炭坑と共に栄え、そして今は日本一人口の少ない市を走っていた路線「歌志内線」

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□歌志内線とは?

砂川駅で函館本線から分岐し、歌志内市の歌志内駅までを結んでいた14.5 kmの路線。昭和63年4月25日をもって全線廃止。

かつては運炭輸送を中心に盛況を見せ、昭和38年には営業係数64と日本で4番目の黒字路線となる実績を挙げたが、炭鉱の衰退に伴って客貨とも輸送量が減少しました。

□歌志内線、時刻表

明治24年、沿線の炭鉱から産出される石炭の積み出しのため、北海道炭礦鉄道の手で開業。

昭和47年頃の歌志内線、時刻表
1日1本だけ、それも片道だけだが小樽発の歌志内行きがあったようです。

□砂川駅(すながわえき)

砂川駅、駅舎
砂川という名前は市名と同じですが、自治体名よりも駅名の方が古いです。
砂川駅
日本、砂川駅
砂川駅の長い跨線橋
かつては歌志内線の他にも上砂川支線もあり、多数の側線がこの跨線橋の下にはありました。
駅舎改築前の砂川駅、駅舎
平成元年に駅舎は改築されました。

□焼山駅(やけやまえき)

焼山駅、待合室とホーム
昭和22年、保線員のために1日2往復停車の仮乗降所として設置されました。
焼山駅跡モニュメント
廃線後は付近にバスの「焼山」停留所が設置されていたが、ダイヤ改正で廃止となり、当駅付近を通る路線バスは消滅。

□文珠駅(もんじゅえき)

昭和63年の文珠駅、駅舎
当時、付近には炭鉱住宅地があり、関係者からの強い要望により設置されました。
文珠駅ホーム
近くにあった炭鉱が三人の共同経営であったため、「三人寄れば文殊(文珠)の知恵」のことわざにちなみ命名されたといわれています。
文珠駅、廃線後のホーム跡

□西歌駅(にしうたえき)

西歌駅、駅舎
「西歌志内」を略して、この駅名になったといわれています。
西歌駅ホーム
昭和35年に住民と石炭積み出しの利便を図るため、市が土地と建設資金の一部を負担する条件で開設。
西歌駅跡

□神威駅(かもいえき)

神威駅、駅舎
明治29年、北海道炭礦鉄道の駅として開駅。
神威駅、ホームと駅舎
神威駅跡

□歌神駅(かしんえき)

歌神駅、駅舎
昭和34年、威駅-歌志内駅間に、仮乗降場として開設、翌年に民間委託駅として正式開業。
歌神駅、ホーム
廃止時点では、近隣の商店に乗車券の販売を委託した簡易委託駅でした。

□歌志内駅(うたしないえき)

歌志内駅、駅舎
明治24年、 北海道炭礦鉄道の駅として開業。

終点の歌志内駅から根室本線の茂尻駅もしくは平岸駅まで延伸する構想もありました。

歌志内駅、ホーム側

焼山 – 歌志内では、廃線跡がサイクリングロードとして整備されています。

かつては、石炭産業で栄え、ピーク時の1948年には約46,000人の人口がいたが、現在の人口は4,000人を割り、日本一人口の少ない市になり、厳しい財政状況に立たされている。

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2019年10月16日