禁止薬物の覚せい剤は「いつ」「どうして」できたの?

guruten
芸能人やスポーツ選手の逮捕、密輸の摘発ニュースに中毒者や乱用問題‥ 最近では歌手のASKAが使用疑惑でマスコミに大きく取り上げられた覚醒剤。でもそもそも「覚醒剤」って いつ?どうして?できたのか。

覚醒剤やめますか? それとも人間やめますか?

「覚せい剤」

主に白色の粉末や無色透明の結晶。無臭でやや苦みがあります。俗に「シャブ」、「クスリ」、「S(エス)」、「スピード」、「ヤーバー(錠剤型の覚醒剤)」等と呼ばれています。
薬物の種類と害悪|薬物乱用対策 – 内閣府

日本では他の麻薬と区別され、所持、製造、摂取が厳しく規制されている。
覚醒剤 – Wikipedia

通称「シャブ」
「シャブ」の由来は様々あるが、「そのひとの骨も人生も、すべてをシャブりつくして(奪ってしまう)しまうから」が説として一番多いといわれている。

神経を興奮させ、眠気や疲労感がなくなり、頭が冴えたような感じになります。しかし、効果が切れると、激しい脱力感、疲労感、倦怠感に襲われます。
薬物の種類と害悪|薬物乱用対策 – 内閣府

慢性的な精神症状として、幻覚や幻聴、幻視、幻臭など五感に異常が現れます。続いて妄想、不安、不眠、鬱へと移行してゆきます。
薬物乱用防止「ダメ。ゼッタイ。」ホームページ

死へのロード
覚せい剤の恐ろしさは破壊的な依存性と治療が難しく乱用者の多くが死へとつながることにあります。仮に覚せい剤自体が直接の死因とならなくても、長期の乱用によって栄養障害などがおこり細菌やウイルスなどの感染が生じやすくなったり、不純物を含む覚せい剤の注射による血管へのダメージ、腎臓病、肺機能障害、心臓障害、脳障害など死へのロードを着実に歩むことになるのです。
medley.life/news/item/5678f6bb5595b3bd1079671a

大量の覚醒剤を摂取すると、急性中毒により、全身けいれんを起こし、意識を失い、最後には脳出血で死亡することもあります。
薬物の種類と害悪|薬物乱用対策 – 内閣府

フラッシュバック
乱用をやめ、普通の生活に戻ったようでも、何かの刺激によって再び幻覚・妄想などの精神異常が再燃することがあります。これをフラッシュバック(自然再燃)現象といい、お酒を飲んだり心的なストレスなど、ほんの小さなきっかけでおこってしまうのです。
dapc.or.jp/data/kaku/3-3.htm

2つの覚せい剤「アンフェタミン」と「メタンフェタミン」

覚せい剤取締法で規制されている薬物として、フェニルアミノプロパンすなわちアンフェタミン、フェニルメチルアミノプロパンすなわちメタンフェタミン、及びその塩類やそれらを含有するものがある。
覚醒剤 – Wikipedia

アメリカでは販売「アンフェタミン」
間接型アドレナリン受容体刺激薬としてメタンフェタミンと同様の中枢興奮作用を持つ。アメリカでは商品名Adderallで販売され、適応は注意欠陥・多動性障害のみである。強い中枢興奮作用および精神依存、薬剤耐性により、犯罪や反社会的行動につながりやすいため、日本では法律上の覚醒剤に指定されている。
〈wikipedia〉
いわゆる覚せい剤「メタンフェタミン」

間接型アドレナリン受容体刺激薬としてアンフェタミンより強い中枢神経興奮作用をもつ。日本では商品名ヒロポンが販売されているが、「限定的な医療・研究用途での使用」に厳しく制限されている。

また、強い中枢興奮作用および精神依存、薬剤耐性により、反社会的行動や犯罪につながりやすいため、日本では覚せい剤取締法により覚醒剤に指定されている。
〈wikipedia〉

始まりは、1885年にさかのぼる

他の麻薬と比べれば、20世紀初頭に流通が始まった覚せい剤の歴史は長いとはいえない
日本には覚せい剤が蔓延している?「世界の薬物汚染マップ」でわかった、日本の実態! – エキサイトニュース

