認知症のお婆さんと間違い電話がきっかけで仲良くなった話
今度の土曜に婆さんの家に行くので今まであった事を書く
一番最初に婆さんから間違い電話がかかってきたのは2年程前だった
携帯がなったんだけどかけてくる相手なんてかぎられてたから番号を気にしないで出たら
「○○の佐藤(仮名)です。これからお伺いしますのでお願いしますね」
と一言言われてそのまま電話を切られてしまったんで間違いを指摘出来なかった
かけ直して説明すんのも面倒だったんでその時は放置してしまった
次にその婆さんから間違い電話がかかってきたのは一ヵ月後くらいだったか
「○○の佐藤です」と言われたんであの時の人だと思い「すみません、おかけ間違いですよ」とだけ言ってみた
「あらー、それは失礼しました。ごめんなさいねー」と恥ずかしそうに笑って婆さんは電話を切ったんだが
どうやら知人の番号と似ているらしくそれからもたまに間違いをかけてくる事があった
俺は元々婆ちゃん子だったからその婆さんの間違い電話は大して気にもならなかったし
指摘する度に「今日は知人とお芝居に行くので連絡しようと思ったら間違えちゃって」と予定を話してくれるので
「そうか、今日はこういう事をするのか」って見ず知らずの他人の予定を知って楽しかったってのもあった
しばらくして婆さんからの間違い電話が全然かかってこなくなって
淋しくもあったけど間違えない様な方法を見つけられたんだなと思うと嬉しくもあった
ただ、何となく思い出として婆さんの番号は携帯に「佐藤のお婆ちゃん」と登録しておいた
それから1年くらい婆さんとは話してなかったんだがある日婆さんの番号で電話がかかってきた
「もしもしー、間違い電話ですよー」と明るく出てみたんだが
「タカシ(仮名)さんですか?○○の梅子(仮名)です」と婆さんはいつもと違う話し方をして驚いた
自分はタカシでも何でもないし、婆さんが苗字じゃなく名前を言うのも初めてだったので
間違い電話にしてもおかしくないか?と疑問に思ってしまってしばらく黙ってしまった
そしたら婆さんは「今日は庭の梅の花が綺麗に咲いた」とか世間話を始めてきた
「あの、お婆さん?間違い電話ですよ?」と返してみたが「何をおっしゃるのウフフ」と言った感じで
婆さんは完全にタカシさんと電話で話してると決めてかかっていた
これはどうしようかと悩んでいたら婆さんの後ろの方から女性の声で
「ちょっとお婆ちゃん!誰と話してるの!」と大声がきこえてきたかと思うと電話を切られてしまい
何があったのかさっぱりわからずにその日は一日悶々としてしまった
気にはなるけどこっちからかけるのもおかしいしと悶々としながら3日程経ったら婆さんから着信
「タカシさん?○○の梅子です」と前回と同じ話し方だった
また一方的に話を進めようとしたので思い切って「お婆ちゃん落ち着いて聞いてください」と釘を刺してから
自分はタカシじゃない事、以前ちょくちょく間違いでかけてきた番号だという事を説明した
そしたら婆さん、しばらく黙っていたかと思うと
「竹子(仮名)さーん!ちょっと電話に出てちょうだーい!」と誰かに向かって叫ぶ
「ちょっと!お婆ちゃん!」と背後で聞こえた声は前回電話を叩き切った人の声だった
その人は不安そうに「もしもし」と電話を変わるが、こっちも状況がつかめていなかったので
「あの、その、もしもし」とテラ不審者状態で返すのが精一杯だった
余りにも不審がる竹子さんに今迄あった事を説明すると「へ?」と裏返った声で聞き返される。そりゃそうだ
それから竹子さんはどう答えていいかわからずに悩んでいたといった感じだったが
「かなり昔からご迷惑をおかけしてたんですね」と近況を説明してくれた
どうやら最初の間違い電話がかかってきた頃は軽い認知症の症候があったらしくリハビリも兼ねてよく出かけていた
ところがここ1年くらいは本格的にボケてしまっているので男性は全てタカシさんと思ってしまっている
タカシさんは婆さんの旦那さんでとうの昔に亡くなっているが本人はボケているので死んだ認識がない
「でも、電話帳すら開いていないのに貴方の番号を覚えているのかしら?」と聞かれたが
そんなのこっちに聞かれたって「さあ?」としか答えられない
それからも何度も婆さんから電話があり、その度に竹子さんに謝られるという状態が続いた
そんなある日いつもの様に電話がかかってきたので出てみると婆さんではなく竹子さんからだった
「こんなお願いをするのは図々しいとわかってはいるんだけど」とお茶を濁す竹子さんに話をきくと
婆さんが間違い電話をかけた日は調子がいいのか一日中穏やかにすごすので
もし時間の都合が合った上で嫌でなければ電話に付き合ってやってはもらえないだろうかとの事だった
当時自分は会社を辞めたばかりで時間は有り余っていたし正直話し相手が欲しかったという気持ちもあった
それが果たして婆さんの為になるかどうかはわからなかったけど誰かの役にたてるんだったいいかなと思ったし
