【閲覧注意】怖い話・都市伝説24

haranimashime

◯あの日あの時あの場所で、太っている男性が

17で結婚して、19歳の今生まれて6ヶ月の娘がいる
夫は貨物船の船員で、数ヶ月家に帰ってこない
世間はあわただしく何かと手伝いに呼び出されることが多いが、
今日はとりあえず1日何も予定は無い
天気も良いし、なんだかうきうきしてくる
「おにぎり持って、お散歩に行こうか」眠っている娘に声をかける
おかずはたいした物がないけれど、外で食べればおいしいよね

お弁当とお茶を持って、裏山を登る
夏の日差しを木々がさえぎってくれて、案外快適だ、
時々、山の斜面の畑でご近所さんが畑仕事をしている
「こんにちは~!!」大きな声で挨拶すると、
手を振って挨拶してくれる
でも、なにもしないでぶらぶらしてるのが解ったらちょっと気まずいから、
足早に上を目指す
今日は色々サボってのんびりするんだ

やっと目当ての頂上近くの野原に着いた
ここからだったら、すり鉢状の市外がはっきり見渡せる
谷の一番底では、川が流れていて、右手には港
水面がきらきらと光っている
ちょっと手前の足下にはさっき挨拶したご近所さんの畑や、
私の家も見える
「ちょっと早いけど、お弁当食べちゃおうか」

野原の端にある、2階建ての家ほどもある大岩の影で休んだ
日差しをさえぎってくれて涼しい
まずは娘にお乳をあげて、おにぎりにかぶりつく
やっぱり外の方がおいしいよ!
食べ終わって、幸せな気分に浸る
娘もお腹いっぱいになったのか、膝の上ですやすや眠っている

ふいに、背にしている岩の端から眼を射る白い閃光が走る
続いて轟音と暴風
いろんなものが体にたたきつけられる
訳も解らないまま、膝の上の娘に覆いかぶさり丸くなる
数分経ったのか、1時間ほど経ったのか…
そろそろと立ち上がる
お昼前なのに薄暗い
振り返ると、大岩が消えている
がっしりと大きくそびえていた大岩が、今では3メートルくらいに縮んでしまった?
まだ薄暗い、耳もおかしい
気がつくと、娘は日がついたように泣き叫んでいる
ごめんね、気がつかなくて…
おぼつかない足取りで、ついさっき街を見下ろした場所にたどり着く

何も無かった

おかしいおかしい
谷底がすべて灰色と黒に塗りつぶされ、煙と火がみえる
おかしいおかしい
足下の畑も灰色でさっきまでいた人たちが消えている
私の家も、建物自体がまるでもとから無かったかのように
ただの灰色の空間が広がっているだけだ
おかしいおかしい
ぜんぶきえてしまった
なにもない

1945年8月9日 午前11時2分

◯旅の寄り道

14年前、北陸へ旅行に行った。

車で越前海岸を走っていたが、あいにく快晴とは言えない天気のため、
そして前日に宿泊した旅館で夕食に出たカニを食い過ぎたせいか、
俺も彼女も体調不良で、海を見てもきれいだねという言葉も出ないような状況で
車を走らせていた。しかも、3台前を走っているマイクロバスが
ノロノロ運転しているせいでスピードも出ないし、
何というか調子が出ないとでも言うのか、ストレスを抱えたまま走っている感じだった。
せっかくの夏の旅行なのになー。

そんなことを思っていた時、彼女が一言。
「ごめん、ちょっとそこに寄って」
海岸沿いにある土産物屋の駐車場に、
ほったて小屋のように建てられていたトイレに寄って欲しい、と。
そうだね、少し気分を変えよう、ということで、トイレ休憩を取った。
ついでに隣にある土産物屋をぶらついて店から出てきた時だった。
・・・雷?
なんか、ズ~ンとした、腹にひびくような感じがした。
何だろう?
とか思いながら車に乗り込んで、地図を確認してからいざ走り出そうとすると、
急に道路が混み出しているではないか。
おいおい、事故かぁ?
勘弁してくれよ~、せっかくの夏の旅行なんだぞー?

・・・その数日後だった。
越前海岸での崩落事故で、マイクロバスが完全に巻き込まれ、乗っていた
全員が死亡する、という事故の惨状を聞いて、俺は凍り付いた。
あのとき3台前を走っていたマイクロバス。
ズ~ンという、落雷のようなひびくように感じた音。
あの時、彼女が「そこに寄って」と言っていなければ、
俺は今この世にいなかったのかもしれない。
今は俺の女房になっている彼女に、あの時ほど感謝したことはなかった。

◯メガネをかけた泥人形

先輩から聞いた話なんだけど、
俺が入ってる部活で昔洞窟探検を本格的にやっていた。
岩手県には洞窟がいっぱいあり、当時は今ほど観光地化されておらず、
まだまだ洞窟内部がどのようになっているかわからなくて、
近くの洞窟調査を趣味でやっている人などと
一緒に測量を行うことが頻繁にあった。

冬に、恒例の洞窟測量の集まりがあり、
かなり広い洞窟を測量していたときの話です。

参加者はそれぞれグループに別れ洞窟に入り、
先輩たちは仲間と一緒に調査をしていた。
測量などはすでに終わっている場所もあり、
何より測量はかなり面倒くさいものらしく、
先輩たちは測量そっちのけで洞窟内を
好き勝手に探索しちゃえみたいな雰囲気になってきたようで
そのうちみんな落ち合うところだけ決めてそれぞれ行きたい所に入って
蝙蝠をいじめたり、記念撮影をしたりしていたようです。

そのうち一人が、何かにとり憑かれたように
下りの細い穴に這って入って行った。
まわりの人は既に測量で行き止まりの場所だと知っていたので
どうせ奥のほうですぐ詰まって後ろ向きでもぞもぞ出てくるんだろう
くらいにしか思ってなかったのですが、
何分たっても出てくる様子がありませんでした

遅すぎだなぁ、と思っていた頃
入っていった人がこちらを向いて這って出てきた。

体を反転させるスペースがあったのか、と不思議に思い
待っていた先輩が声をかけると
入っていった人がひどく震えながらモゾモゾと話し始めた

「なんか、穴の奥に、腕2本がようやく入るくらいのさらに細い穴があって
細い穴の下の土が手で簡単にどけられて、しばらく掘っていたら
通り抜けられた。それでその先に3畳くらいのスペースがあった」