1885年、長井長義が麻黄からエフェドリンの抽出に成功。
覚醒剤 – Wikipedia

日本薬学の父 長井長義

1845年7月24日(弘化2年6月20日)– 1929年(昭和4年)2月10日)は日本の薬学者。

エフェドリンの発見者。日本薬学会初代会頭で、日本の近代薬学の開祖である。
明治時代における日本薬学の進展に寄与した。
漢方薬の研究と成分抽出は特筆すべき業績である。マオウ属(麻黄)からのエフェドリン抽出に成功し、のちに大量合成が可能であることを証明した。これは、多くの喘息患者の苦痛を取り除くことになった。エフェドリンは、現在でも誘導体 dl-塩酸メチルエフェドリンという成分名で、気管支拡張剤として市販の感冒薬(風邪薬)にも配合されている。
〈wikipedia〉

当時、中国の長い歴史の中で連綿と伝承されてきた要薬マオウの成分として、エフェドリンがいったい何に効くのか、長井を含めて誰も知らず、当初は付加価値のない天然有機化合物にすぎなかった
マオウ(麻黄)のお話

麻黄
麻黄(まおう)の中国での利用の歴史は古く、チェンとシュミットという医学博士により、麻黄(まおう)が、気管支ぜんそくによく効くことが発見されてから、世界中でも広く認識されるようになり、現在のように漢方処方にも西洋医学でも応用されるようになりました。
e-yakusou.com/sou/sou335.htm

1887年にエフェドリンからドイツでアンフェタミンが合成され、1893年、長井と三浦謹之助によってエフェドリンからメタンフェタミンが合成された。
覚醒剤 – Wikipedia

さらに強力で製造が容易なメタンフェタミンは、1919年に日本で開発されました。その結晶状の粉末は水溶性で、注射での使用に最適でした。
薬物のない世界のための財団、覚せい剤と自殺、覚せい剤の歴史

特に注目される医薬品ではなかった
効能としては催眠剤の反対で、眠気を去り、疲労感をなくし、気分を高揚させ、多弁になり、行動的な状態になります。眠気を去り疲労感をなくすといっても、一時的に無理ができるというだけで、その後は休養や睡眠が必要だし、しかも連続使用するとさまざまな障害が起きるため、医薬品としては特に重要ではありませんでした。
tanken.com/kakusei.html

戦争中に国策薬として

1938年にドイツでメタンフェタミンが発売されます(商品名は「ぺルビチン」「ベンゼドリン」など)。ドイツ軍は長時間にわたる過度の軍務を容易にし、一方では士気が高まることから、兵士への供給を開始します。
覚せい剤の歴史

ナチス時代のドイツ
ナチス・ドイツは、アドルフ・ヒトラー及び国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、ナチ党)による支配下の、1933年から1945年までのドイツ国に対する呼称。

ナチス軍では、錠剤タイプのメタンフェタミン製剤が、「戦車用チョコレート」「パイロットの塩」などと呼ばれ、前線の兵士に支給されていたといいます。
ナチス軍の覚せい剤|第二次大戦と薬物 弁護士小森榮の薬物問題ノート/ウェブリブログ

1作戦に3500万錠投入

ドイツ軍ではテストを重ね、1939年9月のポーランド侵攻で早くも「実戦配備」。特にパイロットや戦車兵、輜重のトラック運転兵などに使わせていたとの事です。

翌年の1940年のフランス侵攻作戦(いわゆる電撃戦)で、国防軍や空軍の兵士に3500万個もの錠剤として配給されていきます。
bushoojapan.com/scandal/2014/05/24/21185

しかしやはり兵士達の中で中毒問題は発生し、徐々に使用を制限していったようです。

日本軍もさっそく導入を決め、製薬業者に生産させ、軍用に使ったのでした(1940年にメタンフェタミンの市販開始)。
覚せい剤の歴史

日独伊三国軍事同盟
第二次世界大戦中、日本はイタリアとともにドイツと同盟を結んでいた。1940年9月27日にベルリンで結ばれた「日独伊三国軍事同盟」によって、三国の枢軸体制を強化し、イギリスとアメリカを抑制しようとしたのだ。
inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha506.html

戦況が激化するにつれ、こうした製剤が「突撃錠」「猫目錠」などと呼ばれて、前線の兵士や軍需工場で働く人たちに支給されたといわれています。
ナチス軍の覚せい剤|第二次大戦と薬物 弁護士小森榮の薬物問題ノート/ウェブリブログ

