彼らが世界を破壊する
彼らが世界を穢す
彼らが調和を乱す
彼らが全ての命を殺す
全ての命が救われる
永遠の平和が訪れる
一つの命を殺すことによって
一つの種の命を殺すことによって
何も間違っていない
何一つ間違っていない
真理 正義だ
私が常に憂慮しているのは、いつかはついに、人間を殺すのに最も手っ取り早い方法がとれる、何らかの秘密が発見され、諸民族、諸国民全体が滅ぼされてしまうのではないかということです。
目次
黒澤明とは
黒澤明の生涯
黒澤明の体格
黒澤明の作風
姿三四郎
素晴らしき日曜日
酔いどれ天使
羅生門
白痴
生きる
七人の侍
刑事TNOK
赤ひげ
乱
夢
まあだだよ
雨あがる
黒澤明名言
黒澤明とは
天の視点から、人間のやっていることを俯瞰の目で見て描きたい
黒澤明の言葉
FW版人間の歴史(宇宙の終焉)RTA_3分34秒
あなた達人間から見れば何千何万何億年 宇宙から見れば一日いや一夜
高い山は、空を見る者が高い所へ登れば登るほど、高く見える
『蝦蟇の油』黒澤明
高く登った分だけ、下に落ちなければよいが
ご存知の通り、映画界の巨匠です。
アカデミー賞、世界三大映画祭(ヴェネツィア、カンヌ、ベルリン)の全てで受賞する。
クリント・イーストウッド、フランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカス、スティーブン・スピルバーグ、北野武、宮崎駿、NSOKなどに多大な影響を与える。
ゲオやTSUTAYAに行けば、どの店舗でも必ず置いてあると思います。
じゃあ俺、ギャラ貰って帰るから
黒澤明の生涯
はーい、よーいスタート
真夏の夜の淫夢
NSOKの台詞
1910年、東京府荏原郡大井町(現在の東京都品川区東大井)に生まれる。
映画を観ることは教育上良いと考えた父に連れられて、よく映画を見に行っていた。
特に洋画を見ており、中でもウィリアム・S・ハートを見ていた。
1917年、森村学園尋常小学校に入学する。
翌年、黒田尋常小学校(文京区立第五中学校の前身)に転学する。
同じ学校の植草圭之助と親友になる。
この頃の黒澤明は、気が弱く泣き虫で、いじめられっ子であった。
だが3年生の時、授業で描いた絵が立川先生に褒められる。
絵を描くことが好きになり、同時に学校の成績も伸び、級長にもなる。
後に黒澤明は、立川先生を生涯の恩師であると語っている。
立川先生は他の学校に転勤し、再開するのは25年後のことである。
東京府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)を受験するが落ちる。
国語歴史図画は得意であったが、算数理科は不得意であったためである。
京華中学校に入学する。
夏目漱石、樋口一葉、国木田独歩、レフ・トルストイ、フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフなどを読む。
進路に悩むが、画家になろうと決め、美術学校に行こうとする。
美術学校(現東京藝術大学美術学部)を受験するが落ちる。
川端画学校に通って洋画を勉強し、造形美術研究所(のちのプロレタリア美術研究所)に入る。
プロレタリア活動を行うが、『資本論』『唯物史観』はほとんどわからなかった。
「今のプロレタリア運動はインフルエンザだよ、すぐ熱は冷めるよ」と兄が言った通りに、すぐにプロレタリア運動は辞めた。
この頃の黒澤明は、外国文学、日本文学を古典現代問わず読み漁る。
演劇を見に行き、音楽を聴く。
絵画は、ポール・セザンヌやファン・ゴッホに傾倒する。
ルネッサンスの芸術家、特にレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ・ブオナローティを研究する。
そして映画を見る。
1933年、当時27歳であった兄が自殺する。
職場でのストライキの板挟みに悩み、自殺した。
ロシア文学を愛好し、ミハイル・アルツィバーシェフの『最後の一線』を愛読書としていた。
P.C.L.は夢の工場にふさわしい場所であった
『蝦蟇の油』黒澤明
1936年、P.C.L.映画製作所の助監督募集、という新聞広告を見つける。