待っていた先輩は、あぁだからこっち向きに出てきたのかと納得した。
入っていった人はさらに震えながら続けた

「で、そのスペースにライト照らしたら、なんか、泥人形が横たわってた」

待っていた先輩は、人型の鍾乳石を発見してビビったのか、
と思ったらしいが入っていった人が更に続けて言った

「その泥人形が、なぜかメガネかけてるんだよ。誰だろうあんなイタズラしたの」

近くにいた全員が、あぁ死体だ、と思ったようで洞窟内は一気に空気が重くなった
その日、すぐ全員がその洞窟から出て、警察に連絡した。

後日、死体の身元がわかった。
警察によると何年か前に突然行方不明になった地元の村の高校生で、
死因は年数がたちすぎていて不明。
ロウソク一本持ってその洞窟に入ったらしい。
おそらく探検か、自殺が目的で入ったのではないかとのこと。
死体のあったスペースには、溶け残ったロウソクと、
菓子の袋が発見された。
死体は洞窟の空気循環の悪さや、
そのスペースが長期にわたり閉空間であったおかげで
腐食が進行せずに元の形を保ったまま、
上から染み出て落ちてくる泥水によって全身が覆われたらしい。
メガネが泥に覆われていない理由はわからなかったようだ。

俺はこの話を聞いて何より恐ろしいと思ったのは、
この死んだ少年の洞窟内で生きていた時間だと思う。
たとえば沖縄のガマなんかの洞窟に入ったことがある人なら、
本当の闇の暗さを知っていると思う。
ガマの中で慰霊のため電灯を消して鎮魂したことがあるが、
まぶたが開いているのか閉じているのかもわからない程暗く、
一緒に行った友達は暗さに耐えられず10秒ほどで電灯を点けた。
尋常な人でも10分平衡感覚をを保てればいいほうではないかと思う。
暗闇では幽霊は簡単に見える。

死んだ少年は、暗い洞窟内でマッチが水に濡れロウソクが消えて、
おそらく30分後にはあまりの暗闇に正気を保っていられなかっただろう。
洞窟に入ったことを後悔し、誰にも言わずに洞窟に入ったかどうか
何回も頭の中で考え、救助の可能性も考えたかもしれない。
出られることを信じて暗闇の壁を手探りで辿り
あらゆるところを行き来したのかもしれない。
何日間生きただろうか。暗闇で光のあるような幻覚も見えただろうか。
得体の知れない幽霊が一晩中自分のまわりを歩く幻聴が聞こえ、
起きているか寝ているか、わからない。
腹が減り、のどが渇く、どこからか声が聞こえる
「死ねぇ、死ねぇ…」とかだろうか
自分と自分じゃない物の境すらはっきりしなかったかもしれない。
発狂し暗闇で何度叫び、何度幻覚に襲われただろうか。
壁を掻き毟り、幽霊から逃げるように狭いスペースまで追い込まれ、
恐怖で動けなかったのではないか。
壁を背にして眼鏡越しに見えない入り口を見つめたまま、
生きているのか死んでいるのかすら
自覚できないまま死んでいったんだろう。

俺が聞いた死の中で一番怖い死に方だと思う

◯未解決事件を担当した友人の話

これは私の友人の警察官から聞いた話です。

未だ謎の多い忌まわしい未解決殺人事件。
東京S区一家殺害事件。皆さんもニュース等でご存知かと思います。

現場の近所の方や、一度でも訪れた方ならご存知でしょうが、
ここの一軒家の前の私道には必ずパトカーが最低一台常駐していました。
昼夜を問わず、管轄の警察官が二名、交代で不審者を近付かせぬよう
見張りをしていました。
私が話を聞いた友人は、その見張り勤務を数ヶ月間担当していたのですが、
舞台となった殺害現場の一軒家は、実はすでに取り壊されています。

通常、未解決事件の場合、証拠保全の為、出来うる限り犯行現場は
当時の状況のまま残しておくのがベストなのでしょうが、今は更地になっています。

このスレッドに通う皆さんなら想像に難くないですよね?
何故、取り壊されたのか。
いえ、何故、取り壊わさなければならなかったのか…。

モロだったそうです。
しかも、強烈な。

友人曰く、
「信じるor信じないの次元ではない。見たor見た、の一択しかない。」
だそうです。

通常、警らレベルの警察官では一軒家の内部に立ち入る事は不可能だったらしく、
私の友人は直接目撃した事はない
(箝口令が敷かれている節がある言い方でしたが)
みたいですが、刑事や鑑識と同行した先輩の話では、
そこにいた一同全員が同時に目撃したケースが度々あったそうです。

現場は、亡くなられた方の着衣していた衣服や、シーツ、布団などは
運び出されてはいますが、床や壁の血痕は殺害当時のまま。
先輩は玄関から一歩踏み入れただけで濃厚な血の匂いが立ち込め、
それだけで胸がムカついて来てその場に倒れそうになった。
そこから先は、何の変哲もない空間が、意思を持っているかの如く
絡み付いてくる感覚に襲われた、と話してくれたそうです。

そんな彼が担当していた期間、初日に上司から言われた“鉄の掟”。

「ノックがあっても振り向くな」

パトカーの中に何時間と待機しなければならない初日に
上司からそう脅された(?)そうです。
ま、初日に彼は振り向いてしまったそうですが…。
彼は勤務担当の数ヶ月間、
毎日のようにパトカーをノックする音を聞き続けたそうです。

「ノックは決まって三回なんだ…。」
「同時に何ヵ所かからノックをすることも…」
「車の中にいても、あの部屋の窓だけはどうしても見ることが出来なかった…」
「同期の何人かは、ここの担当から外れた後に退職してるんだ…」

故人が未だ成仏されていない事は、
事件が解決の日を迎える時までないのは明らかでしょう。
彼もあまり多くを語りたがらず、
話してくれたのは、ほんのごく僅かな部分だけでした。

