引退なさいましたが加藤一二三先生は凄いと感じた
優勝履歴
王座戦1回(第10回-1962年度)
NHK杯戦7回(第10回-1960年度・16回・21回・23回・26回・31回・43回)
早指し選手権戦3回(第10回-1977年度前期・15回・24回)
将棋日本シリーズ JTプロ公式戦2回(第4回-1983年度・8回)
天王戦1回(第1回-1985年度)
名将戦1回(第9期-1982年度)
高松宮賞争奪選手権戦3回(第1回-1956年度・9回・第11回高松宮賞)
日本一杯争奪戦2回(第2回-1958年度・4回)
六・五・四段戦1回(第1回-1955年度)
早指し王位決定戦1回(第6回-1959年度)
その他1回
加藤一二三|棋士データベース|日本将棋連盟
あまりに経歴が多すぎるので、優勝履歴だけ引用しました。
14歳でプロ棋士になって以来、ずっと実績を積まれてきた加藤一二三先生。
「天才」の一言に尽きるでしょう。
誰もがご存知 藤井聡太四段
加藤一二三先生のプロ入り最年少記録を塗り替えた事、29連勝して過去の記録を塗り替えた事、非公式戦で羽生先生を破った事など、大きな話題を呼び続けている藤井聡太四段。
もうすでに経歴がすごい!
負けず嫌いな性格で、幼い頃は負けるたびに号泣して周囲の目を惹いた。
母親からは「生活能力が低い」と評されている。財布を新幹線の座席に忘れて降りてしまい、発車時刻を過ぎた新幹線に1分ほど待ってもらったこともあり、小学校を卒業した頃、奨励会例会で関西将棋会館に初めて一人で泊まったところ、着替えの服や傘を全て置き忘れて、空のカバンだけを持って帰って来たという。
藤井聡太 – Wikipedia
天才というものは小さな頃から色々あるもので、「負けず嫌い」で「負けるたびに号泣」と聞けば、卓球の福原愛さんを思い出しますね。
藤井四段の憧れ 谷川浩司九段
優勝履歴
全日本プロトーナメント7回(第2回-1983年度~4回・6回・13回・15回・18回)
銀河戦1回(第10回-2002年)
NHK杯戦1回(第35回-1985年度)
将棋日本シリーズ JTプロ公式戦6回(第10回-1989年度~12回・17回~18回・30回)
勝抜戦5勝以上3回(第5回-1982年度・7回・9回)
天王戦2回(第5回-1989年度・7回)
若獅子戦1回(第2回-1978年度)
名棋戦1回(第6回-1979年度)
谷川浩司|棋士データベース|日本将棋連盟
加藤一二三先生も凄いのですが、谷川浩司先生の経歴も多すぎて、優勝履歴だけ引用しました。
谷川浩司九段は14歳8ヵ月14日でプロ入りしました。
ですが加藤一二三先生の14歳7ヵ月には僅か約1カ月半届かず、最年少記録を破る事ができませんでした。
もし1ヵ月半早くプロ入り出来ていれば、プロ入り最年少記録保持者として騒がれていたことでしょう。
それにしても、やはり谷川先生は強い!
憧れの棋士でもあった谷川浩司とは2010年の将棋の日イベントの指導対局で飛車角落ちで対戦したが、谷川の勝勢となった局面で引き分けを谷川が提案したところ号泣して将棋盤から離れなくなってしまい、後に師匠となる杉本が隣で取り成したものの効果なく、母親が飛んできてようやく収まったという。杉本は2015年にこのことを振り返り、谷川と最後の一手まで指したかったのだろうとしている
藤井聡太 – Wikipedia
谷川浩司九段は藤井聡太四段の憧れの棋士だったんですね。
当時まだ8歳の藤井四段、最後まで谷川先生と対局したかったなんて、よほど谷川先生との対局を楽しみにしていたんでしょうね。
現役プロ棋士の中で14歳プロ入りは2人だけ
元来、将棋の棋士の制度は男女の区別がなく、新進棋士奨励会(通称「奨励会」)に入会して所定の成績を収めて四段になれば、棋士となる。しかし現在まで棋士になった女性は一人もいない。
女流棋士 (将棋) – Wikipedia
驚いたことに、公益社団法人日本将棋連盟にある棋士データベースを調べてみると、現役棋士では14歳でプロ入りした棋士がたったの2人しかいませんでした。
女流棋士も調べてみましたが、女流棋士という枠での段位はあるものの、プロ棋士として四段の段位を持っている女流棋士は一人もいないのだそうです。
また、加藤先生は引退なさいましたので、本当に少ない事にびっくりです。
藤井四段が谷川九段に憧れている事も、何となく分かりますね。
いつか、谷川九段との対局も楽しみにしていましょう。