お祖母さんの能面
スレたて乙です。前スレの975です。
実は 開かずの間はうちにもあります。たぶん座敷牢ではないけど。
うちも築50年以上の古い大きな家で 蔵や土間もあります。
数年前に裏庭の片隅に井戸の後も見つけました。
ただ、開かずの間は姑の居住スペースにあるので 簡単には近づけないんだけど。
私が知ってるだけでも3ヶ所。絶対近づくなと言われてて数十年開けていない
場所があります。
1つ目は蔵の奥にある戸(南京錠がかけてある)。
2つ目は 女中部屋のタンスの裏(ドアがある)。
3つ目は 能舞台の奥のドア(鍵はないのに押しても引いても開かない)
3ヶ所とも確実に8畳以上はあると思う。
ず~っと気になっていたが 旦那も知らないし姑も教えてくれない。
機会を見て 探ってみたいと思ってるんだけど ちょっと怖い・・・
レスありがと。何が出てくるか かなり怖い。前スレの時はマジで腰が抜けたしね。
あの時は 何気なく襖をあけたら 暗闇に人が横たわっててギョッとして死体かと思ったら
むくっと起き上がった。思わず絶叫してダッシュで逃げたら 彼も絶叫しながら
追いかけてきて ゴミ屋敷の中で鬼ごっこだもん、驚いたなんてもんじゃないよ。
次は何が出てくるか、マジで怖い。お化け屋敷じゃなかったらいいんだけどね。
能舞台は昔 お祖母さんが能が趣味だったらしい。今は使ってないけど。
なんせバカでかい家だからお手伝いさん達に助けてもらわなきゃ管理できないんだ。
でも私はお手伝いさんは使ってないよ、姑のところだけなんだけどね。
もう一人でやるのは絶対嫌だから 中1の甥っ子にこづかい渡して助っ人を頼むつもり。
この週末に姑は東京に日帰りで行くはずだから 挑戦してみるよ。
開かずの間情報をリサーチしてきた。けど、ちょっと洒落にならんかも・・・
いつから どうして開かずの間になったのか まず旦那に聞いてみた。
蔵については 全く知らなかった。暗くて埃っぽいから全く関心なしだったんだと。
女中部屋は 女性が着替える場所だから元々出入り禁止だったんだけど
もしかしたら 昔住み込みの人達がいたかたら その人達の部屋だったかもって。
でも なぜ封印してあるかわからないって。
問題は 能舞台の奥。昔、いわくつきの能面があったらしい。その当時
旦那はまだ子供だったから はっきりは覚えてないけど お祖母さんの死とも
絡んでるのは確かみたい。あそこだけは近づかない方がいいって言われた。
だけどそれじゃ納得できない。で、勤続30年以上のお手伝いさんに聞いてみた。
始めはしぶっていたけど お手伝いさんは話してくれた。
昔、お祖父さんにはお妾さんがいて お祖母さんはそれをとても気に病んでいた。
悲しみを打ち消すために 憑かれたように能を舞っていたらしい。
でも病に倒れて亡くなってしまった。そのお祖母さんが大事にしていた能面。
お祖母さんが亡くなって お祖父さんはとても後悔し 毎日能面を眺めた過ごした。
その頃から お祖父さんの体調がどんどん悪くなっていった。
ある時 仕事関係の人に 女難の相が強く出ているといわれて 霊媒師に見てもらうと
お祖母さんの怨念と 元々能面に憑いていた女の霊が お祖父さんに憑いていた。
除霊をしても その能面を手元に置いておくと命を取られるということで
仕方なく その能面は美術館に寄贈することになった。
だから今は あの部屋に能面はないはず。しかし、その後 なぜか部屋のドアが
開かなくなったということだった。
なんだか お祖母さんの怨念が残っていそうで ドン引きなんですけど・
う~~、自分の住んでる家に怪談話があったショックで まだ頭が真っ白。
ほんとに洒落にならんよ。もっと当時のことを詳しく調べてから突入するか
