カール・パンズラム
アメリカ合衆国の連続殺人犯で、立証されていないものも含め22件の殺人を犯したとされる。刑死後にその半生を記した自伝が発表されたことでも知られる。
アルバート・フィッシュ
アメリカのシリアルキラー、食人者。「満月の狂人」 (Moon Maniac)、「グレイマン」 (Gray Man)、「ブルックリンの吸血鬼」 (Brooklyn Vampire) などの異名で知られる。
(1910年から1934年までに400人を殺したと自供)。肉を食べる目的で殺害された児童もいる。成人も殺害しているとされる。なお、「満月の狂人」という異名は、犯行が満月の日に行われたことが多かったことにちなむ。
アメリカ犯罪史で史上最悪の殺人鬼と呼ばれている。
「電気椅子で死ぬなんてゾクゾクするなあ!最高のスリルだよ――だってまだ試したことがないからね!」
ハーマン・ウェブスター
「シリアルキラー」(連続殺人鬼)として記録された最初期の人物のひとりである[3][4]。彼は27件の殺人を自供したが、彼が明かした「殺人の被害者」には存命者もおり、結局9件のみ立証された。一般には200人もの被害者がいるとされているが、この数は1940年代に発行されたパルプ・マガジン(安価な大衆誌)を通じてしか確認できない
デイヴィット・パーカー・レイ
アメリカ合衆国ニューメキシコ州の砂漠地帯で一人の女性が保護された。女性の名はシンシア・ヴィジル。彼女は裸で頭などをひどく負傷しており、鎖のつながった南京錠つきの首輪をつけていた。彼女の通報により、ニューメキシコ州トゥルース・オア・コンシクエンシーズに住む一人の男が逮捕された。
男の住処からは大量の拷問器具が発見された
チャールズ・マンソン
アメリカのカルト指導者であり犯罪者。1960年代末から1970年代の初めにかけて、カリフォルニア州にて「ファミリー(マンソン・ファミリー)」の名で知られる疑似生活共同体を率いて集団生活をしていた
デニス・ニルセン
「あの素晴らしい肉体を損ねるような真似は出来なかった」
死体を洗い浄めると、衣服を着せ、共にテレビを見て、夜になると添い寝した。
フリッツ・ハールマン
1919年から1924年にかけて、ハールマンは少なくとも24人を殺害している。ハールマンの犠牲者はハノーファー中央駅をうろついている若い男性浮浪者や男娼だった。ハールマンは彼らを自分のアパートに誘い、男色行為中に犠牲者の喉を噛み破って殺害した。
アナトーリ・アノプリエンコ
はウクライナのシリアルキラーである。6年間に52人を殺害し、警察からは「ターミネーター」と呼ばれた。
阿部定
仲居であった阿部定が1936年(昭和11年)5月18日に東京市荒川区尾久の待合で、性交中に愛人の男性を扼殺し、局部を切り取った事件。事件の猟奇性ゆえに、事件発覚後及び阿部定逮捕(同年5月20日)後に号外が出されるなど、当時の庶民の興味を強く惹いた事件である。
古谷惣吉
古谷惣吉が1965年11月9日から12月12日までの1か月ほどの間に、さしたる理由のないまま8人の老人を手当たり次第に殺害した事件である。「警察庁広域重要指定事件105号」に指定されており、警察庁広域重要指定事件としては初の殺人事件であった。
チャールズ・ジョセフ・ホイットマン
1966年8月1日正午、元海兵隊員で、テキサス大学の大学院生であるチャールズ・ホイットマンがテキサス大学オースティン校本館時計塔にM1カービン銃、レミントンM700狙撃ライフル等の銃器、立て籠もりのための食料等を持ち込み、受付嬢や見学者を殺害した後に同時計塔展望台に立て籠もり、眼下の人を次々に撃ち始めた。
ペーター・キュルテン
ドイツの連続殺人犯。デュッセルドルフの吸血鬼 (ドイツ語: Der Vampir von Düsseldorf) という異名を持つ。強姦、暴行、殺人を行い、1929年1月から11月までのデュッセルドルフの凶行で有名。名前を英語読みし、ピーター・キュルテン(ピーター・カーテン)とも言われる。近代シリアルキラーの原点の一つとして語られる。
リチャード・チェイス
アメリカ合衆国の無秩序型連続殺人者。被害者を射殺した後、腹を切り裂き、ヨーグルトの容器で血をすくって飲んだ事から、「サクラメントの吸血鬼」との異名をとる。
都井睦雄
