スウェーデンの傑作戦闘機「サーブ J35 ドラケン」の美しい画像

maruttopie
北欧スウェーデンが作った美しいジェット戦闘機ドラケン。開発したサーブ社は前例のないダブルデルタ翼を採用し、水平尾翼を持たないという異色の戦闘機を出現させました。新谷かおるの人気漫画『エリア88』では主人公シンの乗る機体の一つとしても登場しました。

スウェーデンのサーブ社が、スウェーデン空軍のサーブ J29 トゥンナンの後継機として開発した。愛称のドラケンはスウェーデン語で「ドラゴン(竜)」。

限られた予算・設備・人員にもかかわらず、ドラケンは開発開始から6年後の1955年に試作機がロールアウトした。射出座席や射撃管制装置も自力で開発された。

当初、国産のターボジェットエンジンを搭載する予定だったが開発が頓挫したため、ロールスロイス製エイヴォン300をライセンス生産したRM6Bを装備、J35D型からはライセンス生産社のスヴェンスカ・フリグモーター(後のボルボ・エアロ)が、より大型の自主製アフターバーナーに換装したRM6Cターボジェットを搭載した。

最高速度:1,900km/h/マッハ1.72(後期のD〜J型は、2,150km/h/マッハ2.0)

航続距離:1,763km(フェリー時)

離陸滑走距離:650m

有事の際は一般道路の直線部分を使用して離着陸することも想定。

10分以内に、再給油と再武装が可能。

エンジンには自立始動が可能な液体スターターが組み込まれており、外部機器の支援なしで緊急発進することができた。

外翼部が取り外せる構造で、その際の全幅は5m未満に収まり農家の倉庫などに機体を隠すこともできた。

小型軽量な機体は燃料タンク容量が限られるため、航続距離は短い。

水平尾翼のない影響か、機体の縦方向の安定性が悪くディープストールに入る場合があり、フライ・バイ・ワイヤ等もない時代だったこともあって操縦には高い技量が必要だった。このためスウェーデン製の戦闘機としては初めて複座の練習機型が作られた。

全長:15.34m(D型〜J型)

全幅:9.42m

全高:3.89m

空虚重量:7,422kg(J型)

最大離陸重量:12,430kg(J型)

固定武装:30mmアデン機関砲、2門(後期のF型とJ型は1門)

サイドワインダー空対空ミサイル、4発(J型のみ、6発)

75mm空対空ロケット弾、19発ポッド、2基(J型のみ4基)

ドラケンが装備したミサイル
複座の練習機型

スウェーデン空軍のほかにも、ドラケンは輸出にも成功した。

・フィンランド空軍
・デンマーク空軍
・オーストリア空軍

・アメリカ空軍、飛行試験用に元デンマーク空軍機を少数運用

デンマーク空軍の複座練習機型
フィンランド空軍
オーストリア空軍
オーストリア空軍
デンマーク空軍
デンマーク空軍の複座練習機型
デンマーク空軍
国立テストパイロットスクール所属機、モハべ・スペースポート、アメリカ
デンマーク空軍、スペシャルマーキング機
オーストリア空軍のスペシャルマーキング機
オーストリア空軍
オーストリア空軍、特別塗装機
オーストリア空軍、特別塗装機
左から、ビゲン、ドラケン、グリペン
スウェーデン空軍、退役記念の特別塗装機
オーストリア空軍機、シュパイアー技術博物館、ドイツ
左から、サーブ 105、サーブ 37 ビゲン(上)、サーブ 35 ドラケン(下)、サーブ 39 グリペン(上)、サーブ 29 トゥンナン(下)
サーブ J37 ビゲン、スウェーデン空軍
サーブ J39 グリペンE、ブラジル空軍
サーブ 105、ジェット練習機、スウェーデン空軍