応募し面接を受け、口頭試験において、生涯の最も良き師山本嘉次郎と出会う。
試験の場では、俵屋宗達、富岡鉄斎、ファン・ゴッホ、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンについて話した。
そして、約100倍の難関を突破して入社する。
山本嘉次郎監督の下で助監督を務め、『藤十郎の恋』や『綴方教室』などを担当する。
また、山本の助言でシナリオを書くようになる。
1941年、『達磨寺のドイツ人』を書く。
このドイツ人とは、建築家ブルーノ・タウトのことである。
映画化はされなかったものの、伊丹万作から絶賛される。
1942年『雪』を書く。情報局国民映画脚本募集で情報局賞を受賞する。
『静かなり』は、日本映画雑誌協会の国策映画脚本募集で1位に入賞する。
当時東宝映画の宣伝部におり、後に映画評論家となる淀川長治と出会う。
やっと、自分が登るべき山の裾へたどりつき、その山を見上げて立った
『蝦蟇の油』黒澤明
1943年、『姿三四郎』で監督デビューする。
作品は大ヒットし、新人監督に贈られる山中貞雄賞を受賞する。
1944年、『一番美しく』を発表する。
翌年、その映画の主演であった矢口陽子と結婚する。
明治神宮で挙式を行い、晩酌人は山本嘉次郎夫妻であった。
1945年、『續姿三四郎』『虎の尾を踏む男達』を発表。
『續姿三四郎』は、『姿三四郎』の続編にあたる。
黒澤明は、続編を制作することに、否定的なコメントをしている。
『虎の尾を踏む男達』の撮影を一人のアメリカ人が見ていた。
それは、アメリカの映画監督ジョン・フォードであった。
1946年、『我が青春に悔なし』を発表する。
翌年、『素晴らしき日曜日』を発表する。
立川先生と、25年ぶりに再開する。
1948年、『酔いどれ天使』を発表。
1949年、『静かなる決闘』『野良犬』を発表。
1950年、『醜聞』『羅生門』を発表。
『羅生門』は人間不信のテーマを含む難解な作品であったため、国内では不評であった。
だが翌年、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞を受賞する。
一転、国内で絶賛される。
1951年、『白痴』を発表。
フョードル・ドストエフスキーの小説を日本風にしたものである。
『羅生門』の受賞により注目が集まったが、失敗作の評価を受ける。
なお、黒澤明自身は、失敗作と考えていない。
1952年、『生きる』を発表。
ベルリン国際映画祭上院特別賞を受賞する。
1954年、『七人の侍』を発表。
ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞する。
映画史上の名作として、国内外で高く評価される。
感動から涙が出てきて仕方がないもの、つまり心に響いているもので映画は勝負すべきだ
黒澤明の言葉
その後も、数々の傑作を世に送り出す。
『生きものの記録』
『蜘蛛巣城』
『どん底』
『隠し砦の三悪人』
『悪い奴ほどよく眠る』
『用心棒』
『椿三十郎』
『天国と地獄』
『刑事TNOK』
『赤ひげ』
『どですかでん』
『デルス・ウザーラ』
『影武者』
『乱』
『夢』
『八月の狂詩曲』
『まあだだよ』
1998年9月6日、脳卒中により死去する。
二ヶ月後、後を追うように淀川長治が死去する。
黒澤明の体格
180の、70の、20です
真夏の夜の淫夢
NSOKの台詞
身長は182cmで、明治生まれの日本人としては長身であった。
学生時代は剣道を習い、かなりの腕前であった。
アカデミー賞の名誉賞を受賞した際に、プレゼンターを務めたジョージ・ルーカスやスティーヴン・スピルバーグよりも、背が高かった。
大食であり、酒や煙草も好んだ。
特にウイスキーが好きであった。
また犬が好きであり、数々の犬を飼っていた。
黒澤明の作風
こんなんじゃ商品になんないよ〜
真夏の夜の淫夢
NSOKの台詞
完璧主義であり、細部にまでこだわった。
リハーサルを何度も行い、徹底的に役になりきらせた。
(アメリカに進出する際に、このことで軋轢を生んだ)
また、日常生活から衣装を着させることもあった。