津山三十人殺し(つやまさんじゅうにんごろし)は、1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で発生した大量殺人事件。 一般には津山事件と呼ばれ、犯人の姓名を取って都井睦雄事件ともいう。
メアリ・フローラ・ベル
1968年5月から7月にかけてイギリスで発生した殺人事件。11歳(初犯は10歳)の少女が3歳と4歳の(マーティン)男児を殺害した。マリー・ベル事件とも言われる。
ピーター・サトクリフ
1975年7月から5年間に渡り、13人を殺害、重軽傷7人を出したイギリスのシリアルキラー。売春婦連続惨殺事件の犯人として有名な切り裂きジャックと酷似していたことから、ヨークシャー・リッパー(ヨークシャーの切り裂き魔)と呼ばれた。
ウィリアム・ハイレンズ
殺人そのものにエクスタシーを感じるようになっていた。
やがて侵入窃盗で逮捕されたハイレンズはすべてを自供し、シカゴを震撼させた連続殺人事件は解決した。終身刑を宣告されて、イリノイ州刑務所における最長服役期間記録を今もなお更新中である。
註:2012年3月5日に死亡した模様。83歳だった。
カーラ・ホモルカ
ポールとカーラは誰もが羨むベストカップルだった。少なくとも見かけだけは。しかし、左の写真が撮られた時点で、既に1人の少女を誘拐し、拷問した上に陵辱し、バラバラにして遺棄していたのである。しかも、彼らはその模様をビデオで撮影していたのだ。その笑顔と所業のギャップには戦慄を覚える。
川俣軍司
1981年(昭和56年)6月17日午前11時35分頃、東京都江東区森下二丁目の商店街の路上において発生した無差別殺人事件である。深川通り魔殺人事件を起こした。
「仕方ないのさ。なにかが俺にそうさせるんだ。でもそれって治療できないんだろ?だったら、しょうがないじゃないか」
大月孝行
1999年4月14日に山口県光市で発生した凶悪犯罪。当時18歳の福田孝行(後に大月孝行に改名)により主婦(当時23歳)が殺害後暴行され、その娘(生後11カ月)の乳児も殺害された。
エドマンド・エミール・ケンパー三世
寝ていた母親をハンマーで撲殺し、頭を切断。ダート盤にする前に、ケンパーは彼女の頭とオーラルセックスを行った。それから母親の声帯を取ってディスポーザーに捨てたが、機械がうまく作動しなかった。その後、ケンパーは母親の親友も殺害。3日後に自ら警察へ出頭した。最終的には、ケンパーにより合計で10人が殺害されたことになる。
マーク・エセックス
1973年1月7日、ダウンタウン・ハワード・ジョンソンズ・ホテルに侵入したエセックスは「白人の無差別殺戮」を開始した
西口彰
1963年10月に2人を殺害し、その後、1964年1月3日に逮捕されるまで逃亡を続け、大学教授や弁護士などを騙って計5人を殺害し、計80万円を詐取した。熊本では弁護士を装って教戒師・古川泰龍の家に押し入るが、当時10歳の娘が見抜き、通報することにより逮捕につながった。
テッド・バンディ
1974年から1978年にかけて、全米でおびただしい数の若い女性を殺害した。 被害者の正確な総数はわかっていないが、彼は10年間にわたる否認を続けた後、30人を超える殺人を犯したと自白している。彼は原型的なアメリカのシリアルキラーとして考察される。
スタンレー・ディーン・ベイカー
「俺にはちょっと問題があるんだ。人喰いなんだよ」
食人鬼
宅間 守
大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で発生した小学生無差別殺傷事件の犯人
8人の児童が殺された
ヘンリー・リー・ルーカス
「人生の全てが嫌でたまらなかった。あらゆる人間が憎かった。なにもかもだ。俺は敵意の塊だった。好きなものなんか何一つなかった」
「医者ってさ、俺のこと、どこもおかしくないっていう奴、けっこういたな。
でも俺みたいな低脳にだってわかる。俺はおかしいって、わかってる。
だってそうじゃなかったら、あんなに殺しばっかりするはずないもんな」
アメリカ合衆国の連続殺人犯。全米17州で300人以上を殺害していると言われる。著名なシリアルキラーの1人であり、トマス・ハリスの作品に登場する連続殺人者、ハンニバル・レクターのモデルの1人。