今日から使える殺人鬼たちの名言集

deardance
畜生発言から少しカッコいいと思えるような殺人鬼たちの名言をまとめてみました
「人間?うん、それは俺にとって何でもなかった。ただの、白紙だった」

ヘンリー・リー・ルーカス

「人生の全てが嫌でたまらなかった。あらゆる人間が憎かった。なにもかもだ。俺は敵意の塊だった。好きなものなんか何一つなかった」

「医者ってさ、俺のこと、どこもおかしくないっていう奴、けっこういたな。
でも俺みたいな低脳にだってわかる。俺はおかしいって、わかってる。
だってそうじゃなかったら、あんなに殺しばっかりするはずないもんな」

アメリカ合衆国の連続殺人犯。全米17州で300人以上を殺害していると言われる。著名なシリアルキラーの1人であり、トマス・ハリスの作品に登場する連続殺人者、ハンニバル・レクターのモデルの1人。

「人間を更正させる仕事さ」

カール・パンズラム

アメリカ合衆国の連続殺人犯で、立証されていないものも含め22件の殺人を犯したとされる。刑死後にその半生を記した自伝が発表されたことでも知られる。

「いつも私は他人に苦痛を与え、また他人が私に苦痛を与えてくれることを望んでいました。 苦痛を受け入れることは何であれ、とても愉しいものでした。

アルバート・フィッシュ

アメリカのシリアルキラー、食人者。「満月の狂人」 (Moon Maniac)、「グレイマン」 (Gray Man)、「ブルックリンの吸血鬼」 (Brooklyn Vampire) などの異名で知られる。

(1910年から1934年までに400人を殺したと自供)。肉を食べる目的で殺害された児童もいる。成人も殺害しているとされる。なお、「満月の狂人」という異名は、犯行が満月の日に行われたことが多かったことにちなむ。

アメリカ犯罪史で史上最悪の殺人鬼と呼ばれている。

「電気椅子で死ぬなんてゾクゾクするなあ!最高のスリルだよ――だってまだ試したことがないからね!」

「私が人間を殺すのは、詩人が詩を詠うのと同じだ」

ハーマン・ウェブスター

「シリアルキラー」(連続殺人鬼)として記録された最初期の人物のひとりである[3][4]。彼は27件の殺人を自供したが、彼が明かした「殺人の被害者」には存命者もおり、結局9件のみ立証された。一般には200人もの被害者がいるとされているが、この数は1940年代に発行されたパルプ・マガジン(安価な大衆誌)を通じてしか確認できない

「俺のような男は映画の真似はしない。映画が俺たちの真似をするんだ」

デイヴィット・パーカー・レイ

アメリカ合衆国ニューメキシコ州の砂漠地帯で一人の女性が保護された。女性の名はシンシア・ヴィジル。彼女は裸で頭などをひどく負傷しており、鎖のつながった南京錠つきの首輪をつけていた。彼女の通報により、ニューメキシコ州トゥルース・オア・コンシクエンシーズに住む一人の男が逮捕された。

男の住処からは大量の拷問器具が発見された

「勝ったと思うなよ。俺は元の場所に戻るだけだから」

チャールズ・マンソン

アメリカのカルト指導者であり犯罪者。1960年代末から1970年代の初めにかけて、カリフォルニア州にて「ファミリー(マンソン・ファミリー)」の名で知られる疑似生活共同体を率いて集団生活をしていた

「食卓の向かいに人がいるっていいものじゃないですか」

デニス・ニルセン

「あの素晴らしい肉体を損ねるような真似は出来なかった」
死体を洗い浄めると、衣服を着せ、共にテレビを見て、夜になると添い寝した。

「あんたの息子を俺が殺したって?馬鹿にするな。俺にだって好みってもんがあるんだ」

フリッツ・ハールマン

1919年から1924年にかけて、ハールマンは少なくとも24人を殺害している。ハールマンの犠牲者はハノーファー中央駅をうろついている若い男性浮浪者や男娼だった。ハールマンは彼らを自分のアパートに誘い、男色行為中に犠牲者の喉を噛み破って殺害した。

「人は命に感謝しない。もっと繊細にするには、恐怖を見せ付けなくては。 奴らに違う生き方をするよう強いる、それが私という恐怖だ」

アナトーリ・アノプリエンコ

はウクライナのシリアルキラーである。6年間に52人を殺害し、警察からは「ターミネーター」と呼ばれた。

「体や首を持って逃げるわけにはいかないので。一番思い出の多いところを切り取っていったのです」

阿部定

仲居であった阿部定が1936年(昭和11年)5月18日に東京市荒川区尾久の待合で、性交中に愛人の男性を扼殺し、局部を切り取った事件。事件の猟奇性ゆえに、事件発覚後及び阿部定逮捕(同年5月20日)後に号外が出されるなど、当時の庶民の興味を強く惹いた事件である。

「愚者は喋り、賢者は聞くという。言わぬが花だ」

古谷惣吉

古谷惣吉が1965年11月9日から12月12日までの1か月ほどの間に、さしたる理由のないまま8人の老人を手当たり次第に殺害した事件である。「警察庁広域重要指定事件105号」に指定されており、警察庁広域重要指定事件としては初の殺人事件であった。

「金の残りは、精神医学関係の財団に匿名で寄付してもらいたい。 もっと研究が進めば、このような悲劇がこれ以上起こるのを防げるかも知れない」

チャールズ・ジョセフ・ホイットマン

1966年8月1日正午、元海兵隊員で、テキサス大学の大学院生であるチャールズ・ホイットマンがテキサス大学オースティン校本館時計塔にM1カービン銃、レミントンM700狙撃ライフル等の銃器、立て籠もりのための食料等を持ち込み、受付嬢や見学者を殺害した後に同時計塔展望台に立て籠もり、眼下の人を次々に撃ち始めた。