どうか決めるよ。去年退職した元お手伝いさんなら もっといろんな事情を
知ってるかもしれない。それにしても は~~、悪夢にうなされそうだわ・・・
レス ありがと。なぜか 昨夜は全然アクセスできなかった。
タイミングがタイミングだけに 霊障か?とガクブルだった。
あ、30が正解ね、施設で亡くなったのは能面のお祖母さんの妹。で 昨夜。姑が入浴中にこっそり女中部屋を偵察してきた。
タンスの裏をのぞき込んでみたら なんだか臭う。臭いけど腐敗臭というより
下水の臭いかな?(余談だけど私は以前 水死体を引き上げたことがある。
だから死臭は知ってる。明らかに死臭ではない)ちょっと嫌~な感じ。
でも封印された理由を知りたい。昨日は 能舞台の裏部屋の話があまりに衝撃過ぎて
お手伝いさんに他のことを聞くのをすっかり忘れてしまった。
でも 彼女にはこれ以上聞き出しにくいから 元お手伝いさんに連絡つき次第
会いに行って直接聞いてみようと思う。それから 今週末の突入は中止する。
甥っ子を巻き込むのも中止。もっとよく調べてからじゃなきゃ危険過ぎる。
最初は単なる好奇心だったんだけどなぁ。やっぱり知っておくべきだと思う。
お祖母さんの妹の件でも 何も知らずにいて結果、大変なことになったんだしね。
いずれにしても 近いうちにお墓参りに行ってくるよ。
37ありがと。 今日 元お手伝いさんに連絡ついて 明日会うことになった。
どう切り出すか、迷ったけど単刀直入に開かずの間について ぜひ詳しく教えて欲しいと
お願いした。最初 それは困ると厳として話そうとしなかったが、能面の話は知ったと
言うと すごく驚いて「帯止めのことも?」と言われた。
帯止め?帯止めって・・・どういうことですか?と聞くと しばし無言。
もう何を聞いても逃げ出さないから ちゃんと教えて下さいと頼むと
「・・・わかりました。明日 お越し下さい」と言われた。
待ち合わせの時間と場所を確認し 電話を切った。帯止めが どの開かずの間と どう関係してるのかわからない。
今晩 うなされそうです・・・
正直、まだショックが収まらないというか どうまとめたらいいものか、
混乱してるので 読みにくかったらごめんなさい。待ち合わせの場所に 元お手伝いさん(以下 アキさん(仮名)とします)は現れた。
「お話しする前に 大奥様のお墓参りをさせて下さい」とアキさんは言った。
お祖母さんのお墓のある墓苑まで そこから車で20分。彼女を乗せて墓苑へ向かった。
墓前に花を供え線香を手向け拝んだ後 アキさんは言った。
「大奥様にお約束して下さいますか? 何を聞いても あの場所をそっとして
おいて下さることを。でなきゃ お話するわけにはいきません」
ふいをつかれて 一瞬迷ったが 私は同意せざるを得なかった。
よほどの事情があったのだと察した。そしてアキさん宅で話を聞いた
昔 お祖母さんはある男性と結婚し娘が2人生まれたが その夫は亡くなり お祖母さんは
娘2人を連れて実家(地主)に戻った。夫の親族は全て亡くなっており お墓や仏壇を
守る人がなかったので 仏壇もいっしょに持って帰ってきていた。
その後 お祖父さんと再婚。お祖父さんは お祖母さんの実家に資金提供されて事業を起こし
成功した。その頃 お祖父さんの実の子である娘が生まれた。
大層喜んだお祖父さんが お祖母さんにプレゼントしたのが 大きなエメラルドの帯留め。
それはお祖母さんの宝物になった。お祖父さんは 末娘を溺愛したが上の2人も大切にした。
末娘が高校生の時。彼女の仲のよかった同級生の父親が亡くなり家業が潰れた。
同級生に同情した末娘は お祖父さんに援助するように頼んだ。その後 お祖父さんは
その同級生やその家族の援助をしていたが やがてその同級生はお祖父さんの妾になってしまった。
