少年を殺してホルマリン漬け..理想の少年を手に入れた男のとんでもない事件

firk12
1957年に起きた、少年愛者によるバラバラ殺人事件。金魚蜂と熱帯魚用の水槽に少年をホルマリン漬けにし、かわいい。かわいい。と愛でていた….。

1957年、少年愛者によるバラバラ殺人事件。
少年誘拐ホルマリン漬け事件 – Wikipedia

加害者と被害者の双方の親が著名人という殺人事件である。

・行方不明と脅迫状

1957年、東京の中学1年の少年(12歳)が銭湯に行ったまま行方がわからなくなり、2日後に身代金を要求する脅迫状が届けられた。
少年誘拐ホルマリン漬け事件 – Wikipedia

少年はプロレスラーであった清美川梅之の長男だった。


https://matome.naver.jp/odai/2152578830911038301/2152578965811415803
力士時代の清美川。

「アメリカでプロレスを学ぶ」と言って行方不明となっていた。まもなく失踪届が出され、失踪宣告の期限が過ぎたため自動的にこの被害者の少年の母とは離婚が成立した。

子どもを戻してもらいたかったら、午後4時までに東上線鶴ヶ島駅へ15万持って来い
少年誘拐ホルマリン漬け事件 – Wikipedia

母親はすぐに警察に通報。脅迫状の指示通りの金を用意して鶴ヶ島駅に出向き、周囲には刑事が見張っていたが、子供も犯人も現れなかった。
少年誘拐殺人ホルマリン漬事件

もちろん近辺に刑事が張り込んでいたのだが、犯人は現れなかった。2通目の脅迫状も届くことはなく、捜査は行き詰まりを見せた。

少年と銭湯で一緒になった同級生は事件の数日前に、彼が30歳くらいの丸顔の男に背中を流してもらっていたのを目撃していた。
少年誘拐殺人ホルマリン漬事件

少年は同級生に「さっき僕の背中を流してくれたあの人に、僕は殺されるかもしれない」と笑いながら話していたこという。
しかし、容疑者の特定には至らなかった。

●事件の発覚


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林邦太郎

中野署に精神科医から電話が入った。中野区に住む患者の自宅に、バラバラの少年の遺体があったという言うのである。
少年誘拐殺人ホルマリン漬事件

警察が林宅に急行したところ、バラバラ死体はもちろん本物で、少年のものであることわかり、林は逮捕された。

中野区に住む日本棋院七段名人の長男・林邦太郎は精神を病み、精神科医院に5年入院していたが、自宅で療養していた。
少年誘拐ホルマリン漬け事件 – Wikipedia

しかし精神状態が不安定となり、精神科医院に再入院した。診断の最中、林は異常な言動を繰り返したため、不審に思った医師はこの日林宅を訪問。家族とともに林の四畳半の部屋に入ると、室内に血痕が散らばっていた。

医師が床下を調べてみると、金魚蜂と熱帯魚用の水槽が2つずつあり、金魚蜂には頭部と両足、水槽には胴体と両腕が収められていた。
少年誘拐殺人ホルマリン漬事件

さらに蓋をパテで密封し、ホルマリン漬にしてあった。医師はこれを見て警察に通報したのだった。

・理想の少年

林にとって少年はまさに理想だった。

林は大学を卒業し、アルバイトをしていた。その頃に銭湯やそろばん塾の帰りの少年を言葉巧みに誘い、わいせつな行為を行ったり、暴力を振るっていたりしていた。
少年誘拐殺人ホルマリン漬事件

猫に対しても同様の愛情を持っており、多いときで20匹、事件直前は12匹の猫を飼っていた。だがその12匹を皆殺しにし、バラバラにして、半分ほどは食べてしまった。

「ついに捜し求めていた理想の少年を見つけた。住所・氏名を聞いた。必ず連れ出そう。必ず。」
少年誘拐殺人ホルマリン漬事件

4月1日、林はノートの最初のページに次のようなことを書いた。

その後、少年を見かけて接近。執拗に銭湯で家に誘い、林は少年の服を脱がそうとしたが拒否されたため、殴って殺した。
少年誘拐殺人ホルマリン漬事件

同級生に「殺されるかもしれない」と言ったことから少年は銭湯で会った林に脅威を感じていた。だがなぜか男と「明日会おう」という約束を交わしてしまい、彼の家までついていってしまった。

遺体は2日がかりでバラバラにした。
少年誘拐ホルマリン漬け事件 – Wikipedia

大型の金魚鉢など4つの容器にホルマリン漬けにして密閉して保存した。

「4月3日、ちょっとイタズラしたくなった昼過ぎ、こどもが欲しければ15万持って鶴ヶ島駅へ来いと書いたはがきをポストに入れた。それから渋谷に行き熱帯魚を撃っている店でガラス容器を4つ買った。今夜も徹夜で死体の処理をしたが、父や母は気づかなかった。」
少年誘拐殺人ホルマリン漬事件

この頃のことをノートには次のように書いていた。

「金魚蜂に入ったあの子は、見ても見ても飽きるということがない。ホルマリン漬けになったあの子は生きているときより、いっそうかわいい。親父たちがいるから、もったいないけど昼間は床下に隠す。でも隠す前には必ずサヨナラを言うんだ。でも、別れの度に、つらい・・・」
少年誘拐殺人ホルマリン漬事件

少年の様子について書いた大学ノートの最後のページにはこう記されていた。

林は精神鑑定を受けたが、責任能力が認められ1958年7月、懲役10年の判決を受け、控訴せず服役した。
少年誘拐ホルマリン漬け事件 – Wikipedia

その2年後に週刊誌に「模範囚として過ごしている」と消息が報じられたという。

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2018年09月30日