帝国陸軍悲劇の主力戦車、九七式中戦車チハ

makaizou

九七式中戦車 チハは、1930年代中後期に開発・採用された大日本帝国陸軍の中戦車。


https://matome.naver.jp/odai/2148976955413038601/2148977018413259603

1936年(昭和11年)、日本陸軍において歩兵の直接支援のための戦車として開発が開始された。新型中戦車の開発に当たっては速度性能、車体溶接の検討、避弾経始を考慮した車体設計など防御性能の向上が求められたが、当時の道路状況、架橋資材その他の状況から車両重量増が最大のネックとなった。
1937年6月にチハ試作車2輌が三菱重工により完成した。
チハ試作車は予定重量13.5トンに収まったが戦車学校の追加修正を加えた結果、最終的に重量は15トンとなった。
各国の陸軍が採用する戦車の多くがガソリンエンジンだった時代に、空冷ディーゼルエンジンを搭載していることが大きな特徴である。
ディーゼルエンジンは燃料に揮発性の高いガソリンでなく軽油を使用するため、爆発的な火災発生の危険が少なく、また高いオクタン価のガソリンの入手に制限があるなど燃料事情が悪い当時としては、ガソリンを必要としないことは調達・補給の上で非常に有利であった。
さらに空冷方式の採用については、想定戦場である満州において「水冷する方式は冷却水の補充や凍結による故障の心配があるので、空冷式を採用することができれば理想的である」と見做され、また、冷却よりもエンジン起動時の保温のほうがむしろ課題であったという経緯があった。
しかし空冷ディーゼル方式でガソリンエンジンと同等の出力を得るには大型化せざるを得ず、車体全体に対する機関部の占有率がその分大きくなる欠点もあった。

九七式中戦車 チハ


https://matome.naver.jp/odai/2148976955413038601/2148977018413259903

●攻撃力

九七式中戦車の主砲には18.4口径の短砲身加農砲、九七式5.7cm戦車砲が採用された。
これは八九式中戦車に搭載された九〇式5.7cm戦車砲を改良したもので、砲口初速の向上、後座長の短縮、半自動鎖栓の採用などが盛り込まれていた。
砲身長もわずかに延びており、砲口初速は九〇式5.7cm戦車砲の380m/秒から420m/秒に向上した。

しかし、九七式5.7cm戦車砲はあくまで榴弾による機関銃巣撲滅用の火砲として開発されたもので、照準眼鏡には移動目標用のリード目盛すら無く、対戦車戦闘には向いていなかった。
対装甲威力に関しては、徹甲弾を用いてもM3軽戦車の後面装甲すら貫徹できなかった。
なお九七式5.7cm戦車砲の弾薬には徹甲弾、榴弾、徹甲榴弾の3種類があった。

砲弾の重量は3kg弱で、それは砲手が終始片手だけで扱える限界であった。
口径が5.7cm以上になると、装填動作には両手が必要になる。
照準と発射を行う砲手の他に、専門の装填手を用意しなくてはならない。
しかし九七式中戦車は砲塔リング径が狭く、3名用の大型砲塔を搭載することは不可能だった。

2名用砲塔に収める速射火砲としては5.7cm口径が上限であったため、これ以上の大口径砲は搭載できなかった。
歩兵直協用に外部視察装置には工夫が凝らされ、スリット孔の他操縦手用プリズム眼鏡や車長用パノラマ眼鏡が用意された。

しかし特に後者は複雑・高価、実用上不便であまり使われなかったらしい。
九五式軽戦車と同じく砲塔の旋回は旋回ハンドルを用いた手動式、主砲の俯仰は砲手が主砲に肩を当てて操作するようになっており、砲塔を固定した状態でも肩当により主砲を左右各10度ずつの範囲で旋回させることが可能であった。

●防御力

九七式中戦車の最大装甲厚は37mm対戦車砲の近距離からの射撃に抗堪できることを目途とし、25mm厚の防弾鋼板(表面硬化)とされた。
各部の装甲厚は車体が前/側面25mm、後面20mm、上面10mm、砲塔が前/側/後面25mm、上面10mmとなっていた。

装甲板の接合は車体と砲塔はリベット接合で、側板と車体底板には溶接が採用された。
避弾経始にも細心の注意が払われ、基本的には九五式軽戦車のスタイルを踏襲している。
曲面と傾斜を多用し、しかも六角ボルトの先を尖らせるような神経質なまでの耐弾性向上策を施したが、それらは実際には防弾上ほとんど効果が無く、どちらかというと生産性を阻害しただけだった。

