覚醒剤やめますか? それとも人間やめますか?
「覚せい剤」
主に白色の粉末や無色透明の結晶。無臭でやや苦みがあります。俗に「シャブ」、「クスリ」、「S(エス)」、「スピード」、「ヤーバー(錠剤型の覚醒剤)」等と呼ばれています。
薬物の種類と害悪|薬物乱用対策 – 内閣府
日本では他の麻薬と区別され、所持、製造、摂取が厳しく規制されている。
覚醒剤 – Wikipedia
神経を興奮させ、眠気や疲労感がなくなり、頭が冴えたような感じになります。しかし、効果が切れると、激しい脱力感、疲労感、倦怠感に襲われます。
薬物の種類と害悪|薬物乱用対策 – 内閣府
慢性的な精神症状として、幻覚や幻聴、幻視、幻臭など五感に異常が現れます。続いて妄想、不安、不眠、鬱へと移行してゆきます。
薬物乱用防止「ダメ。ゼッタイ。」ホームページ
medley.life/news/item/5678f6bb5595b3bd1079671a
大量の覚醒剤を摂取すると、急性中毒により、全身けいれんを起こし、意識を失い、最後には脳出血で死亡することもあります。
薬物の種類と害悪|薬物乱用対策 – 内閣府
dapc.or.jp/data/kaku/3-3.htm
2つの覚せい剤「アンフェタミン」と「メタンフェタミン」
覚せい剤取締法で規制されている薬物として、フェニルアミノプロパンすなわちアンフェタミン、フェニルメチルアミノプロパンすなわちメタンフェタミン、及びその塩類やそれらを含有するものがある。
覚醒剤 – Wikipedia
〈wikipedia〉
間接型アドレナリン受容体刺激薬としてアンフェタミンより強い中枢神経興奮作用をもつ。日本では商品名ヒロポンが販売されているが、「限定的な医療・研究用途での使用」に厳しく制限されている。
また、強い中枢興奮作用および精神依存、薬剤耐性により、反社会的行動や犯罪につながりやすいため、日本では覚せい剤取締法により覚醒剤に指定されている。
〈wikipedia〉
始まりは、1885年にさかのぼる
他の麻薬と比べれば、20世紀初頭に流通が始まった覚せい剤の歴史は長いとはいえない
日本には覚せい剤が蔓延している?「世界の薬物汚染マップ」でわかった、日本の実態! – エキサイトニュース
1885年、長井長義が麻黄からエフェドリンの抽出に成功。
覚醒剤 – Wikipedia
1845年7月24日(弘化2年6月20日)– 1929年(昭和4年)2月10日)は日本の薬学者。
エフェドリンの発見者。日本薬学会初代会頭で、日本の近代薬学の開祖である。
明治時代における日本薬学の進展に寄与した。
漢方薬の研究と成分抽出は特筆すべき業績である。マオウ属(麻黄)からのエフェドリン抽出に成功し、のちに大量合成が可能であることを証明した。これは、多くの喘息患者の苦痛を取り除くことになった。エフェドリンは、現在でも誘導体 dl-塩酸メチルエフェドリンという成分名で、気管支拡張剤として市販の感冒薬(風邪薬)にも配合されている。
〈wikipedia〉
当時、中国の長い歴史の中で連綿と伝承されてきた要薬マオウの成分として、エフェドリンがいったい何に効くのか、長井を含めて誰も知らず、当初は付加価値のない天然有機化合物にすぎなかった
マオウ(麻黄)のお話
e-yakusou.com/sou/sou335.htm
1887年にエフェドリンからドイツでアンフェタミンが合成され、1893年、長井と三浦謹之助によってエフェドリンからメタンフェタミンが合成された。
覚醒剤 – Wikipedia
さらに強力で製造が容易なメタンフェタミンは、1919年に日本で開発されました。その結晶状の粉末は水溶性で、注射での使用に最適でした。
薬物のない世界のための財団、覚せい剤と自殺、覚せい剤の歴史
tanken.com/kakusei.html
