意外と知られていない?「ピンク・レディー」が解散するまでの道のり

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1970年代に爆発的な人気を誇った「ピンク・レディー」の解散劇。79年にアメリカへ進出したものの、翌年には解散を発表…。なぜピンク・レディーは解散してしまったのか?

▼77年〜78年に爆発的な人気を誇った「ピンク・レディー」

当時では異例の紅白辞退で人気急落
1978年:「NHK 紅白歌合戦」出場を辞退
1979年: 全米デビュー
1980年: 解散を発表
1981年: 後楽園球場で解散
1984年以降: 数回にわたって再結成

デビュー前から絶頂期にあたる1978年までを振り返る。

●人気が徐々に低迷していった1979年

紅白辞退が大きすぎた
1978年の「第29回 NHK紅白歌合戦」への出場を辞退し、裏番組のチャリティー番組「ピンク・レディー 汗と涙の大晦日150分!!」(日本テレビ系)に出演。このことがマスコミから猛バッシングを受け、人気を大きく落とす結果となった。当時の音楽業界では紅白を辞退することが極めて異例だった (本人たちの意思ではなく、事務所の意向である)。同時期に起こった事務所トラブルやケイの熱愛スキャンダルが重なり、サザン・オールスターズやゴダイゴといったニューミュージックが流行したことも人気低迷に繋がった。
1978年にピンクレディーが紅白辞退して裏番組やったけど、子ども心に「ヤバいんじゃない?紅白を敵に回すなんて…」と思ったわ。案の定ヤバかったみたいね。のちにケイが「すずめ」でNHKに出演するとき、楽屋が用意されず鏡も何もない物置に案内されたとか。

イズミル☆@greenikemew84

紅白を辞退する人なんていない時代、絶頂期に出場を蹴ったのをきっかけに(本人達の意思ではない)国内では失速したピンクレディー人気。その後アメリカで冠番組持って成功してたというのを知ったのは大人になってから
youtu.be/WwxQbRu91aE
連続1位が途切れる
1979年3月に発売された11thシングル「ジパング」で最高4位を獲得し、これまでの連続首位記録が途切れる結果になった。7月に発売された13thシングル「波乗りパイレーツ」のカップリングはアレンジ違いの「波乗りパイレーツ (U.S.A 吹込盤)」が収録されており、コーラスにビーチボーイズが参加している。

11th「ジパング」(4位)
12th「ピンク・タイフーン (In The Navy)」(6位)
13th「波乗りパイレーツ」(4位)

オリコン史上初となる「シングルレコード・総売上合計枚数1000万枚」を達成した。
ジパング (ピンク・レディーの曲) – Wikipedia

2007年にモーニング娘。が記録を塗り替えるまで女性グループ歴代1位だった。


●1979年度年間48位
http://www.youtube.com/watch?v=C2EemjlkEBA
●1979年度年間52位

●アメリカ進出を果たしていた

日本では大失敗と報道された
1978年4月にラスベガスでの公演を行い、ワーナー・ブラザーズと契約を結んだ。翌年5月には「Kiss In The Dark」が世界40ヶ国で同時発売され、日本では9月に発売された。

14th「キッス・イン・ザ・ダーク」(19位)
15th「マンデー・モナリザ・クラブ」(14位)
16th「DO YOUR BEST」(36位)

日本のアーティストで同チャート・トップ40入りを果たしたのは、1963年の「上を向いて歩こう」の坂本九以来の快挙だった。
YMOが起こしたテクノポップブームの下地をつくったのは、ピンク・レディーだった – Ameba News [アメーバニュース]

全米ビルボード Hot 100のTOP40以内に入った日本人アーティストは坂本九 (1位)とピンク・レディー (37位)の2組しかいない。

●全米ネットの冠番組が放送された

史上最悪のTV番組とも言われた
1980年に全米ネット局のNBCでバラエティ番組「PINK LADY SHOW」の放送が開始し、ゴールデンタイムの枠で1時間放送された。諸説はあるが、視聴率の不振によって5回目にして打ち切りとなった。番組終了から20年経った頃にDVD化された。

セックスアピールを前面に出したスタイルであったため、国内でのイメージを損なう恐れがあるとの判断から日本ではほとんど報道されなかった。
ピンク・レディー – Wikipedia