「わかりました、タカシさんになりますね」と竹子さんのお願いを聞き入れて婆さんの話し相手になる事にした
それからは竹子さんから色々と情報を仕入れて
○○は地名である事、タカシさんは元銀行員で退職後は二人でよく観劇などに行っていた事
他にも家族構成だの色々と婆さんに関する事を教えてもらって出来るだけタカシさんを演じようと思った
ただ、認知症はそんなに甘くなかった
それまでタカシさんとの愛を語り合っていたかと思うと突然「貴方は誰!」と素に返ったのか電話を切られる事もあったし
前の日に観劇の思い出を語っていたので翌日も話の続きをしようとしたら
「タカシさんは入社したばかりなのにそんな遊ぶ時間なんてないでしょう?」と記憶の時間がずれていたり
ヘタに話を広げようとするとかえってボロが出るから聞き役に徹するのが一番だとわかったのは
タカシさんごっこを始めてから3ヶ月経ってからの事だった
でも、どれだけ時間軸がずれていても変わらなかったのがタカシさんは短歌好きだった事
サークルか何かでタカシさんが婆さんに短歌を贈ったのがきっかけで交際が始まったとかで
「あの歌は~」とか婆さんに言われても答えられないのが悔しくて勉強した事もあった
ある日婆さんに「タカシさんが今私に歌を贈ってくださるとしたらどんな歌かしら?」と聞かれ
「梅一輪一輪ほどのあたたかさ、ですかね」と答えたら
「いやですわ、それは竹子が産まれた時に贈ってくださったじゃないですか」と笑って言い返されて
滅茶苦茶恥ずかしかった反面、それだけ記憶がしっかりしてるなら認知症治ってほしいと思ってしまった
認知症の中で婆さんが素に戻った状態で対話したのが二度程あった
それ迄タカシさんと話していた筈だったのにしばらく無言が続いたら
「失礼だけど、どちら様ですかね?」と聞かれたので「タカシですよ」と返したら「違う」と
でも、そこで何が起こっているのか説明するのも面倒だったし野暮だったというのもあって
「私の名前もタカシというんですよ。梅子さんの旦那さんと同じ名前ですから親しくさせていただけたんです」
と大ぼらを吹いてその場を流してしまった
結果的に「あらまあ、そうだったんですかー」と世間話が続き、やがて普段の認知症の状態に戻ってしまったが
今でもあの時の大ぼらは判断として間違っていなかったかどうか疑問に思う事がある
一番厄介だったのはタカシさんが浮気をした事があったらしくその浮気相手に電話をかけていると思い込まれた時だった
泣きながら罵倒されて、自分達の生い立ちを涙ながらに語り、また罵倒を繰り返すといった具合だった
この時ばかりは流石に頭にきて「何でこんな目にあってまで付き合わなきゃなんねーんだ?」と電話を切りたかった
でも、ここで電話を切って心の糸がぷつりと切れて…なんて思うと電話を切るに切れず
付き合った以上は最後まで責任を持たないといけないと自分に言い聞かせて罵倒されまくった
後々竹子さんに平謝りされて、その時はつい文句を言ってしまったが
病気そのものの完治こそ無理でも、最近は徘徊もなくなっているし顔つきが大分おだやかになっている
貴方が電話に付き合ってくれているお陰でお婆ちゃんは人として生活出来ていると聞かされた時には
ああ、自分は誰かの役に立てているんだなと無駄な誇りをもってしまった
ある時、ふと婆さんに電話ではなく葉書を送りたくなったので竹子さんに住所を聞いた
というのも、婆さんはたまに家の何処にもタカシさんがいない事を不安に思う事があるらしく
だったら、銀行員の出向で出かけてる、あるいはちょっと一人旅に出ているという形で
「タカシさんから葉書がきたとなれば、梅子さんも喜ぶんじゃないかと思って」と言い
竹子さんが送ってきてくれたタカシさんのメモ帳の字体を必死に真似て短歌を書いた葉書を婆さんに送った
これが大きな間違いだった
葉書を受け取った婆さんはその時だけ素だったのかパニックを起こし過呼吸で倒れてしまったそうだ
竹子さんの旦那さんには散々怒鳴られ「もう余計な事をすんな!」と電話を叩き切られてしまい
タカシさんごっこもそろそろ潮時なのかなと感じた
でも、婆さんから電話がかかってきてニコニコと外の様子だとか好きなお菓子の話題を聞かされる度に
「後5回、いや後3回は付き合ってもいいよな」とずるずるタカシさんごっこを続けてしまった
去年の暮れあたりから婆さんの電話の回数が減り始めた
竹子さんに話を聞くと、軽い風邪を引いてから横になる回数が増えているとの事だった
心配になって婆さんに直接聞きたかったが婆さんは電話では元気な素振りを見せるだけなので
電話を切る時に「お体を大字にね」というのが精一杯だった
ただ、一度婆さんが
「最近熱っぽいんですよ。もしかしてオメデタかしら?」ととぼけた事を口にした時は
「馬鹿な事を言ってないで横になりなさい!」と本気で怒ってしまった
