らませていました。そこへ行ってみようぜ、みたいな話は何回かあったのですが、
工房で免許を持っていない俺たちは、その施設へ行く交通手段を持っていなかったのです。
しかし、今の俺たちには清水の車があります。
「お前、道知ってるのかよ。」
「林道に入ったら一本道だって話だから、大丈夫だろ。」
「誰か居たらどーすんだよ。」
「じゃあ武器持ってこーぜ。」
一旦車を降りた清水は、部屋からバットと木刀を一本ずつ持ってきました。
「…いざって時のために、エンジンは掛けておこうぜ。」
清水と石川はノリノリでした。もともとこいつらはイケイケのDQNで俺や原田は振り回されることが多かったのですが、
この時ばかりは何となく頼もしい感じがしたのも事実です。

林道に入る頃には夜が明け始め、あたりはボンヤリ明るくなってきました。
山の中を20分くらい走ると、途中に古ぼけた看板があり、その指し示す方向へ進むと急に視界が開けました。
車が何十台も止められるくらい広い場所です。
薄暗闇の中、奥の方にコンクリートの建物が見えました。全体的に近代的っていうかビルっぽいのに、
柱が赤く塗られていたり屋根が瓦だったりで、ちぐはぐな印象の建物でした。

早速その建物に侵入しようとしたんですが、ドアにはカギが掛かっているし、
一階の窓には鉄格子みたいなのが嵌ってるしで、とても入れそうにありませんでした。
清水と石川がバットと木刀でドアを叩いたりガラスを割ったり大声を出したりしたのですが、
あたりは静まりかえっていてなんの変化もありません。

徹夜明けでハイになっていた俺たちのテンションも下降気味でした。
「おい。こっちに道があるぞ。」
原田が建物の裏で呼ぶのが聞こえました。行ってみると、細い山道が森の奥に続いていました。
最初の意気込みが空振りに終わりもやもやした気持ちを抱えていた俺たちは、とりあえずその山道をたどることにしました。

しばらく歩くと、開かれた場所に出ました。
そこは少し窪んだ地形になっていて、中心には小さな小屋のようなものがありました。
その小屋がちょっと変でした。
石を積んで、隙間をコンクリートで埋めてあるのですが、まるで慌てて作ったみたいに乱雑な造りで、
壁も垂直じゃなくて傾いていて凸凹してるし、全体の形も崩れかけっていうか、土の塊をグシャッて置いたような感じです。
「見ろよ。変な扉。」
斜めになった壁に、無理矢理という感じで鉄の扉がはめ込んでありました。
「開けるぞ。」
清水が取っ手を掴んで引くとギィィと開きました。
中は外より更に暗くて、様子が良く分かりません。
清水が足を踏み込むとザリッザリッと小石を踏むような音がしました。

「うわ!なんだコレ。」
清水が声を上げました。
俺と石川と原田が中に入ると、一段上がったところで清水が足で床をガリガリとこすっていました。
見るとそこの床は古そうな板張りで、鏡の破片が大量に散らばっていました。
「お前は入るなよ。ケガするぞ。」
サンダル履きだった石川は外で待っていることにして、俺と原田が小屋に上がりました。

目が慣れてくると中の様子が分かってきました。
10畳くらいの狭い小屋で、壁も床も板張りでした。
どうやら、木の小屋を外から石とコンクリートで固めたみたいです。
木はかなり古そうでしたが、穴が開いたり割れたりという箇所はありませんでした。

「おい、上見て見ろよ。上。」
清水が懐中電灯で上を照らすと、そこには天井板がなく、大きな梁にボロボロの布が巻き付いているのが見えました。
原田が手を伸ばし、垂れていた布を掴んでちぎり取りました。
細長い布に何だかわからない文字が書かれています。
「なんだコレ。読める?」
「あー、これお経とかに書いてある字だよ。」
清水がそう言ってボロ切れをポケットに入れ、今度は床の方を照らしました。
鏡の破片に懐中電灯の光が当たってキラキラと乱反射しました。

「スゴイ量だよな。この破片。」
破片を手にとって見ると、古い鏡のように黄色や茶色のサビが入っています。
どれもこれも曇っていてハッキリと映りません。
「あれ?これ割れてねーぞ。」
清水がそう言って、部屋の隅に懐中電灯を向けました。
そこに鏡が置いてありました。
古そうな丸鏡でなぜか木の台の上に置かれていました。
それが懐中電灯の光を反射して清水の顔を照らしています。
俺はその時、猛烈にイヤな感じがしました。