それを知ったお祖母さんも娘達も 恩をあだで返されたことに激怒した。
その後 妾は息子を生んだ。本妻であるお祖母さんとの間には実の子は娘1人。
お祖父さんが帰宅しない日々が続き お祖母さんの苦悩はどんどん深まっていった。
その頃 お祖母さんは実家に置いてきた前夫の仏壇を屋敷の蔵の奥へ運び込み
一人で前夫の仏壇の手入れに励んでいた。やがて妾に4人の息子ができた頃から
お祖母さんは能にのめり込み 病に倒れるまでひたすら能を舞い続けた。能面をつけて一心不乱に舞う姿は 情念の塊のようで 娘達ですら近づけないほどだった。
そして お祖母さんの死。ここからお祖母さんの祟りは始まった。
お祖母さんの死を嘆き 大変後悔したお祖父さんは能面を眺めて過ごしていた。
それから お祖父さんはどんどん衰弱し ある日突然倒れて心臓の大手術をし
一命を取り留めた。病院に見舞いにきた友人に女難の相を指摘され 除霊を受け
能面を美術館に寄贈した後 徐々にお祖父さんは回復していった。
しかし その後 能舞台の裏部屋の戸が全く開かなくなってしまった。
同じ頃 アキさんは蔵の奥の仏壇の掃除をしようとしたが 仏壇の扉が
全く開かないことに気づいた。どちらの戸も開かなくなったのは能面を寄贈した後。
お母さんは まだ許していないのだと娘達は悟った。そして 仏壇を納めた蔵の奥
の戸に南京錠をかけ 仏壇は封印された。
それから10年程過ぎた頃。ハルさん(仮名)という住み込みのお手伝いさんがいた。
住み込みのお手伝いさんには 家庭にいろんな事情を抱えた人が多かった。
ハルさんもそんな一人。彼女は結婚していたが 夫は博打打ちの暴力男。ハルさんは
体一つでそんな夫から逃げてきた人だった。ある日 突然ハルさんの夫が家に乱入し
大騒ぎになった。もみ合いになり それを止めようとしたお祖父さんの運転手が
酷い怪我を負った。そのショックでハルさんは 女中部屋の奥にあるお風呂の中で
自殺を図ったが 一命は取り留めた。退院後 ハルさんは失踪してしまった。
そしてエメラルドの帯留めが消えた。
娘(姑)は ハルさんが お祖母さんの形見の帯留めを持ち出したことを激怒したが
暴力夫から逃げるための資金だったことも理解していた。それから数週間後。
ある日。アキさんは女中部屋で繕い物をしていた。そこに姑がきてアキさんに
話かけようとした時 コトッ。女中部屋の奥から音がした。2人で奥の間を見ると
ハルさんがそこに座っていた。ギョッとして言葉が出ない2人。
ハルさんは深々と頭を下げて 申し訳ありませんでした と言って消えた。
ハルさんのいた場所がぐっしょり濡れていた。そこに エメラルドの帯留めが
残されていた。後日 ハルさんは海に身を投げていたことがわかった。
それから後も 奥の間が濡れていることがあった。その後 女中部屋の奥は
封印された。エメラルドの帯留めは 他の宝石といっしょに金庫に保管された。
にもかかわらず また消えてしまった。
エメラルドの帯留めは その後見つかっていない。姑は 開かずの間に
おばあさんがしまい込んだのだと理解したそうだ。
「大奥様や奥様達の気持ちを どうかわかってあげて下さい」とアキさんは言った。
アキさんは ハルさんの死はお祖母さんの祟りだと思っているようだった。
本当のところはわからない。でも お祖父さんも呪い殺されそうになったのを
考えれば それも充分あり得るとは思う。その後 お祖父さんの亡くなった後
妾の息子達が相続の件で少しゴネたが 祟りを恐れて退散したそうだ。正直 今はまだ何も考えられない。
ただ お祖母さんを傷つけることは出来ないと思った。
長文 失礼しました。
なんだか お騒がせしてすみません。私のせいで雰囲気を壊して申し訳ないです。