国策薬

覚醒剤は時局に沿って「国策薬」としての役割を負わされることになるが、これはなにも日本に限ったことではない。

米国では第二次世界大戦以後も、ベトナム戦争、湾岸戦争を通じて、デキストロ・アンフェタミン製剤「デキセドリン」(通称・スピード)を一部の兵士に処方し続けた。
20century.blog2.fc2.com/blog-entry-406.html

よく特攻隊が自爆攻撃できたのは麻薬を服用していたからだといわれますが、これは事実でしょう。
覚せい剤の歴史

『大空のサムライ』の著者、坂井三郎
『大空のサムライ』の著者で撃墜王、坂井三郎氏は、戦後の戦友会で医務官だった人からビタミン剤と一緒にヒロポンも投与されていたと聞き、どうりで痩せて来ても元気だけはあったと納得しました。
ameblo.jp/zipang-analyzing/entry-11412424461.html

太平洋戦争時の軍隊経験者の中には、「私の周りには薬に頼るような兵士はいなかった」と証言する方もおります。しかし坂井氏のように知らずに覚せい剤を投与されていた兵士も存在していますので、自覚なく服用していたというケースもままあるのかもしれません。
戦争と覚せい剤|太平洋戦争史と心霊世界

市販薬として(1940~)

アゴチン錠
こちら仕事場向けのアゴチン錠
(精神、肉体の過労に対する治療および予防、徹夜時の睡気、心身過労の除去に効果)

現在の覚せい剤として指定されている成分を含んだ薬品は、疲労倦怠の状態から回復させ眠気を覚ますための薬品として販売されていた
覚醒剤 – Wikipedia

日本における覚せい剤流行のきっかけとなったのが、1941年に大日本製薬(現在の大日本住友製薬)が発売したヒロポンである。
日本には覚せい剤が蔓延している?「世界の薬物汚染マップ」でわかった、日本の実態! – エキサイトニュース

覚醒剤の代名詞「ヒロポン」
流行とともに覚醒剤は多くのブランドで発売されました。
・メタンフェタミン
「ヒロポン」「ホスピタン」など
・アンフェタミン
「ゼドリン」「アゴチン」「ソビリアン」などなかでももっとも宣伝された大日本製薬のヒロポンが覚醒剤の代名詞となったのでした。

発売と同年に開戦した第二次世界大戦の影響により、戦闘への利用を計画した旧日本軍がヒロポンを調達し、本土決戦のために備蓄していた。
日本には覚せい剤が蔓延している?「世界の薬物汚染マップ」でわかった、日本の実態! – エキサイトニュース

日本での本格的な流行は戦後

日本の敗戦により、大日本帝国軍の備蓄品が一気に市場へ流出すると、酒やタバコといった嗜好品の欠乏も相まって、人々が精神を昂揚させる手軽な薬品として蔓延した。
メタンフェタミン – Wikipedia

店頭でも買えたため(薬物を買えるだけの金銭と判子を持っていけば普通の薬局で買うことが出来た)注射剤を含めたメタンフェタミンの乱用が流行
覚せい剤取締法 – Wikipedia

注射によるメタンフェタミンの乱用は伝染病のような勢いで広まりました。
薬物のない世界のための財団、覚せい剤と自殺、覚せい剤の歴史

長谷川町子のマンガにも登場!?
この時期には長谷川町子がサザエさんの前身となるマンガ「似たもの一家」でヒロポンを扱っていたりもします。作家の伊佐坂先生が執筆用にヒロポンを常備しており、ワカメとタラちゃんを思わせる子供たちが誤飲して「エヘラエへラエヘラ」と笑ったり東京ブギウギを歌い出したりとラリった様子を見せています。

全面的な規制は1951年(昭和26年)から

「ヒロポン」の依存症に陥る青少年が激増し、これを原因のひとつとする青少年犯罪が多発したため、政府は1948年に覚せい剤を劇薬として指定した。
薬物大国・日本

覚せい剤乱用の取締りは、まず薬事法によって行われたが、その規制は、製造業者や販売業者を主たる対象とするものであり、末端における所持や使用は規制の対象とならないなどの多くの不備があったため、乱用者の増加傾向が続いた。
昭和55年 警察白書

