ポケモン世代よ思い出せ 俺たちがムサシ、コジロウから学んだ男気、女気を

サブカルの貴公子
ポケモン世代といわれる著者を含めた20代のわかものたちよ。僕たちはだいじなことを、ムサシ、コジロウから学んでこなかったか?いまこそそれを思い出そうではないか

「なんだかんだと聞かれたら」「答えてあげるが世の情け」

ム「なんだかんだと聞かれたら」
コ「答えてあげるが世の情け」

ム「世界の破壊を防ぐため」
コ「世界の平和を守るため」

ム「愛と真実の悪を貫く」
コ「ラブリーチャーミーな敵(カタキ)役」

ム「ムサシ!」
コ「コジロウ!」

ム「銀河を駆けるロケット団の二人には」
コ「ホワイトホール、白い明日が待ってるぜ!」

ニャ「ニャーんてな!」

たとえば、さまざまな文化論、社会学の本などを読んでいると、なになに世代といった区分をされることがよくあります。
たとえば新人類とか、バブル世代とか、失われた10年世代とか、ガンダム世代とか・・・
私を含めた現代の20代の人々は、こんなふうに呼ばれたりします。
ゆとり世代
さとり世代
ワンピース世代

そこで最近初代ポケモンを再びみはじめている私が、かつて私たちはポケモンによって多くのことを学び、成長してきたという過去を見つめてみようと思い、今回はこんな記事をかいてみました。

題して、ムサシとコジロウに学ぶ男気、女気です。

ムサシ・コジロウの男気・女気

ポケモンといえば、当然サトシ少年とそのポケモンピカチュウの物語!熱い友情の物語、として読み解くことができます。
またタケシ、カスミなどとの仲間の物語。
あるいは、バトルを通して成長していく、戦いと成長の物語と読み解くこともできるでしょう。

もちろんそれらも大事ですが、大人になってからポケモンをみてみると、それとはまた違った視点でものを見られるようになります。
すなわち、毎回一度は登場し、毎回のごとくお約束で作戦が失敗し、「嫌な感じー」との置きセリフを残しながらはるかかなたの地平線に飛んでいく、名わき役である、ムサシとコジロウです。

今回は初代ポケモン、1997-2002年までに公開された275話から、私たちが今大人になって学ぶべき、男気女気を描いたムサシとコジロウが活躍する回を紹介します。

第36話 あらしのサイクリングロード

自転車が無いと通れない長い橋があるが、サトシ達は自転車を持っていなかった。
ポケモンセンターでジョーイさんに代わって病気のポケモンの薬を届ける為に橋の向こう側のサニータウンまで行く仕事を引き受ける。
サトシ達は自転車を借りてサイクリングロードを渡りはじめる。
チャリンコ暴走族が絡んできてポケモンバトルをするが、カスミのコダックが勝手に出てきて、そのボケ振りに暴走族達に笑い者にされてしまう。
なんとかバトルも終えて橋を通してもらうが嵐に襲われたり、元チャリンコ暴走族だったムサシとコジロウの邪魔が入ったりしたが無地に薬を届ける。
ポケットモンスター ポケモン 無印 カントー編(初代)第36話「あらしのサイクリングロード」(1997年12月2日) – ポケモン動画

それまでは平凡や悪役であったムサシとコジロウが、徐々に男気、女気を発揮しはじめるのが、この回からでしょう。
この回ではまだ、当時その場をあらしていた先輩としての役割を演じなければいけないというだけのことですが、徐々にここらへんからムサシ・コジロウの描き方が変わってきます。

第97話 おニャースさまのしま!?

その日は白い満月の夜。いつものようにサトシ一行に吹っ飛ばされたロケット団。その最中、ニャース一匹だけ謎の島に不時着する。
今夜は散々な夜だと嘆くニャース。
すると、謎の集団によって、 大量のフルーツと巨大な黄金のニャース像が奉られてある祭壇 に運ばれていった。

その島を統べる「ミケオス」と「シマジオ」によると、この 「オウゴンカン島」 には、
「白き満月の夜、現れしおニャースさま。幸福のニャースさまと成りて、真の幸福を導かん。」
という伝説があったのだ。
そして、そこに偶然飛んできたのがロケット団のニャース。

喋るニャースを見て初めは驚く島民たちだったが、
「これこそ幸福のニャース様の証」と、全員がニャースを拝み始めた。

その様子を見たニャースは困惑しながらも、
「猫被っていればごちそう食べ放題だニャ~!!」
と、幸福のニャースさまに成りすますことを決める。
アニヲタWiki(仮) – おニャースさまのしま!?