ごめんなさい。でもこの開かずの間スレに出会えて 本当に感謝しています。
もしこのスレに出会わなければ 真相を知ることもなく無関心のまま過ごして
本気で調べるなんて決してしなかったと思います。衝撃は大きかったけど事実を
知ることが出来てよかったです。本当にありがとう。
あれから旦那と話し合い 住職の従兄弟にも相談した結果を最後に報告します。
今すぐ封印をとく必要はないが 家の解体や改築で開ける時は必ずお祓いをすること。
それまでは むやみに開かずの間に近づかないこと。家の神棚をしっかり祭ること。
お祖母さんのことは 祟り神だと理解すればいい。バチ当たりなことをすれば
祟りはあるが、真面目に努めていれば守ってくれる。そう信じていればいいと。
そういう結論になりました。スレ汚し 失礼しました。
お祖母さんの能面
継承
洒落にならないまでかは分からないがひとつ
島根県のある地方で。
現在二十歳の自分はほとんど山の中に住んでいる。
普通山の麓や悪くても道の通った中腹に住むのが一般的だ。
何故か我が家は寺や林業に従事している訳でもないのに頂上付近の山中に家が構えてある。
幼い頃からだったので特別不思議はなかったし、逆に見晴らしのいい場所で嬉しかったもんだ。幼い頃よく山で遊んだ。山全部が自分のものみたいで嬉しかった。
誰も来ないし、辺鄙な場所なのに秘密基地があった。そんな場所必要ないはずだが、子供とはそんなもんだ。秘密と名がつく自分だけの場所ってのは存在するだけ楽しいもんだ。その場所は神社。しかも完全な正方形で左右対称。木の位置や庭石みたいなものの数まで。
さらに凄いのは前後も鏡みたいに対象なんだ。
奇妙なんだけど、鳥居も東西南北にあり、社も四面にある。
勿論狛犬も八体いる。
そんな奇天烈な神社で人も来ないもんだからちょくちょく一人で来てた。
一人しかいなかった訳じゃない。1キロ下には幼なじみがいたから行けば良かったんだけど、この神社には連れて行けなかった。
祖父に他人を連れて行っては行けないとキツく言われていた。
さらにキツく約束させらるていた事は、「この神社は西から入って南から出なければいけない。10月だけは北から入って出口は東
さらに夜は行っては行けない。もし行ったら鳥居じゃない場所から出る事」
という約束。
なんか本当に秘密基地みたいで嬉しくて自分は暗号みたいなもんだったし、祖父が大好きで守っていた約束だった。そして先日大学に通っていて久しぶりに帰る事になった。
そして今夏の盆に祖父と久しぶりにその神社の話をしたんだ。
酒を飲むようになった自分に喜んで祖父はどんどん勧めてくれるから二人して多いに飲んだ。
翌日二日酔いの早朝に祖父が自分を起こす。早朝どころかまだ夜中の3時。
祖父は真っ白な服を来て白い徳利に日本酒を持っていた。
さらには肩には朱色のしめ縄。「夕べは楽しかったな。
朝早くて済まないな。これから大事な用がある。
夕べ話した神社に着いて来てくれ」
眠くて冗談じゃないと断ろうか迷ったが、祖父は深刻な顔をしている。
いつも優しい笑顔で微笑みを浮かべる仏様みたいな顔の祖父。
その顔がイーストウッドのような渋い険しい顔になっている。何かあると思い。着いて行く事になった。
夜だが、朝に近い。秘密基地の約束からするとこの場合どこから入るのだろうか?と思案していると
「北から入り、西の空より風を追い。東の光に雨を掛け、また北より出でる。
南にあるは死の国ぞ。根の国ぞ。
世見の囲いにはりたもう。はいりたもう。
天下りし神の園。スサの大神、御神石。
はらいたまえ、きよめたまえ四神の封じに参りたるかな。氏の繋ぎたるをかしき、申す、申す、申す、申す。
地の蛇、草蛇、黒の蛇、八つ首蛇。
