〝海道一の大親分〟として、浪曲、講談、映画、芝居に取り上げられ人気を博した。そのため、虚と実が入り交じって、実像をとらえにくい部分もなくはない。しかし、幕末から明治の中頃まで、幾多の修羅場をくぐり抜けて73歳の生涯を全うしたのは、やはりひとかどの人物だったからに違いない。

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伝説のキッカケは余命5年

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伝説の始まり
1843年(天保14年)、賭博のもつれで人を斬ったことから妻を離別し、甲田屋の家産を実姉夫婦に譲って、江尻の大熊ら弟分と共に故郷を捨て無宿人となる。
渡世人として諸国を旅し交際を広げた次郎長は、ほとぼりが冷めるのを待って清水港へ帰り一家を構えた。

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仲間の助太刀は迅速に
1845年(弘化2年)、甲斐の津向の文吉と次郎長の叔父・和田島太右衛門の出入りを調停して男を上げる。
翌々年には江尻の大熊の妹お蝶を妻に迎えた。
1858年(安政5年)甲州勝沼の祐天仙之助と江尻の大熊との間に争いが起き、次郎長と江尻の大熊は祐天の親分である甲府の三井卯吉を殺し役人に追われることになる。

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恩ある巾下の長兵衛が死ぬ
次郎長は清水を出奔、名古屋の巾下の長兵衛の家に厄介になるが、そこでお蝶を病気で亡くす。
更に、かつて次郎長が世話をしたことのある保下田の九六の密告で役人に踏み込まれ、次郎長は脱出したものの巾下の長兵衛は捕らえられ牢死する。

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仇は必ず討つ
復讐に燃える次郎長は1859年(安政6年)、知多半島に潜伏していた保下田の九六を殺害。
更に1861年(文久1年)、子分の森の石松を殺した都田吉兵衛を殺す。
こうした抗争の中で次郎長の勢力は拡大していった。
その前に立ちはだかったのが、甲州の黒駒勝蔵である。

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4年間におよぶ抗争
黒駒勝蔵との対立の根底には富士川、天竜川の舟運の権益を巡る争いがある。
山岳地帯から舟で下ってくる黒駒一家、清水港で迎え撃つ清水一家、次郎長と勝蔵の血で血を洗う争いは、1863年(文久3年)、捕吏に追われて遠州に現れた黒駒一家を、次郎長が大和田友藏に協力して甲州に追い払って以来、1864年(元治1年)の三河平井村の殺戮戦、1866年(慶応2年)3月の荒神山で次郎長一家対穴太徳・黒駒一家との戦い、同年6月の黒駒一家50余人による清水港急襲など4年間も続いた。
しかし、明治維新の動乱は2人の対立を歴史の大波に飲み込んでしまった。

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明治になってからは地域のために尽くす
維新後の次郎長は、有度山の開発、三保の新田開発、巴川の架橋工事、遠州相良での油田発掘、富士の裾野の開墾など、地域に尽くした人情家、社会事業家として活躍する。
1893年(明治26年)6月12日に病没した。
享年73歳。

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清水次郎長が登場する映画は数多い
代表的なものは
中川信夫監督「東海の顔役」
(1936年、市川右太衞門出演)
松田定次監督「任侠シリーズ」
(1957年、1960年、片岡千恵蔵出演)
森一生監督「次郎長富士」
(1959年、長谷川一夫出演)
など
「侠客」を辞書で引くと、〝江戸時代、強きをくじき弱きを助けることを主義とした人。町奴、博徒の親分。男だて。〟とある。江戸時代の士農工商の身分制社会の中で、彼らは…

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江戸初期の〝かぶき者〟の頭領で、侠客の元祖と言われる人物がこの大鳥逸平で、ヤクザの歴史はここから始まった。

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浪曲、講談、映画などで清水次郎長の好敵手として、それも次郎長が正義の側なら勝蔵は悪の権化として、繰り返し描かれてきた。しかし、実際には彼らの抗争は、博徒の縄張り…

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「侠客」を辞書で引くと、〝江戸時代、強きをくじき弱きを助けることを主義とした人。町奴、博徒の親分。男だて。〟とある。江戸時代の士農工商の身分制社会の中で、彼らは…

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講談、浪曲、映画などで知られる「天保水滸伝」では、飯岡助五郎は完全な悪役である。美青年で悲劇の若親分・笹川繁蔵に対して、助五郎は悪知恵を働かせ権力を振りかざす悪…

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江戸時代の侠客と言えば、斬った張ったはお手の物、腕っ節にものを言わせて、のし上がった者がほとんどだ。その結果、官憲に追われる、人の恨みを買う。あげく、非業の死を…

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〝竹居の吃安、鬼より怖い、どどっとどもれば人を斬る〟と言われた竹居の吃安は、1811年(文化8年)、甲斐国八代郡竹居村(現山梨県笛吹市)に、名主中村家の四男とし…

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江戸時代の侠客、あるいは博徒という者は、基本、アウトローである。ところが、新門辰五郎は「火消し」(とび職)というれっきとした稼業があり、しかも第15代将軍・徳川…

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日本人が海外にうって出る時「侍」という表現が度々使われますが、その「侍」の価値観を時にリアルに、その精神を時にリアリティあるフィクションとして、我々の心の奥底に…

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時代劇はやはり男優が中心、女優さんの影はどうしても薄い。それでも、たくさんの時代劇に出演して存在感を示し、時代劇女優と呼ばれるにふさわしい活躍をした人も数多い。…

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2019年05月19日
母方の叔父で米穀商の甲田屋の主・山本次郎八の養子となったため、次郎八の家の長五郎、縮めて〝次郎長〟と呼ばれるようになった。
養父の死去により次郎長は甲田屋を継ぎ、最初の妻きわと所帯を持つが、旅の僧から〝余命は5年〟と言われ、太く短く生きようと賭博や喧嘩を繰り返すようになる。