1950年には、覚せい剤の販売・誇大広告・製造の制限を決定したが、何の効果もなく、ついに1951年覚せい剤取締法を制定した。
薬物大国・日本

「覚せい剤取締法」が施行されましたが、時すでに遅く、すでに覚醒剤はきわめて深刻に蔓延していたのでした。
覚せい剤の歴史

敗戦による疲弊と社会情勢の混乱を背景に急速に広まったもので、昭和29年当時は 55万人もの覚せい剤乱用者が存在したと推定されています。
薬物乱用防止「ダメ。ゼッタイ。」ホームページ

ピーク時、経験者は約200万人
法規制の結果、覚せい剤の生産及び流通は在日朝鮮人や暴力団の手により非合法に行われるようになる一方、当時の経済復興に伴い増加した土木作業員や工員等を新たな需要者として組織的な密売が続けられたため、乱用者は増加した。また、28年ころから覚せい剤中毒に起因する犯罪が目立ち始め、覚せい剤禍は深刻の度を増した。ピーク時の29年には、検挙人員は5万5,664人に上り、潜在的乱用者は約55万人、中毒による精神障害者は約20万人、使用経験者は約200万人と推測された。
npa.go.jp/hakusyo/s55/s550200.html
国内産から海外産へ
覚せい剤の供給源は昭和44年ごろまでは国内における密造が中心であったが、45年ごろから韓国ルートの密輸入が増加し、更に、タイ、マカオ、台湾ルートが加わり、覚せい剤の供給源は海外に移った。52年にはヨーロッパ(西ドイツ)産の多量の覚せい剤が押収された。

覚せい剤取締法の改正による罰則強化と、全国的な精神衛生活動が展開されたことによって、覚せい剤の乱用という危機的状況を乗り越えることができた。
薬物大国・日本

しかし密輸による流通は続く‥
ヤクザ・暴力団を中心とする非合法組織が架け橋となることで、韓国・北朝鮮・台湾などの諸外国から購入者の手元へ、ヒロポンと同様のアンフェタミンを主成分とする覚せい剤の密輸が続いている。
excite.co.jp

現在の覚せい剤

モルヒネなどの医療用麻薬と同様、覚せい剤も元をたどれば医薬用として造られた薬剤の一つと言えます。
日本生まれの薬物!? 薬物乱用における覚せい剤の恐怖 – MEDLEYニュース

現在でも医療用医薬品として覚せい剤や覚せい剤原料を主成分とした製剤が造られ適正使用されている一面もあります。
日本生まれの薬物!? 薬物乱用における覚せい剤の恐怖 – MEDLEYニュース

しかし(特に近年における)薬物乱用におけるメタンフェタミンは医療用として製造されるものとは大きく異なり、極めて危険な薬物となっています。
日本生まれの薬物!? 薬物乱用における覚せい剤の恐怖 – MEDLEYニュース

1955年頃には日本国内での密造は一掃されました。1970年代には覚せい剤乱用者の検挙者数は再び増え始め、1984年の検挙者数2万4千人をピークに、年間の検挙者数が2万人台の時期が1996年まで続きました。
薬物のない世界のための財団、覚せい剤と自殺、覚せい剤の歴史

1998年から現在に至っては、第3次覚せい剤乱用期と宣言されています。
薬物のない世界のための財団、覚せい剤と自殺、覚せい剤の歴史

ネット上での密売も横行し、若者がファッション感覚的に薬物を取る風潮も、覚せい剤乱用の広がりに拍車をかけています。
薬物のない世界のための財団、覚せい剤と自殺、覚せい剤の歴史

覚せい剤取締法に定められた刑罰
①輸入、輸出は、1年以上20年以下の懲役
②営利目的の場合は無期若しくは3年以上20年以下の懲役又は情状により無期若しくは3年以上20年以下の懲役及び1000万円以下の罰金と定められています。
③所持、譲渡、譲受、使用、製造は1カ月以上10年以下の懲役
④営利目的の場合は1年以上20年以下の懲役又は情状により1年以上20年以下の懲役及び500万円以下の罰金と定められています。逮捕弁護士.com/chapter4/kakuseizai.html

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https://matome.naver.jp/odai/2148195652455093801
2017年02月25日