戦争中に国策薬として
1938年にドイツでメタンフェタミンが発売されます(商品名は「ぺルビチン」「ベンゼドリン」など)。ドイツ軍は長時間にわたる過度の軍務を容易にし、一方では士気が高まることから、兵士への供給を開始します。
覚せい剤の歴史
ナチス軍では、錠剤タイプのメタンフェタミン製剤が、「戦車用チョコレート」「パイロットの塩」などと呼ばれ、前線の兵士に支給されていたといいます。
ナチス軍の覚せい剤|第二次大戦と薬物 弁護士小森榮の薬物問題ノート/ウェブリブログ
ドイツ軍ではテストを重ね、1939年9月のポーランド侵攻で早くも「実戦配備」。特にパイロットや戦車兵、輜重のトラック運転兵などに使わせていたとの事です。
翌年の1940年のフランス侵攻作戦(いわゆる電撃戦)で、国防軍や空軍の兵士に3500万個もの錠剤として配給されていきます。
bushoojapan.com/scandal/2014/05/24/21185
しかしやはり兵士達の中で中毒問題は発生し、徐々に使用を制限していったようです。
日本軍もさっそく導入を決め、製薬業者に生産させ、軍用に使ったのでした(1940年にメタンフェタミンの市販開始)。
覚せい剤の歴史
inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha506.html
戦況が激化するにつれ、こうした製剤が「突撃錠」「猫目錠」などと呼ばれて、前線の兵士や軍需工場で働く人たちに支給されたといわれています。
ナチス軍の覚せい剤|第二次大戦と薬物 弁護士小森榮の薬物問題ノート/ウェブリブログ
覚醒剤は時局に沿って「国策薬」としての役割を負わされることになるが、これはなにも日本に限ったことではない。
米国では第二次世界大戦以後も、ベトナム戦争、湾岸戦争を通じて、デキストロ・アンフェタミン製剤「デキセドリン」(通称・スピード)を一部の兵士に処方し続けた。
20century.blog2.fc2.com/blog-entry-406.html
よく特攻隊が自爆攻撃できたのは麻薬を服用していたからだといわれますが、これは事実でしょう。
覚せい剤の歴史
ameblo.jp/zipang-analyzing/entry-11412424461.html
太平洋戦争時の軍隊経験者の中には、「私の周りには薬に頼るような兵士はいなかった」と証言する方もおります。しかし坂井氏のように知らずに覚せい剤を投与されていた兵士も存在していますので、自覚なく服用していたというケースもままあるのかもしれません。
戦争と覚せい剤|太平洋戦争史と心霊世界
市販薬として(1940~)
現在の覚せい剤として指定されている成分を含んだ薬品は、疲労倦怠の状態から回復させ眠気を覚ますための薬品として販売されていた
覚醒剤 – Wikipedia
日本における覚せい剤流行のきっかけとなったのが、1941年に大日本製薬(現在の大日本住友製薬)が発売したヒロポンである。
日本には覚せい剤が蔓延している?「世界の薬物汚染マップ」でわかった、日本の実態! – エキサイトニュース
・メタンフェタミン
「ヒロポン」「ホスピタン」など
・アンフェタミン
「ゼドリン」「アゴチン」「ソビリアン」などなかでももっとも宣伝された大日本製薬のヒロポンが覚醒剤の代名詞となったのでした。
発売と同年に開戦した第二次世界大戦の影響により、戦闘への利用を計画した旧日本軍がヒロポンを調達し、本土決戦のために備蓄していた。
日本には覚せい剤が蔓延している?「世界の薬物汚染マップ」でわかった、日本の実態! – エキサイトニュース
日本での本格的な流行は戦後
日本の敗戦により、大日本帝国軍の備蓄品が一気に市場へ流出すると、酒やタバコといった嗜好品の欠乏も相まって、人々が精神を昂揚させる手軽な薬品として蔓延した。