スサの大神剣を巻いて
」
こんな感じで唱え出した。後に自分も暗記させられた。
実はまだ続きもあるし、実際少し改変してあります。
完全な言葉は言ってはいけない決まりらしいのでその長い祝詞のような呪文のような言葉が終わり、ちょっと変わった方法で神社にやっと入った。
そして自分は南の鳥居で待たされ祖父は1人で南側だけを閉めて、残りを開け放ち社にいた。
こちらからは何をしているのか見えない。しばらくすると左右の御神木から真っ白な人が神主が持ってるヒラヒラを背中に何枚もはためかせ出てきた。
で、目が三つあるんだよね。背中の方光ってるし。自分は無論ブルブルマックス。生まれて初めて失禁した。人間びびると尿を漏らすのは本当だと実感した。
時間の感覚がなくなるというか、止まったと思った瞬間だった。
南の社の扉が大きく、強く開いた。当然祖父だと思った。
祖父は祖父だけどなんか違和感があった。「そいつらから離れろ!」
って言うんだ。
でも自分は左右にいる2人の白いのは神様って分かってたから、信心深い祖父が神様をそいつらと表現するのに疑問と違和感を覚えた。
感は正しかった。祖父は、いや祖父みたいなもんの首がいきなり転がって首のあった場所から真っ黒な蛇が何匹か出てきた。
自分は霊感はあんまりないはずだけど、この黒蛇だけはヤバイって感じた。幽霊とか、悪霊とかってレベルじゃないと直感的に悟った。
すると
左右の神様?が剣を持ってるのに気付いた。
助かるぞって期待した。
そしたらそれぞれ左右の、東西の鳥居の方へ離れた。
神様も初めて見たから怖かったけど、黒い邪悪な蛇ははるかに怖かった。害意と殺意はハッキリ伝わってたから。
頭が黒蛇の祖父の偽物みたいなのが、一歩、二歩とこちらに近づく。
あぁぁこりゃ、死んだな。神様もじいちゃんも助けてくんねーかなって思ってた。常人の自分はこういう話しの定番で気絶してたみたい。
気付いた時は四方を開け放った社にいた。ど真ん中に剥き出しの御神体。剣なんだけど、かなり錆びてるやつ。
いつもの仏様みたいな優しい祖父の笑顔。
「良かった。説明は短めにするから聞いてくれ
我が家は何代前かは分からない位昔からあの神社の護りをしてきた。
分かってるとは思うが、あれは普通の神社じゃない。参拝客が来ないとか神主がいないとか、賽銭箱がないとかじゃない。
そしてさっきお前が見た神様も蛇も夢じゃない。
あれはな、もっと偉い神様の記憶なんじゃ。そして、お前に役目を引き継ぐ儀式だ。
ワシも昔祖父から引き継いだ。
しかし、お前の両親は知らない。代々孫に引き継ぐ決まりなんじゃよ。
怖かったろうなぁ、すまんなぁ。でも運命なんじゃ、これだけは。
別に何かこれからしなければならないとか、神主になれとかは一切ない。
とりあえず管理や掃除はワシが死ぬまではやる
しかし、死んだらお前がやるんだよ。そしてお前もまた孫にワシがした事と同じ事をするんじゃ。
儀式と言葉を覚えて、あとは掃除や管理をしておけば良い。あの約束を守ってな。」
涙を流しながら祖父がそう言った。
「大学を出たらこっちで暮らせよ。ここでの暮らしが怖くなったろうけど、本当に普段何もしなくてもいいし、お前がまた神社に行っても何も起こらないから安心しなさい。
」今二十歳。あと2年で京都の大学を卒業し、ここで暮らす事は確定してしまった。
現代人である自分はこんなオカルトな事には関わりたくないが、起こってしまった事は否定しない。
しかし結婚はしても子孫を残すかどうかは迷っている。しかし、こんな不気味で恐ろしい儀式というか習わしがよく今まで家が断絶もせず、今の時代まで続いたなぁと感心している。
そしてその理由が最近分かった。
こないだある神社に彼女とおみくじを買いに行った。彼女はおみくじが大好き。