『羅生門』では、高さ20メートルに及ぶ巨大な門を、大映京都撮影所前に建設する。
『蜘蛛巣城』の終わりのシーンでは、本物の矢が三船敏郎に射かけられる命がけのスタントが行われる。
『天国と地獄』では、特急こだまを貸切り、実際に東海道本線上を走らせて撮影する。
『刑事TNOK』の終わりのシーンでは、本物の銃がTNOKに撃たれる命がけのスタントが行われる。
姿三四郎
『姿三四郎』作者富田常雄、近日刊行と新聞に書いてあるのを見る。
すぐに上司の森田信義の所に行き、この映画化の権利を買って欲しいと。
「おまえ読んでるのか?」
「でも、まだこの本は、出ていません。私も読んでいません。」
1997年に流行った、セガのCM「セガサターン、シロ!」
せがた三四郎の元ネタと言えば、わかりやすいかも知れません。
素晴らしき日曜日
タイトルの、脚本・植草圭之助、監督・黒澤明、という字を読んだ時から、スクリーンがぼやけて、よく見えなくなった
『蝦蟇の油』黒澤明
立川精治の葉書より
D・W・グリフィスの『素晴らしい哉人生』から、着想を得ています。
終盤において、スクリーンの中から観客に向かって拍手を求めるという演出があります。
デパートの屋上のヒーローショーにおいて、よくある演出です。
プリキュアの映画でも、この演出があります。
酔いどれ天使
これでやっと、これが俺だ、というものが出たんだ
黒澤明の言葉
コントラプンクトですね
『蝦蟇の油』黒澤明
音楽を担当していた早坂文雄の言葉
うん、狙撃兵だ
『蝦蟇の油』黒澤明
黒澤明の言葉、セミョン・ティモシェンコの『狙撃兵』から
この映画では、音と映像の対位法(コントラプンクト)を行っています。
主人公が結核に苦しみながら闇市をさすらう陰鬱な場面に、あえて陽気な曲である「カッコウワルツ」を流しています。
この映画の制作中、黒澤明の父が秋田で死去した。
仕事のため、秋田に行くことが出来ず、暗い気持ちで新宿を歩いていた。
その時、陽気な曲である「カッコウワルツ」が聞こえてきた。
その実体験をもとにしている。
羅生門
ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
『羅生門』芥川龍之介
さようでございます。あの死骸を見つけたのは、わたしに違いございません。
『藪の中』芥川龍之介
芥川龍之介の『羅生門』と『藪の中』を足した作品です。
難解な作品であり、先に芥川龍之介の本を読んだ方が良いと思います。
共に短編であり、一時間で読めます。
『羅生門』は学校の授業で読んでいると思います。
『藪の中』は芥川龍之介の多数の作品の中で、論文や書物が最も多い作品です。
この映画について一言で言えば、真実は相対的であり、真実というものは存在しない、と言う事です。
三人とも自らが犯人と言い、全てが食い違っている。
当時ダブーであった、太陽に直接カメラを向ける技法を行っています。
黒澤明は、釣りに行き、何も釣れずに家に帰ってくる。
家に帰ると、妻が玄関で出迎えていた。
「おめでとうございます」
「何が?」
「羅生門がグランプリです」
黒澤明は、自らの作品がヴェニスの映画祭にノミネートしているとは知らなかった。
ロサンゼルスの日本映画専門の映画館リンダ・リーにおいて、淀川長治がこの映画についての公演を行う。
いつも『羅生門』を見に来ているお客がいると聞く。
それは、俳優のリー・J・コッブであった。
白痴
世界を救うものは美だ
『白痴』フョードル・ドストエフスキー
愛は人間を平等にする
『白痴』フョードル・ドストエフスキー
フョードル・ドストエフスキーの『白痴』をもとにしています。
男性二人と女性一人の、三角関係のお話です。
夏目漱石『こころ』、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『若きウェルテルの悩み』と同系列の作品です。
ドストエフスキーの『白痴』は、サンクトペテルブルク行きの列車で男性二人が出会う。
矢沢あいの漫画『NANA』は、これのオマージュかもしれません。
(あたしも泰子ってゆーんだ 靖子ちゃん)
(私がしたかったのは・・・こんなアイドルじゃない!!)