番組の最後には水着になり、タキシードのまま司会のコメディアンと一緒に混浴している。

●解散発表した1980年

帰国するも「解散宣言」
1980年4月にアメリカでの活動を終えて帰国し、再び日本での活動に力を入れたものの、「アメリカ進出は失敗だった」と報じられていたこともあり、かつての勢いを取り戻すことはできなかった。この年には松田聖子や柏原芳恵、河合奈保子といった新しいアイドルが続々とデビュー。ほんの数年前にミリオンセラーを連発していたのにも関わらず、セールスは1万枚程度となってしまった。

17th「愛・GIRI GIRI」(58位)
18th「世界英雄史」(45位)
19th「うたかた」(48位)
20th「リメンバー (フェーム)」(86位)

後にケイが著書(「あこがれ」)で述べているが、当時、野口五郎と熱愛中であったこともアメリカ行きをためらわせた大きな理由だ。
ピンク・レディー 「モンスター神話」の真実(3)アメリカ進出はしたくなかった… – ライブドアニュース

ミーはアメリカでの活動に意欲的だったが、ケイは日本への帰国を強く希望していたそう。

1980年9月1日、ピンク・レディーは二人揃って解散を発表。
ピンク・レディー – Wikipedia

同じ時期に松田聖子が2ndシングル「青い珊瑚礁」で1位を獲得している。

http://www.youtube.com/watch?v=0RRALW9gg7A
http://www.youtube.com/watch?v=glDKO398d7Y

▼後楽園球場で解散した1981年

4年7ヶ月の活動に終止符を打った
1981年1月に21thシングル「Last Pretender」を発売したが、セールスは0.8万枚となり、音楽番組やコンサートで歌われることがなかった。3月に後楽園球場で解散コンサートを開催した。2年前には同じ場所で7万人を動員したが、当日は悪天候だったこともあり、空席が目立った解散コンサートだった。

21st「Last Pretender」(86位)
22nd「OH!」(46位)

デビュー5年で数百億円を稼ぎ出しながら、所属事務所が解散から半年で「倒産」に至った
吉永小百合、山口百恵、ピンク・レディー…芸能界を彩った女神たちの秘話 | アサ芸プラス

●数回にわたって再結成

2010年までに7回再結成
1984年: シングル・アルバムを発売
1989年〜1990年: 2年連続で紅白に出場
1996年〜1997年: シングル・アルバムを発売
1998年: 音楽特番で1夜限りの復活
1999年: 音楽特番で1夜限りの復活
2000年:「NHK 紅白歌合戦」で1夜限りの再結成
2003年〜2005年: コンサートツアーを開催
2010年:「解散やめ!」を宣言
ミーは「NEVER」が大ヒット
解散後は「MIE」に改名し、タレント・歌手・女優としてマルチに活動。1984年に発売された6thシングル「NEVER」はドラマ「不良少女と呼ばれて」(TBS系)の主題歌に起用され、オリコン最高4位を獲得。これまでシングル18枚、アルバム7枚を発売した。女優としては単発ドラマの出演が多く、舞台では主役を務めることが多々あった。
http://www.youtube.com/watch?v=E6vYFat1bz4
1984年6月1日発売
6thシングル「NEVER」
最高位: 4位
ケイはソロデビュー曲がヒット
解散後は「増田けい子」に改名し、歌手・女優として活動。解散した年に発売された1stシングル「すずめ」は最高9位を獲得し、約27万枚のヒットを記録。1989年にはフランスデビューを果たし、現地で活動することもあった。近年はタレントとしての活動が目立ち、「平成教育委員会」や「くりぃむクイズ ミラクル9」などのクイズ番組に出演することが多かった。

1981年11月28日発売
1stシングル「すずめ」
最高位: 9位
再結成で紅白歌合戦に3回出場
1度目の再結成となった1984年は「不思議LOVE」を発売し、アルバムも発売。1989年・1990年には「NHK紅白歌合戦」に出場し、ヒット曲を中心としたメドレーを披露。1996年は12年ぶりとなるシングル「PINK EYED SOUL」、さらに本人選曲によるベストアルバムを発売。2000年には4回目となる「NHK紅白歌合戦」に出場し、2003年〜2005年にかけて全国ツアーが開催され、「ミュージックフェア」(フジテレビ系)ではモーニング娘。と新旧アイドル同士の共演が実現した。

2010年に、「解散やめ!」宣言をして、継続した活動を続けています。
未唯mie「ピンク・レディー時代は仮眠45分、毎日微熱」 – ライブドアニュース

翌年から全国ツアー「ピンク・レディー Concert Tour 2011 “INNOVATION”」を開催した。

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▼関連サイト

https://matome.naver.jp/odai/2148031158646409201
2017年10月03日