電話を切った後、認知症の病人に怒鳴るなんてやっちゃいけなかったな…と後悔したが
竹子さんにしばらくしてから教えてもらった話では、家政婦さんだと思った竹子さんに向かって
「タカシさんに怒られてしまったの…謝ったら許してもらえるかしら」としょげて大人しく布団に入ったそうで
不謹慎だとは思うが婆さんが可愛らしいと思えてしまった
タカシさんごっこを続けてる内に婆さんに恋してるんじゃないかと思う事はあった
婆さんからの電話が待ち遠しかったし、自分には関係ない話でも聞けて嬉しかった
たまにこの世からいないタカシさんにやきもちに近いものを感じた事もあった
でも、流石に78歳の婆さんに恋心を抱くというのはどうかしてると思ってしまったし有り得ないと決めてかかった
ただ、もし自分が将来嫁にするんだったらやっぱり梅子さんみたいな人がいいよなーとふと思ってしまうあたり
恋愛感情とかはおいておいてもかなり婆さんに毒されてるのは事実かもしれない
婆さんが横になる回数が増えると当然電話の数も減った
心配の余り婆さんの見舞いに行きたいと思ってしまったが
自分はタカシさんであって「タカシさんじゃない誰か」は婆さんにはいらない存在だと思って我慢していた
3月に入って一月ぶりに婆さんから電話があった時は泣きそうになる程嬉しかった
ただ、その時は素の婆さんだった(これが二度目の素)
軽く咳き込みながら申し訳なさそうに「いつも無駄話に付き合ってくださっているんでしょう?」と聞かれた時は
本心で「そんな事ありません!」とつい大声で言ってしまった
それまで聞かされたタカシさんとのエピソードや庭の状況とか凄く楽しみにしているんだと話をすると
「いやだわ、恥ずかしい」と照れていた婆さんが最初の間違い電話の頃の婆さんと一緒で
竹子さん達家族もそうだけど、何で婆さんがこんな苦しい思いをしなきゃならないんだと
その時は本気で神を恨んでしまった
タカシさんごっこは自分の中でも大きく影響していった
婆さんに恥ずかしくない様に何でもいいから仕事をしようと深夜の警備のバイトを始めた
婆さんはタカシさんと話しているからこっちの近況なんて教えられなかったが
それでも毎日頑張っているんだよという気持ちになれただけでもまだましだった
朝方帰宅して軽く朝食を摂った後仮眠→途中起きて着信の確認→再び仮眠→仕事といったローテーションを作り
婆さんからの電話には必ず起きれる様に心がけていた
竹子さんにある時仕事の事を聞かれたので素直に話をすると
「こんな事を言うのは申し訳ないとは思うんだけど、お婆ちゃんの間違い電話は何かの縁かしらね」
と言われた時は、本当に起こるべくして起こった事なのかもなと思えた
6月に入ってから婆さんの電話がぱたっと止んでしまった
それまでも数週間電話がない事があったので最初は気にしていなかったが
7月に入ってからも婆さんからの電話が全くならないので気になって竹子さんに電話をかけた
ちょうど竹子さんも電話をしようと思っていたらしくタイミングがよかったと言われた
どうやら婆さんは6月に肺炎にかかって以来起きる事の方が少なくなってしまったらしい
そのせいで下の世話やら何やらに追われて連絡できなかったと謝られてしまった
竹子さんとしても婆さんに元気になってほしいから電話をかけさせようかと思う反面
具合悪い人間に電話をかけさせるのも、他人がかけさせる様にしむけるのもおかしな話だと思ってしまったと
「ただ、お婆ちゃんもうトシでしょ?正直覚悟しなきゃいけないと思うとねぇ」
と竹子さんに言われた時はどうしていいのかさっぱりわからなかった
竹子さんとそんなやり取りをした4日後に婆さんから電話があった
軽く咳き込んではいたがいつもと変わらない口調にほっとして思わず泣いてしまった
「まぁ、タカシさんったらお仕事がそんなに大変なの?」と婆さんが聞いてくるのでついタカシさんになりきって
「お前に会えないのが一番辛いんだ」と口走ってしまった
所が婆さんは淋しそうに笑ったかと思うと
「『梅が香にのっと日の出る山路かな』とおっしゃったのは貴方じゃないですか」
婆さんも昔タカシさんに会えない余り大泣きしてしまって、困ったタカシさんが歌ったらしい
梅の香りに誘われて太陽がひょっこり顔を出すのと同じ様に私も梅子さんの笑顔にひょっこりと顔を出すんですよ
と短歌で婆さんをなぐさめたんだそうだ
「タカシさんが元気になれる様に私も笑ってますからね」と婆さんは病気を隠して必死に明るくつとめていた
婆さんがそうやって気丈に振舞おうとするならこっちもそれにならわないといけないと思い
それから電話を切るまで泣かないでいようと頑張って、電話を切った後我慢の限界で泣いてしまった
婆さんからの電話がなくても彼女は頑張っているんだから自分も頑張ろうと仕事に打ち込んだ
8月に入って婆さんから電話はなかったがまずは自分の生活を一生懸命やっていく事が
タカシさんになってる俺が婆さんに誇れる事なんだと自分に言い聞かせていた
