1978年に登録されたセネガルの世界遺産(文化遺産)。
ゴレ島(ゴレトウ)とは – コトバンク
首都ダカールの沖合3kmに浮かぶ、東西300m、南北900mの孤島である。
ゴレ島(ゴレトウ)とは – コトバンク
◇英名はIsland of Gorée
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歴史
1444年にポルトガル人がこの島に上陸して以来、オランダ、イギリス、フランスが、次々とこの島を支配してきた。
ゴレ島(ゴレトウ)とは – コトバンク
ポルトガル人は蜜蠟などを母国へ運ぶ際の集荷地としてこの島を利用したが、その後アフリカ内陸部の奴隷、アラビアゴム、黄金、蜜蠟などの交易拠点としての重要性が増してきたことにより、イギリス、フランス、オランダ、ポルトガルの商業権争いの舞台となり、最終的にセネガル本土とともに、フランスがこの島を勢力下に収めた。
ゴレ島(ゴレトウ)とは – コトバンク
アメリカ大陸との奴隷貿易が開かれると、奴隷の積み出し基地として使われた。
世界遺産|第399回 ゴレ島 ON AIR HIGHLIGHT
こうしたことから、この島は1814年に、当時の統治国だったフランスが奴隷貿易を廃止するまで、奴隷貿易の拠点として栄えた。
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奴隷の家
1776年に建設され奴隷の収容施設として使われた「奴隷の家」が博物館として公開されている。
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西アフリカ各地から奴隷として連行されたアフリカ人が収容された建物であったとされる。
世界遺産|第399回 ゴレ島 ON AIR HIGHLIGHT
六畳ほどの部屋に15~20人、館全体で常時150~200人が押し込められていた。
世界遺産|第399回 ゴレ島 ON AIR HIGHLIGHT
ここから船積みされた奴隷たちは、狭い船室にぎゅうぎゅうにいれられ、40から50日のつらい航海を耐えなければいけなかった。
世界遺産|第399回 ゴレ島 ON AIR HIGHLIGHT
また、この島にはセネガル最古の石造のモスクや、18世紀の古典主義様式のカトリックの聖堂も残っている。
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