最後に、無念の死を遂げたご家族四人のご冥福と、
一日も早い事件の解決を願います

◯決して引き上げないで

俺、プレジャーボート乗って良く釣りにいくんだけどさ、
どうもついてるみたいで、これまで2回ドザエモン見つけたよ。

今は携帯電話で118に通報するんだけどさ、
官が来るまでは誰もいない海原で二人っきりなんだよ。
で、官いわく「流されたり、沈まないように良くワッチしてください」
「でも決して引き上げたりはしないでください」とか言うんだよ。

どうしろと?
俺のケースはどちらもうつぶせで浮かんでたんだけど、
沈ませるなとか言われちゃうと、責任感じちゃうじゃん?
釣り針を衣服にひっかけて竿を持つ?いや、無理だ。
とりあえず、網を頭の部分にかけて、こっちへ引き寄せたんだ。

そしたら、海面がいきなりビシャビシャビシャ。
これには驚いたよ。でもすぐにナブラつーか、
小魚が逃げたんだなと解り一安心。
でも網にも違和感が・・・
口からうなぎがうじゃうじゃと網の中に・・・

あれは今まで出一番怖かったな。
決して引き上げてはならないわけが解ったよ

◯防空壕の中で

怖いかどうかは分らんが、
昨日久しぶりに友人と酒を飲んでて思い出した話を一つ。
小さな事件だったけど、全国紙にも載ったし、ニュースにもなってたと思う。

登場人物は、
A=リーダー格
B=Aの幼馴染
C=大人しくて、頭がいい。
D=俺

俺の地元は近年都市のベッドタウンとして開発されるまでは、
結構寂れた寒村だった。
コンビニはおろか、自動販売機すら
チャリで20分くらい走らないとないような田舎と言えば分りやすいと思う。
で、当然そんな田舎に娯楽施設なんかもないわけで、
当時小学生だった俺たちは、家同士が近いこともあって、
小さな山(標高100m位)とその麓にある公園で遊ぶのが日課となっていた。

かくれんぼや鬼ごっこはもちろん、
公園のほとりにある池では鯉やフナ、ブルーギル、ブラックバスなど
色々な魚が釣れるし、山に入れば、クワガタやカブトが面白いように取れる。
俺達以外にも小さな子を連れた母親たちが良く遊びに来ていたのを覚えている。

そんな中、Bが面白い話があるとニヤニヤしながら俺たちを集めたのは、
丁度今頃のような梅雨明けの蒸し暑い日の事だった。
小学校のグループワークで地元の歴史について調べていたBは、
地元史の中から面白い記述を見つけていた。

曰く、俺たちの遊び場となっていた山はいくつかの古墳が残っており、
戦時中はその古墳を利用して陸軍の演習場及び武器や弾薬の倉庫、防空壕が
存在していたというのだ。
陸軍・防空壕と聞いてドン引きする俺とC。
Aは興味をひかれたような顔をしていた。

B「なぁ~、面白そうだろ!! でさ、明日この防空壕に行ってみないか??」

怖いもの知らずのBは喜色満面。
怖がりな俺とCは断固として拒否したが、
あろうことかリーダー格のAが賛成してしまった為に、
やむなく俺たちは山中にあるという防空壕に行く事となってしまったのだ。

当日はうだるような暑さだった。
防空壕に行くのは心底嫌であったが、
皆を待たせるのも悪いと思って、学校から帰るとすぐに準備をして
山の麓の公園へと向かった。
しかし、公園へ向かう途中に自転車のチェーンが外れてしまい、
結局俺が公園につくころにはA・B・C全員が少し怒ったような顔で俺を待っていた。

A「なんだD。怖がって来ないかと思ったぞ」

B「遅いよ、何してたんだ!」

C「……帰りたい。」

俺「あ、ゴメン。自転車のチェーンが外れちゃってさ」

俺がそう言うと、Aが少し怪訝な顔をしたまま俺の自転車の側にかがみこんで、
あっという間にチェーンをはめてしまった。

俺「うわっ、スゲー!ありがと!!」

A「うん。それよりも、早く行こうぜ。ここ暑い。」

Aの一声で俺達はいつも使っている小さなけもの道から山に入った。
Bが言うには、目的の防空壕は山の中腹当たりにあるらしい。
いつも山を駆けまわっていた俺達が見つけられなかったのだから、
結構奥まった所にあるのだろうというのがBの見解だった。

俺「暑いね」

B「まぁな。でも、山の中は外と比べると涼しいよな」

C「日影だからね」

A「あちー」

山に入っておよそ30分。
学校での出来事やマンガの話をしているうちにBが大きな声を出した。

B「あっ、多分こっちだ!」

俺達の背丈と同じくらい伸びた草をかき分け、
どこかで拾った木の枝で道を作って行くB。
俺は一番後ろで皆の後に続いた。
そしてしばらく歩いて行くと、Bが再び上機嫌に声を上げた。

B「あったーーーーー!!」

A「おぉ、本当にあったよ」

C「……うわー」

樹木の根もとに、その防空壕はひっそりと存在していた。

夏だというのになぜかその周辺はひんやりとした空気が立ち込め、
俺は暑さとは別の嫌な汗を額にびっしょりかいていた。
正直俺には霊感なんかない。それでも、なんとなく嫌な感じがしたのだ。
割とマジに「帰ろうよ」と言うが、テンションの上がっているAとBは聞く耳を持たず、
不安そうにしているCも俺を一瞥しただけで、
雑草の生い茂る防空壕の暗い穴をジッと見つめている。
そうこうしているうちに、Bがリュックサックから懐中電灯を取り出した。

B「よっし、それじゃあ入ってみようぜ!」

A「おう!」

勇ましく防空壕の中に入っていく二人、
俺とCは顔を見合わせるとしぶしぶ二人に続いた。

防空壕の中は外とは比べ物にならない位寒かった。
壁はびっしりと苔に覆われ、湿った空気とカビ臭さが不気味な雰囲気を強めている。
地面も湿っているのか、濡れた岩がぬるぬると滑って何度かこけそうになった。
Bがふざけて顔を照らしたり、懐中電灯を消したりするものだから、
俺達はその都度Bに文句を言う。
異変が起きたのは入口から十数メートルほど進み、
少し広い空間に出た時だった。

