サッカー界から初の大統領 リベリアの怪人ジョージ・ウェア

yohtap
アフリカの国を ひとりで引っ張ってゆく カリスマ

エボラ熱の舞台のひとつだった

バロンドール・欧州最優秀選手賞をもらった大選手

https://www.youtube.com/watch?v=iR-7T8F-bcQ

2009年にアメリカからリベリアに帰国し、CDCのモンセラード郡の上院議員候補になるために政治活動を開始。2011年の大統領選挙(英語版)で現職のサーリーフに再び挑む意向を発表した。実際にはCDCのウィンストン・タブマン(英語版)がサーリーフに挑む事なり、タブマン候補は彼を副大統領候補に選んだ。結局はサーリーフが再選を果たしたが、政治家になる決意をさらに固めた。

2014年の上院議員選挙(英語版)にモンセラード郡から立候補し、12月20日の投開票でエレン・ジョンソン・サーリーフ大統領の息子であるロバート・サーリーフ候補を下し初当選。2017年の大統領選挙(英語版)に出馬し、10月10日の第1回目投票では得票率39%で1位となり、12月26日の決選投票では6割以上を得票し勝利が確実視されている。(Wikipedia)

95年世界最優秀選手

あのメッシやジダン、ロナウドたちがもらっている賞

https://www.youtube.com/watch?v=zcyVjHWQgEc

ウィキペディアより
15歳の時に当時3部リーグ所属の地元のサッカークラブ、ヤング・サバイバーズと契約するとゴールキーパーとしてサッカーキャリアをスタートした。すぐに得点をすることへ楽しさを覚え、フォワードへ転向、30試合に出場し31得点を記録。チームを2部リーグに昇格させた。

その後1部リーグのクラブを経て、1986年にはリベリアで最高のチームであったインビンシブル・イレブンへ移籍。このクラブではキャプテンを務め得点王にもなる活躍を見せ、カメルーンのスカウトの目にとまり1987年に国外デビューを果たした。

1シーズンカメルーンで過ごしたウェアはその後フランスのASモナコへ移籍しそのポテンシャルを開花させ、1991年にフランスカップをもたらすと、翌年にはチームを欧州カップ・ウィナーズカップの決勝に導いた。その後移籍したパリSGでもチームをリーグ優勝に導くと、1995年には再びフランスカップをチームにもたらした。

1995年、アフリカ人として初のバロンドールを受賞し、同年にFIFA選出の世界年間最優秀選手賞も受賞[1]。最後に自身3度目(89年、94年、95年)となるアフリカ年間最優秀選手賞と、この年の個人タイトルを総なめにした。

マルコ・ファン・バステンの後釜として加入したACミランでは数多くのゴールをあげた。驚異的な身体能力を誇り、「リベリアの怪人」と呼ばれた。その後は膝の怪我等も有り、99/00シーズン途中にチェルシーFCに移籍。以降マンチェスター・シティFC、マルセイユ、アル・ジャジーラと渡り歩き2002/2003シーズンをもって現役引退した。

内戦で傷ついた祖国リベリアの為にジョージ・ウェア基金を設立するなどしてリベリアのユニセフ親善大使も務めている(大統領立候補の際、規定により一時的に大使を辞めている[2])。

2008年1月、日本の福島県社会人リーグ3部西のバリエンテ郡山の総監督に就任したが、来日は就任会見時の1度のみで、シーズン開幕後に訪日することはなかった。同クラブは不祥事のため2008年シーズンをもって運営会社が解散。ウェアも事実上退任した。


https://matome.naver.jp/odai/2151459339938272601/2151614166585528903
リベリアの位置

リベリア内戦の1990年以降、ナイジェリアとガーナ主導の西アフリカ諸国平和維持軍 (ECOMOG) がリベリアに到着する以前は、アメリカの影響力や関係が最も強かった。内戦勃発後、アメリカの軍事介入を求める声が強くあったが、アメリカは対リベリアの優先関係などの見直しを宣言し、リベリア内戦に介入しないと宣言した。アメリカは、ナイジェリアやガーナのECOMOGによるリベリア介入を支持した。またリベリアの内戦は、リベリア付近のECOWAS諸国同士の緊張ももたらしている。リビアとコートジボワールとブルキナファソは、国家の制圧を巡って、内戦を引き起こしたリベリア国民愛国戦線 (NPFL) を支持していたが、ECOMOGとNPFLは対立していた。その為、NPFLを支持していた他のECOMOG諸国(コートジボワールやブルキナファソなど)との間で、ぎくしゃくした関係であった。隣国シエラレオネとは姉妹国的な存在だったが、NPFLがシエラレオネ内戦の原因である革命統一戦線 (RUF) を支持していた為、 関係が悪化していた。2003年に再び内戦が起こった時、NPFLのテーラー大統領に対してついにアメリカが圧力を加え、小規模で軍事介入する(後はほとんどECOMOGに任せた)形で内戦は終結した。
国際機関への加入については、国際連合の原加盟国であり、アフリカ連合 (AU) には、その前身のアフリカ統一機構 (OAU) 時代から加盟している。(Wikipedia)

https://matome.naver.jp/odai/2151459339938272601
2018年02月10日