「私に残された最後の望みは、自分の首が切り落とされ、血飛沫の噴き出す音をこの耳で聴くことです」

ペーター・キュルテン

ドイツの連続殺人犯。デュッセルドルフの吸血鬼 (ドイツ語: Der Vampir von Düsseldorf) という異名を持つ。強姦、暴行、殺人を行い、1929年1月から11月までのデュッセルドルフの凶行で有名。名前を英語読みし、ピーター・キュルテン(ピーター・カーテン)とも言われる。近代シリアルキラーの原点の一つとして語られる。

「玄関の鍵が開いてるのは、『やってもいい』の合図だ」

リチャード・チェイス

アメリカ合衆国の無秩序型連続殺人者。被害者を射殺した後、腹を切り裂き、ヨーグルトの容器で血をすくって飲んだ事から、「サクラメントの吸血鬼」との異名をとる。

「もはや夜明けも近づいた。死にましょう」

都井睦雄

津山三十人殺し(つやまさんじゅうにんごろし)は、1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で発生した大量殺人事件。 一般には津山事件と呼ばれ、犯人の姓名を取って都井睦雄事件ともいう。

「マーティンがお棺に入ってるとこが見たかったの」

メアリ・フローラ・ベル

1968年5月から7月にかけてイギリスで発生した殺人事件。11歳(初犯は10歳)の少女が3歳と4歳の(マーティン)男児を殺害した。マリー・ベル事件とも言われる。

「本人達も死にたがっていたはずだ」

ピーター・サトクリフ

1975年7月から5年間に渡り、13人を殺害、重軽傷7人を出したイギリスのシリアルキラー。売春婦連続惨殺事件の犯人として有名な切り裂きジャックと酷似していたことから、ヨークシャー・リッパー(ヨークシャーの切り裂き魔)と呼ばれた。

「死は恐れない。ただ孤独のみが恐ろしい」

ウィリアム・ハイレンズ

殺人そのものにエクスタシーを感じるようになっていた。

やがて侵入窃盗で逮捕されたハイレンズはすべてを自供し、シカゴを震撼させた連続殺人事件は解決した。終身刑を宣告されて、イリノイ州刑務所における最長服役期間記録を今もなお更新中である。

註:2012年3月5日に死亡した模様。83歳だった。

「彼がそう望んだからです」

カーラ・ホモルカ

ポールとカーラは誰もが羨むベストカップルだった。少なくとも見かけだけは。しかし、左の写真が撮られた時点で、既に1人の少女を誘拐し、拷問した上に陵辱し、バラバラにして遺棄していたのである。しかも、彼らはその模様をビデオで撮影していたのだ。その笑顔と所業のギャップには戦慄を覚える。

「バカに4人も殺せるか。この辺で人生を終わらせたかったのだ」

川俣軍司

1981年(昭和56年)6月17日午前11時35分頃、東京都江東区森下二丁目の商店街の路上において発生した無差別殺人事件である。深川通り魔殺人事件を起こした。

「仕方ないのさ。なにかが俺にそうさせるんだ。でもそれって治療できないんだろ?だったら、しょうがないじゃないか」

「ドラえもんがなんとかしてくれると思った」

大月孝行

1999年4月14日に山口県光市で発生した凶悪犯罪。当時18歳の福田孝行(後に大月孝行に改名)により主婦(当時23歳)が殺害後暴行され、その娘(生後11カ月)の乳児も殺害された。

「母を殺さなければならない。そうしなければ俺はまた罪もない女を殺すことになる。 俺が本当に殺したい相手を殺さなければ、この凶行は止まらない」

エドマンド・エミール・ケンパー三世

寝ていた母親をハンマーで撲殺し、頭を切断。ダート盤にする前に、ケンパーは彼女の頭とオーラルセックスを行った。それから母親の声帯を取ってディスポーザーに捨てたが、機械がうまく作動しなかった。その後、ケンパーは母親の親友も殺害。3日後に自ら警察へ出頭した。最終的には、ケンパーにより合計で10人が殺害されたことになる。

「大丈夫、なにもしないよ。きみたち黒人は傷つけやしない。獲物は白人だ」

マーク・エセックス

1973年1月7日、ダウンタウン・ハワード・ジョンソンズ・ホテルに侵入したエセックスは「白人の無差別殺戮」を開始した

「詐欺というのはしんどいね。やっぱり殺すのが一番面倒がなくていいよ」

西口彰

1963年10月に2人を殺害し、その後、1964年1月3日に逮捕されるまで逃亡を続け、大学教授や弁護士などを騙って計5人を殺害し、計80万円を詐取した。熊本では弁護士を装って教戒師・古川泰龍の家に押し入るが、当時10歳の娘が見抜き、通報することにより逮捕につながった。

「僕は人間の生と死を支配したかった。地球上から人間一人減ったからといってどうだというんだい?」

テッド・バンディ

1974年から1978年にかけて、全米でおびただしい数の若い女性を殺害した。 被害者の正確な総数はわかっていないが、彼は10年間にわたる否認を続けた後、30人を超える殺人を犯したと自白している。彼は原型的なアメリカのシリアルキラーとして考察される。

「17歳のとき、ノイローゼを治すための電気ショック療法を受けて以来、人食いになっちゃったんだ」

スタンレー・ディーン・ベイカー

「俺にはちょっと問題があるんだ。人喰いなんだよ」

食人鬼

「聞いたか?お前らのガキ8人分合わせてたった俺一人分の価値しかない命やったんや」

宅間 守

大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で発生した小学生無差別殺傷事件の犯人

8人の児童が殺された

https://matome.naver.jp/odai/2151808748361090901
2018年02月10日