再びBがふざけて懐中電灯を消した瞬間、
光源はBの持つ懐中電灯しかないのに壕の奥に淡い光が見えたのだ。
暗闇の中での光源ほど目立つ物はない。
俺を含めてその場にいる全員がその光に気付き、
そして誰ひとりとして声を上げるような奴はいなかった。
後から聞いた話では、Aは外への亀裂があるのかとぼんやり考えていたらしく、
Bについてはビビって腰を抜かしていたらしい。

異変は続く。
初めは針の先程の光だった謎の光源は、チラチラと揺れるような動きを見せると、
徐々にその大きさを変えて行った。針の先から米粒のような大きさに、
さらに天道虫、ピンポン玉、野球ボール、そしてその光が子犬位の大きさになった時、
俺達は初めてやばい事になっていることに気付いた。

あの光は近づいてきている

あの光がどういった物かは知らない。
ただ、とても怖かったのを覚えている。
俺達は一瞬でパニックになった。我先に出口に向かおうとするが、
隣の友人の顔すら見えない暗闇に加えて、
足元が滑るせいでまともに先に進めない。

なおも、謎の光は俺達に近づいてくる。先ほどまで子犬程度の大きさだった光はいまや、ドッヂボール程の大きさにまで成長していた。

「うわぁああぁぁぁあああああああ!!」

防空壕の中に響き渡る俺達の絶叫。
手当たり次第に、持っていた木の枝や落ちていた石を光に向けて投げつける。
そのいくつかは確実に当たっているはずなのに、
それらが物に当たるような手ごたえは無かった。
それでも、何度も躓き、膝をすりむきながら出口までたどり着いた俺達は、
一目散に山の麓まで駆け下りた。

俺「何だ、何だよあれ!!?」

A「分んねーよ!! それよりBとCは!?」

Aの声に振り返ると、その場には俺とAしかいなかった。
B・Cの自転車はまだ残っている事から考えても、
二人はまだあの防空壕に残されてしまっているらしい。
額から冷や汗が流れ落ちる。

俺「ど、どうすんだよ! あそこにまた戻るのか!? 俺はもう嫌だぞ!!」

A「俺だって嫌だよ!! でも、仕方ないだろ、あいつら二人置いとけねーよ!!」

走りだすA。
俺は笑う膝を抑えて、Aの背中を追いかけた。

Bはすぐに見つかった。
樹の下の防空壕の入り口で、懐中電灯を持ったまま気絶していたのだ。
軽く失禁していたようだが、膝や手のひらの傷以外目立った外傷はないように見えた。
AはBを俺に任せると言うと、Bの手から懐中電灯を奪い、
一人防空壕の中に消えて行った。
どのくらい時間が経っただろうか。
実際には5分~10分程度だと思うが、
一人待たされた俺が心細さと恐怖から半泣きになりかけていた頃に、
Aが防空壕の中から慌てた様子で飛び出して来た。

A「Cがいない!!」

俺「何で!?」

A「分らん! すれ違いになったのかもしらん。取りあえずBを運ぼう」

Bの腕を俺達の肩に回して、山を下る。
二人掛かりとはいえ、完全に気絶してしまっているBを抱えながら
山を下るのはとても辛かった。
Bが目を覚ましたのはちょうど山を下りきり、
自転車置き場にたどりついた時だった。
「ひぃ!!」と口の端を震わせて辺りを見渡したBは、
そこにAと俺がいることに気付くと安堵して崩れ落ちた。

A「おい、B大丈夫か?」

B「…………」

俺「怪我、痛くない?」

B「……首が」

A「首が痛いのか?」

Bは相当憔悴しているようで、まともに答えることは出来なかった。
ただ、しきりに首を撫でていたのが印象的だった。
要領を得ないBから視線を外し、ふと俺達の自転車を見ると、
Cの自転車が無くなっていた。

俺「なぁ、Cの自転車」

A「なんだよ、先に帰ったのか」

俺「くそ、あいつ。俺怖いの我慢して残ったのに」

とりあえず、Bをこのまま放っておくことは出来ないし、
Cも無事だという事が分った俺達は、
Bを支えるようにしてそれぞれの自宅へと戻った。

事件が起きたのはこの日から丁度三日後、
防空壕に行ったあの日のように蒸し暑い土曜の昼のことだった。
その日、俺はちょうど家族との買い物で朝から隣町のジャスコに行っていた。
誕生日が近いこともあって、プレゼントを買ってもらう事になっていたのだ。
新作のゲームを買ってもらい、回転寿司を食べて、
俺はとても幸せな気分に浸っていた。
その帰り道、あの山の上空にヘリコプターが何台も飛んでいるのを目撃した。
何度も言うが、小さな町だ。
何もないのにヘリコプターがあんなに集まるはずがない。
俺の嫌な予感は最悪の形で的中することとなる。

あの日以来、学校を休んでいたBとC。
Aと俺は、あんなことがあったのだから心配だけど、
仕方がないだろうとそれほど気にしてはいなかった。
家に帰り着いたとたんに、鳴り響く電話の着信音。
慌てて出るとAだった。

A「やっと出た! おい、ヤバい事になった!!」

俺「は? どうしたんだよ、ヘリコプターが沢山飛んでるのは見たけど、
何か事件でも起きたのか?」

A「Bが刺された!!」

俺「…………え?」

A「俺もさっき父さんから聞いたんだ!
あの公園でBが誰かに刺されたんだってよ!!
なぁ、Dどうしよう、Bが死ぬかもしれん!!!!」

電話越しで涙声になっているA。俺はただポカンと電話を持って突っ立っていた。
と、同じように携帯電話で誰かと話していた母親は、
俺のその様子を見ると、さっと電話を取り上げた。そして、

「A君? ごめんなさいね。Dとてもショックだったみたいで、
ちょっと今お話出来ないみたいだから、またあとで、お電話してくれるかな?」

と一言二言話すと、電話を切って俺を抱きしめた。

母「ショックだとは思うけど、ちゃんとしなさい。
今警察が犯人を探しているから、今日は外に出ちゃだめよ」

俺「…………」

母は俺にそういうと、電話を取り出してまたどこかに掛け始めた。
茫然自失という言葉があれほど身にしみて分る体験は無いだろう。
全身の血液が足元から流れ出し、目の奥がカァっと熱くなる感覚。
自分が立っている地面が揺らいでいるみたいで、
まともに立っている事すらままならなかった。

