川崎タツキとは

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少年期
父、母、姉、妹の五人家族の長男として育った川崎は子どもの頃から大柄で腕力が強くガキ大将だった
はぐれ者 悪魔と戦ったボクサー、川崎タツキの半生 – らんぶるライフ – Yahoo!ブログ
小学4年生の時に母親が他界、それがショックで父親のお酒の量も増え中学生になると川崎は父親に反抗するようになりどんどん不良の道へ
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川崎は竜希という名前からタンタンという可愛らしいあだ名なのだが(現在も)その愛らしいニックネームに似合わない最強の不良として県外でも有名になっていく
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足立区最強の中学生
川崎の地元は、有澤ジムのある谷塚駅の隣、足立区竹ノ塚である。中学生の頃はケンカで誰にも負けたことがなく、「足立区のタンタン」(タンタンはあだ名)の噂は遠く埼玉 や千葉にも知れ渡っている程だった。しかし、いわゆる不良グループや暴走族とは距離を置く不良少年だった
川崎タツキ
川崎が初めてボクシングに出会ったのもこの頃だ。幼なじみが地元の有澤ボクシングジムに入ったことを知って自分もやりたくなったという。川崎はたちまちボクシングにのめり込み毎日欠かさず練習に通 った。
川崎タツキ
しかし、中学三年の時に起こした暴行事件で逮捕され、川崎は初等少年院に送られた。当然ボクシングもできなくなった。意外にも少年院での川崎は真面 目で模範生だったという。
川崎タツキ
ボクシングにしろ、少年院での生活にしろ、川崎は自分がやると決めたらとことんそれをやり遂げる性格だ。その性格は川崎の強みであるが、後にそれが最悪の結果 をもたらすことにもなる。
川崎タツキ
ヤクザ、そして薬物依存
初等少年を出た後、中学の頃から出入りしていた組の構成員となった川崎は拳銃不法所持で再び少年院に送られた。今度は中等少年院だ。そして退院後は本格的にヤクザの道を歩むことになる
川崎タツキ
川崎が実の父親とうまくいかない渇望から、ヤクザの親分に父親像を求めたのはごく自然なことだったのかもしれない。しかし、彼のある種純粋な思いは半ば裏切られる結果 となった。そして川崎はヤクザの世界でも禁断のクスリの世界に手を染めることになった
川崎タツキ
最初はクスリで天国の気分を味わっていたが、次第に覚醒剤特有の症状が現れてくる。そしてある時を境に川崎の生活は地獄に変わった。幻覚症状と極度の被害妄想にとらわれ、ついには自殺未遂を起こした。当時一緒に住んでいた姉が自殺した川崎を病院に連れて行き、そのまま精神科に入院することになった
川崎タツキ
リハビリ生活
川崎はクスリを絶つため民間の薬物リハビリ施設である沖縄ダルクに入寮することになった
川崎タツキ
ダルクでのリハビリ生活が1年近く過ぎ、薬物依存の症状も抜けてきたころ、川崎は沖縄に来てから初めて姉に電話をかけた。このまま沖縄に残って生活していくことを伝えるためだった。しかし、姉の口からは思いがけない言葉が返ってきた。
「でも、優香が待ってるよ」
川崎タツキ
優香は川崎が東京でつきあっていた恋人だ。薬物中毒になる前からつきあっていたが、クスリのせいで長い間音信不通 になっていたのだ。川崎もまさか優香が自分のことを待っているとは思いもしなかった。その言葉を聞いた川崎は即座に帰郷を決めた
川崎タツキ
再びボクシングの道へ

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帰郷した川崎は住み込みの仕事を見つけ、愛する優香のため毎日懸命に働いた。もうヤクザに戻る気はまったくなかった。そんな川崎に次なる転機が訪れる。地元竹ノ塚で偶然に旧知の古川誠一、そしてボクサーのカズ有澤、コウジ有澤と出会ったのだ
川崎タツキ
すっかり更正した川崎のことを古川らは自分のことのように喜んだ。そして、数日後、古川から思いがけない提案をされたのだ。もう一度ボクシングをやってみないかと。
川崎タツキ
プロになるためには背中の刺青を除去

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プロになるためには、ハードなトレーニングは当然として、どうしても背中の大きな刺青を消す必要がった。200万円の手術費はすべて友人・知人からのカンパで賄われた。古川、カズ、コウジもカンパ集めに尽力した。刺青は完全には消えなかったが、ジムの有澤会長の熱心な説得で、最初は難色を示した日本ボクシングコミッションもファンデーションを塗るという条件でプロデビューのOKを出した
川崎タツキ
それからの川崎は一心にボクシングに打ち込んだ。26歳というボクサーとしては遅いデビューだが、これまでの回り道が決して無駄 だったとは言えないと思う。ここに至るまで川崎は多くのことを経験し、そして学んだ
川崎タツキ
川崎のデビュー1戦目。観客席には由里歌、優香の他に父親の姿もあった。息子タツキのデビュー初勝利を見届けた後、父親は病気で他界した。父親から息子への最期のプレゼントはリング・シューズだった
川崎タツキ
クレイジーキムとの壮絶な日本タイトルマッチ戦

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クレイジーキム「なんで俺が、あんなシャブ中あがりとやらないといけねーんだよ」「あのクソシャブ中、○してやりますよ。これで満足ッスか?」
第399回は、川崎タツキはカッコいい!そしてクレイジー・キム!!|おおおかのボクシングBLOG

