1.直前の状況
森監督率いる西武ライオンズはこの頃、黄金時代絶頂期。前年までリーグ3連覇、日本シリーズ2連覇と圧倒的な力でパ・リーグの王者として君臨していました。
選手は名捕手伊東、エース渡辺久信を始め、主砲清原、名手辻、超人秋山とどこを見ても名タレント揃い。
後々指導者になる人も多数輩出した、まさしく西武がもっとも強い時でもありました。
この88年も西武が優勝筆頭候補であり、その通りに開幕から快進撃を続けます。対抗馬として世間から評されていたのは、お祭り野球が得意で、火がつけば誰にも止められない近鉄。監督はあの名将・仰木(おうぎ)。
【野球逸話】伝説の10.19をあなたはご存じか。 – のんべんだらり、野球モモンガ
開幕からこちらも良い戦いをしていたものの、6月末の時点で8ゲーム差。難しい数字となっていました。
【野球逸話】伝説の10.19をあなたはご存じか。 – のんべんだらり、野球モモンガ
1988年6月、大麻不法所持により逮捕、退団となった主砲のリチャード・デービスに代わる選手として、中日ドラゴンズで第三の外国人選手だったラルフ・ブライアントを、同月28日に金銭トレードで獲得した。同日、首位の西武ライオンズと2位近鉄は8ゲーム差だった。9月15日の段階で、首位西武と2位近鉄は6ゲーム差であった。
10.19 – Wikipedia
しかしながら近鉄の追い上げはすごく、9/15の時点で西武に6ゲーム差まで。
平日3時からの試合、最下位のロッテ戦、川崎球場…注目は浴びていなかったが
だが、この日は朝から無料招待券を持った客が大挙して川崎球場に詰め掛け、当初の予想に反して球場の定員を大幅に上回る人々が集まった。入場できなくなった人は球場に隣接する雑居ビル、マンション、アパート等の上の階に観戦場所を求めて集まり、右翼側場外にあるマンション「ハウスプラザ角倉」は階段や踊り場、さらには屋上までが人で一杯になったほどだった[19]。第一試合に近鉄が勝利したことでさらに過熱、満員札止めになった入場券売り場には入場できない観客が殺到。
10.19 – miniwiki
2.第一試合開始
近鉄小野和義、ロッテ小川博の先発でスタート。
1回 愛甲猛が2ラン、
5回 鈴木貴久がソロを放ち1点差
徐々に盛り上がってきました。
7回 佐藤健一の適時二塁打
8回 村上嵩幸の2点二塁打で同点に追いつく!
しかし、優勝のためには引き分けでは×
ダブルヘッダーの第一試合は、同点9回打ち切りルールがありました。
9回表 近鉄は二死二塁。
もう後はない状況で代打で梨田!これが現役最後の打席になりました。
センター前にヒットを!
二塁の鈴木貴は必死に走り「セーフ」
9回表 近鉄は二死二塁
もう後がない状況で代打で梨田!これが現役最後の打席に。
センター前にヒットを放つ。
二塁走者の鈴木が必死に走りこんで セーフ!
1988年10月19日に川崎球場で行われたロッテオリオンズとのダブルヘッダーでは、第1試合の9回表二死二塁の場面で二塁走者として梨田昌孝の適時打でホームインし、決勝点となる得点を挙げた
鈴木貴久 – Wikipedia
逆転成功!中西太コーチと鈴木選手の抱き合って喜ぶシーンは名シーンですね
阿波野秀幸がキッチリ仕事をして、あと1勝!
3.第二試合
第二試合も緊張が続きました。
ロッテ先行で始まり、7回に近鉄に勝利の神様が舞い降りた!?
吹石、真希志が2点を勝ち越し。
裏、同点に追いつかれる。
8回 ブライアントがホームラン!再度勝ち越しに
その裏からは阿波野が抑えのマウンドに。
もう大丈夫という雰囲気が漂った中、信じられない出来事が!
「これで次も勢いに乗っていける」と阿波野は感じていた。しかし、第2試合は悲しい結末を迎える。1点勝ち越した直後の8回、連投のマウンドに送り出された阿波野に、ロッテの4番・高沢が立ちはだかった。1死。フルカウントからの6球目、真ん中低めのスクリューをすくい上げると、左翼席へ14号同点ソロが吸い込まれた。
川崎球場:ボクの思い出STADIUM:中日スポーツ(CHUNICHI Web)
高沢は「スクリューを狙ったわけではない」と首を振った。「僕のバッティングスタイルは、いつも真ん中やや外寄りの真っすぐに合わせている。あの時も真っすぐをライト方向へ打とうと思って待っていた。そうすればボールを長く見ることができ、落ちたり逃げたりする変化球にも合わせやすい。6球目も外へ沈んでいった球がバットの先に当たり、ヘッドがうまくかえった」
川崎球場:ボクの思い出STADIUM:中日スポーツ(CHUNICHI Web)
これで同点となり、試合は延長に
しかし、更なる壁が。4時間を超えて新しいイニングに入らないというルールが。
10回表に一塁走者が出たが羽田の二塁ゴロ併殺で優勝は幻に。
関東地方では当初この試合の中継予定は無く、朝日放送の中継に制作協力を行ったテレビ朝日は『パオパオチャンネル』『ニュースシャトル』内で随時川崎球場からの中継を差し込んで放送。一方で少しずつ試合中継を放送するうちに「もっと見たい」「(プロ野球の)中継を続けてくれ」と視聴者からの電話が殺到し、テレビ朝日編成局は20時以降の試合中継の実施について協議を行う。
10.19 – Wikipedia
第2試合途中の21時から全国放送に踏み切った[29][1]。
しかし10分で切り上げる予定だった中継は15分、30分と時間延長をかさね、21時30分を前にして『さすらい刑事』を中止して22時までの延長を決定。結果として21時台はCMなしの中継が続き、スポンサー抜きの“自主番組”となった。
10.19 – Wikipedia