で、昨日の事なんだが竹子さんから電話があって婆さんが先月末に亡くなった事を聞かされた
あの電話から数日後に婆さんは肺炎を再発し、結果的にそれが原因で返らぬ人となってしまったらしい
初七日と49日の繰上げ法要を済ませ、ようやく落ち着いたので連絡をしてきたとの事だった
竹子さんには涙ながらに感謝され、途中で替わった竹子さんの旦那さんにも怒鳴った時の事を謝られた
長い事迷惑をかけてしまった事へのお詫びとお礼に、大した額ではないが払いたいと言われたのでそれは断り
その代わりに婆さんに線香を上げさせて欲しいと頼み込んだ
急ではあったし竹子さん達には迷惑な話だったとは思うが、それでも快諾してもらえたので
今度の土曜日に初めて婆さんに会いに行く事にした
自分が取った行動が正しかったのか間違っていたのか正直わからない
正直最初は軽はずみな行動だったんじゃないかと今頃になって考える事もある
だから、自分語りキメェとは思ったけど誰かに聞いてもらいたかったしどうだったのか聞きたかったんだ
大したオチがある訳でもない話でごめん
自分は電話で話を聞くだけだったから出来たんだろうなと
もし、これが自分の家族であったりあるいは婆さんと一緒に生活とかって話だったら絶対に出来なかったと思う
むしろ、自分からしてみたら>>24を始めとした家族の絆は凄いなって思えてならない
「魂は覚えてくれているはず」という言葉は凄く心にきた、婆さんがそうであってくれれば嬉しいな
土曜日に婆さんに会う時に持って行こうと思って短歌を書いてみた
「人違い 心を繋ぐ 電話かな」って、タカシさんじゃなくてちゃんと自分から婆さんに贈りたかった
多分、歌に詳しい婆さんには笑われるかもしれないけど
ずっと誰かに聞いてほしかった話だったので支援してくれた人有難う
痴呆症で深夜徘徊をした祖母を送ってくれたヤンキー集団
痴呆症の祖母が深夜徘徊してヤンキーの集団に送ってもらった事がある。
祖母が消えたことでパニックになる母。
警察に電話する私。
寒空の中で祖母を探す父と弟。
そこへ爆音と共に電飾ピカピカの車で帰ってきた祖母。
衝撃的な展開で忘れられない。
田舎だから基本的にヤンキーは優しい。
忘れもしない11月の寒い深夜2時すぎ。
「婆ちゃんがいない。寝てしまって気付かなかった!お父さんと弟を呼んで!」
痴呆症の祖母の家で寝泊まりしてた母からの電話だった。
すぐに車に乗って祖母の家に向かい、その途中で父と弟を婆ちゃんを探してもらうために下ろした。
祖母の家についた時には母は真っ青な顔で警察に電話しようって携帯握りしめて震えてた。
こんなことで警察に電話していいのか分からなかったけど、怒られてもいいから110番しようと事故にあってるかもしれないと思って通報。
15分ぐらいで警察が来てくれてすぐに探すので特徴教えてくださいって優しく言われた時には涙が出た。
そして警察に母が祖母の着ていた寝間着や半纏の特徴を話してる時に凄い爆音が近づいてきた。
それも一台どころか数台の爆音。
祖母の家は広い国道から100mぐらいしか離れてないから暴走族が細道に入ってきたのかと思ってた。
そしたらなんとド派手なピカピカ光ってる車が4台も祖母の家の前で止まった。
警察も何事かって感じで驚いてたし、近所の人も出てきた。
私はパトカー狙ってきたんじゃって思ってた。
そしたらエンジン切って運転席から金髪頭のピアスだらけの若いヤンキーが降りてきてポリがおるわとか言いながら家に入ってきた。
「○○さんはここの人?車道歩いてたから連れてきた」
って言ってもう一台の車から若い女ヤンキーに支えられながら祖母が降りてきた。
警察も私も母もびっくり。
祖母は車道の分離帯でつまづいてうずくまってたのをヤンキー集団が見つけて声をかけたらしい。
そして住所が言えたので連れてきたって説明してくれた。
母はもう泣きながらお礼を言って警察も他のヤンキーたちに事情聞いてた。
祖母はニコニコ笑いながら今日は寒いねとか言ってた。
その後父と弟も合流してヤンキー集団にお礼を何度も伝えた。
警察は違法改造の車だったからか軽くヤンキー集団に注意してたけど人助けしたことを褒めてた。
ヤンキー集団のリーダー?の住所を父が聞いていたので後日もう一度お礼に行った。
めちゃくちゃいい子達だったよ。
つまづいた時に手を擦りむいてた祖母の傷口を洗い流して消毒してってちゃんと手当してくれてた。
寒いからってコンビニの毛糸の帽子買って被せてくれてたり、自分の上着を着せたりしてた。
若年性アルツハイマーと診断された俺。退職した日、嫁に『リコンしたい』と言われた。意志薄弱な俺がスレ住民の励ましで…→結果
◆現在の状況
嫁に離婚して欲しいと署名捺印済みの離婚届を渡されました
◆最終的にどうしたいか
離婚したくない
、嫁といたい気持ちと嫁の人生を潰したくない気持ちの間で揺れています
◆相談者の年齢・職業・年収(手取り額)