これは後日聞いた話であるが、Bの傷は異常なほどひどかったらしい、
全身を数十か所突き刺され、手や腕にも、
刺されるのを防いだ時に刻まれた傷が無数にあったらしい。

そして、憎むべき犯人はその日のうちに捕まってしまった。
あまりにもあっけなく、ある意味すがすがしいほどあっさりと。
病院に搬送されたBが証言したのだ。
それまで報道されていた犯人の特徴である、
自転車に乗った男などではなく、自分を刺したのは、友人のCであると。
事件は急展開を迎えた。その証言のもと、緊急逮捕されたC。

小学生が級友を刺したという凶悪な事件性から、
マスコミや新聞社が連日BやCの家に押しかけ、
芸能人の出待ちのように俺やAの家の周りにも、カメラや記者が張り付いたのだ。
学校では緊急集会が開かれ、俺達のクラスにはその後、
副担任という形で心理カウンセラーの教師が配属されることとなった。
Cの家族は当然、地元に留まれるはずなどなく、
半ば夜逃げのように引っ越ししていった。
小さな町で起きた大きな事件。
CがBを刺した原因は、世間ではイジメだと囁かれていたが、
俺達はあの防空壕での出来事こそが原因ではないかと睨んでいる。
BがCをイジメているような素振りを見せたことなど一度もなかったし、
あの日以降のCの行動には不可解な点がいくつかあるのだ。

一つ目、何故Bをめった刺しにしたのか。

二つ目、俺達に気付かれずにどうやって山を降り、自宅に戻ったのか。

三つ目、何故そのあと、家族に理由すら話さず学校を休み、
俺達からの電話に出なかったのか。

そして最後に、Bの事件の当日、何故俺やAに「今日一緒に遊ばないか?」
という内容の電話を掛けて来たのか。

ちなみにBは生きている。
一時は危ない状態だったらしいのだが、一命は取り留めた。
一番初めに話した久しぶりに酒を飲んだ友人というのも、このBである。
少しだけ傷痕を見せてもらったが、マンガのように全身傷だらけという事はなく、
ほとんど気付かないレベルの物だった。
ただ一つ、ネクタイの襟元に隠された首元の傷を除いて。

そして、これからがこの話をしようと思った原因なのだが、
あの日防空壕で俺達が見た光の正体についてである。
元々俺達の地元は、血で汚れた刀を河の水で漱いだという事から
地名が付いた土地があるほど、血の多く流れた土地である。
そして、あの小さな山にあった横穴(防空壕)は古墳というよりも
首塚であったのではないかというのが俺達の見解である。
事実そのような記述のある文献も存在していた。

Bが見たという光の正体。
それは、様々な動物と落ち武者のような男の顔がごちゃ混ぜになった、
生首だけの異形の怪物だったらしい。
Bが刺される直前に見たCの顔は、普段の人好きのするCの顔ではなく、
異常につりあがった目と、だらしなく開きよだれを垂らす口元、
腐った獣のような臭い。どれを取っても、あの時に防空壕で見た
怪物の顔そのものだったそうである。
それが何故Cに取憑いたのか、その生首の怪物は一体何者で、
あの後はどうなったのか。
全てはあの防空壕の闇の中である。

長々とごめんなさい。
事実なので、地元の人がいたら分かるかもしれません

◯家族の様子がおかしい

自分の身に起こった今でも信じられない実話です。

まだ僕が中学3年だった頃、父親と母親と弟(まだ小学校低学年)の4人家族でした。
紅白歌合戦を見終わって、いい初夢でも見るかな…ってな具合で寝たのはよかったんですが、真夜中に悪夢(見た夢の内容は思い出せない)を見て、突然真夜中に起きました。
心臓は音が聞こえるほど、激しく脈打っていて、脂汗を全身にじんわりかき、
まるで冷や水を背中から流されたかのように、布団からがばっと起きた体勢のまま
硬直してました。

「新年早々に悪夢かよ…最悪」とか思いながら、また寝れるわけもなく
カラカラに渇いたのどを潤すために、冷蔵庫のあるリビングに行くと、
真夜中なのに(時計は見てないけど、たぶん深夜2時頃)
家族全員が抱き合った格好でテレビの前に座っていました。

テレビは付けっぱなしで、深夜なので番組がやっていない
のにもかかわらず、ニュース番組(これも記憶が曖昧)の画面が映っていました。
しかも無声で…。
それに窓という窓が全部開けっ放しになっていて、
外と変わらないほど寒いんです。明らかに様子が変でした。
ぞっとする寒気を感じました。

「何やってんだよ!!頭おかしいんじゃねぇの??」と震えながらだが、
半ばキレたように怒鳴ると、
弟は「だって…ぁ…(声が小さくて聞き取れない)」と言うと泣き出してしまい、
それを見た両親は両親は、終始無言&無表情で窓を全部閉めて、テレビを消し、
うずくまって泣いている弟に「もう寝なさい」ってな感じで、
寝室に連れて行きました。

新年早々、気味が悪すぎる出来事に遭遇しまくって寝る気が起きないので
その日は自分の部屋で、漫画を読みながら朝を迎えました。
朝になって、両親に「昨日、真夜中に何やってたんだよ??」と聞くと
両親は「はぁ??」ってな具合。昨日の喜怒哀楽のない顔と、今の怪訝そうに
俺を疑う表情のギャップで俺は「幽霊ってやつか??」とかなりパニくった。

まあ、そんな話を友達にしても疑われるだけだし、12月に彼女に振られたのも
あって、きっと精神的な疲れから幻覚を見たんだろう…ってな感じに処理しました。
それからしばらくして、また真夜中に悪夢で目が覚めました。

今度は、微妙に内容を覚えていて、見知らぬ人に後頭部を殴られる夢です。
なぜか起きてもジンジンとつむじ辺りが痛いんです。
そして、なぜか「コンビニなら安全…」とか意味不明なことを考えてました。
頭の中は「幽霊に襲われた」って考えが支配してて、
パニクってリビングに逃げたのですが誰もいないし、
なんか夕食の焼肉のせいか、焦げたにおいが浮遊してて、
しかも新年早々にリビングであった奇怪な出来事を思い出し、
またもや眠れぬ夜を過ごしました。