●機動力

九七式中戦車に搭載されたエンジンは、九五式軽戦車に用いられた三菱重工業製のA6120VD 直列6気筒空冷ディーゼル・エンジンを増筒した、出力170hpのV型12型空冷ディーゼル・エンジンである。
本エンジンには特に制式名称は無かったが開発時の通称は「チハ機」で、三菱社内での名称は「SA12200VD」となっていた。

なおこのエンジンは車体と同様に複数の会社で生産されており、三菱重工業で生産されたエンジンには12気筒用のドイツ・ボッシュ社製か三菱製の燃料噴射ポンプが装着され、また日立製作所で生産されたエンジンには6気筒用の日立式燃料噴射ポンプ2個が装着されていた。
これは後に、部品補給上の互換性の問題を起こした。

ちなみに大井工場で量産された三菱製の燃料噴射ポンプは、コイルでダイヤフラムを動かす「オートパルス方式」といい、元はアメリカの発明でディーゼル・エンジンのコンパクト化には不可欠の技術だった。
クランクシャフトは国産のプレス機では曲げることができないので、戦前はアメリカからの輸入品を使っていた。
戦争突入後は国産の削り出し加工品を使わざるを得なくなり、品質が粗悪だったためよく折れた。

同様なことはベアリングにも当てはまり、スウェーデンのSKS社製を使えた戦前製と戦時国産品とでは格段の品質差があった。
始動は2基のセルモーターを同期させねばならない厄介な仕組みで、乗員はこれを忌避して極力僚車か13t牽引車に引き掛けをしてもらうようにした。

九七式中戦車の路上最大速度は約40km/hで、九五式軽戦車と行動を共にできるようになった。
しかし欧米列国では第2次世界大戦が始まると、戦車の出力/重量比は15hp/t程度になっていたのに、九七式中戦車は11.3hp/tしかなかった。
ディーゼルとガソリンの違いもあるが、この数値が列国並みになるのは1944年に生産された一式中戦車(チヘ車)からである。

九七式中戦車は、転輪にも問題があった。
転輪には緩衝用のゴムタイアが付けられ、補強のために芯部にはピアノ線を捲いていた。
しかし走行中にこの芯部に熱がこもり、ゴムが溶けピアノ線が外部に解れ出て、ついにはタイアが外れてしまう事故が多発した。
結局タイアの転動面に凹みを設けて対策としたが、連続の高速走行は制限された。

<九七式中戦車>

全長:    5.52m
全幅:    2.33m
全高:    2.23m
全備重量: 15.0t
乗員:    4名
エンジン:  三菱SA12200VD 4ストロークV型12気筒空冷ディーゼル
最大出力: 170hp/2,000rpm
最大速度: 38km/h
航続距離: 210km
武装:    九七式18.4口径5.7cm戦車砲×1 (114発)
九七式車載7.7mm重機関銃×2 (4,220発)
装甲厚:   10~25mm

九七式中戦車改 新砲塔チハ


https://matome.naver.jp/odai/2148976955413038601/2148977018413260303

1935年以降、満州-外モンゴル国境で日本軍とソ連軍がしばしば武力衝突を繰り返すようになり、特に1939年5~9月のノモンハン事件(ハルハ川戦役)では日ソ両軍の大規模な戦車戦が展開された。
この戦いは、九七式中戦車(チハ車)にとっては初陣であった。
事件当初、日本軍の戦車隊は目覚しい活躍をした。

安岡正臣中将の率いる第一戦車団は歩兵直協の方針を採らず、独自に夜間の奇襲攻撃をかけソ連軍に打撃を与えた。
当時の日本軍の戦車運用の主流は「歩兵直協」で、第一線の歩兵に直接協同して敵の機関銃などの重火器を制圧し、前線の鉄条網を破り突撃路を開くのが役目であった。
従って、戦車もその用法に合わせて設計されていた。

日本軍がノモンハンに投入した戦車は八九式中戦車、九五式軽戦車、九七式中戦車で、八九式および九七式中戦車は低初速の短砲身5.7cm戦車砲を装備していた。
それに対しソ連軍は高初速の長砲身45mm戦車砲を備えたBT快速戦車やT-26軽戦車が主力であり、歩兵部隊も同口径の対戦車砲を備え日本軍戦車に手痛い損害を与えた。
その威力は日本軍戦車の短砲身砲を大きく上回り、日本軍戦車の損傷車が続出した。

このノモンハンの苦い経験から、日本陸軍は九七式中戦車に装甲貫徹力に優れた新型戦車砲を搭載することを計画し、1939年8月から陸軍技術本部で新型戦車砲の研究が開始された。
まず、当時研究中であった牽引式の試製47mm速射砲(後の一式機動47mm速射砲)の砲身を、九四式7cm戦車砲の砲架を利用して技術試験が行われた。