54歳、会社員、600万(2月末で退職
◆嫁の年齢・職業・年収(手取り額)
52歳、教師、400万
◆家賃・住宅ローンの状況
持家、住宅ローンを退職金で完済
◆貯金額
400万
◆借金額と借金の理由
ありません
◆結婚年数
27年
◆子供の人数・年齢・性別
24歳娘(社会人)20歳息子(大学2回生)娘は同居しておりません
◆親と同居かどうか
父は他界、79歳の母と同居、
介護は必要ありません
◆相談者と嫁の離婚歴
ありません
◆離婚危機の原因の詳細
一昨年の8月に若年性アルツハイマーの診断を受けました。
薬で進行を抑えていたものの仕事に支障が出るようになったので2月末で退職しました。
退職した日の晩私と母を支えていく自信がないと離婚を切り出されました。
無理からぬことだと思う一方、嫁に看取って欲しい気持ちもあり揺れています。
妻は離婚が済むまで子供や親には言うな、
というので家族会議は開けません。
ただただ私に決断を迫ります。
私はどこまで私のエゴを貫いていいのか…
将来的には多分施設に入ると思います。
妻だけに負担をかける気はありません。
妻は全て終わってから説明するべきだと言っています。
また実はまだ私がアルツハイマーであることも妻しか知りません。
妻は娘が結婚したい人ができた時
アルツハイマーの父親がいては結婚できないから
離婚して縁を切るのが親の務めだと言っています。
私も子供に話そうかと思いました。
でもこの病気になってから
自分の考えることに責任が持てない気がして、
全て妻に従ってきました。
子供は確かに私の子供でもあります。
でも足枷になるなら、そうなる前に死にたいです。
子供の足枷にならない手段が何も告げずに離婚なら、
そうするしかないと思っていました。
まず妻に離婚理由を書いてもらうところから始めたいと思います。
娘は24歳です。
成年被後見人はいつかはやらねばならないと思っています。
母は介護は必要ありません。
離婚するにせよしないにせよ、
妻と話し合いをするのに助けが必要だと実感しました。
弁護士に相談してみます。
ただ、子供や母には本当に言わない方が良いのか、
それが気がかりです。
私の姉もアルツハイマーですし、
アルツハイマーには遺伝が関係あることがあるそうです。
妻は遺伝の可能性によって
娘が差別されるのを恐れています。
子供のことは妻に任せて、ひっそりと暮らして欲しい、
私が死んでから子供にだけ理由は説明するから、と言われました。
でも確かに子供たちはもう大人なんですよね。
きちんと伝えた方がいいのかもしれません。
というより、一緒に住んでいる息子はもうなんとなくわかっていると思うんです。
だからよけいに説明したくなるのかもしれません。
娘に話があるから週末帰って来て欲しいとメールしました。
娘と息子には病気のことはきちんと説明します。
仕事も辞めましたし、離婚もするでしょうし、
まして遺伝ともなれば私が子供なら知りたいと思います。
嫁には離婚の理由や条件を紙にまとめて欲しいと言う事と、
子供に病気の事を伝えると話しました。
紙にまとめるのは了解してもらえましたが
子供に話すのは反対されました。
でも子供たちはもう大人だ、
離婚したからって死ぬまで会わせないように妻ができるわけない、
と言ったら黙ってしまいました。
病気がわかってからこんなに主張したのは初めてです。
自分の意思に自信が持てない私の背中を押して下さり、
ありがとうございます。
妹は病気の事を知っているので(妻はその事を知りません)
母の事についていずれ施設に、というぐらいは話し合ってあります。
医師からも説明してもらいますが、
その前に自分の口からも伝えたいです。
もしかしたら愚痴になってしまうかもしれませんし、
正直なところきちんと説明できる自信はありません。
けれど遺伝するという事実は私の口から伝えたいです。
また離婚する可能性があるということも、伝えたいです。
うまく話せないので、手紙にしようか迷いました。
でもやっぱり顔を見て直接言いたいです。
娘が帰って来るのは明日なので今から医師に聞くのは難しいです。
でも病名と、一緒に医師の所に行って欲しいと話そうと思います。
母にも明日話そうと思います。
話したい事を紙にまとめました。
また妻から離婚したいという事と
その理由を紙に書いてもらいました。
理由は
1アルツハイマーの父親がいては子供の人生が制限される
2仕事はやりがいがあるので辞めたくない
3マイナス思考になったマグネットと一緒にいたくない
です。
子供に母親に捨てられるかもしれない、
なんて思われたら悲しいですね。
妻は子供への遺伝をどう考えているのか不安になります。
もうすぐ娘が帰って来ますので、そうしたら話し合います。
子供に病気の事を話しました。
子供たちも薄々様子がおかしいと感じていたようです。
娘は4月からうちに帰って来ると言います。