メタンフェタミン – Wikipedia
店頭でも買えたため(薬物を買えるだけの金銭と判子を持っていけば普通の薬局で買うことが出来た)注射剤を含めたメタンフェタミンの乱用が流行
覚せい剤取締法 – Wikipedia
注射によるメタンフェタミンの乱用は伝染病のような勢いで広まりました。
薬物のない世界のための財団、覚せい剤と自殺、覚せい剤の歴史
全面的な規制は1951年(昭和26年)から
「ヒロポン」の依存症に陥る青少年が激増し、これを原因のひとつとする青少年犯罪が多発したため、政府は1948年に覚せい剤を劇薬として指定した。
薬物大国・日本
覚せい剤乱用の取締りは、まず薬事法によって行われたが、その規制は、製造業者や販売業者を主たる対象とするものであり、末端における所持や使用は規制の対象とならないなどの多くの不備があったため、乱用者の増加傾向が続いた。
昭和55年 警察白書
1950年には、覚せい剤の販売・誇大広告・製造の制限を決定したが、何の効果もなく、ついに1951年覚せい剤取締法を制定した。
薬物大国・日本
「覚せい剤取締法」が施行されましたが、時すでに遅く、すでに覚醒剤はきわめて深刻に蔓延していたのでした。
覚せい剤の歴史
敗戦による疲弊と社会情勢の混乱を背景に急速に広まったもので、昭和29年当時は 55万人もの覚せい剤乱用者が存在したと推定されています。
薬物乱用防止「ダメ。ゼッタイ。」ホームページ
npa.go.jp/hakusyo/s55/s550200.html
覚せい剤取締法の改正による罰則強化と、全国的な精神衛生活動が展開されたことによって、覚せい剤の乱用という危機的状況を乗り越えることができた。
薬物大国・日本
excite.co.jp
現在の覚せい剤
モルヒネなどの医療用麻薬と同様、覚せい剤も元をたどれば医薬用として造られた薬剤の一つと言えます。
日本生まれの薬物!? 薬物乱用における覚せい剤の恐怖 – MEDLEYニュース
現在でも医療用医薬品として覚せい剤や覚せい剤原料を主成分とした製剤が造られ適正使用されている一面もあります。
日本生まれの薬物!? 薬物乱用における覚せい剤の恐怖 – MEDLEYニュース
しかし(特に近年における)薬物乱用におけるメタンフェタミンは医療用として製造されるものとは大きく異なり、極めて危険な薬物となっています。
日本生まれの薬物!? 薬物乱用における覚せい剤の恐怖 – MEDLEYニュース
1955年頃には日本国内での密造は一掃されました。1970年代には覚せい剤乱用者の検挙者数は再び増え始め、1984年の検挙者数2万4千人をピークに、年間の検挙者数が2万人台の時期が1996年まで続きました。
薬物のない世界のための財団、覚せい剤と自殺、覚せい剤の歴史
1998年から現在に至っては、第3次覚せい剤乱用期と宣言されています。
薬物のない世界のための財団、覚せい剤と自殺、覚せい剤の歴史
ネット上での密売も横行し、若者がファッション感覚的に薬物を取る風潮も、覚せい剤乱用の広がりに拍車をかけています。
薬物のない世界のための財団、覚せい剤と自殺、覚せい剤の歴史
②営利目的の場合は無期若しくは3年以上20年以下の懲役又は情状により無期若しくは3年以上20年以下の懲役及び1000万円以下の罰金と定められています。
③所持、譲渡、譲受、使用、製造は1カ月以上10年以下の懲役
④営利目的の場合は1年以上20年以下の懲役又は情状により1年以上20年以下の懲役及び500万円以下の罰金と定められています。逮捕弁護士.com/chapter4/kakuseizai.html
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