▼ 後退翼を持つジェット戦闘機の出現

第二次大戦末期ドイツの革新的なジェット戦闘機Ta 183は未完に終わったが、終戦後各国はこれによく似た形の、後退翼を持ち胴体内部に1基のジェットエンジンを搭載した戦闘機を開発した。

フォッケウルフ Ta 183「フッケバイン」

40度の後退翼を持ち、機首に空気取り入れ口を配置、後部胴体内部にジェットエンジンを納めた、それまでのレシプロ機やジェット機とは全く異なる新世代の航空機だった。

固定武装:MK108 30mm機関砲、4門

初飛行は1945年5月または6月の予定だったが、4月にフォッケウルフ社の工場がイギリス軍に占領されたため1機も完成することなく終戦を迎えた。

Ta 183、風洞実験用の模型

1944年、英本土を偵察していたドイツ偵察機は、インドの基地へ向かう途中でイギリスに立ち寄ったB-29を偶然発見した。

高性能な戦略爆撃機の実戦配備に驚愕したドイツ空軍上層部は対抗できる戦闘機の開発を迫られ、この計画は緊急戦闘機計画と呼ばれた。(実際にはB-29は1943年に対日戦専用に使用することが決定しておりドイツ爆撃に使われる予定はなかった)

数社の中からクルト・タンク率いるフォッケウルフ社が提案したこの機体が制式採用されTa 183と名付けられた。(Taは設計技師タンクから取られている)

▼ 朝鮮戦争 1950-1953 (休戦中)

第二次大戦終結から5年後、1950年6月に朝鮮戦争が勃発。10月に中国人民解放軍が義勇軍という名目で突如参戦した。

人民解放軍はソ連から供与された後退翼を持つ最新鋭のジェット戦闘機MiG-15で、国連軍のP-51マスタングやホーカー・シーフューリー等のレシプロ戦闘機を速度差をもって圧倒。イギリス空軍のグロスター・ミーティア等の直線翼のジェット戦闘機に対しても有利に戦いを展開し、搭載した37mm機関砲で米軍のB-29を多数撃墜した。

直線翼ジェット戦闘機では対抗できないと判断したアメリカは最新鋭機F-86セイバーを投入、史上初の後退翼ジェット戦闘機同士の空中戦が始まった。中国軍に供与されたMiG-15には中国軍パイロットだけでなくソ連軍の技量に優れたパイロットも搭乗して実戦に参加していた。朝鮮半島上空でアメリカ人とロシア人が実際に戦っていたことになる。

F-86の投入で一時は有利に立ったものの改良型のMiG-15bisが出現すると互角の戦いとなったためアメリカは改良型のF-86E、F-86Fを次々と投入、アメリカ国内生産だけでは機数が足りず隣国カナダでも生産されたF-86も合わせた物量をもって最終的にはミグを圧倒した。F-86のキャノピーは視界が良く敵機を発見しやすかったことや、優れたレーダー照準装置によって機関砲の命中率が高かったこともF-86が優勢になった理由としてあげられている。

アメリカとソ連の戦闘機はその後、1958年の台湾海峡での中国人民解放軍(MiG-17F)と台湾空軍(F-86F)の交戦、1965年ベトナム戦争でのアメリカによる北爆開始後、F-4やF-105対、MiG-17、MiG-19、MiG-21との空中戦で相見えることになる。

ノースアメリカン F-86F セイバー

第二次大戦時にドイツが研究していたデータを元に開発した35度の後退角を持つ低翼式の主翼を持つ。当時のアメリカ軍の最新鋭戦闘機。

最大速度:1,105km/h

固定武装:12.7mm機関銃、6門

ミコヤン・グレビッチ MiG-15bis、写真はアメリカ軍が鹵獲した機体

ドイツが研究していた後退翼のデータを活用して開発されたMiG-15の性能は、当時の西側のほとんどの戦闘機より優れていた。搭載した37mm機関砲は強力で、朝鮮戦争では多数のB-29を撃墜した。(大戦末期ドイツのTa 183開発の方向性は正しかったと言える)