うちからでは通勤に一時間もかかってしまうのに…
娘がそう言い出した事で妻には責められました。
妻には離婚の条件として弁護士を入れる、と話しました。
お金の事をもう自分でこなす自信がないから、と。
妻は渋々ですが条件を受け入れました。
子供は二人とも私と暮らすと言います。
もう二人とも成人しているので
妻が子供たちの事を決めることはできないようです。
父の遺産相続の時に頼んだ弁護士が弁護士を紹介してくれます。
木曜日に息子と一緒に会ってきます。
子供を頼ってしまう自分が情けないです。
妻はまだ娘に私を見捨てるよう説得しています。
子供たちの優しさはとても嬉しいのですが、
親として子供の足枷になりたくない気持ちもあり、複雑です。
妻も妻なりに悩んでの決断だと思います。
妻を恨む気持ちや妻がひどいと思う気持ちはありません。
妻の仕事への情熱を一番見てきた私には、
仕事を辞めて私を見てくれとは言えません。
自殺は何度も考えました。
でも母や妻や子供が悲しむだろうと、どうしてもできませんでした。
妻の仕事は大学の講師です。
妻は研究者として男社会で必死に戦ってきました。
それを見てきただけに妻なんだから
面倒見てくれ、とは言えません。
私だって何十年も目指してきた仕事だったら、
妻のために迷わず辞められたという自信はありません。
だから妻はあれでいいと思っています。
後はどうしたらトラブルなく離婚やその後の事ができるか…それだけです。
娘と一緒に久しぶりに料理をしました。
ずっと料理が趣味だったのですが、
病気がわかって以来妻に禁止されていたので
本当に久しぶりに楽しい時間を過ごしました。
子供たちには頼ってしまうことになりますが、
出来る限り自分の事は自分でできるよう頑張っていきます。
子供たちが妻をどう思っているかはわかりません。
ただ母親を悪く思うのは辛いことだと思います。
そうならないのが理想ですが難しいですね。
たくさんのアドバイスを頂き、本当にありがとうございます。
娘が一緒に暮らそうと暮らすまいと、
弁護士を頼もうと頼むまいと
妻の離婚の意思は変わらないと思います。
また現状では施設にも入れてもらえず、
娘の申し出を断っても娘を心配させるだけかと考えました。
もちろん娘が自分の人生を優先する決断をしたら喜んで受け入れます。
いろいろ案じて下さり、ありがとうございます。
ガスコンロの買い替えも考えます。
出来る限り自分の事は自分で出来るよう、
少なくともお金の事で娘と息子がもめたりしないよう
弁護士ときちんと話し合います。
たくさんのアドバイスを頂き、内容が追いきれていません。
でも感謝の気持ちでいっぱいです。
息子と弁護士と話し合ってきました。
財産分与については弁護士に全ておまかせします。
また病院に連絡して、
娘が同居しない場合には
福祉に見てもらえるという説明をしてもらうようにしました。
私は娘を突き放すような言葉が言えない情けない男ですが、
その上自分で自分の事を調べる事さえできませんが、
娘の人生を潰したくない気持ちはあります。
ギリギリまでもがきます。
娘に病気の事を話したのは間違いだったかもしれません。
でも私が選んだ事です。
その責任は果たしたいと思います。
もちろん娘には出来る限り
依存しないでいけるよう最善を尽くします。
さっきまで息子と家のリフォームについて話し合っていました。
ガスコンロを新しい安全なものにすること、
寝室の石油ストーブをエアコンに変えること、
他にも病院で教わった通りリフォームして
一人でなるべく過ごせるようにします。
その上で施設の空くのを待ちたいと思います。
まだ症状が軽いので
優先順位がかなり低いのですが、
施設の順番待ちはしています。
ガスコンロについて書いてくださった方、
アドバイスありがとうございます。
薬は夜寝る前炊飯器に米をセットするとき炊飯器の上におき、
朝ご飯を食べるために炊飯器を開ける時に飲んでいます。
妻が唯一させてくれる炊事が米研ぎだったのでこうなってしまいました。
掃除や洗濯も予定をきちんと立ててこなしていきます。
今までもやっていましたが、
最近掃除機の使い方がわからなくなることがあるので
ダスキンを頼むことを検討しています。
介護認定は要支援です。
ケアマネージャーの方とは時々お話していますし、
これからは買い物にヘルパーさんが同行してくださることになりました。
妻がいなくなる分、福祉があるのはありがたいです。
娘は休みと引越し屋の予定が合わず
4月頭には引越せなくなったので、
それまで週末だけ娘が帰ってくる生活で
しっかりやれると娘に見せて娘を安心させたいです。
今後のためにもできることとできないことを書き出してみました。
できる
パソコン、携帯の操作、料理、洗い物、買い物(メモ持参)
時々できない
掃除機、洗濯機、電車の乗り換え、ゴミの分別
できない
曜日感覚(今日の日付はわかるが曜日がわからなくなる)、