黒澤明の『白痴』は、北海道行きの青函連絡船で男性二人が出会う。
当初、松竹は前後編で公開することを考えていた。
黒澤は、その意向に添い脚本撮影をしていた。
ところが途中で、松竹は前後編を辞め、一本にすることを決定する。
黒澤はこれに(調子こいてんじゃねーぞこの野郎、のんけの癖によー、何が撮れだー、お前が撮れよー、ほらうまいんだろー?ほら撮れよー!と)激怒した。
結局、2時間46分の作品となった。
『羅生門』の次作として大いに期待されましたが、失敗作の評価を受けました。
なお、黒澤明自身は、失敗作と考えていません。
何故、失敗したのか?
これは文学と映画の違い、トルストイとドストエフスキーの違いとして考えられます。
トルストイ作品の映画化は、ほとんど成功しています。
ドストエフスキー作品の映画化は、ほとんど失敗しています。
前者は、全体を完全に理解している、神の目線、映画の撮影に良く似ており、撮影しやすい。
後者は、一部のみを不完全に理解している、人間の目線、全体が掴めず、撮影しにくい。
更に、短い期間に出来事が続々と起こり、どうしても説明となってしまう。
おまけに、くどいほど心の中が記述される。
黒澤明監督、森雅之、原節子、三船敏郎の三角関係、これで面白くならないんだから、もうどうしようもないわね。(金本監督)
生きる
変わる人間がいるんだっていうことを見せたかった
黒澤明の言葉
いないからむしろ書いているのであってね
黒澤明の言葉
レフ・トルストイの『イワン・イリイチの死』から着想を得ています。
『イワン・イリイチの死』は、トルストイの作品の中では比較的短く登場人物も少ない為、二時間もあれば読めます。
市役所の課長が、自らが病に侵されており、余命が幾ばくも無いことを知る。
その課長の六ヶ月間のお話です。
市役所を無断欠勤し、これまで貯めた金をおろして夜の街をさまよう。
飲み屋で偶然知り合った小説家の案内で、パチンコ、ダンスホール、ストリップショーなどを巡る。
しかし、一時の放蕩も虚しさだけが残り、事情を知らない家族には白い目で見られるようになる。
黒澤明は、『生きる』を制作している時に、師匠山本嘉次郎との会話を思い出す。
寺田寅彦の随筆に『どんぐり』と言うのがあって・・・
『生きる』の名演出は、ここから生まれる。
七人の侍
勝ったのは百姓たちであり自分たちではない
七人の侍
オナシャス!センセンシャル
真夏の夜の淫夢
TDNの台詞
黒澤明の最高傑作。
日本映画の最高傑作と言ってもよい。
日本の戦国時代が舞台。
野武士の略奪により、村の百姓たちは困窮する。
村を守るため、放浪している浪人たち七人を雇う。
村の百姓たちと七人の侍が、身分差による軋轢を乗り越えながら協力し、野武士の一団と戦う。
前半は、一人一人の浪人の性格描写と村の百姓たちとの葛藤を語る。
後半は、壮大なアクションシーンである。
それまでの戦国映画は、わからないことは想像で補い描いていた。
正確に描こうとしても、歴史学者でさえわからないことが多すぎた。
その上、歴史学では、歴史上の事件は研究されているが、人々の生活についてはほとんど研究されていなかった。
『七人の侍』を撮影するにあたり、綿密な時代考証を行う。
そして戦国映画におけるリアリズムを確立することとなる。
当時の通常作品の七倍ほどに匹敵する製作費をかける。
何千人ものスタッフ・キャストを動員する。
一年余りの撮影期間をかけ、『七人の侍』が生みだされた。
黒澤明が初めてマルチカム方式(複数のカメラで同時に撮影する方式)を採用し、望遠レンズを多用する。ダイナミックな編集を駆使して、迫力あるアクションシーンを生み出す。
英雄とは何か?