最大速度:1,076km/h

固定武装:37mm機関砲 1門、23mm機関砲 2門

設計者のミコヤンはイギリスのロールスロイス社に招かれた時、ビリヤードの勝負に勝った褒美として当時世界最高レベルの遠心圧縮式ターボジェットエンジン、ロールスロイス・ニーン2のサンプルの購入権を得た。

この訪問時ミコヤンは工場内に落ちていた切削屑を靴の裏に吸着させて密かに回収し、ニーン2のタービンブレードに使われている合金の組成を特定することに成功した。

【ジェットエンジンのタービンは、燃焼室から出てきた燃焼ガスをタービン翼で受けることでその推進力の一部を回転力として取り出し、シャフトを介してエンジン前部の圧縮機を回転させる。

タービンブレードには超高温と高回転による遠心力が加わって、あらゆる機械部品の中でも最も過酷な環境下に置かれる。タービン翼が燃焼ガスの温度に耐えられない場合は燃焼室の燃焼温度を下げるしかないが、エンジンの性能は低下してしまう。

そのためタービンブレードには、その時代、その国の技術力で作ることができる最高の材料が使われる。ニーン2のタービン翼に使われた合金は当時の世界最高レベルの技術であり、ミコヤンはイギリスの最高機密に属する技術を盗むことに成功した。】

こうして無許可でコピーし製造したエンジンを搭載したMiG-15は、その優れた性能で西側諸国に大きな脅威を与えることになった。

MiG-15bisに搭載されたクリモフ VK-1ジェットエンジン

ロールスロイス・ニーン2からデッドコピーされたRD-45ジェットエンジンをソ連で改良したもの

◆ 1958年、金門砲戦(台湾海峡での中国人民解放軍と台湾軍の交戦)

1958年、台湾空軍のF-86Fはアメリカから供与されたAIM-9 サイドワインダー空対空ミサイルを使用して、交戦した中国人民解放軍のMiG-17F戦闘機を11機撃墜した。

これは空対空ミサイルが実戦で発射されて撃墜を記録した初めての例となった。

台湾が支配する金門島を人民解放軍が砲撃したことで始まったこの危機に対して、アメリカ軍は第7艦隊から空母7隻を台湾海峡付近に派遣して中華民国軍への補給を支援するとともに、空軍、海兵隊、陸軍の3軍共同演習を行って中国側へ警告。さらに最新鋭戦闘機F-104A スターファイター部隊を台湾空軍の基地に展開させた。(現在であれば台湾空軍の基地にF-22戦闘機部隊を展開するようなもので、7隻の空母を派遣したことと合わせてアメリカ側の反応は強烈だった)

アメリカ空軍はこのとき人民解放軍に対して戦術核兵器の使用を実際に計画したが、アイゼンハワー大統領が核の使用を承認しなかったことが、50年後の2008年に機密解除されたアメリカ国防総省の文書により明らかになった。

ソビエトは中華人民共和国建国以来、共産主義の同志として人民解放軍へミグ戦闘機をはじめ様々な兵器を供与し、核兵器開発のための技術供与までも行なっていた。スターリンが死去した後の次の指導者フルシチョフはこの頃ソ連と中国との関係が悪化していたことに加えて、この金門島の戦闘で「好戦的な中国の核保有は核戦争を誘発する」と考えるようになり、中国への核兵器関連の技術供与を打ち切った。

現在から60年以上も前にフルシチョフは中国共産党の好戦性に危機感を覚えていた。(人民解放軍は中国共産党直属の軍事組織で、事実上の中華人民共和国の軍隊という形になっているが正確には国家に所属している軍隊ではない)