「清水。もうやめようぜ。」
原田も同じことを思ったのか、清水の方に向かって声をかけました。
清水は返事をしません。鏡からの光がゆらゆらと揺れて、清水の顔がまだら模様に見えました。
俺はなぜかその光景を見ていられなくなって目を背けました。
「おいっ清水、もうやめろって!」
原田が後ろから清水の体を掴んで揺さぶっているようです。
「んーーー。んーーー。」
後ろから変なうなり声が聞こえてきました。堪らなくなった俺は外へ逃げようとしました。
戸口は目の前です。逆光で石川の姿がシルエットになっているそこを目指して走ろうとするのですが、
膝のあたりがガクガクして足が上手く
動かせません。悪夢の中を逃げているような感じでした。

「んーーーんーーーーーーんーーーーー」
「おい!誰か手伝え!清水がおかしいんだって!」
原田が叫んでいるのが聞こえましたが、俺には振り返る余裕は全然ありませんでした。
とにかく外へ出ようと必死で足を動かしました。
「だ、大丈夫か!」
石川が横をすり抜けて清水の所へ走りました。俺がようやく外へ出て地面に
尻餅をついていると、中から原田と石川が清水を抱えて出てきました。
「おい、お前は大丈夫か?」
石川が俺に向かって言いました。ぐったりと疲れ切っていたのですが何とか首を縦に振りました。
原田と石川が手を離すと、清水はくにゃくにゃと地面に
座り込んでしまいました。
「んーーーーんーーーー」
「清水!おい!清水!」
清水は目を閉じて、口を開けっ放しにして涎を垂らしていました。
それなのに口を閉じている時のような低いうなり声を出し続けています。
「んーーーーんーーーーんーーーー」
俺たちは3人で清水を担いで車まで戻りました。車中でも清水は唸りっぱなしで、
俺はそれがものすごくイヤでずっと耳をふさいでいました。

清水の家に着いたのは朝7時頃でした。起きたばかりのおやじさんとおばち
ゃんに事情を説明すると、二人とも大慌てで、すぐ病院へ連れて行くと言いま
した。俺はムチャクチャ怒られるんだろうな、と思っていたのですが、おやじ
さんに「今日はもう帰れ。」と言われただけだったので、正直ホッとしました。

でも、その後はいろいろ大変でした。清水の家が俺たちを訴えるとかいう話
まで出ていたのですが、なんやかんやでその話は消えてしまいました。という
のも、清水の家が地元から引っ越してしまったのです。清水がその後どうなっ
たのかはわかりません。でも、多分死んでいると思います。あいつはまともに
鏡を見ていました。只で済むはずがないのです。

俺はあのあとひどい足の痛みに悩まされました。今も一年のうち300日ぐ
らいは家で横になっているか車椅子の生活です。それが原因で学校を辞めまし
たし、普通の仕事には就けません。足の筋肉が痩せてしまってズボンがガバガ
バで、なんだか泣けてきます。
原田は仕事で東南アジアへ行っている最中に狂犬病に罹って死にました。土
壁を爪で削り取って食べていたそうです。
石川は他の3人の顛末を見て怯えきって家に閉じこもってしまいました。人
に聞いた話では、精神に異常を来したものの、病院には連れて行ってもらえず、
ずっと家から出ていないようです。

今、気になるのはこの話を聞いた人のことです。
俺と原田と石川は、清水の家から帰る途中で、あの小屋であった話は絶対人に喋らないようにしようと決めました。
言いだしっぺは原田です。原田は清水を助けようとした時に一瞬鏡を見てしまったそうです。
何を見たのかは、俺たちにも教えてくれませんでした。
とにかく、俺は決まりを守って両親にも警察にも小屋の中でのことには触れず、
清水が一人で小屋に入っておかしくなって出てきたって風に話しました。

でも2年前に一度、チャットで知り合った女が霊とかそういうのに敏感&興味津々だったので、
リアルで会って小屋の話をすることにしました。その頃俺は足の具合が悪かったので、彼女が俺の家までやって来ました。
黒い服とかじゃなく普通の格好で、好きな車や映画のことをペラペラと良く喋る女でした。
なんだか思っていたイメージと違ったので、俺も割と軽いノリで小屋の話をしました。