手を打って目を閉じたらブワッっと風が吹いた。
彼女はまだ手を合わせて祈っている。
振り向いたら例の白いヒラヒラ付きの神様二人が狛犬の場所にいる。多分死ぬまでこの神様がついてるんだと思った。
アレしてる時もいると思うと不愉快でならない。長い長い信じられないような駄文を書かせて頂きました
継承
山の現場
そいじゃ、長いから、飽きたら飛ばすかNGワードに入れてくれw
これはうちの親父が飲むと時々する話。
親父は昔、土方の親方をしていて、年に数ヶ月は地方までいって仕事をしていた。
古い写真にはその頃の仲間や何かと現場で取った写真なんかが残されている。
そんな中に1枚、写真の裏に名前が書かれたものがあった。
7~8人で撮った写真なのに、3人の名前だけが裏に書かれている。
当時の写真だからモノクロのバラ板写真でかなり黄ばんでいる。その写真を整理していて見つけた時に親父に何故この3人だけ
わざわざ裏に名前が書いてあるのか聞いてみた。
「それは山(京都府下の山間部らしい)に行った時の写真や」
それは分かるが、なんで3人だけ名前が?
「山行ったら、人が減るのは仕方ない事もある」
それ以後の話はその時に聞けなかったが、後々になって酒の席で聞く事になった。
親父によると、その現場は冬という事もあってかなり過酷を極めたらしい。
古い旅館だけがその時の飯場となり、ろくな暖房器具も無く雪も多く
それでも工期は迫ってきていて、皆一様に疲労と不安に苛まれていた。
そんなある日、雪が少し小止みになったので宿から1時間以上歩いた現場に向かった。
当然山道で車両が入れるわけもなく、今のように重機が活躍するはずも無かった。
それでも皆で隊列を組んで深い雪の中を歩いて現場に着いた。作業は山間に道路を付けるための下地になる道を作るというもので
人夫が数十人で山を削っていった。屈強な男たちばかりだったという。
朝から始まった作業、雪は小止みでも降り続く中での過酷な労働。
なんとか早く終わらせて親父は皆を休ませてやりたかった。
昼になり簡易の屋根を付けた場所で火を炊いて昼飯になった。
数箇所に別れての昼飯だが、グループはそれとなく決まっていた。
ん?誰か足りない。親父はそう感じたので、皆の顔を見回した。
「○○さんは他で食べてるのか?」そう問うと、そうやないか?
と返事があったという。親父はなんとなく気になりながらも飯を食べた。
日が暮れて山間はすぐに暗くなるので親父は作業を終了し
全員を集めて宿に帰る事にした。これ以上は下山できなくなると判断したからだ。
宿に着いた頃にはすっかり辺りは暗くなり、雪と風は強さを増していた。
風呂に入り、夕飯の時間となって、皆で集まった広間に行くと様子がおかしい。
「何があった?」親父の問いかけに誰かが「○○さんがおらん」と言う。
昼飯の時に居なかった○○さんだった。親父はまずいと思った。
夕飯もそこそこに数人で現場の近くまで探しに行く事になった。
カーバイトランプの暗い明かりを頼りに、吹雪の中をそんなに長時間は
探し歩く事が出来ないし、二次遭難の恐れもあったので諦めて下山してきた。
すぐに電話があるような時代でもなく、朝になったら警察に届ける事にした。
翌朝は晴れて日差しが戻ってきた。数人が宿を後にして街の警察まで
不明者の届け出と捜索の願いをしに行った。請け負い先にも連絡を頼んだ。
親父は早くから現場に向かい不明者を捜しながら残りの者を連れて歩いた。
深くなった雪のせいもあって手がかりは無く、現場周辺での捜索も長くは出来ず
それぞれの作業場所で探しながらの作業をするように指示をした。
街まで走らせた者も昼には戻ったのだが、当時の警察は、そういう不明者には
あまり構ってくれず、ふもとの村の青年団に協力を求めておくとの事だけだった。