そして、2月の初め頃になると、体が異常に痒くなってきました。
最初は単なる乾燥肌と思ってましたが、背中と頭が特に焼けるような感覚を覚え、
ボリボリ掻きむしっていました。
一向に良くならず、皮膚科に行って塗り薬をもらい、風呂上りに薬を塗ろうとすると、
弟が「塗らせて」と懇願するので背中を突き出してやると、
何を思ったかバチーンと背中に張り手をくらわしたので、
痛さのあまり「ふざけんな!!」ってな感じで怒ります。
必ず俺の怒鳴り声で泣く弟なので、見る見るうちに目に涙をためて、
「あぁ…泣くぞ泣くぞ」と思ってると声も立てずに涙をポロポロ流します。
変なことにどんどん顔は色味を失ったような感じになって、
ついには無表情で涙だけを流すだけといった感じでした…。

めっちゃ気持ち悪くて、両親のほうを見たら、これまた両親も無表情で涙を流してます。
もう完全に放心状態…。
よく見ると口元が微妙に動いてて何を言っているのか分かりません。
「ぁ……ぃ」聞き取れてこの程度でした。

その瞬間、自分の周りの景色が真っ赤になり、
徐々に色あせてセピア色になって意識が…なくなる…と思ったら、
いきなり周りの景色が一変してました。

どっかで見覚えあるような…と思ったら従兄弟の家でした。
深刻そうに叔父が俺の顔を見ています。
「え…何でここにいんの??」全然事態が飲み込めません。
そのうちぞろぞろと周りの人たちが集まってきました。
最初は「今までのは全部夢だったのか??」と自分で推測してましたが、
叔父の家にいる経緯が全く分からないし、なぜか祖父母もいるし、
あちこち包帯だらけで、完全にパニック…。
「記憶がないならないほうがいいんじゃないか??」とか祖父が言ってたのですが、
叔父は「こいつには何があったか話しておかんとならん。まだ犯人も捕まってないし、
1週間後にまた警察の人が来るだろう」ってな具合で叔父から全貌を聞いた。

僕の家族は1月1日に何者かの放火にあって全焼したようです。

僕はたまたまコンビニに行っていたので、助かったみたいなんですが、
犯人と思われる人を見たために、後頭部を殴られ、
全身をバットかなんかでめったうちにされて、記憶を失ってしまったそうです。
搬送先の病院でずっと生死をさまよった後、
回復してから叔父の家に引き取られたそうです。
そして今は3月…2ヶ月も記憶を失ったまま、リハビリを続け、
たった今、記憶が戻ったとのことでした。

僕は号泣しました…。いっぺんに大切なものを失ったのを、
2ヶ月も過ぎてから分かり、ただただ泣きじゃくる顔を、
祖父母と叔父に見られていました。
叔父は黙って目を反らしていましたが、
祖父母たちももらい泣きして、わんわん泣き続けていました。
体中には青あざが無数にあり、包帯がミイラのごとく巻いてあり、
節々が曲げるためにチリリとした痛みが走りました。

なぜか真冬の真夜中に全部の窓が開いてあったこと、
無表情で固まりあう家族、見知らぬ男に殴られる悪夢、
突然真っ赤になった景色…
まるでジグソーパズルのように謎がピシピシとはまっていきました…。

結局、犯人はいまだに捕まっていません。そして、背中の包帯を取ったときに
僕の青あざが残る背中には、弟の手のひら状に無傷だった跡がありました。
事件から5年経ち、あざが消えるのと共に、その手のひらの跡も消えてしまいした…。

長々と下手な長文すみません。僕にとっては忘れられない事件です。
話自体は怖くないと思いますが、犯人が未だに捕まっていないことを考えると
僕はそっちのほうが恐ろしいです。
読んでくれた方ありがとうございました

この件は小さくですが地元の日報にしっかりと載っています。
犯人は生き証人の僕を殺したと思い込んでるので、下手に報道して
生きているのがばれるとまずいと判断したようで、
叔父の友達の政治家を通して手を回してくれたみたいです。
だから、僕のことは記事にはなっていません

◯はい、だいぶ生えてきました

会社の部下の話なので書くのをためらいましたが、
あまりにも不可解なことなのでここに書くことにします。

自分は工場で働いてるのですが、先日その工場で
大きな事故があり、部下が巻き込まれました。
詳しくは書けませんが、右腕の肩から先が切断され、
右足も繋がってはいるものの、回復は不可能と言うことで
切断を余儀なくされるほどの大きな事故でした。

彼は意識不明で、救急車で病院に運び込まれたときはかなりヤバイ状態
ということで、処置のおかげで一命は取りとめたものの、
依然意識は戻りませんでした。

自分は責任者なので、その夜は彼に付き添って病院で明かすことになりました。
まだ面会謝絶ということで、部屋の外で待機し、上層部との連絡に追われていた
自分も相当の疲労からか、いつしか部屋の外のベンチで寝てしまいました。

夜中に人の声がして目が覚めました。
時計は3時を指してたことを覚えています。

その声は、昏睡状態の部下がいる部屋から聞こえる気がしたので
ドア越しに覗いてみると、なんと彼が起き上がってベッドに腰掛けてるのです。

そこで、すぐに部屋に入って言葉をかけようと思ったのですが、
なんか様子が変なのです。

彼が、ベッドに腰掛けたまま誰もいない空間に向かってしきりに
何か話してるんです。
携帯電話かと思いましたが、そんなものは持ってませんでしたし、
あるはずもありませんでした。

内容が聞き取りにくかったので、そっとドアを開けて聞くと、
いよいよその異常な状況がはっきりとしてきました。

「はい・・・・ええ、そうです」
「ここから先を引き裂けばいいわけですか・・ええ」
「はい、だいぶ生えてきました。腕の上がまだ」
「足も2ヶ月で生えてくるんですか、ありがとうございます」