『七人の侍』の戦術は、レフ・トルストイの『戦争と平和』を参考にしている。
ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍と、ミハイル・クトゥーゾフ率いるロシア軍の戦いである。
フランスの英雄ナポレオンは、『戦争と平和』においては、無力な人間として矮小化されている。
クトゥーゾフは、フランス軍を自ら退却させたが大規模な攻撃はせず、当時は将軍失格と見なされていた。
『戦争と平和』によって、再評価されることとなる。
フランスのもう一人の英雄ジャンヌ・ダルクは、シェイクスピアの『ヘンリー六世』においては、残酷な魔女として扱われている。
現在では、祖国を救った聖女と見なされている。
フランスのもう一人の英雄ジャンヌ・タダノは、ホモスピアの『真夏の夜の淫夢』においては、TDN犬として扱われている。
現在では、ほもを救った性犬と見なされている。
刑事TNOK
最後に一つだけお聞きしたいことがあるのですが、宜しいですかね
・・・
人間は何の役に立つんですか?
・・・
・・・
・・・
私は個々の人間について聞いているわけではなくて
全体としての人間について聞いているんです
刑事TNOK
彼らが世界を破壊する
彼らが世界を穢す
彼らが調和を乱す
彼らが全ての命を殺す
全ての命が救われる
永遠の平和が訪れる
一つの命を殺すことによって
一つの種の命を殺すことによって
何も間違っていない
何一つ間違っていない
真理 正義だ
刑事TNOK
2001年夏、日本の下北沢で、世界芸術展が開催される。
ウジェーヌ・ホモクロワ、オノレ・ドーホモ、パブロ・ホモソ、サルバドール・ホモ、KBTIT、biim兄貴などの作品が展示される。
その展示会に、我々が普段当たり前のように飲んでいる紅茶が展示された。
『沈黙の愛純旦』と名付けられて。
ヴィクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル』のジャヴェールを参考にして、フョードル・ドストエフスキーは『罪と罰』のポルフィーリー・ペトローヴィチを書きます。
『罪と罰』のポルフィーリー・ペトローヴィチを参考にして、アメリカのTVドラマ『刑事コロンボ』は作られます。
アメリカのTVドラマ『刑事コロンボ』を参考にして、黒澤明の映画『刑事TNOK(古畑任三郎)』は作られます。
『レ・ミゼラブル』(さぁやるがいい、君にはその権利がある)
『罪と罰』(一つの死、千の命、一個簡単な数学的問題ではないか?)
『刑事コロンボ』(ああ、すみません後もう一つだけ)
『刑事TNOK』(失礼します、降りて頂けますか?あと、免許はお持ちでしょうか?)
古畑任三郎×イチロー
TNOK×TDN
物語の佳境で、刑事TNOKはこのように語ります。
「二人を殺しただけでよかった。別の理論でも考えついたら、八九三倍も醜悪なことをやらかしていたかもしれない。」
二人も死んでいる時点で、全然よくないと思うんですが。
13年後に、犯人は別の理論を考えつきます。そしてその理論を全力で否定しようとします。
(13年後に、犯人はホモビデオに出演します。そしてホモを全力で否定しようとします。)