夕方になり、作業も捜索も断念した親父はまた皆を連れて宿に向かった。
帰り道でまた雲行きが怪しくなると、吹雪がすぐに襲ってきた。
宿に帰ると、妙な胸騒ぎで全員を広間に集めた。胸騒ぎは当たった。
また一人足りない。これは流石に焦ったという。2日で2人、これはおかしい。
まだ吹雪きが強くならないうちにと、数人づつのグループに別れて捜索をした。
それがまた最悪の結果になるとは思ってみなかったらしい。吹雪きが強くなり
全員が戻った時、ひとつのグループが戻らない。しまったと親父は思ったという。
しかし、程なくそのグループも戻ってきた。しかし、そのグループが遅かったのは
その中の一人が途中で忽然と居なくなったから探していたのだという。
事態はどんどん悪化していく。残った人夫たちにも不安と焦りの表情が見えた。
何が起こっているのか親父にも訳が分からなくなってきていた。
しかし、これ以上の不明者を出すわけにもいかず、親父は捜索を断念した。
翌朝もよく晴れて青年団も加わってくれて捜索と作業が再開され
遅れた作業を取り戻すためにも、青年団に捜索をお願いし、親父は作業にかかった。
天候の良いうちに少しでも早く作業を進めて、早くこの現場から離れたかったのだ。
昼も近くなり、昼食の準備のために親父は作業から離れ簡易の小屋に向かった。
今日は先に進むために、全員が川上の作業場に集まっていたので、
昼食の場所付近には人影は無かった。でも、どこからか人の気配がする。
元々、勘の鋭い親父なので、それは確信だった。誰も居ないはずの辺りを見回す。
すると、谷を挟んだ向かい側に人影を見つけた。見覚えのある人だった。
最初に居なくなった○○さんだった。親父は大喜びで声をかけようとした。
昼食のために皆が集まり始めたので、その姿を他にも見た者が居た。
しかし、その瞬間に思った。あの吹雪の中、二晩も耐えていられたのだろうか?
近づくために谷の方に足を進めると向こうもこちらに気づいたらしい。
何かに掴らないと立ってられないような急斜面の上に立つその人影の向こう
後から居なくなった2人の姿も確認できた。足を速めて谷に向かう、すると
三人の姿が谷の崖の方にすーっと動くのが分かった。危ない!思わず声を出した。
その声に周りに居た人達も崖を見上げた。三人は崖の端に立つと皆の方を見た。
そして、ニィっと笑って、崖から下に落ちていった。あぁ!皆の叫び声がこだまする。
一斉に崖の下に皆が向かうが、そんなに深い谷でもなくすぐに場所は解ったが
そこに三人の姿はおろか、落ちた形跡すら無かった。深い雪に埋もれたか、
そう思い皆で落下現場を探したが、やはり落ちたような形跡は無い。
それでも親父の指示で雪をかきわけて三人の捜索を続けると、雪の下から
最後に消えた一人が見つかった、当然凍死していた。そこから数メートル先で
2人目、そして落下現場の反対側で最初の○○さんが発見された。
その顔を見て全員が凍り付いた。口元を上げてニィっと笑っていたのだ。
三人の亡骸を宿に連れ帰り、地元までトラックで運んだ。警察は検死もそこそこに
作業中に崖から転落してそのまま凍死したものと断定した。
いくらその状況の不可解さを警察に訴えても取り合ってさえもらえなかった。
親父は残りの作業があったので、身内の居なかった一人の葬儀の手配をして
2人の家族に挨拶をして請け負い元に報告をして現場に戻った。
捜索を手伝ってくれた青年団に酒を振る舞い、労をねぎらい全員に少し休みを与えた。
その酒の席で妙な事を聞いたという。現場で見た事でさえ全員が口にしたくないほど
奇怪で恐ろしかったのに、まだ不可解な事が続いて出てきた。
まず、死んだ三人は皆同じ場所で作業していた。
