社会人をやりながら小説を書いてデビューした小説家

bookmemo
橘 玲
「マネーロンダリング」
「タックスヘイブン」

早稲田大学第一文学部卒業。元・宝島社の編集者で雑誌『宝島30』2代目編集長。

上田 岳弘
「ニムロッド」

兵庫県明石市出身。早稲田大学法学部卒業。
大学卒業後、法人向けソリューションメーカーの立ち上げに参加し、その後役員となる。
2013年、「太陽」で第45回新潮新人賞を受賞しデビュー。
第28回三島由紀夫賞の選考において、又吉直樹著『火花』(第153回芥川龍之介賞受賞作)との決選投票の末に、「私の恋人」への授賞する。
2019年、「ニムロッド」で第160回芥川賞を受賞。

湊かなえ
『告白』(2008年)

大学卒業後アパレルメーカーに就職して1年半勤務の後、2年間青年海外協力隊隊員としてトンガに赴任、家庭科教師として栄養指導に携わる。帰国後、淡路島の高校で家庭科の非常勤講師となる。27歳の時に結婚する。
「何か新しいこと」に挑戦したいと、雑誌『公募ガイド』を購入して、2004年より川柳、脚本の投稿を始める。形に残せるものに挑戦したい」と創作を始めた。2005年に第2回BS-i新人脚本賞に佳作入選するものの、地方在住の新人がプロの脚本家を目指すのは難しいと授賞式でプロデューサーから指摘されて悔しさを味わい、次は脚本と小説のコンクールで一番になることを目標とする。
2007年『答えは、昼間の月』で第35回創作ラジオドラマ大賞を受賞した。同年『聖職者』で第29回小説推理新人賞を受賞し小説家デビュー。『告白』が2009年、第6回本屋大賞を受賞した。

宮部みゆき
『龍は眠る』(1991年)
『火車』(1992年)
『理由』(1998年)
『模倣犯』(2001年)
『名もなき毒』(2006年)

田川高等学校を卒業後、3年間のOL勤務の間に裁判所速記官試験に不合格、中根速記学校で速記を学び速記検定1級を取得する。その後、法律事務所に5年間勤務し、和文タイプライターのタイピストを担当したが、23歳のとき、ワープロ購入をきっかけに小説を書き始める。
雑誌広告で知った講談社フェーマススクール・エンタテイメント小説作法教室に1984年から1年半通う。
小説教室の仲間に勧められ、試しにオール讀物推理小説新人賞に応募し、3回目の1986年候補になり、夏樹静子に励ましの評価を貰って、小説家への道が見え、意欲が初めて湧く。

翌1987年にオール讀物推理小説新人賞を受賞し、短編「我らが隣人の犯罪」でデビューする。多岐川恭に「仕事を辞めないこと、次作が載らず、なかなか本が出なくても書き続ける、健康に注意」と助言される。長編依頼をもらい、時間拘束のきつい法律事務所を辞め、自由のきく東京ガスの集金人を2年間務める。2年半かけて1989年2月に東京創元社『鮎川哲也と十三の謎』の第5回配本『パーフェクト・ブルー』が初出版される。同年に専業作家となり、『魔術はささやく』を書き、1989年日本推理サスペンス大賞を受賞する。

貴志祐介
『黒い家』(1997年)
『青の炎』(2000年)
『悪の教典』(2010年)

30歳の時、同僚の事故死をきっかけに自分の人生を考え、8年間勤めた朝日生命保険を退職し、執筆・投稿活動に専念する。鈴木光司『リング』を読み、「ホラーというのは、ミステリの文脈でまったく新しいものが書ける」と気づいたという。1994年に日本ホラー小説大賞が創設されると第1回から応募を続け、阪神大震災の経験を機に、1996年に『ISOLA』(『十三番目の人格 ISOLA』と改題し刊行)で第3回長編賞佳作を受賞し、同作で作家デビュー。1997年に『黒い家』で第4回大賞を受賞した。

恩田陸
『夜のピクニック』(2004年)
『蜜蜂と遠雷』(2016年)

1987年(昭和62年)に早稲田大学を卒業し、生命保険会社のOLとして働いたが、2年後に過重労働で入院。復帰後に酒見賢一の『後宮小説』を読み、その才能と、いつか遠い先に作家になれたらと思っていたが、作者の年齢が1歳上であまり違わず、ショックを受け、勤務しつつ半年後に作家活動を開始した。その後も忙しく、本が読めないのが主な不満で、入社後4年で退職した。
1991年(平成3年)、退職後に書き終えた『六番目の小夜子』が第3回日本ファンタジーノベル大賞最終候補作となり、翌1992年(平成4年)の刊行をもって作家デビューを果たした。編集者に再就職を勧められ、不動産会社に勤務。いきなりデビューして修業期間がなかったので、多作することで鍛えようとした。作家として安定してきた後、1997年(平成9年)に専業作家となった。

石田衣良
『池袋ウエストゲートパーク』(1997年)
『4TEEN』(2004年)
『下北サンデーズ』(2006年)

大学卒業後はフリーター生活を送っていたが、母親の他界をきっかけに就職を決意し、広告制作プロダクション・広告代理店にコピーライターとして勤務した後、33歳の時にフリーのコピーライターとなる。36歳の時に7歳の頃からの夢だった小説家になることを決意し、数々の新人賞に応募。1997年、それまで応募したことのなかったミステリーの賞に応募したところ、第36回オール讀物推理小説新人賞を受賞。そのデビュー作が「池袋ウエストゲートパーク」である。以後、『4TEEN フォーティーン』で第129回(2003年上半期)直木賞を、2006年、『眠れぬ真珠』で第13回島清恋愛文学賞を受賞する。同年、映画『LOVE MY LIFE』に出演した。

伊坂幸太郎
『重力ピエロ』(2003年)
『アヒルと鴨のコインロッカー』(2003年)
『ゴールデンスランバー』(2007年)

大学卒業後、システムエンジニアとして働くかたわら文学賞に応募、2000年『オーデュボンの祈り』で第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞しデビュー。数年後に作家専業となった。

スティーブン・キング
『キャリー』(1974年)
『シャイニング』(1977年)
『ザ・スタンド』(1978年)
『スタンド・バイ・ミー』(1982年)

キングは、理学士号の称号を付与され、高校の教師の資格を取得して大学を卒業する。ガソリンスタンドで働きながら、執筆活動を続けて、雑誌に短編小説を投稿して、お金を稼いでいた。
1971年1月2日、キングは、タビサと結婚する。同年の秋、ハンプデン・アカデミー高校の教師の仕事につく。
年収は6400ドルほどであった。

教師の仕事をしながら、キングはキャリーという女の子を主人公にした小説を書き始める。キングは原稿を2、3ページほど書いたところで、だめな作品だと思いゴミ箱に捨てる。
しかひ、妻タビサが、原稿を拾い上げて読み、「がんばって続けて」と夫を励ました。キングは、執筆を続けて、原稿を完成すると出版社”ダブルデイ”に持ち込んだ。
1973年1月、”ダブルデイ”は、その原稿を買い取ることにした。同年5月12日、”ダブルデイ”は、この原稿のペーパーバックの権利を”ニュー・アメリカン・ライブラリー”に40万ドルで売った。
この原稿の、収入の半分は自分のものとなる契約を交わしていたキングは、この時の収入のおかげで教師の仕事を辞めて、フルタイムで執筆活動に専念することになった。

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2019年06月27日