このようなことを彼は、身動きひとつせず、
部屋の上の方を見ながらずっと喋り続けていたのです。

普通なら意識が戻ったと喜ぶところなのですが、
そのあまりの異常な状況に逆に身動き1つ出来なくなってしまいました。

そして次の瞬間

「はい・・ええ、ちょっと待ってください。今誰か見てる奴がいますが」

と彼は言ったのです。背筋が凍りました。
まさか自分のことを言ってるのか。
普段なら私のことを「奴」だなんて絶対に言うはずがありません。
しかも、それを言う間も彼は全く動かないのです。

私は恐る恐る彼の名前を呼んでみました。
すると、突然彼が喋るのをやめ、沈黙が流れたかと思うといきなり

「おい!」

とそのままの向きで言ったのです。
自分はその場から逃げていました。
怖くて気がどうにかなりそうでしたが、とりあえず宿直の看護婦のところへ行き
今までのことを全部話しましたが、当然請け合ってもらえず、とにかく意識が
戻ったのなら病室に行こうということになりました。

病室に戻ると、彼はベッドの中で寝込んでいました。
看護婦が一通りチェックくしたあと私に一言

「意識、戻ってませんよ」

そんなばかな、さっきまで起きて喋っていたんだ。
といっても全く信じてもらえません。

現在彼は意識も戻り退院してますが、あの夜そんなことを言っていたことは
覚えていないということです

◯ポルポトの理想

カンボジアは北海道の2倍程度の面積の国だ。人口は現在約1千万人。
首都はプノンペン。
カボチャはこの国から伝わったのでその名がついた。

カンボジアの歴史は苦難の一言に尽きる。
かの有名な遺跡、アンコールワットが建設された12世紀ではインドシナ半島で最強の国家だったものの、その後は衰退の一途を辿った。
ベトナムやタイに領土を奪われ、第二次世界大戦渦中はフランスの植民地だった。
その状況を打破したのが王族の血を引くシアヌークだった。
大戦後、彼は国際世論を巧みに操り、フランスから国土を解放した。
1953年のことである。
この功績により彼は「カンボジア独立の父」として民衆に敬愛されることになる。
多少独裁の色は濃いとはいえ、彼の手腕で国はそれなりに機能した。
それでも後のポルポトによる圧政時代と比べれば格段に自由な時代で、当時を懐かしむ人々も多いという。

そう、それほどポルポトの時代は酷かったのだ。
1970年。米ソ冷戦下。

アメリカのバックアップでロンノル将軍がクーデターを蜂起し、シアヌークは中国に亡命する。
クーデターを実際に画策したのはCIA。完全にアメリカのわがままだった。
このアメリカの暴挙には以下のような背景があった。
1961年からのベトナム戦争でアメリカは南ベトナムを応援した。
腐政に苦しむ南ベトナムの農民&ベトナムの統一を目指す北ベトナム軍VS利益を守るために邪魔な共産主義を排除したい南ベトナム軍。

資本主義のアメリカはこの構図にも関わらず南ベトナムを応援した。
民衆の幸せなんて一切考慮していない。
ただ、北ベトナムの共産主義が気に食わないから南側を応援したに過ぎない。
ベトナムの南側と国境を接するカンボジアとしては南ベトナムが勝利して力をつけると自国が占領される恐れがあった。
よってシアヌークはベトナム寄りのカンボジア領に北ベトナム(解放軍)の補給基地をつくることを暗黙の上で了解した。
これで南ベトナム軍は南北から挟撃される形になってしまった。

アメリカとしてはカンボジア領の補給基地を爆撃したいが国際世論もあるのでカンボジアの了解が要る。
ただ要請するだけではシアヌークは承知しない。
よってアメリカは経済援助の凍結を武器に何とか爆撃を認めさせた。
そしてカンボジアの民衆ごと補給基地に爆撃を浴びせた。
ベトナム軍だけでなく、カンボジアからも難民が大量に発生した。
この事実を証拠にシアヌークが国際世論に訴えれば、アメリカはベトナムから手を引かざるを得ない。戦争に負ける。
そこでカンボジアの要人・ロンノル将軍を使ってシアヌークを追放し、カンボジアを意のままに操ろうとしたのだ。
「世界の警察」は随分身勝手なことをする。
むしろいない方がいいのでは?

ロンノル政権に移ってからは、弾劾される可能性はないのでアメリカはさらに爆撃を徹底して行うことができた。
カンボジア人の死亡者は30万人。200万人の難民が新たに発生した。
それと同時にロンノル政権は重税をかけて国民を苦しめた。
亡命したシアヌークはすぐに軍隊を編成し、協力者を募った。
賛同したのはロンノル政権を排除したい北ベトナム軍。
そしてクメールルージュ。筆頭はかの有名な暴君、ポルポトだった。
民衆に人気の高いシアヌークの名を全面に押し出すことでクメールルージュは多数の志願兵を得た。
ここで解放軍の実質上のトップにポルポトが踊り出た。
ただしこの時点ではポルポトは温厚で、農民と共に汗を流し、田畑を耕したりもした。
兵士達も皆、友好的だったという。
そしてベトナムがアメリカと合意して戦線を離脱したにも関わらず、ポルポト率いるクメールルージュは1975年にロンノル政権を倒しカンボジアをロンノル将軍から解放したのである。
ここまではポルポトよりもむしろアメリカの方が悪者である。

ここまでは。

ポル・ポト率いる解放軍は首都プノンペンに入るとすぐに民衆を着の身着のままで強制的に地方の農村部に移すということを開始した。
逆らう者は容赦なく殺した。次々と殺した。
同様の行いが大小含む全ての都市でなされた。
これらはあまりに迅速に実行されたので国外に逃げられた人はほとんどいなかった。
そして国内を「平定」した後は以下の政策を迅速に施行した。

・私有財産の強制的な没収、貨幣制度の廃止
・電話、電報、郵便、ラジオ等の連絡機関の廃止
・バス、鉄道、飛行機等の移動手段の廃止
・全ての教育機関の廃止と書物の焼却
・仏教の禁止、寺や像の破壊、民族音楽や古典舞踊の禁止(関係者は全て殺された)
・都市市民の農村部への強制移住
・家族概念の解体。2~5歳以上の子供は全て親から隔離
・自由恋愛の禁止、無作為の相手との強制的な結婚

