イギリスの名門貴族スペンサー伯爵家に生まれたダイアナは、1981年にチャールズ皇太子と結婚し、ウィリアム王子とヘンリー王子の2児の母親となった。
チャールズ皇太子と別居状態となったのち1996年に離婚。翌1997年パリで自動車事故により36歳という若さで不慮の死を遂げた。
スコットランド、1981年
ダイアナは時折見せる表情からシャイな性格だと思われることが多かったようですが、ダイアナの弟チャールズが、姉のダイアナは実際はシャイではないと話している記事がありました。
1983年
この羊のセーターはダイアナ妃のお気に入りだったようです。
1984年11月
この髪型はこの時期の写真でしか見られません。
リヒテンシュタインのマルブン(Malbun)スキー場で
リヒテンシュタイン唯一のスキー場でオーストリアの山々を見ながらスキーが楽しめる。
この写真は前の写真の翌年のもの、スキー場場所不明
真紅のスキーウェアが本当によく似合っています。ダイアナ妃は赤が好きだったんでしょうね。
来日時
なんという素敵な装いでしょうか、、
ロンドンに来る前にダイアナが通っていた学校の先生は彼女と2人の姉をよく覚えていて、頭がよかったお姉さん達と違って勉強はできなかったけれど、ダイアナはとても心のやさしい子だったと話している記事がありました。
スポーツ万能でバレエ、ダンス、水泳、テニス、ネットボール(バスケットボールの派生競技)で活躍。友達も多かった。バレリーナ志望だったが身長が180センチ近くまで伸びたため断念した。
ダイアナが通った学校はボランティア活動に力を入れていて、毎週のように老父婦の家に話し相手や家事の手伝いに行く中で彼女は自身の社会奉仕への適性に気づいたという。
写真とは全く関係ありませんが、結婚後チャールズ皇太子との仲が修復不可能になったダイアナは慈善活動にさらに熱心に取り組むようになりました。
戦争が終わった後も残された地雷による被害を訴える映画の上映に招待されたダイアナは内容に衝撃を受け、地雷除去活動への協力を依頼され引き受けています。防護服と防護バイザー姿で地雷原の前に立つ写真が有名です。
地雷で障害を負った人や紛争で大切なひとを失った人を見舞いに世界各地を訪問、パリで亡くなる直前にも戦争の爪痕が残るセルビアを訪れています。
成人したウィリアム王子とヘンリー王子もまた地雷除去の支援活動を行なっていて母の遺志を受け継いでいるようです。
ダイアナ妃は王子達とハンバーガーを食べにケンジントン宮殿近くのマクドナルドへ通ったそうです。注文の列に並ぶ親子に驚いた店長にダイアナ妃はこのまま並ばせてとジェスチャーで伝えたそうです。
2人をできるだけ普通の子供としても育てたかった彼女は、しばしば王子達と食事や映画を観に外出しました。
店などで居合わせた人は内心驚いたと思いますが、ダイアナ妃が普段の生活の中で特別扱いされることを望んでいないと知っていたため、特に声をかけたりはせずごく普通に接する場合が多かったようです。
イギリス人はとても大人ですね。筆者なら一緒に写真をとかサインを頼むなどしてしまうと思います。
ダイアナが眠る島の対岸にある慰霊碑、オルソープ
ダイアナ元妃は弟の第9代スペンサー伯爵が守るスペンサー家の地所オルソープの湖に浮かぶ小さな島に埋葬された。
遺骨が盗まれるのを防ぐため島のどこに葬られたかは公表されておらず埋葬の位置を示す墓碑もない。実際に20年間で4回、盗掘の試みがあったという。
2004年にロンドンのハイドパークに作られたダイアナ・メモリアル・ファウンテン(ダイアナ記念噴水)の全景
子供や大人が自由に入って遊ぶことができる非常に浅い水路のような形状です。
ロンドン中心部に設けられたダイアナ・メモリアル・ウォークのマーカー
マーカーをたどって一周すると11kmになるコースになっています。
ダイアナ・メモリアル・ウォーク公式サイトへのリンクです
スペンサー伯爵家の本邸オルソープ(Althorp)
ダイアナの生誕時、幼少時は祖父アルバートが暮らしていてダイアナはよく遊びに行っていた。
1975年に父エドワードが相続し、1992年にダイアナの弟チャールズが相続した。
美しいオルソープの遠景
写真には写っていませんが、ダイアナ元妃が埋葬された小島のある小さな湖が建物の近くにあります。
まだ幼かった2人の王子を残して逝ってしまったダイアナも本当に無念だったと思います。
兄弟が立派な大人へと成長し母親のやさしい心を受け継いでいることが唯一の慰めであり希望のように感じます。
自由の炎のモニュメントに集まる人々、パリ、2017年8月31日
すぐ真下にあるトンネル内でダイアナを乗せた車の事故が起こったため、このモニュメントは非公式なダイアナの慰霊碑となっているそうです。
筆者は詳しくないのですが、形状がニューヨークの自由の女神像の持つたいまつとよく似ているのでもしかしたら関連があるかもしれません。(自由の女神像はアメリカの独立戦争を支援したフランス人が集めた寄付で制作され贈呈されました)
一輪のバラが添えられたコラージュ、パリ
“Rose OF ENGLAND”
ダイアナ妃はその短い人生を駆け抜けていきましたが、世界中のたくさんの人びとの心の内に大切に記憶されてずっと愛されていくでしょう。
当まとめを最後まで見ていただきありがとうございました。
チャールズ皇太子ははじめダイアナ妃のお姉さんと付き合っていたのですが、しばらく後に妹のレディ・ダイアナ・スペンサーとの交際が始まりました。
デートを楽しむ19歳のダイアナとチャールズ皇太子