「…その話、やっぱり人にはしない方が良いよ。」
話し終わった後で、その女は言いました。声のトーンが変わっています。
「1回聞いただけでも、ものすごく古い感じが伝わってくる。こういうのは、本気で危ないから。」

しばらくして彼女と連絡が取れなくなりました。携帯に掛けても出ないし、メールも来なくなりました。
常連だったチャットからも姿を消し、運営していたHPも更新されないまま消えてしまいました。
それ以来、誰にもこの話はしていません。

でも、4月の半ばぐらいから手の方に痛みが拡がってきました。
もう動かなくなるかも知れないので、記録として書き留めておこうと思ったのです。
間をあけて書いたので、文章として上手く繋がってないかもしれませんが、その辺は勘弁してください。
古い鏡

谷川地下ホーム

1986,7年頃の夏である。当時、東京から谷川岳へのアプローチは、
上野を23時頃発の越後湯沢行きの普通列車にのって深夜に土合駅に着き、
そのまま駅で野宿して翌朝歩き始めるのが一般的であったように思う。
まだ上越新幹線がメジャーでは無く、ガーラ湯沢駅もなかった。
このあたりのリゾート開発が始まる前のことで国鉄ものんびりしていた。
上野から初乗料金で乗り込んでも、車内改札が土合駅まで来なかったのである。
土合駅に列車が到着すると、同じような登山者が地上への階段へと急ぐ。
土合駅は基本的に無人駅だったので出札口には列車到着時だけ駅員が来ると聞いていた。
我々3人(私と登山仲間HとT)は意識的にもたもたして登山者の列の最後尾を歩き、
他の登山者の姿が見えなくなるとホームの中央にとって返した。

学生の身分であった我々は上野からキセルを敢行するために、思い切って誰もいない下りホーム(土合地下ホーム)で仮眠し、
駅員がいなくなる早朝を見計らって出札口を出ようと計画したのであった。
地下ホームはトンネル内なので薄暗く、ところどころ漏水があって、真夏でもひんやりしていた。
ホームの中央あたりに小さなプレハブ状の待合室が置かれており、その常夜灯で比較的そこだけぼんやり明るかった様に記憶している。
我々は待合室に入り、少し寒かったので万一の予備に持参してきたツェルトにくるまって仮眠をとることにした。
夜行発日帰りの計画だったため寝袋は持って来なかったのである。
待合室は我々の荷物と寝場所で、余りのスペースはさほど広くなかったように思う。

深夜忘れた頃に数本の貨物列車が爆音をたてて通過し、
その後はまたもとの異様な静けさに包まれるということが何度かくり返され、
そのたびに起こされてしまったが、いつしか3人とも眠りについたようだった。
何時頃だったか、私はふと一人の足音に気付いて目を覚した。
耳をそばだてているとその足音はゆっくりと待合室に近付いてくる。
(だれか来る。)そう感じてしばらく身を固くしていた。
下りの列車はとっくに無くなっており、上から寝場所を探しに降りてきたのかなと思いながら待っていたが、
その足音はすぐ近くまで来て止まってしまった。
いつまで待っても待合室に入ってくる気配がなく、入口の外に目をやるが誰もいない。
待合室はひやりと湿っぽく、背筋に寒気を感じる程だった。
(そら耳だったかな。)おかしな寝汗をかいている。
着替えないと風邪をひくかも知れない。でも面倒だ。
そう思って再度眠りについた。

しばらくすると、断続的に続く男の低い声と息苦しさで今度ははっきりと目がさめてしまった。
何と言っているのかはっきりわからないが、
あのー、すみません。××してください。あの、××をお願いします
というような、何か頼んでいるような口調である。
やはり、だれかが待合室に入れなくて何か言ってるのかと思い、
ワット数の低い蛍光灯の下で中腰になり、窓越しにあたりを見回すがホームには誰もいない。
しかし、男の低い話声はハッキリと耳に残っており、船酔いに似た不愉快な目眩が頭に残っている。
(夢かな・・・。)とぼんやり思っていた。(熟睡できなかったんだ。寝不足だと明日つらいだろうな)
と翌日のことを心配しながら考えていると、隣に寝ているHがしきりにピクン、ピクンと痙攣している。
放っとくにはあまりにも気の毒に思えたので揺り起こしてやった。
Hは起きるなり
「金縛りにあってさ・・助かったよ。」
と深く息を吐き出し、
「もう、眠るのは嫌だ。起きよう」
という。結局、今なら駅員はいないだろうということで、
軽い寝息をたててのんびり寝ているTを起こし、我々は地上に向かうことにした。