このリンクからたどれるアニヲタの記事の熱量といったら。
これだけ人に書かせるだけの熱い回なのです。

島民にその島に伝わる伝説のニャースと勘違いされたニャース

後にひけなくなったニャースを助けるために、ムサシとコジロウは、ニャースが猫に小判ができないことを隠すために、ニャースの幸せを一番に考えて、ひそかに裏方からニャースのことを支援します。

ここから私たちは、困った仲間、うそをついたり、見栄をはってしまった友達に対しても、それはうそじゃないかと攻め立てたりせずに、その友人がプライドをまもれるように、自分達が気づかれずに何か支援をしてあげることの美徳を学んだのではないでしょうか。

第130話 ハピナスのハッピーナース

サトシ・タケシ・カスミの3人が立ち寄ったポケモンセンターは、
ジョーイが留守でハピナスが対応した。
だが、このハピナス、
せっかく作った食事を運ぶ途中サトシにぶちまけたり、
入浴中のサトシの背中を掃除用のブラシでこすったりして
おっちょこちょい。
ジョーイが帰ってきてサトシに謝る。

同じ頃、ロケット団の3人がやってくるが
ハピナスと半分に割れるペンダントを互いに持っていて、
ムサシの看護学校時代の友達だと気が付く。
ハピナスはムサシに食糧庫の食べ物を渡してしまう。

翌日、防犯カメラからハピナスの行動がバレてしまい、
ジョーイにしかられてしまう。

心配で戻ってきたムサシは食糧を返す事にして、
ハピナスと知り合いだという事は伏せて
「ハピナスを脅して無理やり奪った」とかばい、
わざとサトシらの攻撃を受け飛ばされていった。
ポケモンのアニメ「ハピナスのハッピーナース」の回の話を詳しく… – Yahoo!知恵袋

かつて知り合いだったハピナスとムサシ。
ひさしぶりの再開にハピナスは、その気のよさから、ムサシたちロケット団に自分の働くポケモンセンターの食料をほとんど渡してしまいます。

こういうことってありますよね、会社や組織に属する人間が、ひさしぶりの友達に、その会社のものを良かれと思って渡してしまったりあげてしまったり。
でも、そのせいで、あれおかしいぞ、備品が無いぞということになってしまう。
その友達はよかれと思ってやったことによって、自分の首をしめることになってしまう。
そこで本当のことをいって、実はこの人が渡したんですとはいえない。
友達をかばうために、いや、それはわたしが勝手にとったのだと、罪をかぶる。
そういうことを私たちはムサシに学んできたのではないでしょうか。

リザードンのたに! またあうひまで! 第135話 リザードンのたに! またあうひまで!

一般人は立入禁止のリザフィックバレー自然公園に入り込んでしまったサトシ達。ここ でサトシ達は公園を管理する女リザードン使いのジーグと知り合った。門をくぐるとそこは 野性のリザードンが暮らす場所。ジーグにまだまだ弱いと指摘されたサトシの リザードンは負けず嫌いから谷のリザードンに勝負を挑むが全く相手にならない。 ついには門の外の湖にほおりだされ、門も閉められてしまう。それでもサトシの リザードンはサトシの制止も聞かずに苦手な湖の中から出ようともせず、閉じた門を にらみ続ける。それを遠くで見ていたムサシとコジロウ、ニャースのロケット団は リザードンの気持ちに涙し、一夜が明けたところでむしとりこぞうメカで門の扉を破壊 しようと現われる。サトシのリザードンはむしとりこぞうメカを倒すが、撃退された ロケット団はこれでリザードンの男が立つと満足顔。するとその時門の扉が開いた! サトシのリザードンの根性とやる気が谷の皆に認められたのだ。これまでのリザードン の姿にその気持ちを理解していたサトシはリザードンに谷に残れと別れを言い渡し、 去って行くのであった。
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敵ながらあっぱれではないが、ロケット団は、ふだんは卑怯なまねをしているかもしれないが、男を立てるときはそれがたとえ相手であっても敵であっても関係ない。
いままでさんざんふっとばされてきたリザードンが、はじめて男としての危機に立たされる。しかしそれでも苦手な水のなかでずっと門をにらみつづけるリザードンの男気にふれたロケット団たちは、これまたリザードンやサトシたちに気が付かれないように、リザードンが活躍できるように、あえて敵役を引き受けるのだった。

私達も、友達をたてるために、あえてそいつが活躍できるように自分が敵役になる時があるかもしれない。
そんなときは、敵であってもそいつの男をたてるために一肌脱いでやろうじゃあありませんか、それが、男気、女気というものでしょう
いかがでしたでしょうか。
普段は卑怯な敵役として登場するロケット団は、いざという時には、その男気、女気をはっきして、義理と人情を通す熱い大人としてふるまいます。
それは、純粋にいきているサトシやカスミたちにはまだできない、ひとつもふたつも人生の困難を乗り越え、辛酸をなめてきたからこその、引き際の美学。
自分達が罪をかぶることによってだれか立つのなら、それでいいではないか。
そんな男、女に私たちはなれるんじゃないのか。
ムサシ・コジロウに男気、女気を学んだ私たちは、どんどん現世利益的で、自己中心化する世界のなかで、それにはNOという答え、人の生きざまの美学というものを通すことができるのではないでしょうか。

http://www.youtube.com/watch?v=XkOhdXmZXKM
https://matome.naver.jp/odai/2148712417386376101
2017年02月15日