車の運転、ゴミ出し、冷蔵庫の中身を見て足りないもののリストを作る
こうしてみるとまだ案外にできることがありますね。
これを元に娘に同居以外で負担にならない方法で
助けてもらいたいと思います。
例えば朝決まった時間にメールで
今日は何のゴミの日か教えてもらえば
まだゴミだしはできると思います。
買い物もメモを作ってもらえばできます。
同居は利用できる福祉の面でも、娘の負担も、
私の残った力を無駄にしないためにもなんとか避けるよう話し合います。
元々2ちゃんねるが好きで
よく見ていたのは幸いだったかもしれません。
パソコンも携帯も使えるのはきっとそのおかげです。
長い文が読めなくなっているものの、
書く方や短く区切られた文はまだ読めます。
また口で説明されるのを聞く方が理解できるとわかったので
息子の次の休みにウィキは読んでもらうつもりです。
遺産相続は出来る限り弁護士にお任せします。
妻の性格はプライドは高いのですが
親の愛情に飢えていて、確かに甘えが強いかもしれません。
今までも何かの選択の時には私や親を頼る事が多く、
こんなに強く妻が主張するのは初めてです。
だからすがるのを止めようと思いました。
妻が仕事をそこまで大切に思い
楽しんでいるのは私にとっても嬉しいことです。
愛する人の幸せを壊してまで
自分のエゴを貫きたいとは思いません。
私以上に大切なものを見つけて
それに向かって進んでくれるのは
私にとっては面倒を見てもらえるのより嬉しいです。
娘にもそう伝えました。
また、できる事できない事のリストを見せ、
まだ自分でやれる、病気の進行を遅らせるためにも
やらせて欲しい、と言いました。
その上で毎朝何のゴミの日かと、
通院日かどうかを娘にメールしてもらうことにしました。
私はそれに薬を飲んでいる写真を添付したメールで返します。
同居はまだしないことにしました。
息子もいますし。
娘にとっても私にとってもこれがベストだと思います。
ただ妻には私はいい夫だったのか、それだけが気がかりです。
妻が自分の道を選べた事は喜ばしいですが、
妻の心の傷を私が癒せたのかどうか…
妻の実家の話はしましたでしょうか?
団信は妻に管理を頼んでいたので妻から弁護士に渡っています。
退職金を使ったのは妻の意思です。
要支援2です。
私が施設に入ったら母親はグループホームに入れられないか、
とワーカーさんとは話していますが、
話をしただけでまだ決まっていません。
今は施設は厳しいとはワーカーさんから言われました。
私の認識に間違いがありそうでしたら教えてください。
そうですね、妻のプライバシーは書かない方がいいですね
信頼できる弁護士だと思っていたのですが、
選び違えたのかもしれません。
要支援2の判定が降った時は一番気持ちが落ち込んでいた頃で、
携帯やパソコンもできませんでした。
離婚話が出てからは今までが嘘のように動いています。
そういった意味で私は妻に感謝すべきかもしれません。
今ならどの程度の判定になるのか知りたいです。
判定を受けた時のことはよく覚えていません。
診断がショックで、仕事ができなくなってきた事で自信も失って、
うつのような状態でひたすらぼーっとしていました。
そんな状態だった上に
日付や時間の感覚から壊れてしまった事で
重すぎる判定になったのかもしれません。
退職が決まってからは開き直りが出てきて
パソコンや携帯ぐらいはやるようになりましたが、
エクセルなんかはもう使えません。
あまりお答えできず申し訳ありません。
私も人の話だったら信じられなかったかもしれません。
次の認定の時には
どれだけ回復しているかが楽しみだったのですが、
それがいいこととは限らないんですね。
無理に頑張らずに認定を受けるよう気をつけます。
私は妻にとっていい夫で、
子供にとっていい親であったかが一番大切です。
アドバイスをくださった方、ありがとうございます。
物を減らすことは努力しています。
鍵の定位置も決めています。
お金の管理はまだ前と同じにしていますが、
今後のためにやり方を変えていきたいと思います。
妻は迷わず離婚を望んでいるものと思っていましたが、
揺れているようです。
今日夕食の後散歩に誘われ、近所を歩きました。
その時「ここ何日か見て、
まだマグネットはマグネットだって思ったの。
まだ一緒にいたい」と言われました。
でも「もし病状が進んでもそう思い続けてくれるか?」
と聞くと困った顔で黙ってしまいました。
もし離婚せずにいられるならそれが一番です。
でも離婚するなら今しかなく、病状が進んでからでは不安です。
今後どうしたらいいのか悩んでいます。
妻はあれ以来とても不安定になってしまいました。
嘘でも私は大丈夫だと安心させるべきか迷いましたが、
それはお互いのためにならないと思い、
妻と向き合ってきました。
エアコンを入れたりガスコンロを新しくする工事をしたり、
