日本におけるBRTの発祥の地は…?

rokorea
日本各地において今日、BRTが世間一般に浸透しているが、実は皆が知っているようなあの都市が、日本における現存するBRTのルーツとなった地域である。

今日の日本ではBRTが世間一般に浸透している

今日では、全国各地においてBRTを見ることができる。

ところで、日本におけるBRT発祥の地域は意外な場所にあることをご存知だろうか?

その場所は…

路面電車の失敗作だろうか?とんでもない。れっきとした基幹バスである。

1974年の名古屋市電の全廃以降、当時の名古屋市は東京と比較すると軌道系交通路線網の密度が低いことや幅員の大きい幹線道路などがあり、「自動車型都市」とも言われるほど乗用車の利用率が高く、道路混雑が激しいため、早い時期から公共交通機関を優先するための対策を検討していた。「基幹バス」の構想は、1979年5月に名古屋市総合交通計画研究会が提案したもので、鉄道や地下鉄と同等の公共基幹路線という位置づけとして、地下鉄計画路線の実現まで代替交通機関として整備するか、地下鉄計画は存在しないが基幹的交通機関の必要な地区に整備する、という2種類の方向性が考えられていた。
この交通システムの理想は、道路中央部に専用車線と停留所を設置し、停留所間隔は地下鉄並みに800 mから1 km程度とした上で、バス優先信号を採用することで交差点での停止をなくすなどの対応策により、表定速度の目標値を25 km/hに設定したものである。
基幹バス (名古屋市) – Wikipedia

当時、深刻な道路交通の混雑によるバスの遅延に対応するために、バスの最混雑路線のバスレーンを道路中央部に移動させたことが始まり。

基幹バスシステムの導入効果が明らかになった1985年4月には、さらに理想に近い基幹バス路線として新出来町線を開設した。新出来町線では停留所間隔は650 mで、道路の幅員は一部で24.5mと余裕がない箇所もあったが、市営地下鉄東山線と名鉄瀬戸線の中間に位置し、鉄道網に恵まれない地区を経由するため、整備効果と需要はともに多いものと見込まれた。また、新出来町線では名古屋鉄道(当時)のバスと相互乗り入れとした。
システム導入後1年間の新出来町線は、表定速度が14.5 km/hから19.9 km/hに向上(平均所要時間では50分から34分に改善)、1986年の営業係数は87.6で黒字となった。
導入後の名古屋市が効果測定調査を行なった結果、基幹バスを「良かった」と考える利用者が83 %となっていたが、沿道住民からの評価も「良かった」が50 %となった上、自家用車のドライバーからも「良かった」という評価が38 %(ドライバーからの「良くない」という評価は25 %)を占めていた。
基幹バス (名古屋市) – Wikipedia

2010年代に入り、急速に全国に広まった。

全国的にBRTが好評を博した。
設置費用の安さや、費用対効果の大きさなどから、2010年代に入ってから地方都市を中心に全国的に広まっている。
https://matome.naver.jp/odai/2149225670178417201
2017年04月15日