チェ・ゲバラの生涯~英雄に至るまで~
1928年 アルゼンチンのブエノスアイレスで生まれる
キューバ革命のチェ・ゲバラがどんだけスゲェか知ってっか 単なるイケメンじゃねぇゾ | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
裕福な家庭に生まれるものの、体が弱く2歳で最初の喘息を起こしてしまう、、、
それからも喘息に悩まされる日々は続き両親はゲバラの体調を心配してたびたび引越しをするようになる
1950年 モペッドでアルゼンチン北部を走破
チェ・ゲバラの生涯
若干22歳にして、モペッドというペダル付きのオートバイでアルゼンチンの北部を単独で走破してしまった
そこで南米社会の極端な貧富の差に社会の矛盾を感じ、どう生きるべきか思い悩む。
特にインディオをはじめ、各地で少数民族が不当な弾圧を受けている現実に打ちのめされた
1956年 カストロ兄弟と運命的な出会いを果たす
チェ・ゲバラ – Wikipedia
この二人との出会いによってゲバラの革命家としての運命は動き出し、英雄への第一歩となった
これが後の英雄と最高革命指導者の出会いであった
1959年 キューバ革命完遂
チェ・ゲバラ – Wikipedia
この年ついにゲバラとカストロは独裁をしていた16代、17代大統領のバティスタを国外に追いやり念願の大革命を成功へと導いた
これが後に言う”キューバ革命”なのであった
1966年 次なる革命を求めてボリビアへ
チェ・ゲバラ – Wikipedia
政治が不安定になっていたボリビアへ新たな革命のため仲間たちと向かった
(左:ゲバラ 右:カストロ)
チェ・ゲバラという男のかっこよさ
この言葉は7月26日運動の合言葉にもなっているが、もとはゲバラの発した言葉で民に本当に大事なのはどちらかという選択を迫ったときに使われた言葉である
「最も重要なことは権力を握ることではなく、握った後に何をするかを明らかにすることだ」
チェ・ゲバラの生涯
これはゲバラの口癖で何回も繰り返し口にしていました
各国の主導者が見落としている一番大事なことを無意識に口ずさんでいたといわれています
「落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ」
キューバ革命のチェ・ゲバラがどんだけスゲェか知ってっか 単なるイケメンじゃねぇゾ | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
革命を達成した後に自分の思想を人々に伝えようとしたゲバラだったが、彼の思想は受け入れられることはなくボリビア政府軍に捕まってしまい、銃殺刑に処されてしまう
処刑当日、ゲバラの処刑の重さにたじろいでいた担当の人に向けて言った言葉が「落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ」であった
ゲバラは日本を訪れていた!?
1959年に日本に来日していた
チェ・ゲバラ – Wikipedia
1959年7月15日、31歳のゲバラはキューバの通商使節団を引き連れて日本を訪れた
この1959年とはなんとキューバ革命の起こった年なのである
ゲバラは革命の後、まもなく日本を訪れることになり大阪、神戸、広島と日本を見て回っていた
広島に赴いた際、アメリカに原爆でめちゃくちゃにされた跡をみて「あなたたちはアメリカにここまでされてそれでもなおアメリカの言いなりになるのか」と、異議を唱えたという





実はこの名前は本名ではなく、本名はルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナという
「チェ」というのは彼の母国アルゼンチンで使われる方言で「おい」や「やぁ」などの意味を持っています