そしてこの試験を足掛かりとして新たに試製47mm戦車砲が設計され、次に照準機と撃発装置の改修を行った後機能や抗堪性、弾道性能の確認が実施された。
さらに1940年9月、九七式中戦車の後継中戦車として試作されたチホ車の砲塔を利用して試製47mm戦車砲を装備し、これを九七式中戦車の車体に載せて抗堪弾道試験が行われた。

翌41年1月、戦車に載せた試製47mm戦車砲の実用試験は陸軍戦車学校および陸軍騎兵学校で関係者の手で行われ、これに小修正を施した後の9月に仮制式となり、1942年4月1日に「一式47mm戦車砲」として正式に採用されたのである。
また同時に開発が進められていた新型砲塔も完成し、従来の九七式中戦車の砲塔より大きくなった。

この一式47mm戦車砲を装備する新型砲塔を搭載した九七式中戦車は「九七式中戦車改」、別名「新砲塔チハ」と呼ばれた。
新型砲塔の全長は約193cm、最大幅は142cmで、砲の操作上後方部分がより広くなっていた。
一式47mm戦車砲は尾栓が垂直鎖栓式で、狭い戦車内での操作が容易にできるよう作られていた。

このため従来の砲塔と同様、砲塔が固定している場合でも一定角度は肩当により主砲を左右に旋回することができるようになっており、その角度は左右各10度ずつであった。
一方主砲の俯仰に関しては、従来の砲塔のような肩当による操作ではなく俯仰ハンドルを用いて操作するよう変更された。

一式47mm戦車砲は一式徹甲弾を使用した場合砲口初速810m/秒、発射速度10発/分で、射距離500mで65mm、1,000mで50mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹可能とされていた。
実戦ではアメリカ軍のM4中戦車の側面下部に対し、70m以内なら貫徹したという。

一式47mm戦車砲の照準具は一式照準眼鏡で倍率4倍、視界14度であり、眼鏡には2,000mまでの徹甲弾用目盛が刻まれていた。
なお、一式47mm戦車砲は砲兵が装備する一式機動47mm速射砲をベースに開発されたため、両者は共通の弾薬を使用するようになっていた。

この一式47mm戦車砲を装備した九七式中戦車改が初めて戦場に登場したのは1942年5月5日、フィリピンのコレヒドール島攻略戦であり、苦戦を続けていた戦車第七連隊の応援車として1個中隊が編制され急ぎ戦場へ送られたのであった。
しかしこの中隊がフィリピンに到着した時にはアメリカ軍はバターン半島に逃げ込んでおり、アメリカ軍戦車との砲戦の機会は無かった。

1944年6月16日深夜、サイパン島のアメリカ軍橋頭堡に対して戦車第九連隊(定数47両)の九七式中戦車と同改が反撃に出た。
戦車はアメリカ軍の第一線を突破しアメリカ軍の砲兵陣地の近くまで到達したが、敵砲火特にバズーカで阻止され戦車隊はほぼ全滅した。
太平洋の孤島における戦闘で、日本軍がこれほどの数の戦車を集結使用したのはこれが最初で最後であった。

九七式中戦車改は沖縄や千島を含む他の孤島での戦闘にかなりの数が投入されたが、いずれも全滅している。
マレー作戦での九七式中戦車のような華々しい活躍の場は、ついに無かった。
また九七式中戦車改の一部は1944年6月以降、ロードシャベルを取り付けてフィリピン近くの離島の飛行場設定に使われたという。

<九七式中戦車改>

全長:    5.52m
全幅:    2.33m
全高:    2.38m
全備重量: 15.8t
乗員:    4名
エンジン:  三菱SA12200VD 4ストロークV型12気筒空冷ディーゼル
最大出力: 170hp/2,000rpm
最大速度: 38km/h
航続距離: 210km
武装:    一式48口径47mm戦車砲×1 (100発)
九七式車載7.7mm重機関銃×2 (4,220発)
装甲厚:   10~25mm

