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織田信長の死後、成政は直属の上司であった柴田勝家への義理から豊臣秀吉という勝ち馬に乗り切れず、それでいながら豊臣政権下でも武功をあげ肥後国を与えられるが内政が上手くいかずに失脚する。
戦場では有能であったが、政治判断能力に欠けるところがあった。

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織田信長の死後、直属の上司であった柴田勝家ではなく豊臣秀吉という勝ち馬に乗り、尾山城(後の金沢城)主へと出世する。
豊臣政権下では最も存在感を示し、秀吉亡きあとの覇権を狙う徳川家康にとって最大の障害であった。

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一方で、足利義昭に頼られ天下を狙えるチャンスを逸して織田信長が台頭するキッカケを与える。
また、織田信長と縁戚関係にありながら義景のピンチに駆けつけた同盟者・浅井長政が窮地に立たされた「姉川の戦い」では不十分な援軍で対応するなど、政治的決断力に欠け、戦国時代を切り抜ける資質がなかった。

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軍事の天才・上杉謙信と互角の勝負を重ね、後に天下人となる徳川家康に「三方ヶ原の戦い」で圧勝し、敗れた徳川家康は信玄を畏敬して信玄の生み出した制度や戦術や人材を多く取り入れた。
もしも信玄が志半ばで病死していなかったら、織田信長や徳川家康の運命も大きく変わっていたであろう。

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しかし、後白河法皇との関係が悪化すると、政治的に追い詰められていき、ついには源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により「粟津の戦い」で討たれた。

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道三は、主君や婿を殺し隙あらば寝首をかくというスタイルで、ついには主君であった土岐氏を失墜させて美濃国を手中にしたため「美濃のマムシ」と近隣諸国から怖れられる。
その最後も道三らしく嫡男・斎藤義龍に「長良川の戦い」で討たれた。

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駿河国で挙兵して56歳にして歴史の表舞台に立つと、伊豆国、相模国を手中にし、小田原を拠点に5代(早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直)に渡って関東に覇を唱えた。
領国支配の強化を積極的に進めた最初期の大名であり、実力がものをいう戦国時代の幕を開けた人物とされている。

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家督を継いでからは、10倍ほどの戦力を持つ今川義元に勝利し、一度は命が危ぶまれるほど追い込まれた浅井・朝倉同盟軍に「姉川の戦い」で勝利し、室町幕府を滅ぼし、日本の富の大部分を所有しているといわれた本願寺との10年に渡る戦いを制した。
しかし、天下統一を目前にして、明智光秀の謀反「本能寺の変」で波乱の生涯を閉じる。



一方で、戦の神・毘沙門天の生まれ変わりと称される軍事の天才ぶりは、若くして混迷する越後国を治め、戦国最強ともいわれる武田信玄と互角の勝負をくり返し、天下を目前にした織田信長が細心の注意衣を払って怖れた。
もしも謙信に野心があったなら、戦国時代の歴史がどのように変化したか未知数である。