プロフィール
本名:小室哲哉(こむろ てつや)
年齢:59歳
生年月日:1958年11月27日
出生地:東京都府中市
好きな食べ物:牛丼・ハンバーガー・ケーキなど甘いもの
嫌いな食べ物:魚
趣味:読書・ネット・サッカー観戦・クルマ
学歴:1976年 早稲田実業学校(現:早稲田実業高校) 卒業
1976年 早稲田大学社会科学部(夜間) 入学
1981年 早稲田大学 除籍
職業:ミュージシャン・作詞家・作曲家・編曲家・音楽プロデューサー
バンド結成からTM NETWORKデビューまで
1979年、SPEEDWAYに小室が加入、作曲を手掛ける。当時のリーダー木根尚登と、ボーカル宇都宮隆を引き抜く形で、1984年4月21日にTM NETWORKデビュー。いうまでもなく、TaMa NETWORKの略であるが、これを小室らは上手く誤魔化し、フレッシュなイメージを与えた。
ヒット曲「Get Wild」と作曲家としての歩み、ソロデビュー
原曲とはイントロの長さ、雰囲気が違う。小室の若干の焦りと軽快なステップは見てて面白いものがある。
1987年「Get Wild」が大きなヒットとなる。これにより、作曲家・小室哲哉の名前が業界内に大きく広がることになった。1990年、TMN改称で方針転換。同時期に作曲業を行い、渡辺美里、堀ちえみ、中山美穂、小泉今日子、宮沢りえ、観月ありさ、中森明菜などを手掛ける。
松浦勝人との出会い~TMN休止、プロデュース業の開始
TMNの活動とは別に他人への曲提供をしていた小室であったが、1991年に松浦勝人(avex創業者)と初めて出会う。松浦からTMの楽曲をユーロビート調にアレンジしたリミックスアルバムの企画を持ちかけられ、小室はこれを呑んだ結果、ヒット作となる。
TMN活動中も作曲活動やプロデュースを行っていたが、1994年のTMNの活動停止と同時にプロデュース業に本腰を入れ始める。篠原涼子、trf、hitomi、内田有紀、H Jungle with t、dos、globe、華原朋美、安室奈美恵などのTKファミリーは、いわゆるここから境に誕生するのである。
デビュー曲「WOW WAR TONIGHT」が200万枚以上売り上げ、世界一売れたジャングル曲として記録されている。小室はデビューの記者会見で、「ダブルミリオンを達成する」と事前に公言しており、予想が的中した。
哀愁漂う曲調と鼓舞激励のある歌詞が、バブル崩壊後の世間を活気づけたことが、共感を後押しした。
ダブルミリオンを達成した名曲であり、結婚式ソングの定番である。
近未来を感じさせるPVに注目。
華原の意見も採り入れられ、「いちご」と書き換えられたという話もある。
デビュー曲。
JR Ski SkiのCMソングとして採用されたほか、昨年はプリンスホテルのCMソングとしてコラボしたことも有名である。
俗に不倫の歌と解釈され、小室が不倫騒動を起こした際には、皮肉にも週刊誌にいじられる結果となった。(後述)
歌詞中に出てくる年号(1970年、1981年、1984年、1994年、1997年)について小室は2015年にTwitterで「全部僕の大事な年号」と発言。 その後インタビューで「大事な」理由を発言した。
1970年 大阪万博(冨田勲・シンセサイザー・マルチモニターの存在を知る)。
1981年 SPEEDWAYに加入。
1984年 TM NETWORKデビュー。
1994年 TMN活動終了。自分のプロデュースワークの始まり。
1997年 精神的なスイッチングの年
2002年にTBS「学校に行こう」の企画内で、芸人の軟式globeがこの曲を文字った上でネタを披露し、爆発的人気を集めた。その後、小室本人と共演している。(何年前かには、マーク・パンサーともコラボしている)
TKブームの終焉と転落、逮捕
1998年以降が小室ブームの終焉となっている。チャートを独占するのは以ての外、ランクインすらしない状況に、小室は焦りを感じていた。小室は「(宇多田)ヒカルちゃんが僕を終わらせたって感じですね」と主張しているが、小室の方針転換が、更に大きく人気低下を大きくしてしまったと考えられている。(トランスにシフトチェンジしたのが、活動を主にしていたglobeの曲から読み取れる。)
人気の低迷が続く中、2008年11月4日の朝、大阪地検特捜部によって詐欺の疑いで逮捕された。その後11月21日に起訴、2009年5月11日、大阪地裁より懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が言い渡され、弁護側と検察側が控訴せず刑が確定。
この公判に、エイベックス株式会社CEO(当時)の松浦勝人とCSO(当時)の千葉龍平が証人として出廷、小室に対するバックアップと金銭補償を行った。松浦は小室を恩師として尊敬しており、小室はこれに感謝が尽きなかった。
音楽活動の再開~不倫騒動、引退会見
2010年5月、復帰1作目としてAAAの「逢いたい理由/Dream After Dream 〜夢から醒めた夢〜」をプロデュース。以後も様々なアーティストに楽曲提供をし、メディアにも出演。音楽活動を精力的に行う一方、妻・KEIKOのくも膜下出血と後遺症による介護、自身のC型肝炎罹患と骨折など、健康面で支障をきたすことも少なくなかった。
そんな最中、2018年1月18日付の『週刊文春』に、自身が往診を依頼していた看護師である女性との不倫疑惑を報じた記事が掲載。翌日、「けじめ」として引退を発表。妻の介護と、流れる時代に合わせた楽曲制作、身体の不調により限界を感じてたと言い、「自発的な音楽活動は本日で終了する」とコメント。
元々女性関係で良い面が見られなかった小室であるが故に、許されないとする声が出る一方、自身の立ち位置と身辺の状況から、追い込まれていたとしてやむを得ないと同情する意見も出ている。(続く)
【余談】小室ヘアスタイルカタログ
小室哲哉はそれぞれの時期で髪型をチェンジしており、これがかなり個性を放つものであった。
今回は余談として、彼のヘアスタイルの一例を取り上げる。
引退会見の要約~小室の主張~
先述の会見では、(中略あり)「いわゆる雑談みたいなことで心のゆとりであったりとか、笑い顔みたいなこと。僕が普段できないこと、話せないこと、なんとなく楽しめないこと。そういうところで時間を費やして、相手の方も少しずつ自分のこともお話をしていただくようになったりして、非常に仲のよい、一番信頼できる看護師さんということに、だんだんなってきてしまいました。精神的なこと、医療のサポート、それから僕が体調不良で非常にお恥ずかしい話なんですけど、5年、6年というところで男性としての、ふつうの男性としての能力というのがなくて、精神的な支えが必要だったと思います」と述べていた。
普段から介護のほか、音楽活動を精力的にこなしており海外や全国を行き来する状況も珍しくなかった小室。忙しさゆえに安らぎの時間も求めるようになった結果、この事態を招いたとも考えられる。
一人の優れた作曲家が表舞台から消える日があろうとも、彼の残した業績や曲、そして罪は消えることはない。彼の多幸を祈念する他ないのである。