夏目漱石とは
■「余裕派」
正岡子規の写生文に始まり、夏目漱石とその門下の作家を中心とする一派で、戦前の日本文学の流派の一つ「余裕派」の代表と言われている。人生に対して余裕を持って望み、高踏的な見方で物事を捉えるという、「低徊趣味的」(漱石の造語)な要素を含む。
余裕派という名称は、漱石が虚子の小説『鶏頭』の序文で「余裕のある小説と、余裕のない小説」と書いたことに由来する。
■生きる意味とは?
人間の目的は、
生まれた本人が、
本人自身に
つくったもので
なければならない。
自分で夢の間に製造した爆裂弾を、
思い思いに抱きながら、
一人残らず、死という遠い所へ、
談笑しつつ歩いて行くのではなかろうか
■人生に迷うとき・・・
ただ、牛のように、
図々しく進んで行くのが 大事です。
頭を悪くしてはいけません。
根気ずくでおいでなさい。世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますか。
花火の前には 一瞬の記憶しか与えてくれません。
うんうん死ぬまで押すのです。
それだけです。
ようやく掘り当てた!こういう感投詞を
心の底から叫び出される時、
あなたがたははじめて
心を安んずることができるでしょう。
死ぬまで進歩するつもりで やればいいではないか。
作に対したら一生懸命に
自分のあらんかぎりの力をつくしてやればいいではないか。
後悔は結構だが、 これは自己の芸術的良心 に対しての話で、
世間の批評家やなにかに対して
後悔する必要はあるまい。
暗いものを凝って見詰めて、その中から
貴方の参考になるものを
おつかみなさい。
■働くこと
人のためにするものだということに、
どうしても根本義を
置かなければなりません。
人のためにする結果が
己のためになるのだから、
元はどうしても他人本位である。
すでに他人本位であるからには
種類の選択分量の多少すべて、
他を目安にして働かなければならない。
こう考えています。第一に貴方がたは
自分の個性が発展できるような
場所に尻を落ち付けべく、
自分のぴたりと合った
仕事を発見するまで邁進しなければ
一生の不幸であると。
人間は人間らしく働けば
それで結構だ。
■「今」に迷っているのなら
執着するなかれ、いたずらに将来に
望を属するなかれ、
渾身の力を込めて
現在に働けというのが、
私の主義なのである。
前後を切断せよ、
満身の力をこめて
現在に働け。
まく種はやがて、あなたの未来となって
現れる。
■心の傷が痛むとき
心の底をたたいてみると、
どこか悲しい音がする。
自分の弱点をさらけ出さずに人から利益を受けられない。
自分の弱点をさらけ出さずに人に利益を与えられない。
■正しいことに迷うとき
一時の勝利者には違いないが、
永久の敗北者だ。自然に従う者は一時の敗北者だが、
永久の勝利者だ
真面目に考えよ。
誠実に語れ。摯実に行え。
汝の現今に播く種は
やがて汝の収むべき未来となって
現わるべし。
自分が困らない程度内で、なるべく人に
親切にしてみたいものだ。
たおれるのも、ことごとく
自力のもたらす結果である。
偽善者でも何でもよい。表面を作るという事は
内部を改良する一種の方法である。
三角術を使わなくちゃいけないというのさ。義理をかく、人情をかく、恥をかく、
これで三角になるそうだ。
※三角術=三角法の旧称。
殆どありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。
ただ色々な形に変るから、
他にも自分にも解らなくなるだけの事さ。
自分が解らなくなったとき
人間全体を代表していると同時に、
その人一人を代表している。
自分を取り巻く環境、
まざまな価値観、それらを正しく見きわめ、
自分の判断で行動できるのは、
どこにも属さない「迷子」だけだ
■自分自身に不安を感じたとき
やろうと思わなければ
横に寝た箸を
縦にすることも
出来ぬ。
人間の不安は科学の発展から来る。
進んで止まる事を知らない科学は、
かつて
我々に止まることを
許して呉れた事がない。
自分で試してみないうちは 分かりません。握力などは 一分でためすことができるが、
自分の忍耐力や
文学上の力や強情の度合などは、
やれるだけやってみないと、
自分で自分に 見当のつかないものなのです
神の奴隷である。
■「今」に迷っているならば
言ってはいけない。僕も弱い男だが、
弱いなりに
死ぬまでやるのである。
「今の現実」がつらいとき
自分の目的(エンド)になっていない程
苦しい事はない。
ナポレオンでも
アレキサンダーでも、
勝って満足したものは
一人もいない。
■人間関係に悩むとき
愛嬌というのはね、
自分より強いものを
倒す柔らかい武器だよ。
その当時にこそ
余計なお世話に見えるが、後になると、
もういっぺん
うるさく干渉してもらいたい時期が
来るものである
人間は角があると
世の中を転がって行くのが
骨が折れて損だよ
いくら親しくっても
それきりになる代わりに、一緒にいさえすれば、
たとい敵同士でも
どうにかこうにかなるものだ。
つまりそれが人間なんだろう
■「愛」ってなんですか
その好きな女にも
嫌なところがあって、その興味を持っている全ての女の中で、
一番あなたが好きだと云われてこそ、
あなたは
本当に愛されているんじゃありませんか?
いくら罵りわめいたところで、
おいそれと
胸の砦を
出ていくものでありますまい
(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) – 1916年(大正5年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。
帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。
帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。