土合地下ホームから地上出札口へはコンクリートの五百段近いの階段を登ることになる。
普通に登っても20分かかり、荷物が重い時は大変なアルバイトである。お調子者のTが
「知ってる? この階段を数えると谷川で遭難するって噂が有るの。だからほら、数えなくても良い様にNo.が打ってある。」
促されて見てみると確かにペンキで階段の端に数字が書いてある。Hが珍しく「書いてあると余計数えちまうじゃないか。」
と冗談を言って笑った。
階段をのぼるにしたがって、地上の生暖かい空気が混じってくる。
やっとのことで階段を登り詰め出札口付近に来ると、手前の通路のあちこちに同じような登山者が寝袋に入ったりして仮眠をとっている。
日の出前の暗い時分で、まだ始発列車も来ていない。

我々は駅員のいない出札口を難なく通過し、駅舎の外の階段で用意してきた朝食をとることにした。
コンロを取り出して湯を沸かしながら「夕べ寝れた?」と誰となく聞いた。
お互いに寝られなかったともらし、おかしな夢を見たという。
私が寝苦しくて男の低い話声で目がさめたと言うと、Tが神妙な顔で変な足音を聞いたといいはじめた。
「起こした時、良く寝てたじゃないか」と言うと、寝たふりをしていたのだと真顔で答える。
夜中に急にひんやりと寒くなって目がさめたら、待合室の周囲を誰かが歩いている足音がした。
最初は駅員に見つかったと思って目をつぶって寝たふりをしていたが、足音は待合室の前を何回も立ち止まっては往復する。
薄目をあけてみると窓の外にはだれもいない。
よく聞くと駅員の革靴などではなく、ゴトン、ゴトンという重い登山靴をひきずるような足音だったので怖くなり、

早く遠くに行ってくれと目を閉じて念じていたらしい。そんなとき丁度私が起きあがって、ごそごそし始めたので安心したのだという。
私とTが顔を見合わせているのを見て、金縛りにあっていたというHがぽつぽつと話し始めた。
なんでも待合室の入口の外に男が立っていて、こちらをジッと見ながらなにか訴えかけていたというのだ。
入口のガラス越しに男の上半身が覗いており、その服装ははっきりわからなかったが、
こちらを向いている相手の顔と目が合ってしまったという。
その顔の表情が必死な形相でゾッとしてしまい、見られている間中金縛りで声も出なかったと言う。

Hは留年していたため私やTより年上で、仲間の信頼が厚いリーダー格であった。
普段から正直で無口、決して不真面目なつくり話をする人間ではないだけに、
彼が金縛りにあって見たという男の顔の話は単なる夢や思い込みと決めつける気にはなれなかった。
3人ともしばらく黙って湯気の立つインスタントラーメンをすすっていたが、
早く陽が昇って周囲がはっきり明るくなるのが待ち遠しかった。
ラーメンの残り汁を飲み干しながらHが「遭難者の多い谷川だからなあ・・まだ見つからない人もいるかもしれない」と呟いた。
とにかく次からは地上の改札口の手前で寝よう。お互い寝不足だから慎重に行動しよう。
と気をとりなおし、朝日の中を出発することにした。もちろん途中の遭難慰霊碑に手を合わせることを我々は忘れなかった。
私が今も理解できないのはこの体験が自分一人のものでないことである。

仮にこの体験が自分ひとりであったならばただの幻聴であったかもしれない。
我々の感じた所では、男か女かといえば男であり、登山者か駅員かどちらかといえば登山者。
黙っていたかどうかといえば何か話していた。かといって、謎の男の登山者が話しかけてきたといえば嘘になってしまう。
しかし、ほぼ同時刻に3人が、ホームには我々以外だれもいないのに一人の男の存在感を感じたのは間違いないのである。
この話はこれで終わりではない。下山して帰京した翌日のことである。
同じ職場でバイトしていた私とHは、虫に刺されたわけでもないのに、
二人とも左の二の腕がパンパンに腫れ上がり、微熱を出してしまったのである。
筋肉痛のような痛みで、腫れは幸い2日ほどで何ごともなく引いてしまった。
Tに同じことが起こったかどうかは残念ながら確認していない。

あれ以来、谷川には何度か足を運んだが、誰も二度と地下ホームで野宿はしていない。
谷川地下ホーム

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2019年03月21日