【雑学】意外に新しいのも古いのもあってビックリ!定番の食べ物のルーツとは

abelezebhu
ランチを何にしようと思って浮かぶ定番のアレコレ。そんな定番フードはいつ・どんな形で生まれて日本に入ってきたんでしょうか。

サンドイッチ

勘違いされがちですが、サンドイッチ伯爵は名前の由来になった人で、パンで具を挟む食べ物を発明した人というわけではありません。

パンに肉や野菜などを挟んだ食べ物は古代から世界各地で食べられてきました。
古く知られていた食べ方はナンやピタパンのような平たいパンに具を挟んだものでした。
日本サンドイッチ協会 JAPAN SANDWICH ASSOCIATION

この名は、当時のイギリスの貴族、第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューにちなんで付けられたものであるが、モンタギューはサンドイッチを発明したわけでも、推奨したわけでもない。しかし、1760年代から1770年代にかけて、「サンドイッチ」という名称は一般に普及し、定着していた。
サンドイッチ – Wikipedia

1892年(明治25年)、鎌倉市大船の大船軒が大船駅で販売したサンドイッチが、駅弁としては日本最初とされている。
三角形に切られたサンドイッチについては、昭和36年(1961年)、東京の茗荷谷駅近くにあった「フレンパン(婦連パン小石川販売所)」が「フレンサンドイッチ」という名称で販売し始めたものを発祥とする。後楽園球場にサンドイッチを売りに行っていた同店の主人が、「中身が見えるサンドイッチがあれば便利だな」という客の一言から考案したものである。同店がすぐに特許を取得したが、5年後には放棄したため、全国に広まった。以降、日本の店舗販売でよく見られるようになった。
サンドイッチ – Wikipedia

カレー

カレーのようなスパイスを使った食べ物であれば紀元前まで遡ります。
日本にカレーライスが広まっていったのはそれから遙か先の明治時代になります。

カレーは様々なスパイスが大量に使われているのが特徴です。
このような料理は世界中の熱帯の国々に存在します。これがいつどこで生まれたかは定かではありません。
元々、熱帯地方には様々なスパイスがあるため、この地域に住んでいた人々の間でスパイスが料理に使われるようになったのは自然な事だったのでしょう。
やがて、紀元前3世紀頃になるとインドや東南アジアで交流が盛んになりました。
カレーの歴史!日本のカレーライスはインド料理ではない! | ニュースと共に生きる

日本で初めて「カレー」という料理の名を紹介したとされる書物は福沢諭吉の「増訂華英通語」(1860年、万延元年)で、「Curry コルリ」という表記がある。
カレーライス – Wikipedia

カレーの作り方を紹介した料理書『西洋料理通』(仮名垣魯文)『西洋料理指南』(敬学堂主人)発刊。
ペリーの浦賀来航以来、日本の鎖国体制は事実上崩壊。横浜周辺にたくさんの欧米人が住みつき、それにともなって「洋食」も少しずつ日本人の間にも広まっていきました。
そして1872年(明治5年)に、早くも西洋料理の本が出版され、その中にはカレーの作り方が掲載されていました。
カレーの日本史 明治時代 | 世界に広がるカレー | カレーハウス | ハウス食品

ラーメン

いろいろな種類があるラーメン。
明確な元祖を確定するのが困難な状態になっているのもそんなラーメンらしいですね。

『蔭涼軒日録』に、長享2年(1488年)に中国の『居家必要事類』という書物に書かれていたレシピを参考にして「経帯麺」という料理を調理し来客に振舞ったという記述があることが2017年(平成29年)に明らかになった。この「経帯麺」は材料として小麦粉とかん水を使うことも書かれており、日本初のラーメンである可能性が示されている。
ラーメン – Wikipedia

この記述が出るまでは水戸黄門が1659年に初めて食べたと言われていました

日本への伝播としては、明治時代を迎えると神戸や横浜などの港町に中華街が誕生し、そこで提供された南京そばに始まるとされる。1884年(明治17年)に函館新聞(当時)に函館の船場町にある中華料理店養和軒が南京そばを15銭で提供を始める広告を出し、大正の頃まで提供したとされているが、証拠が乏しく当時の関係者もすでに亡くなっているため、養和軒の南京そばが今のラーメンと同種の食べ物であると断言できていない状況である。
ラーメン – Wikipedia