私一人でも暮らせるようにする工夫は
「私が要らなくなるのでは…」と妻を不安にしてしまうようです。
離婚していたら必要も何も
私一人でやらなくてはならないのですが…
確かにレスを頂いた通り
妻は心が強くはないのかもしれません。
ただ病気は待ってくれませんし、
母だっていつ認知症になってもおかしくない年です。
妻とどうするにしても私が出来る限り
安全に家事をできるようしていこうと思います。
今一番悩んでいることは
揺れている妻を子供たちがなじろうとすることです。
離婚がいかに大問題で、
揺れるのは仕方ないことだと話しても納得がいかない様子です。
やはり子供たちには決まってから話すべきだったかと悩んでいます。
子供たちにはどう話すべきでしょうか
妻はものを両極端にとらえてしまうところがあって、
私の病気がわかったことで何十年も24時間介護し続ける、
しかも私と母両方、という想定しかできなくなっていました。
それは嫌だと妻なりにあがいた結果が今の状況です。
私がしっかりして妻を安心させたくて相談に来たのですが、
やはり妻の言動は客観的に見ても理解されないものだと実感しました。
それでも妻を選んだのは私ですし、子供もいますし、
離婚のことも今後の身の振り方も決めなければなりません。
でもそれは私にとっても荷が重いです。
今は記憶力が落ちたのと
長い文が読めない以外は普通にできていますが、それがいつまで続くのか…
また、また私が崩れる時までに妻と子供の関係を修復しなくては…
何から手をつけたらいいのかわかりません。
やはりこういう掲示板では普段聞くことのない本音が聞けますね。
仕方ないことだと思いながらも
妻に捨てられたことにモヤモヤするものがあったのですが、
みなさんの本音を聞いてあきらめがつきました。
ありがとうございます。
財産分与については弁護士にお任せしますが、
家を出ていかなくてすむようにしてほしいとお願いしてあります。
妻にもカウンセリングが必要かもしれませんが、
今の私に妻を説得する力はありません。
妻自身で気付いてくれるのを期待するしかありません。
ここのみなさんの言葉にはげまされ、
私は妻に離婚を前提に行動しているから
もう後戻りはできないと告げることができました。
いろいろ妻と話し合いました。
覚えていられないので、日記をつけることにしました。
とりあえず今の状況は、
・妻の引越し日が28日に決定
・財産分与案を妻に渡す(弁護士の案そのままです
・遺言の作成(弁護士に手伝ってもらっています
・年金分割の手続き中(弁護士に依頼しています
は完了しました。
次回の要介護度判定の日も決まりました。
まだ決まっていないのは
・母の今後の身の振り方
・私がいつまで家にいるか
・息子の学費をどう負担するか
(妻にも負担してもらえるといいのですが、私のわがままでしょうか
日記をそのまま写したので
箇条書きになってしまいました。
妻は今まで自分で決断することが少なく、
今の状況はとても辛いと思います。
子供に取り乱した姿を見せてしまったことは私にも責任がありますし、
私と場合によっては母の介護まで降りかかるのでは
逃げたくなるのは当然だと思います。
ここの意見でもそれを実感しました。
けれど妻の罪悪感や辛さを
今の私にはどうすることもできないことが辛いです。
引越し屋は既に
見積もりを出してもらっていたので、そこにお願いしました。
離婚を私に切り出す前に妻が見積もりを頼んでいました。
息子は妻と一緒に暮らす手もあると話したのですが、
拒否されました。
今後私も母もいずれは施設に入ることになる、
心配するな、と話したのですが、
妻への不信感があるようでした。
息子は娘に比べて
介護についての実際の知識がないことも原因だと思います。
母のことはワーカーさんに相談していますが、
そうすぐには入れる施設は見つかりません。
認知症はないものの体にはいろいろ不具合も起きているので、
そういったことを私が今後ケアしていくのは難しいと思います。
母の通院日を覚えておくことすら確実にはできません。
引越しや新しい暮らしに必要なものをそろえる都合で
妻にも経済的な余裕はまったくなく、
息子の学費はまだどうするか決まっていません。
実験のため大学に泊まることすらある息子が
アルバイトをするのは限界がありますし、これが今一番の問題です。
母のことはもう動き始めているので、少しは安心感があります。
私の病状が今後どう進むのかわからないので
まだ施設に入る予定が立ちません。
まずは母のことと
息子の学費のことが片付いてからになると思います。
妻は引越し、離婚の後始末もだいたい終わりました。
もうすぐ母も引越します。
妻が後悔しないでくれれば私は満足です。
いろいろありがとうございました。
息子の学費は奨学金が借りられることになりました。
息子の将来が守られて安心しました。