チハは俺の嫁

チハ可愛いよチハ
軽戦車を撃破とか余裕なんだけどさ、チハがやると全然余裕さとか感じないんだよな!不思議な事に
初登場の時も新型しんがた~と浮かれていたのに結局ハ号の対戦車戦闘のお手伝いをしてあげたり敵歩兵と戯れてみたりと
初々しいチハの車体の装甲が打ち抜かれちゃったよ
戦闘!これがまた可愛い所濃縮なんだよな
チハの砲を跳ね返す敵戦車のシーンとかマジヤバイ、可愛すぎて抱きしめたい
軽戦車が撃ち抜けない~の所の後退する所とかやば過ぎ
ドアノッカーで撃破される戦車ってポイントすごく高いよね
それからそれから中国戦線であたふたしてる所も可愛いし勝利決められずに戦争終わっちゃうよーとかの
優柔不断な所も保護欲をそそるよね!
やっぱりねぇ、チハの最大の萌えポイントは鉢巻アンテナですよ
ここでM4シャーマンとM26パーシングと硫黄島で会う事になる訳だが、2輌が歩兵と戦っている時に
口をぽかーんと開けてチハは埋まってる。それが萌えるのなんのって
更に向こうがこっちに気付いて、チハが緊張のあまり弾を外したり当てても弾かれてる所の可愛さって言ったら
そりゃあもう反則だね、天使のような可愛さだよおい
M3スチュアート軽戦車は軽い戦車だからきっと簡単に倒せるよ!←この中戦車気取ってるところがたまらない萌え死ぬ
それから自爆しようとして変な装備をする所もヤクいよねー
必死に「やっぱり倒せない」と言う事を言おうとするんだけど、大本営の空回りする所!
その必死さが良い!みたいな。可哀想なんだけど大和魂でなんとかしろ!って軍の上層部は叫んでた

キーポイントの新砲塔が出てくるんだが、それを付ける時のチハは本当に心の底から嬉しそうにに付けるんだよね
見てるこっちの方の顔もほころぶ寿命的に 彼女には周りの人の脳を幸せにする笑顔を持ってるよ
てか一式47mm戦車砲、何あれ?思わずチハの前で万歳をしている自分がいたわけだが(笑)
しかも47mm戦車砲ならシャーマン撃ち抜けるかなって言った後にいきなりシャーマンが出てきてたじろぐシーンがまたまた可愛いんだよなこれが
「すいません倒せません><」いいからを47mm戦車砲を撃ってくれええええええええええええ
それからも逃亡者は銃殺と言って後退禁止されるんだが、その時のチハの気持ちを考えているとすごく胸が苦しくなって
チハの横でもう止めてくれ、もうこれ以上チハを苛めないでくれ!!って涙目になってた俺きめぇw
まあ装甲の薄さも異常なんだがだがそれもいい
そして海ゆかばが演奏される訳だが
その時のチハの砲見て思ったよ。これは対戦車戦闘というものを真に愛せる砲だなって
チハにならスチュアートくらいは任せて大丈夫だなって俺は1人心の中で納得したね、うん
その後、素直に自分の期待を裏切って撃破されたチハちゃんなんだがw
中戦車な所が凄く良い。他の中戦車なら他よりは優れた特徴があるもんなんだが、チハにはそういう所は一切なかった。
しかもその後の新型戦車が他国の戦車のマイナーチェンジレベルという情報が伝わってきたって言うのも、乗る人には泣かせる性能だよなー
てかチヘってなんだwでもチハの高性能版が外地で戦闘をやる所も少し、いや凄く見てみたい面はあるなw
その後のチヌはパーシングがいるのにシャーマンくらいは勝てるかなーとか可愛い事言ってるのもとっても良い
全体的にすごく可愛くアホの子、でも根は優しくて和ませる存在って印象が伝わってきたな。
さあチトな訳だが、最初これ見た時びっくりしたよ!今じゃ1、2回見てるから馴れたんだけどさ
こういうの新型戦車って言うんだよな!?車体があまりにも前と違ってたからびっくりしたよ
でもこういうのもいいよな!新しい何かに目覚めてしまいそう…

次回予告ぅー
初めての敗戦と功臣号への変名に不安を抱きながらも期待で胸がいっぱいなチハの心情をリアルに表現していたな
てかこのチハはやばい、つよすぎる、なんでだろうな?目から汗が流れるのが止まらんのだが。。
勝利後の解放感と興奮がヤバイわけですよ。
思わず内地から中国にまた行きたくなるくらい。それくらい中国人民解放軍に感情移入してしまっている自分がいるのに気付いた
いやーそれにしてもチハ可愛いよチハ。軽軽しく「功臣号は俺の嫁」なんて言える中共じゃないね
俺が「チハは俺の嫁」て言う時には今までオキニだった戦車のマニュアル10何ぼかを全部棄てたね
そしてチハでBT-5と戦おうとしてた俺を上官が後方に引っ張っていって拳骨を頭から食らったね
この子は装甲25mmでウイークな子なんだ。こんな聖なる天使のような子で対戦車戦闘をしてはいけないってね(泣
チハの体も自分の心もキレイにした後に俺は八路軍にチハを引き渡して向こうの戦車兵に言った「チハは永遠に俺の嫁」と。
それにしても次の活躍が楽しみだよチハ。ああチハの事を考えると胸が張り裂けそうだよチハ。
チハチハ愛してるよチハチハ。中国人民革命軍事博物館で会えるのを楽しみに待っているからねチハ。それじゃあお休みチハ。

https://matome.naver.jp/odai/2148976955413038601
2020年01月23日