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川崎タツキ「キムは強いチャンピオン。だからこそ負けを恐れることなく思い切りぶつかれる」
東洋太平洋&日本Sウェルター級TM クレイジー・キムvs川崎タツキ – ボクシングレヴュー
ジョニー宜野湾「一本道」が会場に鳴り響く
なかなか姿を現さないタツキ
その姿が花道に現れたとき、後楽園ホールは大歓声に包まれた
Sウェルター級Wタイトルマッチ クレイジー・キム×川崎タツキ – Trash Box
続いて赤コーナーからチャンピオン、クレイジー・キムが登場
白いガウン。黒いキャップ。威風堂々。独特の緊張感を漂わせ、リングへと上がる
Sウェルター級Wタイトルマッチ クレイジー・キム×川崎タツキ – Trash Box
1R。割れんばかりの「タツキ」コールを背に受けて、中盤から川崎は積極的に前に出る。右回りを徹底して、キムのパンチを封じる。左フックが顔面を捉えると、一気に前に出て詰めていった。今日はボディも左フックも当たっている。「思い切り戦える」――そう語っていた通りだ
Sウェルター級Wタイトルマッチ クレイジー・キム×川崎タツキ – Trash Box
2R。この回も川崎の戦い方が巧い。出入りがよい。そして左が当たる
Sウェルター級Wタイトルマッチ クレイジー・キム×川崎タツキ – Trash Box
3R。次第に川崎の横へのステップがなくなりだす。ボディが効果的。また、左フックも相変わらず当たる。打ち合うが、キムはロープに詰められても体が崩れない
Sウェルター級Wタイトルマッチ クレイジー・キム×川崎タツキ – Trash Box
4R。直線的なポジションとなれば、キムのストレートが当たりだす。左フックが川崎の顔面を捉える。川崎が右眉から出血。ラウンド終盤、一気にタテに攻めたキム。押されるようにして、川崎はダウンを喫す。
Sウェルター級Wタイトルマッチ クレイジー・キム×川崎タツキ – Trash Box
5R。流血の激しい川崎にドクター・チェックが入った。まだ川崎の表情には余裕があるが……。一方のキムは、ニュートラルコーナーで客席におどけたしぐさを見せる。試合再開後、徐々にキムの右が川崎を確実に捉え始めた。
Sウェルター級Wタイトルマッチ クレイジー・キム×川崎タツキ – Trash Box
6R。キムの絶妙の射程距離内。シャープなストレートが、川崎の顔面を何度も捉える
Sウェルター級Wタイトルマッチ クレイジー・キム×川崎タツキ – Trash Box
7R。クラウティングで前に出てボディを狙う川崎。しかし、効いた素振りのないキム
Sウェルター級Wタイトルマッチ クレイジー・キム×川崎タツキ – Trash Box
8R。7R同様、川崎が前に出て連打を試みる。足が泳ぐ場面も見られるが、気迫で前に出る。ラウンド終了直前、キムのパンチが顔面を捉える
Sウェルター級Wタイトルマッチ クレイジー・キム×川崎タツキ – Trash Box
9R。ラウンド開始後、キムの左が川崎の顔面を捉えると、川崎が一瞬意識が飛ぶような表情を見せた。直後のレフリー・ストップは、川崎のこの表情を考えてのことだったと思われる。9R35秒。試合は、終わった
Sウェルター級Wタイトルマッチ クレイジー・キム×川崎タツキ – Trash Box
ボクサーとしての戦績
27戦で22勝5敗の戦歴を残し、08年末に36歳で引退をした
【人たらしの極意】少年院、ヤクザ…“刺青ボクサー”市井の美徳 – 芸能 – ZAKZAK
8年間で、日本スーパーウエルター級1位にランクされ、東洋チャンピオン王座にも挑戦したが、夢は叶わなかった。この一部始終は、破天荒な“刺青ボクサー、川崎タツキ物語”として、TVの情報番組がよく取り上げた
【人たらしの極意】少年院、ヤクザ…“刺青ボクサー”市井の美徳 – 芸能 – ZAKZAK
引退後

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引退後、地元のモツ鍋屋の店長として生計を立て、妻は同じ街のスナックで働き、子供を育てた
【人たらしの極意】少年院、ヤクザ…“刺青ボクサー”市井の美徳 – 芸能 – ZAKZAK
現在の川崎タツキ

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現在川崎タツキは45歳。更生を支えた愛妻の優香さんは足立区西新井で小さなスナックを営む。川崎は同じ町で居酒屋の店長をしながら、協力者のバックアップでジム「タンタンファイトクラブ」を立ち上げた
【人たらしの極意】薬物から更生した“泣き虫ボクサー”の今 (1/2ページ) – 芸能 – ZAKZAK
さらにジムが軌道にのると後輩にまかせて、自身は坂本博之が会長を務める西日暮里のSRSボクシングジムでトレーナーとしてプロ選手の育成に全力をあげている
【人たらしの極意】薬物から更生した“泣き虫ボクサー”の今 (1/2ページ) – 芸能 – ZAKZAK
「いま、田代まさしさんも近くにいるんですよ」と川崎は意外なことを口にして、田代とのツーショット写真を見せてくれた。聞けば、「坂本さんと一緒に、足立区梅島で薬物からの脱却をめざす自助グループでがんばっていますよ」という
【人たらしの極意】薬物から更生した“泣き虫ボクサー”の今 (1/2ページ) – 芸能 – ZAKZAK



出身: 東京都足立区
職業: 会長/ 元プロボクサー
専門分野:教育/ボクシング/薬物問題