確実に解るのは明治中期頃から横浜で次々と「南京そば」の屋台が開業した頃からのようです。屋台で気軽に食べられる中国風そばと言ったところだったのでしょうね。そして1910年、浅草の「来来軒」が、店舗の中でラーメンを発売しました。
ラーメンのお話 – 裏辺研究所

寿司

江戸前寿司なんて言葉がありますので、江戸時代生まれと思いきや、原点を探すと意外と古くてビックリします。

1千年以上の歴史があり、すでに奈良時代に存在が知られる。平安時代の『延喜式』(927年)「主計寮式」には諸国からの貢納品が記されており、鮓・鮨の語を多く見出だすことができる。九州北部、四国北部、近畿、中部地区に多く、関東以北には見られないのが特徴的。魚(または肉)を塩と飯で漬け込み熟成させる「なれずし」であると考えられている。
寿司 – Wikipedia

室町時代以降に入るといよいよ私たちの知っている寿司の原型が姿を現してきます。乳酸発酵を行って作る熟れ鮨は、どうしても発酵熟成に数ヶ月以上掛かってしまいます。その為、発酵がまだ充分進んでない米が原型を留めているうちに熟れ鮨を食べるようになり、酢が工業的に作られだした時代には乳酸発酵による酸っぱさを酢で代用するようになっていきました。これを早鮨といいます。酢を使った早鮨の登場は現在の押し寿司の原点である箱寿司につながり、握り寿司へと発展していくのです。
【お寿司屋さんの歩き方】 寿司の歴史

文政13年(1830年)喜多村信節『嬉遊笑覧』に「文化(1804-1817年)のはじめ頃、深川六軒ぼりに、松がすしが出来て、世上すしの風一変し」とあるが、この「一変」には二つの解釈ができる。ひとつは握りずしを創案し、かつてのなれずしとは違う握りずしが江戸中に広がって一変したという解釈。もうひとつは、これまでにない高額のすしを売り出し、市中のすし屋も追従したために一変したという解釈。
江戸前寿司 – Wikipedia

牛丼

牛鍋定食がメニューがある牛丼屋もありますね。
ちなみにすき焼きの歴史を紐解くと牛鍋が関係してきます。

牛丼の歴史をさかのぼっていくと、牛鍋に行き当たる。牛鍋とは、開国に揺れる幕末に誕生した、牛肉の和風鍋料理である。
牛鍋が登場したのは1862(文久2)年。横浜入船町(現在の横浜市中区常盤町、尾上町近辺)で「伊勢熊」という居酒屋を営んでいた主人が女房の反対を押し切り、牛の煮込みを売り出したのが始まりとされている。
明治時代から庶民の味方だった「牛丼」|食の安全|JBpress

牛鍋屋は文明開化の象徴として広まり、大ブームとなりました。しかし、1923年に関東大震災で起きて、多くの牛鍋屋、牛丼屋が閉店してしまいます。壊滅的な被害を受けた東京には復興のために全国から多くの人が集まるようになり、そのときに関西風の醤油味のすき焼きも持ち込まれたのです。それによって東京で食べられていた牛鍋は醤油味になり、割下に具を入れて煮込む関東風のすき焼きも誕生。牛丼も現在と同じ醤油味となったのです。
最初は味噌味だった!? 牛丼のルーツ | ゼクシィキッチン

大正から昭和初期にかけ、牛スジの煮込みを使った屋台料理として浅草で人気を呼び、本格的な完成を見たとされる。吉野家での具材は明治から大正時代は牛鍋と同様の時期が続いたが、客側の「特に牛肉とご飯を一緒に楽しみたい」という要望が高まり、それを追求・進化していった結果、現在に通じる「牛肉とご飯を一緒に楽しむ」ことに特化した内容へ変化していった。
牛丼 – Wikipedia

https://matome.naver.jp/odai/2151686770425438301
2018年01月25日