▼ 中立国スウェーデンの事情

第二次世界大戦時、スウェーデンは中立を守ったが周囲では枢軸国ドイツ・フィンランドとソ連やイギリスなどの連合国軍機の空中戦が絶えず行われ、誤ってスウェーデンの領空を侵犯する事態が頻発した。スウェーデン防空部隊は枢軸側・連合側を問わず侵入した航空機をインターセプトし国内の飛行場に強制着陸させたが、迎撃に上がったスウェーデン軍機が領空侵犯機に撃墜されてしまう事件も発生した。スウェーデンは強力な戦闘機の必要性を痛感し大戦終結後も自国の中立を守るために戦闘機開発に邁進した。

終戦後、スウェーデンの技術者達はスイス経由でドイツの研究資料を入手、国産の後退翼ジェット戦闘機「J29 トゥンナン」の開発に成功した。トゥンナンの初飛行はアメリカのF-86の約1年後、ソ連のMiG-15から9カ月後と二大大国とほぼ同時期の開発だった。スウェーデンは小国ながら第二次大戦後ほどなくして世界最先端レベルの戦闘機を開発できる技術力を手に入れた。

そのトゥンナンの後継機として開発されたJ35ドラケンは、後退翼ジェット戦闘機の実用機が出現してからまだ4年ほどしか経っていない時期に、それまでまだ誰も見たことのないダブルデルタ翼を持つ航空機として開発が進められ、技術的に大幅な進歩を遂げることになった。

◆後退翼ジェット戦闘機の初飛行

F-86(アメリカ)、初飛行1947年10月
MiG-15(ソ連)、初飛行1947年12月

J29トゥンナン(スウェーデン)、初飛行1948年9月

==ダブルデルタ翼を備えたジェット戦闘機==
J35ドラケン(スウェーデン)、初飛行1955年10月

サーブ J29 トゥンナン

J29トゥンナン(「樽」の意)
初飛行、1948年9月
運用開始、1951年
退役、1972年

最大速度:1,035km/h(F型のみ、1,060km/h)
固定武装:20mm機関砲、4門

サーブ J29 トゥンナン、コンゴ動乱時に国連軍機として派遣されたスウェーデン空軍機

1961年に派遣されたJ29は地上攻撃や写真偵察任務を行なった。コンゴでは優秀な戦闘機として評価されたが危険な任務も多かったため、J29戦闘機部隊の損耗も激しかった。

J29が実戦に参加したのはコンゴ動乱だけだった。

サーブ J35 ドラケン、サーブ 96 クーペと、1960年

J35ドラケン
初飛行、1955年10月

▼ ダブルデルタ翼を持ち、水平尾翼のない戦闘機、ドラケンの登場

サーブ 210「リルドラケン」(「小さなドラケン」の意)

ドラケンの採用した前例のないダブルデルタ翼を検証するため、ドラケンの1/2スケールで飛行可能な機体が製造された。

リルドラケンは1952年1月に初飛行。

その後ドラケンは1955年10月に初飛行した。

サーブ 210

1機だけ製作された本機はスウェーデン空軍博物館で余生を送っている。

スウェーデン空軍博物館

ストックホルムから西南西に電車で2時間、リンシェーピングの町にあります。

スウェーデン空軍博物館の公式サイトのリンクです

エイヴォン300 ジェットエンジンのカットアウェイモデル

写真左側から、

空気取入れ口→ファン→圧縮機→燃焼室→排気タービン(燃焼ガスから回転力を取り出して前方にあるファン及び圧縮機を駆動する)→排気ノズル

当初ドラケンは、ロールスロイスのエイヴォン300を自国でライセンス生産したRM6Bを1基装備した。

ライセンス生産社のスヴェンスカ・フリグモーター(ボルボ・エアロの前身)は、アフターバーナーを改良したRM6Cを開発し、ドラケンはD型からこれを搭載した。

複座練習機型のSK 35C(RM6B)
上から、

J29トゥンナン

J35ドラケン

サーブ105

J37ビゲン

◆ 関連まとめ

https://matome.naver.jp/odai/2152189382364689301
2020年09月01日