これは親父も知っていた。それがあの崖の下の部分を掘る作業だったのだが
複数ではなく、場所が小さかったので一人で作業していたのだ。よく考えると
その作業が始まってからすぐに○○さんは居なくなった。それに、もっと不思議なのは
三人が落下するときに、先頭にもう一人白い着物を着て、白い頬被りをしたような
見た事もない人間が三人を崖に誘うように居たのを何人もが見ていたという。仲間を亡くした悲しさと、不可解な現象による恐怖で皆は深酒をして眠った。
その夜、あれほど晴れていたのに吹雪きで風が窓を叩く音がしてきて
叫び声のような風の音が宿を覆った。数人が起きてぼんやり窓を見ていたという。
親父も何か寝付けずに外をみていると、うわぁ!と叫び声がした。
山に向いた大き目の窓の向う、白い着物に頬被りの者を先頭に三人が歩いていく。
凍り付くように親父はそれを見ていた。三人は親父に向かって頭を下げると
また歩き出した。親父は窓を開けて声をかけようとしたその時、
先頭を歩く着物を着た者の顔が急にぐっと近づき大きくなって
親父に向かってまたニィっと笑った。そこで親父は気を失ったという。
親父はあくまで酔ってたせいでそういう事もあったし夢を見たのだと言うけど。雪の頃も過ぎ去り、親父たちは少し伸びた工期ではあったがそれ以降無事に作業を終え
現場を引き払い家路に就いた。それから数ヶ月して、その現場の完成の際に
親父は呼ばれて久々に現場に立った。奇怪な思い出も薄れていた頃、
あの時の青年団の一人が親父を見つけて声をかけた。とにかく来いと言うので
山道を少し歩いてたどり着いたのは例の崖の上だった。これ、と指差された所を見ると
そこには古びた墓石のようなものが、しかも3基並んで立っていた。
何でもそこは昔、この近くの廃村の墓地があって、数年前に道路工事のために
墓地ごと崖を切り崩したのだと言う。雪の無くなった崖下には意味不明の文字を書いた
赤い御札が一面に貼られた古い祠のようなものが残っていて、それは昔
この上の墓地にあったものだが、切り崩した際に崖下に落ちた。切り崩し作業を
親父たちの前に請け負ってた会社の者が次々と事故などで居なくなったせいで
その秋に親父たちがその現場にまわされたのだと告げられた。親父はその現場を最後に程なく会社をたたんで別の会社に勤めた。
その後も、亡くなった人達の家や葬儀でいろいろあったようだが
この先は親父もかなり酔ってからしか話さないので真偽の程は解らない。
ただ、実直だけが取り得のような親父が、この話をすると悲しそうにこう言う。
「あの現場では工事が無事に終わったのは三人が身代わりになってくれたさかいなんや」
他にも仲間を亡くすような経験が何度かあったそうだが、その全てが山に関する現場だったらしい。
今から40年以上前の話。何度か酒を飲んだ時に聞かされた話をまとめるとこういう事らしい。
思い違いや、記憶の混同があるのかも知れないけど、一応にこの話だけは同じ事を言うので
まんざら思い過ごしや記憶違いでも無いように思う。大して恐くなかったのに長文駄文で申し訳ない。
補足だけど、赤い札を貼った祠だけど、親父たちの前に作業してた会社の社長が
高熱を出していながら病院を抜け出してまで真っ直ぐに立て直して
狂ったようにお経を唱えながら赤い御札を貼ったものらしいです。いろんなスレに書いてるんだけど、今回はちょっと頑張りましたw
件の祠と墓の今は解らない。もう月日が経ちすぎているので
親父もどの辺りだったかあまり覚えていない。
ひょっとすると思い出したくないのかもね。
ただ、そこでそんな事があったという事実は消えないだろうし
そこに何かの思念が残ってたとしたら、それが月日の経過で
簡単に消えてしまうものなのだろうか。
山の現場