異論を唱えた者、従わなかった者は全て処刑された。
投獄なんて生易しいまねはしない。全て殺された。
徹底していると普通は思うだろう。
これだけでも歴史上類を見ない暴虐だと思うだろう。
しかしポルポトはそうは思わなかったらしい。

次にポルポトは理想国家の建設のために協力者を集めた。
『例えロンノル政権に加担していたとしても私は許す。
資産家、医師、教師、技術者、僧侶は名乗り出て欲しい。
それから海外に留学している学生も帰って来て欲しい。
理想国家を作るためには君達の力が必要だ。
大切なのはカンボジアの未来なのだから』

国を良くするため、という言葉に共感した<インテリ>が次々と現れ、それこそ国内のほとんどの高い教養を得た人々、海外に留学していた学生達がポルポトの元に集った。
彼らはポルポト兵に連れて行かれ、二度と帰って来なかった。
ポルポトは大嘘をついていた。
彼はフランスに留学していたので民衆の集団決起の強さを知っていた。
よって理想国家を作るためどころか、将来自分に歯向かうかもしれない民衆、その指導者になれそうな教養を持った人間を一掃したかったのだ。
そして民衆を少ない食事で朝から晩まで牛馬のごとく働かせた。

不満を言う者、働けない者はどんどん殺した。
『疲れた』と言っただけで、スプーンをなくしただけで殺された。
次のような者も即刻殺戮対象となった。
・眼鏡をかけている者
・肌が白い者
・手が綺麗な者
そして、
・美形
家族に至るまで、全て。

ポルポト率いるクメール・ルージュ政権は、密告を奨励した。
妻が夫を、夫が妻を、子が親を密告し、隣人を密告する、そうした恐怖の密告社会の中で、国民は互いに殺し合った。
少しでも正義感が強いとか、物事を考える者はそれだけで殺された。
家族、一族もろとも。

誰も信用できず、栄養が足りず、指導者もおらず、反乱の芽は種になる前に焼かれた。
国民はポルポトに従うしかなかった。
ポルポト兵に入隊できるのは13歳以下の少年に限られた。
ポルポトの意向通りに洗脳し易いからだ。
結果、少年達はポルポトを神とあがめ、命令があれば肉親でも殺す鉄の兵隊になった。
そうしてポルポト兵は狂信的集団へと収束していった。
1975年から1978年の3年間のポルポト政権の期間でカンボジアでは約300万人の死者が出た。
これは国民の1/3に当る大虐殺であった。

なぜ世界がこの虐殺を取上げなかったのか。
それには大まかに2つの理由がある。
1つはポルポトが徹底した鎖国政策をとり、人の移動や情報を封鎖したこと。
もう1つは突拍子のない話で、真実味が感じられなかったこと。
実際に何とかこの虐殺を報道するまでに至ったこともあったが、自国民をそこまで意味もなく虐殺するなどあり得ないと判断されたのだ。
国家にとって何の利益ももたらさないではないか、と。
だから誰も信じなかったというわけだ。

しかし虐殺疑惑の波紋は止め様もなく、取材の依頼が殺到した。
拒否し続けて国連の視察団が来れば致命的と判断したポルポトは限定地域、限定期間での取材を承諾した。
そこでは裏工作がなされ、平和な村を装ったので事実は隠蔽された。
疑問を解消できなかったジャーナリストの一部は果敢に独自の取材を展開したが、そのほとんどは行方不明になった。
まず間違いなくポルポトの命で殺されたのであろう。

ポルポトによる狂気は1979年のベトナム軍の侵攻をもって、公式の上では終わりを告げた。
そこでベトナム軍の兵士たちは戦慄に震えた。
実はベトナムの情報筋も、クメール・ルージュによる虐殺の噂は尾ひれのついたものであろうとたかをくくっていた。
だが、蓋を開けたときに見たものは、噂を遥かに超える『事実』だったのだから。
ポルポト軍はタイ国境のジャングルへ逃げ落ちた。
ポルポトは逃げる前に軍人以外の民衆800万人を殺そうとした。
未然に防げたからいいようなものの、もし実行されていれば生き残ったのは軍人5万人と逃げていたカンボジア人5万人。
わずか10万人ではもはや国家とは呼べない。
カンボジア解放後、残った国民の85%が14歳以下の子供であった。

これらの出来事が起こってからまだ30年弱。
決して遠い昔の話ではない。
つい最近に現実にあった悪夢。

これがクメール・ルージュ、そして純朴なる共産主義者・ポルポトの夢見た『理想』のなれの果てなのだ。

◯妹のために

これは知り合いの女性から聞いたマジで洒落になってない話です。
一部変更してありますが、ほとんど実話とのことです。

その女性(24歳)と非常に仲のいいA子が話してくれたそうです。

A子には3歳年上のお姉さんがいました。

姉妹仲もよく、A子は短大のことや彼氏のことなどで

お姉さんにたびたび相談相手になってもらっていました。

その日の夜、お姉さんがお風呂からあがり、

居間で父親や母親、そしてA子さんたちと雑談していました。

パジャマ姿のお姉さんはしばらくして2階の自分の部屋へと

引きあげていきました。

A子さんは自分もお風呂に入ろうとしたのですが、

就職のことでお姉さんに相談したいことがあり、

お姉さんの部屋へいきました。

ドアをあけると、お姉さんは化粧台の鏡に向かって

髪をとかしていましたが、鏡に向かったまま、

「A子ちゃん、お父さんとお母さんのところへ行ってなさい!」

と静かに強い口調で言ったそうです。

「でも、お姉ちゃん、ちょっと話があるんだけど・・」

と言ったものの、いつにないお姉さんのこわい口調に

A子さんはすごすごと居間に引き返したそうです。

その後、惨劇が起こりました。

お姉さんが座っていた背後にはベッドがあるのですが、

その下に包丁を持った男が潜んでいたのです。

お姉さんはその男に無惨にも刺し殺されてしまったのです。

犯人はストーカーでしたが、お姉さんは化粧台で髪を

とかしているときに、鏡越しに犯人を見てしまったのですね。

それで、妹を守ろうとしたのです。

この事件は新聞でも報道されました。

合掌

https://matome.naver.jp/odai/2148712933090417901
2017年02月18日